日本人としてのアレ。

通りすがりで会ったなら、その出会いを大切にしたい

『原因』

2011-04-07 | 曼荼羅タイト
小学生の頃に書いた超短編小説についての記憶が残ってた。

20年も前の事だから、確かな記憶ではないけど書いたのは授業中だった。

「卒業するにあたって、お母さんへの感謝の気持ちを手紙する」と言う内容の授業だったはずだ。

なんて言う恥ずかしい事を学校はさせるんだろう?と思った。
真面目に書く気になれなかったので、なにか変な話しを書いて埋めようと思ったんだ。

僕の学校には「ひょうたん池」と言う人工の小さい池があって、それにインスパイアされ「不細工な女の子と、河童の恋愛」の話しを書いた。

不細工で虐められている女の子が、自分より醜い河童を見つけて一目惚れして、初めは河童の方は気が乗らなかったのに段々と好きになっていって、愛情の形が歪んで・・・と言う話し。

面白い話しだと思ったのは僕だけだったみたいで、鈴木先生には怒られた。

その話しを「ちょっと怖いけど面白い話だね」なんて褒められる事もなく、普通に書き直しさせられたんだ。

皆が喜ぶようなやつの書き方は知っていたから、真面目に書いてみた。

遠足の時にリュック・サックを作ってくれてありがとう、と言う内容を擬人法と倒置法を多用して

先生達が喜ぶように書いたから、それが卒業式で読まれる事になったんだ。

でも、僕には読ませてくれず、違う女の子が読んだ。
僕が、卒業式でちゃんと読むか、先生が心配したんだろう。

卒業式では真面目な女子生徒が読んだから、僕の母への気持ちは体育館に溢れて涙になった。

自分の作文を人が読んでいるのを聞かされて、なんだか笑える卒業式だった。
ここで「不細工な女の子と、河童の恋愛」を話した方が、中学生になった時に皆の恋の為になると思ったし余計に泣けたのに

そんな風に小学校を通過したから僕の人生は脱線してしまったんだと思う。
コメント
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