さて、ここは“大好きな道後温泉”です

。
ここからは、龍馬から頭を切り替えて、
坂の上の雲めぐりです。
…と、その前に。
・ホテルのフロントに飾ってあったお雛様

バックに富士山、桜らしき花が咲き乱れ、川まで流れています

。
なんだか、とても楽しそうな宴です。
・三人の爺さん(仕丁…って言うのかな?)、もしかして酒盛り中?

道後名物「坊っちゃん団子」を前に、
スチロールで手作りされた「どんぶりクラスの入れ物」を持ってご機嫌

。
ホテルのご厚意で、午前中のみ車を預けて…
◆
伊予鉄の路面電車に乗車
・有名な「坊っちゃん列車」ではありませんが、レトロな車内

高知同様、こちらも電車代がとても安いです。(名古屋は高過ぎ!)
・最古の「坊っちゃん列車」の中へ(動いてはいません)

せ…狭い…

。
でも、すり減った床や、光沢のある車内が、
とても良い雰囲気を出しています。
子規や漱石も、この列車に乗って道後温泉に通ったそうですよ

。
◆
子規堂
・入口前の像「子規旅立ちの姿」

子規は無類の「旅好き」であったそうです

。
…どの写真を見ても、“暗い表情”に見える子規ですが、
写真とは反対に、明るく前向きな性格で、とても人気者だったそうです。
俳句だけでなく、人生を楽しむ才能も秀でていた子規は、
「野球」を日本に伝え広めた人でもあります。(平成14年殿堂入り

)
・朝日が差し込む子規の部屋

小さな机…。でも一生懸命勉強したのでしょうね

。
・秋山真之から贈られた布生地

子規の質素を見かねて、真之が贈ってくれたんだって

。
病気(結核)も抱えていたし、実際大変だったでしょうね…。
◆
坂の上の雲ミュージアム
こちらは、かなりの人混みでした

。
やっぱり
NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」…熱いわ…

。
ここには、作家の
司馬遼太郎さんが描いた“物語”共に、
3人の“史実”や、やり取りした手紙、書、絵、写真、を始め、
当時の物が、いろいろ展示してありました。

裏話…とまでは、行かないのですが

「ドラマ」「司馬さんの原作」「史実」 …は、微妙に違います。
“その時代に生きていた人”の作品ではないのですから、
当然と言えば「当然」ですよね?
「坂の上の」…で言えば、
好古さんと多美さんのロマンスは、ミュージアムでは見られませんでした。
「龍馬」…で言えば、
弥太郎と龍馬の家は、ドラマでは隣街(隣村?)の様に描かれていますが、
実は、40kmも離れているんです

。
40km…と言ったら、走っても4時間は掛ります。
往復したら、8時間ですよ!
歩み寄ったとしても、道端でなんか、滅多に出会わんやろ…

。
~等々~
やはり、物語と史実は、若干違っていて、
それを知った上で、ドラマを観るのは、ある意味面白かったりします

。
◆
萬翠荘
・フランス洋風館(大正11年建築)

思わず「わぁ~
明治村みたい~

」と言ってしまいました。
(明治村は、確か「坂の上の雲」のロケでも使われていました

)
◆
愚陀佛庵
・松山中学教師時代の漱石の下宿先

ここに、子規が病気療養に訪れ、1階に52日間居候しました。
家も庭も立派だし、なかなか高価そうな物件ですが、
あの時代の価値としては、どうだったのでしょうね…。
ココ…、炊事場…ってあるのかなぁ?
◆
秋山兄弟生誕地(2005年に復元)
・秋山好古騎馬像(復元)

昔は道後公園内にあったそうですが、
戦時中の「供出」により、取り壊されたんだって

。
スクラップされ、武器に変わったのでしょうか…

。
・秋山真之像複製品 (本物は「海上自衛隊幹部学校」にあるそうです)

海外で作られた(?)か、デザインされた(?)胸像だそうで、
どっしりと、等身大の約1.5倍の大きさ…だそうです。
こういった銅像は、軍国主義の象徴の様で、
あまり良い印象を持てませんが、
食べていく為に軍人になり、
困難に必死に立ち向かって行った人柄を知ると、
軍人という職業抜きで、尊敬に値する人だと感じました。
兄・好古は、
「軍人」というより、根っからの「教育者」であったようで、
地位や名誉に捕らわれない、晩年を送ったそうです。
弟・真之は、
戦争の惨さと、部下を亡くしてしまった悲しみに苛まれ、
軍人を辞めて、出家をしたくてたまらなかったそうです。
でも、有望な人材の為、それも叶わず…。
そこで真之は、自分の想いを長男に託したそうで、
その長男さんは、家督を継がず、仏門に入ったそうです。
栄光の裏には、人知れず、苦悩もあるものですね…

。
時間が来たので、ホテルへ車を取りに行き…
◆
子規記念博物館へ
・等身大(身長164cm)の子規と…

ココは、何というか
“煌びやかさ”の無い、おごそかな博物館なので、
興味のある人とそうでない人が、大きく別れると思います。
ただ、日本が誇れる「俳句の世界」を発信する、
“重要な博物館”である事は、確かです。
・子規さんの俳句かるた(自分へのお土産)

このかるたは、普通の「かるた取り」だけでなく、
百人一首の様な「下の句取り」も楽しめます。
めざせ、風流人
◆リフトに揺られて、
松山城へ

ココ…凄いわ…

。
こんなに立派なお城を見たのは、初めてかも!
さすが、徳川家の親族の城

。
焼失して、散々復興しているのは別として、
敷地も広いし、お城もデカい!
それに、ちゃんと「木造」だし。
因みに“がっかりしたお城№1”は、
申し訳ないけど、今のところ
熊本城。
…外観は良いけれど、中がコンクリートなんだもん

。
熊本の人には申し訳ないけれど、あれは無いわ…

。
茶店で、坊っちゃん団子とお茶を頂き、しばし休憩( ^^) _旦~~。
その後、ロープウェイで下山しました。
さぁ、
最後は、
道後温泉本館に入って、今回の旅は終了です。
◆道後温泉本館
・入口

(旦那サン…、アングル下過ぎない?

)
ここの温泉、
前に来た時(初夏かな?)は、アツアツで良い感じだったのですが、
今回は真冬で、冷えた体の観光客が入るし…、
基本的に客の出入りが激しいし…、で、お湯がぬるくてね…。
…ちょっとガッカリでした

。
温泉って、やっぱり冬が混むのかなぁ?
脱衣所も混んでいましたが、
洗い場は、「どこに身を置こうか…

」という程、混んでいました。
あまりに混んでいたので、今回は珍しく早めに上がりました。
そして、廊下の椅子に座って、旦那サン待ちを…。
置いて行かれたとも知らずに、旦那サン待ちを…。
そう。
私、置いて行かれたんです!
ぬるい温泉に入って、開けっ広げの入口に、冷たい床…、
上着は車に置いて来て、持ち合わせていないし、
外に出たらもっと寒いし、一度出たら、館内にはもう入れないし…。
寒いよぉ…
でも、待っても待っても、旦那サンは出て来ません。
外を覗いても、旦那サンの姿は見当たりません。
目の前を、
“さっき入館して来た人”が、入浴を済ませて、帰って行きます。
寒さに震えながら、待つ私…

。
かれこれ40分以上、男湯をのれん越しに覗いたり、
廊下の椅子や、入り口を、行ったり来たりしたでしょうか…。
…実は、この間の旦那サンは、
湯上がりに、ビールを飲みたい一心で、館内を抜け出し、
駐車場に戻って、コートを持ち出し、
それを着て、外のベンチでのんびりと、一杯やっていたのです






。
酷くないですか?
待ち合わせ場所を決めて置かなかったのは、マズカッタ…とは思いますが、
この寒いのに「外」は無いでしょう~。
しかも、私、車のカギ持って無いし、コートも無いし。
散々待たせた挙句、
ひょっこりと、入口から顔を覗かせた旦那サンは、怒る私に、
「だって、外で待っていると思ったんだもん。」
(この寒いのに、外で待つか?)
「褒められようと思って、コートまで持って来たんだよ。」
(自分が寒かったんでしょうに!)
「ほら。ちゃんと上から写真まで撮って来たんだから。」
この後、
不安と寒さは、怒りに変わり、空港に向かう車中の私は無言でした。
(無駄な待ち時間を費やして、ご飯食べる時間も無くなったしっ

)
でも、
優しい奥さんは、しょんぼりしている旦那サンを見て可哀想に思い、
空港での「食事」と「お土産買い放題」で、許してあげる事にしました。
(もちろん、旦那サンのお小遣いからの支払いです)
・松山鮓と海鮮巻き

お土産も、値段を気にせず、思い切り買って貰いました。
そんなこんなの、二泊三日の四国旅行は、
こうして、楽しく無事に終わりました。