今日はちょっと早起きして(と言っても起きたのは10時だが)、美術館に行った。
電車のなかでシュルレアリスム展が開催されているということを知り、これは是非とも見てみたいと思っていたのだ。
以前の恐竜展や、哺乳類展と異なり、今回は思い立ったら直ぐに行くことができた。
そして何の疑いも無く、上野に向かった。
シュルレアリスム展がどこで開催されているのかを確認することもなく。
そして上野の券売所に着いてようやく気づいた。
何の疑いも無くここに来ちゃったんだけど、シュルレアリスム展ってどこでやってるんだろうか?
本来ならば来る前に確認すべき疑問が浮かぶ。が、とき既に遅し。
券売のおばちゃんにシュルレアリスム展やってますかとか恥ずかしい質問をしなくてよかったと心から思う。
国立西洋美術館ではレンブラント展が開催されていた。
これはこれで面白そうな気がするのだが、やはりここまでシュルレアリスムを見ようと意気込んで来たのだ。ここで妥協するわけにはいかない。
今日は絶対にラーメン食べようって気分のときに、蕎麦が食べたくないのと同じだ。
調べてみると、シュルレアアリスム展は国立新美術館で開催されているとのこと。
場所は六本木である。
検索してみると上野⇒浜松町(大門)⇒六本木とそう遠くは無かった。
無駄にしたのはちょっとの電車賃くらい。安い勉強代だ。
軽くトラウマが残る土地である浜松町を歩き、程なくして六本木に着いた。
東京ミッドタウンの横を歩き、ラーメン食っていざ国立新美術館に。
これがなんともまあ、洗練された建物で、一気に惹かれた。
最近訪れた土地で、また是非とも訪れたい場所№1だ。
六本木の街に相応しい、スタイリッシュな建物。
チケットを購入し、中に入ると…
ロンドンのテートモダンにそっくりであった。
本当に似てる。絶対に国立新美術館はテートモダンを参考にしたに違いない。
中の吹き抜けになっている感じや建物の構造も本当に似ていた。
凄くいい空間だった。
まずは、東京の美大生たちの卒業制作が展示してあったので、見てみた。
…
もう、感化されまくった。
刺激を受けたなんてもんじゃない。
俺は一体何をやっているんだろうと思った。
彼らは一体日常何を考えているんだろう。どんなことを考えているんだろう…
この作品をどういうコンセプトで、何を感じながら、どう伝えようとして創ったんだろう…
中には作品の下に名詞を置いたり、ノートを置いて次の展覧会の案内をしていたり、ファイルに過去の作品を閉じてある人もいたり…
何か生活してる次元が違う。
それに比べて俺は一体何をしているんだろう…
自分の日常が情けなくなった。
そう思えるくらい、作品は個性に富み、そして俺の目からして水準が高い作品ばかりであった。こんなハイレベルな作品を創っている人たちがこんな所に大勢いるとは。
個人的にはテートモダンに引けをとらない。
久しぶりに表現の意欲がめらめらと燃えた。
俺も何か作ってみたい。一年くらい懸けた大作を。
昔は表現意欲だけは無駄に高くって、毎日その表現活動に没頭できていたのに。
この気持ちを忘れていたみたいだ。
表現意欲にビシビシと刺激を受けただけでなく、ちょっと新しい世界を覗いてしまった気分だ。
そいてここは本当にロンドンの美術館のように、無料で見ることができる。
ふらっと来て、見ることが出来るのも、国立新美術館は非常にポイントが高い。
そしてお次は目玉のシュルレアリスム展。
結構人が多かったのが少し残念。人の多さってのは時に、展示方法と同じくらい重要だったりすると俺は思う。
とはいえ、ぎゅうぎゅうで作品も見えない、なんて状態ではなかった。
内容的には非常に充実していたと思う。
なんせ展示作品の数がとても多かった。昼過ぎに入ったのに出てきたときには夕日が沈みかけていた位。
欲を言えば、シュルレアアリスムの代名詞的存在のダリの作品が少なかったのは残念だったか。マグリットは結構見れたな。
とにかく集中して見ていったので、一巡した後は非常に疲れた。
後から聞いた話だが、今回は彼女と一緒に行ったのだが、その彼女の近くに、作品ごとにいちいち“これ訳分かんねー”とかブランドで身を固めた彼女と難癖つけながら歩くブランドで身を固めた半笑い男がいて非常に鬱陶しかったらしい。
あー…いるいる、絶対ひとりは。そういう奴…とか思う。あと薀蓄おじちゃんも鉄壁。
だが、今回はちょっと訳が違ってくるように思う。シュルレアリスム展を見に来ているんだ。騙し絵やトリックアートを見ているわけじゃない。
理解なんてそもそも求められていない。
いや、理解を求められていないというか、理解するという考え方がそもそも存在していない。そこには理解という観念が存在していない。
それを受け入れるしかないのだ。それをそれとして受け入れるしかない。
人がその絵を見て、解釈と言うプロセスを経て考えるものではなく、それがそれとして存在しているそのものを受け入れるしかないのだ。
理解なんて出来るものじゃないし、それをきちんと理解した気になっていたらそれは作者に足して非常に傲慢な考えだと思う。
なんてことをふと思った。別に美術館の作品なんて人それぞれ好きに見ればいいんだけど。
フロアを出るとどっと疲れた。ずっと立ちっぱなしだったのに加え、やはり集中していたためだろう。
目の前にはカフェが。図ったようなロケーションだ。てか考えてるんだろうな。
入ったときには、大勢の客がカフェで話をしていて、お前ら美術館に来て何でカフェで話してるんだよ…何しに来てんだ…なんて思ったものだが、その時になって彼らの気持ちが非常によく分かった。美術館には座って、感想を言い合ったりしゃべれるスペースが必要だって痛感した。
二人して表現意欲を刺激され、よし(数年も遅れた)卒業制作を創ろうって盛り上がりながらコーヒーを啜り、ショップを見て回った。
帰りは東京ミッドタウンの横の並木道(名前分からん)を散歩した。ライトアップが本当に綺麗だった。ドラマに出てきそうだ。俺ドラマ見ないけど。
その後もミッドタウンの中に侵入して、写真撮ったりして帰路へ。
国立新美術館は最高の場所だ。
気に入ったので、今回は珍しく今回のシュルレアリスム展の図録を買ってしまったんだから。
また絶対行く。
電車のなかでシュルレアリスム展が開催されているということを知り、これは是非とも見てみたいと思っていたのだ。
以前の恐竜展や、哺乳類展と異なり、今回は思い立ったら直ぐに行くことができた。
そして何の疑いも無く、上野に向かった。
シュルレアリスム展がどこで開催されているのかを確認することもなく。
そして上野の券売所に着いてようやく気づいた。
何の疑いも無くここに来ちゃったんだけど、シュルレアリスム展ってどこでやってるんだろうか?
本来ならば来る前に確認すべき疑問が浮かぶ。が、とき既に遅し。
券売のおばちゃんにシュルレアリスム展やってますかとか恥ずかしい質問をしなくてよかったと心から思う。
国立西洋美術館ではレンブラント展が開催されていた。
これはこれで面白そうな気がするのだが、やはりここまでシュルレアリスムを見ようと意気込んで来たのだ。ここで妥協するわけにはいかない。
今日は絶対にラーメン食べようって気分のときに、蕎麦が食べたくないのと同じだ。
調べてみると、シュルレアアリスム展は国立新美術館で開催されているとのこと。
場所は六本木である。
検索してみると上野⇒浜松町(大門)⇒六本木とそう遠くは無かった。
無駄にしたのはちょっとの電車賃くらい。安い勉強代だ。
軽くトラウマが残る土地である浜松町を歩き、程なくして六本木に着いた。
東京ミッドタウンの横を歩き、ラーメン食っていざ国立新美術館に。
これがなんともまあ、洗練された建物で、一気に惹かれた。
最近訪れた土地で、また是非とも訪れたい場所№1だ。
六本木の街に相応しい、スタイリッシュな建物。
チケットを購入し、中に入ると…
ロンドンのテートモダンにそっくりであった。
本当に似てる。絶対に国立新美術館はテートモダンを参考にしたに違いない。
中の吹き抜けになっている感じや建物の構造も本当に似ていた。
凄くいい空間だった。
まずは、東京の美大生たちの卒業制作が展示してあったので、見てみた。
…
もう、感化されまくった。
刺激を受けたなんてもんじゃない。
俺は一体何をやっているんだろうと思った。
彼らは一体日常何を考えているんだろう。どんなことを考えているんだろう…
この作品をどういうコンセプトで、何を感じながら、どう伝えようとして創ったんだろう…
中には作品の下に名詞を置いたり、ノートを置いて次の展覧会の案内をしていたり、ファイルに過去の作品を閉じてある人もいたり…
何か生活してる次元が違う。
それに比べて俺は一体何をしているんだろう…
自分の日常が情けなくなった。
そう思えるくらい、作品は個性に富み、そして俺の目からして水準が高い作品ばかりであった。こんなハイレベルな作品を創っている人たちがこんな所に大勢いるとは。
個人的にはテートモダンに引けをとらない。
久しぶりに表現の意欲がめらめらと燃えた。
俺も何か作ってみたい。一年くらい懸けた大作を。
昔は表現意欲だけは無駄に高くって、毎日その表現活動に没頭できていたのに。
この気持ちを忘れていたみたいだ。
表現意欲にビシビシと刺激を受けただけでなく、ちょっと新しい世界を覗いてしまった気分だ。
そいてここは本当にロンドンの美術館のように、無料で見ることができる。
ふらっと来て、見ることが出来るのも、国立新美術館は非常にポイントが高い。
そしてお次は目玉のシュルレアリスム展。
結構人が多かったのが少し残念。人の多さってのは時に、展示方法と同じくらい重要だったりすると俺は思う。
とはいえ、ぎゅうぎゅうで作品も見えない、なんて状態ではなかった。
内容的には非常に充実していたと思う。
なんせ展示作品の数がとても多かった。昼過ぎに入ったのに出てきたときには夕日が沈みかけていた位。
欲を言えば、シュルレアアリスムの代名詞的存在のダリの作品が少なかったのは残念だったか。マグリットは結構見れたな。
とにかく集中して見ていったので、一巡した後は非常に疲れた。
後から聞いた話だが、今回は彼女と一緒に行ったのだが、その彼女の近くに、作品ごとにいちいち“これ訳分かんねー”とかブランドで身を固めた彼女と難癖つけながら歩くブランドで身を固めた半笑い男がいて非常に鬱陶しかったらしい。
あー…いるいる、絶対ひとりは。そういう奴…とか思う。あと薀蓄おじちゃんも鉄壁。
だが、今回はちょっと訳が違ってくるように思う。シュルレアリスム展を見に来ているんだ。騙し絵やトリックアートを見ているわけじゃない。
理解なんてそもそも求められていない。
いや、理解を求められていないというか、理解するという考え方がそもそも存在していない。そこには理解という観念が存在していない。
それを受け入れるしかないのだ。それをそれとして受け入れるしかない。
人がその絵を見て、解釈と言うプロセスを経て考えるものではなく、それがそれとして存在しているそのものを受け入れるしかないのだ。
理解なんて出来るものじゃないし、それをきちんと理解した気になっていたらそれは作者に足して非常に傲慢な考えだと思う。
なんてことをふと思った。別に美術館の作品なんて人それぞれ好きに見ればいいんだけど。
フロアを出るとどっと疲れた。ずっと立ちっぱなしだったのに加え、やはり集中していたためだろう。
目の前にはカフェが。図ったようなロケーションだ。てか考えてるんだろうな。
入ったときには、大勢の客がカフェで話をしていて、お前ら美術館に来て何でカフェで話してるんだよ…何しに来てんだ…なんて思ったものだが、その時になって彼らの気持ちが非常によく分かった。美術館には座って、感想を言い合ったりしゃべれるスペースが必要だって痛感した。
二人して表現意欲を刺激され、よし(数年も遅れた)卒業制作を創ろうって盛り上がりながらコーヒーを啜り、ショップを見て回った。
帰りは東京ミッドタウンの横の並木道(名前分からん)を散歩した。ライトアップが本当に綺麗だった。ドラマに出てきそうだ。俺ドラマ見ないけど。
その後もミッドタウンの中に侵入して、写真撮ったりして帰路へ。
国立新美術館は最高の場所だ。
気に入ったので、今回は珍しく今回のシュルレアリスム展の図録を買ってしまったんだから。
また絶対行く。