みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 瀬津のあんにゃ

2020-05-13 03:14:00 | 日記


昨日の朝、梅やんは体温を測りました。


毎朝この程度、35、7度です。


歩いて坂道を上り、デイサービスの車にのりました。


庭の花。


坂州の診療所が有る所です。子どもの頃は街のように思っていましたが、山です。


デイサービスセンターから見える高城山。


坂州地区には田んぼがあってツバメが飛んでいました。木沢には田がないと書いた事がありましたが、坂州地区にはありました。奥の沢谷地区には田んぼが有りません。


梅やんはデイサービスの後、木沢診療所へ。最後の順番でした。薬を貰ったのは5時40分でした。


日が暮れて行きます。
この日、役場で梅やんにくれる10万円の「新型コロナ関連給付金」の申請をしました。私にはこの意味が分かりません。認知症の梅やんにわかるはずも有りません。
役場に行くと、藤田やすしさんと阿南農協さんから不織布マスクが梅やんにプレゼントされました。この意味も梅やんには分かりません。でもありがたい事です。

マスク10枚の寄付。
藤田さんは元木頭村助役の息子さんで東京で活躍されている実業家です。


夜、梅やんがポツリポツリと言いました。「瀬津のあんにゃが兵隊に行く時、皆んなで向こうの加州の峠まで見送りに行ったわ。あんにゃは『頑丈にきたえしこの腕がお国の役に立つならば、私の命は惜しく有りません』と立派にあいさつをして別れたわ」と、昔のことはよく覚えております。
峠を歩いて降りて来るとちょうど坂州へ出て来ます。


瀬津のオッサンもこの風景を見たことでしょう。
この日記は夜中に書いております。前夜と同じで、梅やんをトイレ誘導して夜用の紙オムツパンツを履かせた後、私の目が覚めてしまいました。また一眠りしましょう。
それでは今日はこの辺で。













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