公開講座の課題である。
ゆたかさについて周辺の人と話し合いをしろという。
会話がまったく進まない。
かんたんそうであって難題である。
俺にとってのゆたかさは何か。
今息をしている自分がいることがゆたかさか。
腰が痛いと感じること自体がゆたかさか。
すぐ思いついたのは、志村のバカ殿を見て喜んでいる自分。
そう、すべて自分中心。
周りが見えない自分が恥ずかしい。
家族は、地域は、日本は、世界は。
テニスが終わり、今日こそ深大湯の一番風呂に。
鍵を開けるのに8人ぐらい並んで待っていた。
真っさらな高濃度人工炭酸泉に15分浸かった(プラスユーカリと書いてあった)。
風呂の中で「ゆたかさとは」を考える。
うれしいこと、よろこび、しあわせなこと、いきていること、ささえあうこと、へいわであること。
なんだろう。
考えてくるとゆたかさは個人的なものではなく集団的なものへといきつく。
むずかしい問いかけだな。
自分次第なのかな?こころの持ちようか?
大沢のサッカー・ラグビー場の横にはもうススキが?
薄っぺらな日々が過ぎていく。
昨日腰の張りを感じたので街の中をおっかなびっくり。
公開講座のゲストで株式会社セルフネンの浅野成昭社長が福井からきてくれた。
久々にエルルギッシュな人と出会った。不燃化技術の研究とともに日本を15のブロックに分けて、不燃木材の付加価値を上げて、林業の再生を行っていこうというプロジェクトを考えているという。
講座後話をする機会があり、また、三鷹まで送る車中での上村先生との熱い会話を聞いて、面白そうだ、森って深いな!