義伯父(故実伯母の夫)が亡くなり、
先日葬儀に行って来ました。
この夫婦の間には、
私より一カ月後に生まれた一人娘がいます。
要するに、私と同級生です。
小さい頃は、よく一緒に遊びました。
同級生の彼女(A子ちゃん)は、とても頭が良く、
手先も器用で、ピアノもお琴も手芸も、何をやらせても素晴らしく、
全て大人顔負けで、本当に天才的な子でした。
そして、小学校低学年にも関わらず、妙に大人びていて、
分かっている様な事も「A子知らない…」「A子分からない…」
…と上手にはぐらかし、子供らしく騒ぐ事も無く、余計な事は喋らず、
常に落ち着いていて、私にとっては凄く不思議な存在でした。
とにかく、本当に頭が良かったのです。
そのせいか、遊びは変わっていました。
特にインパクトがあったのは、
小さな木箱の中で、虎の巻の様に巻かれ、綺麗に並べられた紙筒…。
木箱の中には、緩衝材用の“綿”も入っていて、
手作りの虎の巻は、縦5㎝くらい…。
「これはね、嫌いな子の(悪口を書いた)替え歌」…と。
虎の巻を開いて見せてくれて、2曲ぐらい披露して貰ったのですが、
ボ~ッとした小学生だった私には、
「頭が良いと凝った遊びをするんだな…」と、とても衝撃的でした。
その後、
A子ちゃんは益々大人になり、段々勉強も忙しくなり、
とうとう会う事も無くなりました。
そして、ストレートで東大(確か文系)に合格しました。
東大の文系…、
でも、高校の先生からは
「ぜひ医学部を選択して欲しい! きっと大丈夫だから!」
…と懇願されていたらしいです。
でも、「A子、血を見るの嫌いだから、イヤ…」と断ってしまった
…という話を、伯母経由で母から聞きました。
東京へ行ったA子ちゃんは、
すっかり都会の人になってしまい、噂もあまり聞かなくなりました。
卒業し就職してしまえば、世の中の人は、
誰しも大方同じ様な生活になるのかもしれません。
噂を聞いても、
「元気にしてるよ」「忙しく働いているよ」…といった近況だけでした。
伯母は将来、
可愛い一人娘と一緒に、東京で暮す事を夢見ていましたが、
病気で5年ほど前に亡くなりました。
義伯父は昔から、
「人生一回キリだから、A子の思う様に生きなさい」…と、
娘の気持ちと人生を、とても大切にしていました。
そんな両親を亡くし、
A子ちゃんは一人になってしまいました。
私にとっては、二人を亡くした悲しみと同じくらい、
一人になったA子ちゃんが悲しくて、泣けました。
そして、伯母が病床で
「菫ちゃん達(姪っ子)は、みんな良い子だけど、
ウチのA子も良い子だから、もしもの時は力になってあげてね。」
…と言っていた事を思い出しました。
義伯父の「A子
」と呼ぶ優しい声も思い出しました。
ずっと疎遠でしたが、
この葬儀をきっかけに、私達は連絡先を交換しました。
「余計なお世話かもしれないし…」
「頭が良過ぎて、子供の頃みたいに会話が噛み合わないといけないし…」
と、連絡先を聞くのを躊躇していましたが、
思いがけず、A子ちゃんから「連絡先、交換しない?」…と。
義伯父の旅立ちは、とても悲しく、
同時に、遺された一人娘の悲しさというものを初めて身近に感じ、
切なくてたまらない葬儀でしたが、
「こうした出会いも、亡き人の導きなのかもしれない…」
葬儀場の司会者の言葉じゃないけれど、初めてそう思いました。
先日葬儀に行って来ました。
この夫婦の間には、
私より一カ月後に生まれた一人娘がいます。
要するに、私と同級生です。
小さい頃は、よく一緒に遊びました。
同級生の彼女(A子ちゃん)は、とても頭が良く、
手先も器用で、ピアノもお琴も手芸も、何をやらせても素晴らしく、
全て大人顔負けで、本当に天才的な子でした。
そして、小学校低学年にも関わらず、妙に大人びていて、
分かっている様な事も「A子知らない…」「A子分からない…」
…と上手にはぐらかし、子供らしく騒ぐ事も無く、余計な事は喋らず、
常に落ち着いていて、私にとっては凄く不思議な存在でした。
とにかく、本当に頭が良かったのです。
そのせいか、遊びは変わっていました。
特にインパクトがあったのは、
小さな木箱の中で、虎の巻の様に巻かれ、綺麗に並べられた紙筒…。
木箱の中には、緩衝材用の“綿”も入っていて、
手作りの虎の巻は、縦5㎝くらい…。
「これはね、嫌いな子の(悪口を書いた)替え歌」…と。
虎の巻を開いて見せてくれて、2曲ぐらい披露して貰ったのですが、
ボ~ッとした小学生だった私には、
「頭が良いと凝った遊びをするんだな…」と、とても衝撃的でした。
その後、
A子ちゃんは益々大人になり、段々勉強も忙しくなり、
とうとう会う事も無くなりました。
そして、ストレートで東大(確か文系)に合格しました。
東大の文系…、
でも、高校の先生からは
「ぜひ医学部を選択して欲しい! きっと大丈夫だから!」
…と懇願されていたらしいです。
でも、「A子、血を見るの嫌いだから、イヤ…」と断ってしまった
…という話を、伯母経由で母から聞きました。
東京へ行ったA子ちゃんは、
すっかり都会の人になってしまい、噂もあまり聞かなくなりました。
卒業し就職してしまえば、世の中の人は、
誰しも大方同じ様な生活になるのかもしれません。
噂を聞いても、
「元気にしてるよ」「忙しく働いているよ」…といった近況だけでした。
伯母は将来、
可愛い一人娘と一緒に、東京で暮す事を夢見ていましたが、
病気で5年ほど前に亡くなりました。
義伯父は昔から、
「人生一回キリだから、A子の思う様に生きなさい」…と、
娘の気持ちと人生を、とても大切にしていました。
そんな両親を亡くし、
A子ちゃんは一人になってしまいました。
私にとっては、二人を亡くした悲しみと同じくらい、
一人になったA子ちゃんが悲しくて、泣けました。
そして、伯母が病床で
「菫ちゃん達(姪っ子)は、みんな良い子だけど、
ウチのA子も良い子だから、もしもの時は力になってあげてね。」
…と言っていた事を思い出しました。
義伯父の「A子

ずっと疎遠でしたが、
この葬儀をきっかけに、私達は連絡先を交換しました。
「余計なお世話かもしれないし…」
「頭が良過ぎて、子供の頃みたいに会話が噛み合わないといけないし…」
と、連絡先を聞くのを躊躇していましたが、
思いがけず、A子ちゃんから「連絡先、交換しない?」…と。
義伯父の旅立ちは、とても悲しく、
同時に、遺された一人娘の悲しさというものを初めて身近に感じ、
切なくてたまらない葬儀でしたが、
「こうした出会いも、亡き人の導きなのかもしれない…」
葬儀場の司会者の言葉じゃないけれど、初めてそう思いました。