
2024年12月14日(土)
LAMB NIHARI
今日はパキスタン料理を食べよう
そう決めていた
たぶん自宅から最寄りのパキスタン料理屋
Pakistani Dining Cafe NAWAB(ナワブ)へ
ランチメニューもいいけど
もっとパキスタンらしいメニューが並ぶ
PAKISTANI DININGの黒板から
LAMB NIHARIを注文
パキスタン気分を高めたかったのは
平出和也さん中島健郎さんの「お別れの会」に参列するため
開催してくださりありがとうございます
地球上で2番目に高い山のK2で
2024/7/27に滑落してしまわれたお二人の
救助活動の打ち切りは7/30に発表され
文字通り帰らぬ人になった
彼らが進んでいたのはノーマルルートではなく
何度も視察を重ねた上で何とか行けるか行けないか
という未踏ルート
そこで滑落したら
落ちた先は運が良くても彼らが初めて通ったルート上
運が悪ければ世界屈指のクライマーである彼らでさえ行けない
未踏ルートにすらなり得ないほど立ち入り困難で
救助に行ける人間は一人もいない場所と言えるのかもしれない
滑落した当初からお二人が動かない様子を撮影隊は見たそうだ
だからといって
もう助けに行けないと判断し
もう助けに行かないと決断するのが
どれだけ大変か
想像もつかずただ涙が出る
僕が泣くなんて
とんでもないお門違いだとわかっていても
涙は止まってくれない
彼らの大きな挑戦は僕のささやかな日常生活にも影響を及ぼす
今回の関係者やご家族の判断や決断からも僕は影響を受ける
影響を受けた僕は
きっとまだしばらく生きるだろう
トークイベント等に参加して
一緒に写真を撮ってもらいつつ少しおしゃべりしたことがある程度だから
一方的な面識でしかないけど
平出さんが丁寧に言葉を選んで落ち着いて話す様子は知的で魅力的だった
トークイベントの直後のDVD購入者向けのサイン会でのこと
貧乏な僕は持ち合わせのお金も無く
DVDを買えないのに列にこっそり並んだ
今思えば超失礼な僕にも丁寧に接してくださって
握手と写真に応じてくれた
その写真を見返すと微妙な表情をされているようにも見えて
ちょっと恥ずかしい
「あの時、失礼な奴だと思ったんじゃないですか?」
そう質問してみたい
滑落した瞬間の気持ちをご本人の丁寧な口調で聞きたい
どちらももう叶わない
中島さんは実直な印象でイベントの時でも気さくに対応をしてくださった
4月に某用品店でお見かけして
ちょうど僕がエベレスト街道トレッキングから帰ってきた直後だったし
これまた失礼ながら
パートナーが高山病になった話とかを聞いてもらっていた
僕らは来年の秋に再びエベレスト街道トレッキングに行く予定だ
またどこかで中島さんをお見かけできたら
失礼でもその報告がしたい
これももう叶わない
対面で接したことがある人の訃報(?)は
一方的なファンでしかない僕ですらこんなにつらいのに
親しかった方々やご家族のことを思うと胸がつまる
こんな時
本当に胸がつまるような身体感覚になるんだな
と冷静な自分もいる
頭の中がぐちゃぐちゃになって
あまり関係無いことまで浮かんでくる
お二人は大きく取り上げられたが
挑戦中でも何でもなく不慮の事故とかで亡くなる無名な人も
たくさんいるはずで
そのご遺族はどんな気持ちだろうか
そんなことをご遺族に直接問いかける機会も無ければ
機会があっても勇気が足りないが
生きてさえいれば絶対に叶わないことではない
可能性が残っているという事実が
つまり生きているということが
どれだけ豊かなことなのか改めて考えさせられる
世の中には
僕の思考や暮らしの中では感じ得ない感覚で生きている
そして死んでいく人がいるであろうと想像する
逆に言えば
僕自身の狭い視界や思考でさえ
誰かの想像も及ばない可能性もある
生きてそれを交換し合えるのはとても素敵なことなんじゃないか
最近になって特に強くそう思う
その内容が大きなことでも些細なことでもいい
全員そのうち死ぬけれど
それでも好きな人には生きていて欲しいと願う
嫌いな人に死んで欲しいなんてわざわざ願ったりはしない
なんなら僕が嫌いな誰かも
僕の想像も及ばない興味深い何かを抱えているのかもしれない
繰り返しになるが
可能性があることは豊かな証拠でもある
とても悲しいけど
心の100%がひとつの感情で埋め尽くされたりはしない
今この瞬間もK2西壁の辺りにお二人の身体が残っている世界で
まだ命がある僕は
元気だったり元気じゃなかったりしながら
死ぬまで生きていく
だから今日は「お別れの会」ではない
長々と書いてしまいましたが
そろそろこの投稿は終わります
僕は生き延びてまた雑感を書き並べます
ここまで読んでくださったあなたも
生き延びてまた読んでください
今日も生きてカレー食べた
明日も生きてカレー食べる