みなさん、イライラしませんか!
わけがわからないうちに何かが変えられて文句を言えない状態に。
足元を見たらギリギリのところに。
怒りの声をあげないとトンデモナイ日本になってしまう。
その一つ、オリンピック開催で儲かる奴はだれだ!浮かれている時ではない。
もっとやるべきことがあるはずだ。
少子高齢化社会が現実に。総人口が減った。大変なことだぞ。
http://digital.asahi.com/articles/ASJ2V2Q76J2VULFA005.html
「一億総活躍時代」ではなく「一億総受難時代」到来だ。
今こそ、「公の意識」を再構築しよう
当たり前のことを当たり前に主張しよう!
「私たちは怒っている」 高市氏発言への抗議声明全文
声明 ――高市総務大臣の「電波停止」発言は憲法及び放送法の精神に反している
http://digital.asahi.com/articles/ASJ2Y6JHGJ2YUCVL038.html
ものを言おうジャーナリスとなら 鳥越俊太郎さん
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12229884.html
この春、はっきりものを言ってきた報道番組の顔が次々消えるようですね。総務大臣は国会で、放送内容で電波停止を命じる可能性に言及したとか。でも僕は、テレビ報道に関わる人たちに言いたい。たとえ放送免許を政府に握られ、収入を広告企業に握られていようとも、ものを言わなくなったら、ジャーナリストを名乗れるのですか、と。
「この国のかたち」から学んだこと 司馬遼太郎
倜儻不羈(てきとうふき)
江戸時代の知識人のあいだでは、ごくふつうのことばだった。ある種の独創家、独志の人、あるいは独立性のつよい奇骨といった人格をさす。
倜は“すぐれていて、拘束されないさま”で、儻は“志が大きくてぬきんでている”こと、羈は“馬を制御するたづな”、不羈は“拘束されない”ということ。
土(土佐)は倜儻不羈の一手販売のような土地だった。その土佐人として中江兆民、坂本龍馬をあげている。最後の一言がいい。無私の発言ほど力のあるものはない。まことに、倜儻不羈というほかない。