日本人としてのアレ。

通りすがりで会ったなら、その出会いを大切にしたい

『Rちゃん、誕生日おめでとう!(*^▽^*)』

2013-11-24 | 手品の話

『手品のタネ』を、10分割したとして・・・その中の一割を「見抜けたり」「マジシャンンの不注意で見えちゃったり」したとする。

で、「その一割」が『見えた様な気がした人』が、周りの人に、【これはこうなっていた】と、所謂『ドヤ顔』で喋り、周りの場を壊す「あの空気」って、どうにかならないものだろうか???

たいがいの場合「ハズレ」であって・・・、でも、こちらとしては『正解を説明できない』

なので、周りの「わからなかったり、敢えて解ろうとしなかった人」にまで【被害】が及ぶ。

「あー、たった、それだけの事なのか・・・」と・・・。

それ以上でも、それ以下でもないのだけど。

「場がシラケる」のは確実。

バラしたい人(バラせてると思っている人)は、「徹底的に手品がキライ」な訳でもないのに、何故か?、場を壊してしまう。

(壊すと言ったら過剰だけど、『マジシャンのテンポ』は確実にズレてます。それによって、他のお客様まで楽しめなくなる余波が発生します。)

あーゆー人が、【何に優越感を得て、何が不満だったのか?】、本当に聞きたい。

そして、周りの人に聞きたい『あーゆー風に、バラそうとする人って、どう思います?』と・・・。

正直、誰も『得しない』んだよね。

バラしている人も、普通の大人の人から見たら『○○さん、何、ムキになってるの?手品なんだから、タネも仕掛けもあるに決まっているじゃない』と・・・

で、マジシャンは悩む、『ムキにさせてしまった僕が悪いのか?』と・・・


ハッキリ言って、お客様からしたら『マジックなんて、ただのズル』です。

『ズルされる事』を楽しむ余裕がない、そんな人に僕は、切なさしか見られない。

今日も、お子様の誕生日で呼ばれたイベントで、お子様は『お行儀よく』見てくれているのに、周りの【大人】が、あーしろこーしろと言って来て、【お子様が可哀想だった】

お子様の方が、『マジックを見るルール』を知っている感じ。

呼んでもらえたご両親も、【他の大人】に困っていたご様子・・・。

(自分の娘の為に呼んだマジシャンとの時間を壊されたくないに、決まっているのだから)

娘さんのRちゃんが、本当に苦笑いしていたので、本当に本当に可哀想だった。

【Rちゃんは、合唱コンクールでピアノを弾いたりされるらしく、『人と違う立場で何かを見せる』と言う意味やプレッシャーが理解出来ている子らしい】

 

自分の誕生日の為に来たマジシャンとの、『マジックの時間』を関係ない大人に壊される、【あの苦痛】を味あわせた大人達は、罪深い。

僕のブログを、もし読んでいるなら、悔い改めた方がいい。

人として、「狂ってる」よ。

自分にも、子供がいるんだろうからさ。

 

【僕の事は、どれだけ邪魔してもいい、ハッキリ言って僕はそれに対応出来るから、だけど『Rちゃんの時間』を邪魔するのは、本当に止めろ!!】

 

手前味噌で申し訳ないけど、邪魔したくなる程、僕の手品は極上でしたでしょうね。

それでも、【今日は、Rちゃんの誕生日パーティー】です。

彼女の気持ちを理解してあげて下さい。

 

普段は、無理矢理チップを要求しない僕でも、行儀の悪い大人には『あなたはお行儀が悪かったので、お金を払いなさい』とハッキリと言いました。

そんな事は、言いたくないけど・・・。

 

最後は、Rちゃんに、『丸いスポンジボールが、Rちゃんの手の中で【ハートの形】に変化する』マジックで、そのハートのスポンジボールを、誕生日プレゼントと言ったら生意気だけど、あげて終わりにしました。

すると、Rちゃんは、ご両親に駆け寄って、『ねぇねぇ!!今、丸いスポンジがハートに変わったよ!!これ、くれるって!!』と喜んでくれました。

本当に『手品をしていて良かったな』と思えました。

 

僕は普段、『人を感動させる為に手品はしない、ただの生活手段だ』と言い切っていますけど、ただ【楽しんでもらえるお子様に対しては違うんだ】と、自ら気付きました。

Rちゃん、お誕生日おめでとう。

それと、ありがとう。

僕は、君が喜んでもらえたおかげで、手品の楽しさを再確認させてもらえました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『手品の神様へ・・・』

2013-11-24 | 手品の話

11月、世間ではマフラーを首に巻く方もチラホラみかける季節ですが、あなた様の恩恵を受け希望の光に包まれて、暖かい日々を過ごしております。

色々な人に出会い、沢山の応援の声を頂けております。

 

ですが、自分の『どこかが』間違っている気がしてありません。

単純にお客様に楽しんでもらえたらいいのでしょうか?

僕は、そこに疑問を持っています。

全てのお客様の希望に応えていたら、「手品自体」が成立しないと思うのです。

かと言って、お客様の要求に応えない訳にもいきません。

 

その『中間』は、いずれ、気付くのでしょうか?

まだ、僕には見えません、何十年も手品に携わる方でさえ、まだ「模索中のテーマ」に、この僕のような、【るろうにマジシャン】が到達出来ようとは到底思えませんが。

 

僕は、死ぬまでにそこまで到達したい。

例え、「他人を蹴落としてでも・・・」

他人を蹴落としてまで、昇りたいと思わない、なんて言う偽善を吐くつもりはありません、

全ての手品師を蹴落とし、僕は『天下無双』になりたい。

某漫画で「天下無双は、ただの言葉じゃ」と言われる剣豪がいらっしゃいましたが、僕が天下無双にならない限り、そこを理解できない。

 

でも、心のどこかで【ボンクーと言う人間】は既に、天下無双なのかも・・・、とも言葉遊びの様な疑問が螺旋状に脳味噌を駆け巡ります。

そこらへんんで『木刀を振り回している手品師』には、『素手で勝負できる自信』があります。。

 

その、『慢心』が、僕を盲目にしているのでしょうか?

しかし、彼らも「慢心うえ」僕に勝負したり、逆に脅威を感じていたりする訳だと思うのでしょうが、それは間違いでしょうか?

 

まだまだ【斬り殺し足りない・・・】

この気持ちが、どうにも拭えません。

拭うには、一人一人斬り殺すしかないのでしょうか?

また別に、『他人と勝負せずに、己と戦う』事に没頭すればいいのでしょうか???

 

半分以上、なんとなくではありますが、答えは見えていますが、ハッキリとしない。

いつになれば、答えは見えるのでしょうか?

それとも、答えは死んでも見られないのでしょうか?

 

もしくは、そもそも【答え】なんてものこそ、【言葉】であり、存在しないのでしょうか?

今、真実を乞うつもりはございません。

いつの日か、『他人の気持ちを理解できる境地に至りたい』

僕は、その日まで、『ボンクー』であり続ける努力を惜しまないので、暖かい光を注いでいただけたらと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする