みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 胃ろう迷入、胃ろう後期合併症

2021-11-28 11:51:00 | 日記


今日は日曜日です。良いお天気です。梅やんは県南の海部病院5階に入院しています。私は県西部の三好市で井川町の自宅にいます。


入院診療計画書には病名がバンパー埋没症候群と書かれています。胃ろうカテーテル迷入、胃ろう後期合併症というものらしい。調べてみると、いろいろな症例がインターネットに報告されていました。バンパーというのは胃ろうの内側のストッパーのことです。胃壁に埋没してしまい栄養液が瘻孔穴から外へ逆流して来たので、やりかえる治療をしました。迷入するのはバンパーが圧倒的に多いらしいです。新しく入れたのは内側ストッパーがバルーン風船です。


22日家に帰り流動食を滴下した後、梅やんの腹のシワに沿って栄養液があふれていました。
在宅療養中の患者さんにはこうした胃ろう後期合併症が起こり得るそうです。私は病院で胃ろうの栄養液の取り扱い方法は教わりましたが、こうした合併症のことは教わりませんでした。胃ろうの交換時に起こることはまったく予想外でした。
やはり、月一回程度は専門医に診てもらわなければなりません。ショートステイでは診療所の医師の診察がありますから、医学的管理はできるでしょう。
というわけで、今、梅やんは入院して胃ろう後期合併症の治療をしております。
ところで、ヤギたちは三好市井川町の井内ヤギ農場へ引っ越して来ております。こちらの耕作放棄地の畑にはまだ草が残っていてエサは沢山あります。今朝は霜が降りていました。
それでは今日はこの辺で。






みなみの梅やん介護日誌 海部病院に転院

2021-11-27 05:18:00 | 日記


昨日の私は、11時半過ぎに小松島の日赤病院へ行き梅やんと面会しました。眼をしっかり開けて元気そうでした。私は幾つかの書類にサインして15000円の支払いを済ませて8階病棟に戻ると、寝台車が迎えにきていました。予定通り12時半に出発しました。後続するはずの私の車は遅れてしまいました。
2時に牟岐の海部病院へ着くと、梅やんは既に中に入っていました。寝台車に料金23000円を支払いました。
梅やんがPCR検査を受けている間に担当医師から説明を受けました。胃壁内の膿を取るために抗生剤を入れる、流動食を胃ろうから入れるようになるまで5日間ほど様子をみるために10日間の入院が必要になりました。思いの外、重症でした。


4時前に海部病院を出て木沢の実家に寄り、また山越えして三好市井川町の私の家に向かいました。


神山の満月の銀杏です。


帰りながら、今回は施設に迷惑かけて無くて良かったなあ、と思いました。
それでは今日はこの辺で。梅やんには頑張ってもらいましょう!






みなみの梅やん介護日誌 マイカー戻る

2021-11-26 04:30:00 | 日記


昨日は良い天気でした。木沢の山の紅葉は散り、道端に枯れ葉が積もります。人々はその葉を集めて持ち帰り、畑の肥にします。梅やんも元気な頃はそのようにしておりました。


家の周囲の草もヤギたちが食べてしまい少なくなりました。2歳で遠い奈良からやってきたヤギのチビくんは4歳になりました。
昨日、私は石井町の自動車修理モータースまで出来上がった車を取りに行ってきました。ファンベルトが切れていたり、油漏れがあったりしたそうです。


夕方5時を過ぎて梅やんが入院している日赤病院から電話があり、明日の午後2時に県南の海部病院に転院することになりました。海部病院に入院させておいてから、私は三好市で月末集金に取りかかる予定です。
それでは今日はこの辺で。




みなみの梅やん介護日誌 梅やん、日赤病院にて胃ろうの交換

2021-11-25 06:25:00 | 日記


昨日は朝の10時に海部病院から電話連絡があり、梅やんは小松島市内の日赤病院で胃ろうの交換をしていただくことになりました。私も昼食後、徳島日赤病院へ向かいました。5ヶ月ぶりの日赤病院は銀杏の葉がきれいに色づいていました。


あの時と同じ救急室で梅やんは居りました。検査の結果は、胃の壁の粘膜内に胃ろうのバンパーが食い込んで周囲が腫れて埋没していたのです。それで、透視下の内視鏡で見ながらバンパーを閉めて引抜く治療をすることになりました。


時刻は午後4時を過ぎて小松島の景色も薄暗くなりました。梅やんに面会して、ここは日赤病院じゃ、お腹の検査するから頑張れよ!と激励してあげました。梅やんは「もうせんでええわ、もうええわ。」と小さな声でハッキリ返事をしました。私は梅やんの意識はしっかりしているな、と安心しました。しかし梅やんはかなり参っているようで可哀想になりました。


内視鏡室へ移動してから施術が行われ、外で待っていると、医師が無事に成功したと呼びに来てくれました。説明によると、上手くバンパーを抜去できたので旧式のバルーンの胃ろうに入れ替えたとのことでした。5日間ほど経過を見て傷が癒えたら胃ろうからの流動食を再開できるとのことでした。それまでは経鼻経管栄養で流動食を鼻から胃へ行くようにするそうです。一泊入院して明日は海部病院に帰ります。


術後の梅やんは鎮静薬が効いているのか寝ておりました。病院の8階から外を見ると真っ暗になっておりました。
それにしても、抜去したバンパー式の胃ろう器具は胃の中ではマイナス型に食い込んでいたのに、取り出して医師が見せてくれた血がついた器具はプラス+に丸くなっていたので、胃粘膜の中で半開き状態で固定してしまったのかなあと私は思いました。次の機会に海部病院で説明してくれるでしょう。


結局、前に健生病院で入れてもらった物と同じバルーン式の胃ろう器具になりました。ひと月ごとに入れ替えをするようになります。その方が安心でしょう。病院8階の病棟では多くの患者さんの処置や世話をする看護師がテキパキと働いておりました。夜空に赤い赤十字のマークが輝いているかのように見えます。私はきょうだいたちに電話で報告してから病院を後にしました。


明日の段取りを考えながら、私の軽自動車は県南の山の中の木沢へ向かいました。途中の和食のコンビニで休憩してケアマネジャーのハヤカワさんに報告しておきました。


8時過ぎに実家に帰り、私は遅い夕食を食べました。
それでは今日はこの辺で。










みなみの梅やん介護日誌 PEG 経皮内視鏡的胃ろう造設術ペグの入院

2021-11-24 09:58:00 | 日記


胃ろうのことをペグと呼ぶらしい。中から出てきたところに蓋がついており、経管栄養しない間は蓋をしておく。食後の薬はこの蓋を開けて針を外した注射器で注入する。注射器の穴と胃ろうの穴はピッタリ合うようになっている。昨日の朝はお湯で溶かした降圧剤や抗凝固剤など医師から処方されている定期薬を直接梅やんの胃に入れました。


梅やんの在宅は一晩で終わり、海部の県立病院で胃ろうのやり直しをする事になりました。昨日はセツ姉たちがきてくれましたが、すれ違いました。またチイ叔母やフミ叔母も会いにきてくれる予定でしたが、残念ながら中止となりました。


入院計画書は、病名:胃ろう開口部に対する手当、症状:PEGより出血、治療計画:薬物補液治療のための入院、推定入院期間:2泊3日、などとなっております。


4時過ぎに県立海部病院を私は出て、日和佐の赤松地区を通って6時に実家へ着きました。
出血の原因は梅やんが飲んでいるエリキュースという血液サラサラのクスリのためだろう。脳梗塞予防のためですが、傷口が癒えるにはしばらくやめた方が良いようです。
以上のようなことになり、今回の在宅療養は中止、26日には退院してそのままショートステイすることになりました。
それでは今日はこの辺で。