敗戦から77年
約310万人の人が犠牲になった
戦争で亡くなった人は
英霊なのだろうか
国に殺されたと思うが
我々は誓ったはずだ
戦争をしてはいけないと
◎テルの日常:学ぼう戦争の歴史
「戦跡」とはあの大戦の記憶を現代に伝える、建物や兵器、史料や戦争証言などのことです。このサイトでは各地の戦跡の現状を伝えます。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/senseki/
暑い
気温32度、湿度66% 汗が吹きこぼれる
体が重い
イトーヨーカドーの入口で立ち止まる人多し、迷惑だ
高齢者が立ち止まって挨拶を交わしている
止まってスマホでLINEを眺めている人
歩きスマホの人
横断歩道を渡る時ご婦人から声をかけてもらう
ゆっくりでいいですよ
◎テルの日常:続・雑草(自分史的冊子)から
レオ君の思い出話で調布不動尊の写真が出てきた
盆小原先生のお父さんの葬儀をやったお寺だ
自分史的な冊子 続・雑草を作り、「はじめに」のところに紹介してあった
冊子の完成が1997年8月15日とメモしてあった
今から25年前の今日か、偶然
今、1996(平成8年)8月21日(水)である。
…
昨晩、盆子原先生のお父さん(注)が亡くなったという知らせが入った。 日産吉原の出張スク-リング先の宿舎(忘れてしまった、風呂屋なん だが、思い出した入船旅館だった)で、飲めないビ-ルを付き合いで、 たったのコップ一杯で、真っ赤な顔をしながら、戦争の厳しさという か、生きる厳しさを若い私に一生懸命語ってくれた。合掌。
(注)数学の先生、戦争で左腕をなくした 。頑固一徹の先生。
あとがきも紹介しよう
構想から7年の歳月が過ぎた。残念だが、尊敬する先輩方が 他界していく。科学技術学園高等学校と自分との関わりがどこ にあったのか、また、激動・混迷が続く20世紀を自分がどう 生きてきたのか、折に触れてワープロで打ちつつづけたものを まとめてみた。
「自分の手で、自分のものをまとめたい」という一心でここ まできた。製本までは手がまわらず、(株)セイコー社にお世話に なった。いつでも陰から応援してくれる森下社長に感謝したい。
私が体験した通信教育は大きく変貌しつつある。いささか身 勝手だが、その変貌の中身を、体験した者が記録し、自分のこ とばで残すことが、25年という歳月の中の責任ではないかと 考えた。
通信教育の歴史もまもなく50年を刻む。郵便・放送から始 まった通信教育は、情報化社会の発展の中で大競合の時代に突 入するだろう。独自の魅力ある教育づくりを、いつでも・どこ でも・誰でもが追求する姿勢が求められるだろう。
戦後一期生が歩んでいる道の一端をまとめてみた。先生方の ご指導・ご鞭撻を今まで以上にお願いする次第です。
終戦52年の記念日にて
◎続レオ君インスタ
77年目の敗戦の日
いかん、黙祷を忘れた
日本列島は災害級の大雨と猛暑に分断された
自然の力には逆らえない
今日の「思い出話75」は、LEO君と調布不動尊で
2013年4月1日
京王線布田駅、旧甲州街道沿い
調布不動尊 常性寺
由緒もあり、駐車場もあるので好きな場所