先に一個訂正を。
なんと俺は『蛍の光』って書いたんだよ。
とんでもねえ間違いだ。
心優しき皆さんは汲んでくれたと思うが『蛍の墓』ね。
『蛍の光』じゃ卒業式だ。もしくは閉店時間だ。
小学校はなぜ「社会」として人括りにされているとの話をよく聞く。
確かに社会科と人括りにしているが、
実は社会科と、歴史・地理・公民を足したものは同じではない。
正確に言うと、教科と科目は違う。これ大前提ね。
そもそも教育目標も手段もベクトルが異なってくる。
実際に社会を小学校段階で歴史、公民、地理に分科しましょうって事になったとしよう。
今回告示された新学習指導要領では小学校で、国語、算数、社会、理科、体育がそれぞれ35単位時間増加している。
ゆとり教育は終わったなんて言うけど、年間は35週なので、
単純に一週間で5時間も授業が増える事になる。
しかも外国語活動なんていうややこしいものも入る。
で、今回は前回の学習指導要領がゆとってたからまだいいけど、
基本には年間の授業週数が決まっている以上、何かを削らなくてはいけない。で、もし単純に社会科を分離させるとしたら、
2つも教科(そもそも小学校段階で科目なんてないから)が増える事になる。そうすると何を削るか。
まあ、無理だろうね。今でさえカツカツだと思うよ。
国語…絶対削れない。PISAの調査を見れば明らか。俺個人的にはココが一番重要だと思う。
理数…これも明らか前回の改定からずっとプッシュされてる。
実技科目…これを削り出したら教育は恐い。勉強苦手な子が生きていけない。
道徳…教育基本法が新しくなって超プッシュ。増えなかったのが奇跡。
総合…ここは削られたね。
特活…まあ、行事やクラブや学活の時間が無い学校生活なんてありえない。
って事で純粋に教科を増やしちゃうと、当然厳しい。
じゃあ、地理2年、歴史2年、公民2年って分配すればよいじゃん。
それが今、実際に現場で行われている社会科だと思います。
もちろん、児童にそんな線引きをさせてはいないと思うが。
正確に言うと、1、2年は生活科なんだけど。
で学習指導要領で書かれていることは、全国児童が修得すべき最低限なんです。
って事は、小学生は歴史、地理、公民の分野を、
彼らの発達段階に応じて、3領域全て最低限は履修しているんです。
だから、地理としてそこまでやる必要がないって言うか、
むしろ、実は三つともきちんと小学生っていう発達段階における最低限の事は全て履修している、って感じかな。
もちろん、これは制度上の話。実際の現場に入って人のほうが真実だけど。
社会科は教科だから、より大きい所をカバーしている。
科目を人括りにしているって事は必ずしも内容を減らしているわけではない。
逆に言えば全ての要素を履修させているってこと。
社会科の教育目標は、
社会に対する理解、関心を高めることなんです。
その中で地理の教育目標は地理に関する理解、関心に関することだし、
歴史ならば、当然歴史に関することだし、
公民も然り。
これらは小学校の学習指導要領の内容に当然入っている。
地理も歴史も公民も俺らが生きてる社会に対する理解に帰依するわけだけど、
社会に対する総合的な理解を目標とするものと、
歴史の理解を目標とするものは違う。
そして、歴史、地理、公民の三つの科目の全てを目標達成したとして、
それが果たして社会の教育目標とイコールになるかといったらそうではない。
だから人括りにしてるけど小学生がやるべき地理、歴史、公民の最低限は全部やってるんだよ、実は。
その上で小学校では、
地理の理解と歴史の理解と公民の理解を三つ足したものを目標とするのではなく、
総合的な社会の理解にべクとるを向けたほうが良いと判断しているんでしょう。
当然先に書いた時間数との問題もふくんで。
だから俺が思うのは、
社会科と地理・歴史・公民は違うもの。
そして小学生は地理・歴史・公民の三科目について全て修得している。
てか、教科の中の科目は、各発達段階に応じて最低限度は履修している。
だから分ける必要ないんだよ。
その最低限はどれほどなのって感じるかも知れないが、それは文部科学省が堂々といっている基準だからね。
告示って事は法的拘束力を持ってるからね。
それほど自信を持ってるんでしょうね。その基準に。
このほかにも、
社会科がどのように生まれたって事とか、
ピアジェの発達段階に関することとか、
もっと詳しく学習指導要領の教育目標を書いてみようかと思ったが、
流石にキモすぎるなと思い、自粛。
社会科の歴史と道徳の歴史はマジで面白い。
日本の、特に戦争とは切っても切れない関係にある。
暇な時に、社会科っていう教科の誕生と太平洋戦争と変遷について、
書きます。そうとうつまらなそうな日記だけど。
知るか。
なんと俺は『蛍の光』って書いたんだよ。
とんでもねえ間違いだ。
心優しき皆さんは汲んでくれたと思うが『蛍の墓』ね。
『蛍の光』じゃ卒業式だ。もしくは閉店時間だ。
小学校はなぜ「社会」として人括りにされているとの話をよく聞く。
確かに社会科と人括りにしているが、
実は社会科と、歴史・地理・公民を足したものは同じではない。
正確に言うと、教科と科目は違う。これ大前提ね。
そもそも教育目標も手段もベクトルが異なってくる。
実際に社会を小学校段階で歴史、公民、地理に分科しましょうって事になったとしよう。
今回告示された新学習指導要領では小学校で、国語、算数、社会、理科、体育がそれぞれ35単位時間増加している。
ゆとり教育は終わったなんて言うけど、年間は35週なので、
単純に一週間で5時間も授業が増える事になる。
しかも外国語活動なんていうややこしいものも入る。
で、今回は前回の学習指導要領がゆとってたからまだいいけど、
基本には年間の授業週数が決まっている以上、何かを削らなくてはいけない。で、もし単純に社会科を分離させるとしたら、
2つも教科(そもそも小学校段階で科目なんてないから)が増える事になる。そうすると何を削るか。
まあ、無理だろうね。今でさえカツカツだと思うよ。
国語…絶対削れない。PISAの調査を見れば明らか。俺個人的にはココが一番重要だと思う。
理数…これも明らか前回の改定からずっとプッシュされてる。
実技科目…これを削り出したら教育は恐い。勉強苦手な子が生きていけない。
道徳…教育基本法が新しくなって超プッシュ。増えなかったのが奇跡。
総合…ここは削られたね。
特活…まあ、行事やクラブや学活の時間が無い学校生活なんてありえない。
って事で純粋に教科を増やしちゃうと、当然厳しい。
じゃあ、地理2年、歴史2年、公民2年って分配すればよいじゃん。
それが今、実際に現場で行われている社会科だと思います。
もちろん、児童にそんな線引きをさせてはいないと思うが。
正確に言うと、1、2年は生活科なんだけど。
で学習指導要領で書かれていることは、全国児童が修得すべき最低限なんです。
って事は、小学生は歴史、地理、公民の分野を、
彼らの発達段階に応じて、3領域全て最低限は履修しているんです。
だから、地理としてそこまでやる必要がないって言うか、
むしろ、実は三つともきちんと小学生っていう発達段階における最低限の事は全て履修している、って感じかな。
もちろん、これは制度上の話。実際の現場に入って人のほうが真実だけど。
社会科は教科だから、より大きい所をカバーしている。
科目を人括りにしているって事は必ずしも内容を減らしているわけではない。
逆に言えば全ての要素を履修させているってこと。
社会科の教育目標は、
社会に対する理解、関心を高めることなんです。
その中で地理の教育目標は地理に関する理解、関心に関することだし、
歴史ならば、当然歴史に関することだし、
公民も然り。
これらは小学校の学習指導要領の内容に当然入っている。
地理も歴史も公民も俺らが生きてる社会に対する理解に帰依するわけだけど、
社会に対する総合的な理解を目標とするものと、
歴史の理解を目標とするものは違う。
そして、歴史、地理、公民の三つの科目の全てを目標達成したとして、
それが果たして社会の教育目標とイコールになるかといったらそうではない。
だから人括りにしてるけど小学生がやるべき地理、歴史、公民の最低限は全部やってるんだよ、実は。
その上で小学校では、
地理の理解と歴史の理解と公民の理解を三つ足したものを目標とするのではなく、
総合的な社会の理解にべクとるを向けたほうが良いと判断しているんでしょう。
当然先に書いた時間数との問題もふくんで。
だから俺が思うのは、
社会科と地理・歴史・公民は違うもの。
そして小学生は地理・歴史・公民の三科目について全て修得している。
てか、教科の中の科目は、各発達段階に応じて最低限度は履修している。
だから分ける必要ないんだよ。
その最低限はどれほどなのって感じるかも知れないが、それは文部科学省が堂々といっている基準だからね。
告示って事は法的拘束力を持ってるからね。
それほど自信を持ってるんでしょうね。その基準に。
このほかにも、
社会科がどのように生まれたって事とか、
ピアジェの発達段階に関することとか、
もっと詳しく学習指導要領の教育目標を書いてみようかと思ったが、
流石にキモすぎるなと思い、自粛。
社会科の歴史と道徳の歴史はマジで面白い。
日本の、特に戦争とは切っても切れない関係にある。
暇な時に、社会科っていう教科の誕生と太平洋戦争と変遷について、
書きます。そうとうつまらなそうな日記だけど。
知るか。