日本人としてのアレ。

通りすがりで会ったなら、その出会いを大切にしたい

『手品の神様へ・・・』

2013-11-24 | 手品の話

11月、世間ではマフラーを首に巻く方もチラホラみかける季節ですが、あなた様の恩恵を受け希望の光に包まれて、暖かい日々を過ごしております。

色々な人に出会い、沢山の応援の声を頂けております。

 

ですが、自分の『どこかが』間違っている気がしてありません。

単純にお客様に楽しんでもらえたらいいのでしょうか?

僕は、そこに疑問を持っています。

全てのお客様の希望に応えていたら、「手品自体」が成立しないと思うのです。

かと言って、お客様の要求に応えない訳にもいきません。

 

その『中間』は、いずれ、気付くのでしょうか?

まだ、僕には見えません、何十年も手品に携わる方でさえ、まだ「模索中のテーマ」に、この僕のような、【るろうにマジシャン】が到達出来ようとは到底思えませんが。

 

僕は、死ぬまでにそこまで到達したい。

例え、「他人を蹴落としてでも・・・」

他人を蹴落としてまで、昇りたいと思わない、なんて言う偽善を吐くつもりはありません、

全ての手品師を蹴落とし、僕は『天下無双』になりたい。

某漫画で「天下無双は、ただの言葉じゃ」と言われる剣豪がいらっしゃいましたが、僕が天下無双にならない限り、そこを理解できない。

 

でも、心のどこかで【ボンクーと言う人間】は既に、天下無双なのかも・・・、とも言葉遊びの様な疑問が螺旋状に脳味噌を駆け巡ります。

そこらへんんで『木刀を振り回している手品師』には、『素手で勝負できる自信』があります。。

 

その、『慢心』が、僕を盲目にしているのでしょうか?

しかし、彼らも「慢心うえ」僕に勝負したり、逆に脅威を感じていたりする訳だと思うのでしょうが、それは間違いでしょうか?

 

まだまだ【斬り殺し足りない・・・】

この気持ちが、どうにも拭えません。

拭うには、一人一人斬り殺すしかないのでしょうか?

また別に、『他人と勝負せずに、己と戦う』事に没頭すればいいのでしょうか???

 

半分以上、なんとなくではありますが、答えは見えていますが、ハッキリとしない。

いつになれば、答えは見えるのでしょうか?

それとも、答えは死んでも見られないのでしょうか?

 

もしくは、そもそも【答え】なんてものこそ、【言葉】であり、存在しないのでしょうか?

今、真実を乞うつもりはございません。

いつの日か、『他人の気持ちを理解できる境地に至りたい』

僕は、その日まで、『ボンクー』であり続ける努力を惜しまないので、暖かい光を注いでいただけたらと思います。

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