夏休み明け、
夜のオムツも外した方が良い。
オムツをしていると、「おしっこをしてしまっても良い」と思ってしまうから。
・・・という話を、近所のママさんに聞き、
長男リロも、夜のオムツを思い切って外してみました。
結果、3回くらい失敗したかな・・・。
「おねしょ」と言うより、「おしっこしちゃった」という感じで、布団が濡れていましたが、
「就寝前にしっかり排尿をしていれば、漏らすことはないだろう」・・・という状況まで進歩し、
最近は、失敗がありません。
3才8ヶ月にして、オムツを卒業・・・。(決して早くはない
)
とは言え、
それまでは日中、
排便がしたくなると、何故かオムツに履き替え、
オムツの中で踏ん張っていたので、
親として「処理」が楽だったのですが、
夜のオムツを止めて、少し経った頃から、
パンツの中でするのが、ステータスになってしまった様です。
最近の排便は、「パンツオンリー」なので、今更ながら大変!
先日、
「(いますぐ)自転車を買ってやりたいな~」・・・と、思っていたのですが、
「何でも、ただで、ドンドン与えるのもナンだな~」・・・と、思い直し、
「トイレでうんこが出来る様になったら、カッコイイ自転車を買ってあげる!」
・・・と、方針を変えました。
旦那サンも、この方針に乗り、
「トイレでうんこする?」「頑張らないと買って貰えないよ」・・・など、
私から見ても、しつこいなぁ・・・と思うくらい言っているのですが、
本人は、「自転車は買って貰えない。まだまだ(パンツで)するよ~
。」・・・と、元気一杯。
オムツに履き替えて排便していたくらいだし、「便意」は分かるはずなので、
後は、「変な拘り」なのでしょうけれど・・・。パンツ洗いは時間が掛かるし面倒
。
様子を見ながら、トイレへ促しても、
この年齢になると、「はい。そうですね。」・・・といくどころか、
「出ない!」と否定し、隠れて(もしくはコッソリ)するので、
教職用語で出てくる「言葉掛け~」なんて(親に対する)指導は、
絵に描いた餅みたいなもの。 何の参考にもなりません。
だからといって、何も言わず放置する訳にはいきませんが。(←コレ当然)
全くもう
・・・と思いながら、パンツを洗う日々ですが、
実は私も小さい頃、そんな一面があったのを思い出し、妙に納得してみたり・・・。
私の場合は、保育園のトイレで排便をする事に抵抗があり、
「トイレでするくらいなら、パンツでしてしまえ」・・・でした。
その発想は、(年中の時の、たった1回の失敗でしたが)鮮明に覚えています。
息子も「トイレでする」という事に、何らかの抵抗や拘りがあるのでしょう。
幼い頃の記憶が、割と残っている私からすると、
息子の困ったところや、パッパラパーなところなどは、
全部私にそっくりで、我ながら「あ~あ
」・・・です。
「お母さんの子だわ
」・・・と言ってのける旦那サンは、
「そんな昔の事を、脳に留めておく余裕が無い」・・・とかで、
昔の事はほとんど全く覚えていないそう。 (怪しいぜ
)
しかし、
いつになったら、発想が切り替わるんでしょうか。
何か、良いきっかけが欲しいところです。
夜のオムツも外した方が良い。
オムツをしていると、「おしっこをしてしまっても良い」と思ってしまうから。
・・・という話を、近所のママさんに聞き、
長男リロも、夜のオムツを思い切って外してみました。
結果、3回くらい失敗したかな・・・。
「おねしょ」と言うより、「おしっこしちゃった」という感じで、布団が濡れていましたが、
「就寝前にしっかり排尿をしていれば、漏らすことはないだろう」・・・という状況まで進歩し、
最近は、失敗がありません。
3才8ヶ月にして、オムツを卒業・・・。(決して早くはない

とは言え、
それまでは日中、
排便がしたくなると、何故かオムツに履き替え、
オムツの中で踏ん張っていたので、
親として「処理」が楽だったのですが、
夜のオムツを止めて、少し経った頃から、
パンツの中でするのが、ステータスになってしまった様です。
最近の排便は、「パンツオンリー」なので、今更ながら大変!
先日、
「(いますぐ)自転車を買ってやりたいな~」・・・と、思っていたのですが、
「何でも、ただで、ドンドン与えるのもナンだな~」・・・と、思い直し、
「トイレでうんこが出来る様になったら、カッコイイ自転車を買ってあげる!」
・・・と、方針を変えました。
旦那サンも、この方針に乗り、
「トイレでうんこする?」「頑張らないと買って貰えないよ」・・・など、
私から見ても、しつこいなぁ・・・と思うくらい言っているのですが、
本人は、「自転車は買って貰えない。まだまだ(パンツで)するよ~

オムツに履き替えて排便していたくらいだし、「便意」は分かるはずなので、
後は、「変な拘り」なのでしょうけれど・・・。パンツ洗いは時間が掛かるし面倒

様子を見ながら、トイレへ促しても、
この年齢になると、「はい。そうですね。」・・・といくどころか、
「出ない!」と否定し、隠れて(もしくはコッソリ)するので、
教職用語で出てくる「言葉掛け~」なんて(親に対する)指導は、
絵に描いた餅みたいなもの。 何の参考にもなりません。
だからといって、何も言わず放置する訳にはいきませんが。(←コレ当然)
全くもう

実は私も小さい頃、そんな一面があったのを思い出し、妙に納得してみたり・・・。
私の場合は、保育園のトイレで排便をする事に抵抗があり、
「トイレでするくらいなら、パンツでしてしまえ」・・・でした。
その発想は、(年中の時の、たった1回の失敗でしたが)鮮明に覚えています。
息子も「トイレでする」という事に、何らかの抵抗や拘りがあるのでしょう。
幼い頃の記憶が、割と残っている私からすると、
息子の困ったところや、パッパラパーなところなどは、
全部私にそっくりで、我ながら「あ~あ

「お母さんの子だわ

「そんな昔の事を、脳に留めておく余裕が無い」・・・とかで、
昔の事はほとんど全く覚えていないそう。 (怪しいぜ

しかし、
いつになったら、発想が切り替わるんでしょうか。
何か、良いきっかけが欲しいところです。