みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 骨粗しょう症検査46 要注意!

2018-11-30 04:34:05 | 日記
夕べもよく寝れた。私が4時にトイレに起きたら、母もトイレに行こうとしてベッドに腰掛けていた。母のベッドは1階にあるが、よくねているようだ。私は2階、2階の方がよく寝られる。
昨日、梅やんは井川のデイサービスから帰るとすぐに、近くの生協の診療所へ行き、予約しておいた骨密度の検査を受けました。
数字は46でした。

  骨密度測定する梅やん

同年齢の人の83%くらいでした。エビスタやビビアントという薬を飲んでるのに、毎日牛乳飲み、イリコ食べてるのに低すぎます。転倒しないように気をつけなければいけないな。ちなみに私は骨密度測定値が114でした。若人並みの骨です。
梅やんの骨粗しょう症は骨がスカスカということです。転けたら寝たきりになります。木頭出原のアキおばさんは93歳まで元気でしたが、転けて大腿骨が折れて寝たきりになりなくなったから、梅やんも気をつけないといけない。
今回は出てきたついでに歯と骨と検査しました。今日は11月の最終日です。デイサービスに行って、明日からは12月、木沢へ移動日です。今日はこの辺で、また後日。


みなみの梅やん介護日誌 次男盛の日記から抜粋

2018-11-28 16:47:38 | 日記
今朝は雨が止んでいるようだ。私の睡眠時無呼吸症の治療器具Cパップの使用時間が6.5時間を指している。まずまずの睡眠だ。

昨日、私の古い日記はパソコンのメモリー棒にあるので、メモリーを再生してみました。

 

 日記のメモリー
平成19年1月。母は78歳、カバンを触り回り、物忘れがひどい。長谷川式認知症スケール28点。
平成21年1月。1月7日、娘や妻たちが木沢の実家に来たが、母は不安神経症みたいだ。
平成21年11月1〜2日。母は柚子の木に上がり、ゆずを取った。
平成22年正月。母は、「80歳になっても食事づくりせなあかんわ」と小言ばかりを言う。
平成22年8月13日から15日。私は木沢に里帰りした。母は何かあればすぐ隣の家に電話している。新居、田村、しきびだに温泉に電話をかけたりする。20〜30分話している。体がしんどいと言いながら、手足を休めないで一日中動いている。不安神経症だな。
平成23年正月。妻は生協のおせち料理を送りつけてくる。母親と2人での正月。
平成23年6月。長谷川式簡易認知症スケール20点だった。要介護1。
平成23年9月13〜16日。上那賀病院入院、肺炎、尿路感染症、認知症、栄養低下、心不全、糖尿病。
平成23年10月7日。要介護2の認定通知が来た。10月5日認定。
独り暮らしという環境が良くなかったのかなあ、と母親の日記や私の日記からうかがわれます。では、今日はこの辺で。




みなみの梅やん介護日誌 悠々流れる吉野川

2018-11-28 06:24:33 | 日記
今朝は、JRの土讃線の吉野川鉄橋を列車が渡るガタンゴトンという音で私は目が覚めた。午前6時20分だ。何か夢を見ていたのだが思い出せない。
階下で梅やんがトイレに起きた音がしました。昨日は、イクセロンパッチが切れましたので、近くの診療所へ行き診察を受けて不足分の処方せんをもらいました。本人はかゆみがあるので背中に手を回してはいでしまいます。貼り足すので不足してきたのです。近くの調剤薬局へ処方箋を持て行くと在庫がなくて、今日、取りに行くことになりました。そのまま、井川のデイサービスセンターに送って、日中は預かってもらいました。このデイサービスセンターはみのだ苑デイサービスといいます。平成23年10月からお世話になっております。
午後4時過ぎに梅やんがデイサービスから送迎で帰って来ましたので、そのまま私が近くの歯医者の診療所へ梅やんを連れて行きました。虫歯の治療をしてもらいました。部分入れ歯の点検もしてもらいました。やはり、三好市は那賀町木沢と比べると便利です。帰宅すると、梅やんを部屋から出ないようにしておいて、私の日常業務の月末集金に走りました。

朝の吉野川鉄橋

今日も梅やんは元気にデイサービスに行きます。それでは今日はこの辺で。


みなみの梅やん介護日誌 「しつかりしなくては自分心に言い聞かす毎日」

2018-11-27 04:50:07 | 日記
昨夜は6時間余り寝れた。昼間に長距離運転をしていないから身体が楽なんだろう。
さて、梅やんの日記を紹介しよう。平成22年2月。「2月2日 盛晴が心配してくれ上那賀病院に行くが血液検査はそんなに悪い所はないと言ってくれたがやはり調子悪い 年がいくと本当に忘れやすくなり かぜだと計り思っていたら(リイゼ)自立神経の薬 かんご婦が忘れていて入れてなく 私も苦しいのはかぜだとばかり思っていてやっと気がつき永い事気付かず 私も物忘れがひどくなり心配になった 1人住るのだからもっとしつかりしてなくてはと自分心に言いきかしている毎日である 大分ねむれる様になり体も楽になって来た 神経は本当におそろしい気を付けよう 2月23日 デイに行ったが今だに体もしんどい 早く元気になれば良いが」
平成23年1月。「幸恵より12万円送ってくれた感謝する …3日出市 姉くで世話になり4日目に帰る 手は永い事ことかかる1年位 此の1年7ヶ月なやみ頭がへんになった様だ しっかりしなくては自分心に言い聞かす毎日である 晴美1万円くれた 6000円お年玉まごにやる いるい其の他で1万円位か1寸わからない(れしいともなく) 13日検査(ちのう)して、まあ安心した30点万点が28点 (節子に1万円借る 茂文のまご女の御賀に) 」
平成23年6月。「15日 病院 盛が来てくれる (サンパツ代) 頭ぼけて計算出来ず残念 」
平成23年7月。「7、6日 病院合わせて農協も 5200円位か 徳島での病院代も姉の 茂文の法事立カエも皆んな今頃思い出している 本当にぼけたらあわれな物だ もっとしつかりしなくてはいけない」
平成23年8月。「13日 紙代金支払う 9日 頭代金アンマ代 」
以上のように梅やんの最後の日記帳は終わっています。平成23年6月に介護保険の要介護認定申請をした時の長谷川式簡易認知症検査結果は30点満点のところ20点でした。
梅やんの日記帳
午前7時を過ぎました。そろそろ梅やんを起こさなくてはいけない時間です。また明日。

みなみの梅やん介護日誌 健康障害の段階を追う

2018-11-26 04:28:05 | 日記
昨日はまいったな。山の朝は身体が冷えるので風呂で温まろうと思い、先に私が入った。梅やんが後から入って、遅いのでのぞくと大便の失禁をしていた。風呂でクソをするとはどういう神経をしているのか?観察することにした。普通べんが十分な量で全部出ている。トイレで座りきちんと出ている時のはバナナ状に切れているのだが、今回はドバーッと2つの固まり状に出ている。多分、肛門括約筋がゆるんだままストーンと出たのだろう。
梅やんの日記帳がありますので、認知症の進行がわかるのではないかと思い、少しずつ見て行きたいと思います。
平成20年4月「月日の経つのは早い物て今年も早4月9日 年が行くとこんなにも早いものかと思い乍 日記を書いている 少し物忘れもひどくなったのか子供達にも心配させる様になり 盛がわざわざ来て先生に言ってテストした 30点まんてんで28点取りまあー心配ない 20点位になったら薬を飲まなければいけないと 今の所はすばらしいと言われ1まず安心した やはり子供達はほけられては困ると心配してくれているのだと、まあほけない様にしなければこゝ木沢には住む事は出来ない 注意して生活しなければと思う今
日此頃である。」

  日記2008年4月9日 発症3年前長谷川式簡易認知症検査28点
それでは今日はこの辺で。今朝は三好市の私の自宅で書きました。