明日は親父の命日だ
父・松本角一が1992(平成4年)年5月1日(金)午後10時22分武蔵野市西窪病院で永眠した。享年74歳だった。
あっという間の出来事で、未だに疲れだけが激しく残っているだけで、夢のようである。長男として、この間、いろいろな体験をしてきた。どのような経過であったのか、誰がそこにいたのか、どんなことがあったのかノ-トしておく。
倒れてから亡くなるまでの一週間の記録だった。近所の人の多くは救急車を見てお袋だと信じていた。パーキンソン病で医者通いの日々だったから。
昔、父は満州の話をよくしていた。幼い頃の俺は、そんな話が大嫌いだった。家は狭いし、食う物はないという生活。戦争の話なんかうんざり。家を建て替えるとき、黄色く変色した写真が出てきた。一番左が父だという。俺の長男がそっくり。
今年の4月は辛かった。二人の人との別れがあった。私の母の弟である伊藤幸男さんと小学校の5・6年生担任であった中原信夫先生。人生には限りがある。そんなことはわかっていてもその瞬間は割り切れない気持ちになる。
卒業生の保護者からメールをいただいた。
近況報告の後、最後につぎのような言葉が。
先生もどうぞ「らしさ」を大切に。
そうだよな!忘れていた自分の色を。自分には自分の色しかないのだ。自信を持って行動すればきっと「らしさ」が生じてくるはずだ。ありがたいな!
激動の4月が終わる。桜が咲いた。新緑になってきた。もう深緑だ。人生には変化があるのだ。それをきちんと頭に入れておかないと。俺の昔の5月はスポーツのことしか頭になかった。ソフトテニスで関東大会、インターハイに出るための大事な時期なんだ。でも、子どもたちとの心の交流はできなかった。卒業してから・・・。わかってくれた、遅いよ。これが企業内教育の弱点であり、強さでもある。
そうだ、忘れていた、報告することを
第66回春季関東地区高等学校野球茨城県大会が始まっている。
科技高日立が大健闘。ベスト8に入り、5月2日に土浦湖北高校と準々決勝。
http://www.hitachi.co.jp/Div/tech-school/high/index.html