みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 視床出血、部位は右。

2021-06-30 04:20:00 | 日記


昨日、私は午後2時過ぎに三好市の自宅を出て徳島自動車脇町インターを経て山川から倉羅峠に向かいました。ここから見る土須峠は雲がかかって見えました。梅やんの実家がある木沢の山は雨が降っていました。
この日、午前中に日赤病院脳外科主治医から電話をもらい、梅やんの脳出血の部位が視床(ししょうという)であることを知りました。視床だったら脳の奥深いところやなあ、セツ姉には医師から説明があったはずだが、セツ姉は私には言わなかった。多分、意味が分からなかったのだろう、と私は思いました。梅やんは良く回復できても車椅子状態、悪くすれば肺炎や脳梗塞のうこうそくで死亡。




5時前に木沢診療所ヘ着きました。火曜日午後の患者さんは少なくて私は5人目でした。若い担当医に梅やんの病状を話し、聞き、しばらく今後の事を相談しました。そして、自分の睡眠時無呼吸のシーパップ器械の療養を三好市井川町の診療所でできるよう転医の紹介状を書いてもらいました。


私は、薬を待つ間、一人で診療所の外に立ってぼんやりとしていました。
梅やんを連れないでこの診療所に来たのは初めてではないけれど、梅やんを連れて同行通院していた丸まる10年の月日が懐かしく思い出されました。私がここに梅やんを連れて付き添いで来るようになった10年前は大勢の高齢の患者さんがいたように思うのですが、今日は誰も居なくなっていました。梅やんがいない坂州の街は静かでした。ちょうど雨が上がり、最終の町営バスが奥から帰ってきたところです。


埼玉にいるユキ妹にも一度帰って来てもらう事になるだろう。コロナワクチンが接種出来たら、8月には梅やんを一度退院させて、在宅で家族で見てやろうか。


元気で出かけて行った朝の梅やんの布団もそのまま置いておこうと思います。

最後の自宅での朝食を食べる梅やん。


玄関で最後に自分で靴を履く梅やん。
アルツハイマー型認知症を中心にした梅やんの介護は、10年前に木沢診療所の女性医師から10年かけて進行していくと言われました。確かに今日は令和3年6月30日です。10年前の平成23年6月30日だったと思います、梅やんの要介護認定申請書を役場へ出した日は。
これからの梅やんは、脳血管性認知症が加わり、意識障害は戻らないまま、胃ろうというチュウブを腹から穴を開けて胃に入れて栄養を摂る状態で、要介護5になるでしょう。この実家で在宅とショートステイを組み合わせて、梅やんの最終の人生の段階を支援していきたいと思います。
それでは今日はこの辺で。











みなみの梅やん介護日誌 頑張れ!梅やん。

2021-06-29 03:45:00 | 日記


昨日の夕方、私は月末の集金に東祖谷山まで行きました。道路の表示には剣山まで28kmとある地点で車を停めて、小松島日赤病院ヘ電話をして梅やんの病状を聞いてみました。道端に淡い色の紫陽花が咲いておりました。梅やんの実家がある木沢は剣山を挟んだ反対側になります。かつて療養中の梅やんは、私の車に乗って集金について来たものでした。
5階北病棟の一般病室に梅やんは入院して居ります。電話口に看護師が出てきました。梅やんの病状を尋ねると、患者の病状は医者以外は言えないのだと拒否します。少し押し問答をして、梅やんは一言ぐらいの会話ができる状態です、と聞き出すことができました。そうか、意識が戻ってきたのか、それは良い事です。朗報です。梅やん、頑張れ!


6月26日、午後3時、セツ姉と母の写真です。

それでは今日はこの辺で。



みなみの梅やん介護日誌 梅やん、一般病室へ移る

2021-06-27 17:49:00 | 日記


今日、お昼前の11:47に私の携帯に日赤病院から電話がかかりました。梅やんの担当医師からでした。経過が良いので一般病室へ替わります、と。覚醒レベルは低いが、目を開けて見ている。IVHアイブイエイチ中心静脈栄養と、鼻から胃へとチュウブを入れて薬と栄養を補給している。木沢診療所からの薬と検査結果を見て治療に当たっているとのことでした。
早速、この事をケアマネジャーのハヤカワさんにもメールで報告しておきました。

昨日の梅やんの病室です。現在は新型コロナ対策のため、家族も面会できません。
それでは今日はこの辺で。




みなみの梅やん介護日誌 梅やん、救急搬送され日赤病院へ

2021-06-26 17:20:00 | 日記
今朝の8時半ごろ、ショートステイ中の「ふるさと那賀」から電話連絡があり、梅やんは小松島日赤病院救命センターに運ばれました。私は三好市にいたので、セツ姉に先に小松島日赤ヘ行ってもらいました。


梅やんの病名は脳出血軽度。左上下肢半身が麻痺していました。意識障害が有ります。


午後3時過ぎてやっと面会ができました。右手はよく動いております。左手は伸びたまま動きません。


右足も動きますが、左足は指先がわずかに動くだけです。
2週間の入院で点滴治療などで経過を見てもらい、その後はリハビリの病院に転移するようになるでしょう。
梅やんの手は温かく優しい手でした。しかし、わずかに声を上げるだけで意識はありません。


午後4時過ぎに病院を後にしました。


私は上板サービスエリアで休憩して三好市ヘ帰ります。セツ姉も徳島市沖洲の自宅へ帰りました。
多分、3ヶ月から6ヶ月くらいは回復期リハビリテーション病棟のある病院へ入院してリハビリ再起を目指すことになるでしょう。
梅やん、10年目です。まだまだ頑張りましょうね、お母さん。
取り敢えず、今日はこの辺で。








みなみの梅やん介護日誌 ヤギのチビ君は剣山に消える

2021-06-23 07:00:00 | 日記
昨日は、梅やんの心の癒しに活躍してきたシバヤギのチビ君が本当に家出をしてしまいました。ヤギ小屋の扉を角で開けてありました。午前9時に川成下の路上で通行人に見かけられ、10時には川成集落の奥のダムの辺りの路上で釣り人に見掛けられ、午後2時には槍戸川の上流のトビイシの辺りの路上を剣山に向かっていたと岡山から来たオートバイ乗りが私に告げてくれました。そこに私が2時10分に行くと、ヤギの姿は消えて有りませんでした。霊峰剣山でしばらくは生きて行くのかもしれませんが、実家から20キロ以上ある距離を思い詰めて、多分、死ぬる時期が近い事を悟って歩き続けたのでしょう。 

昨日は、その後、私がかねてより約束してあった高知県芸西村の農家さんへ1歳1ヶ月のザーネン種の雄ヤギを婿入りに連れて、県境の四つ足峠まで行き、引継ぎました。ザーネン君は種雄として今後も活躍してくれるでしょう。


名残惜しそうにザーネン君は車の荷台に乗ってトンネルの峠を高知へ行きました。
こうして、梅やんがショートステイしている間しばらくは留守番が居なくなります。私も少し忙しいので山羊飼いを中止します。また、8月になれば草刈りのために子山羊に来てもらいましょう。
梅やんはヤギのことを覚えていてくれるかどうか、分かりません。
それでは今日はこの辺で。