みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 実家に帰ってお茶を一杯

2019-04-30 20:57:39 | 日記
梅やんは今日は、娘セツ宅にて夕食を食べて私の車で5時過ぎに徳島市を出て、午後7時20分には木沢の実家に帰りました。 道中は強く雨が降っていました。着くと間もなく、今夜は夕飯を食べとらん!と言います。
木沢支所前
夜霧の追立ダム
姉によれば、梅やんは腹痛の訴えがあり、イクセロンパッチをやめているとのことでした。そのためか、今夜は物忘れがめちゃくちゃでした。それでイクセロンパッチを貼って寝かせました。
お茶を飲む梅やん

それでは今日はこの辺で。

みなみの梅やん介護日誌 般若心経

2019-04-28 20:26:34 | 日記
今朝は梅やんを池田のデイサービスに迎えに行き、着替えて藍住の法音寺へシゲの25年の法要に向かいました。
デイサービスの花
きれいな花が咲いていました。
正午から親戚が寄り法音寺で法要がしめやかにおこなわれました。般若心経。


2時からみちよ亭で会食です。長女のアヤちゃんから「父の25回忌供養に集まり頂いてありがとう!
父もよろこんでいるでしょう」とりっぱなあいさつがありました。

梅やんにとっては最後の法要になることでしょう。しっかりと焼香できました。
今夜は徳島市の娘セツ宅に梅やんはお世話になっています。30日夕方には木沢に帰ります。それでは今日はこの辺で。明日の日記は休みます。

みなみの梅やん介護日誌 あさってはシゲの法事

2019-04-26 21:52:32 | 日記
今日は昼前に池田のデイサービスへ行き、梅やんにゆで卵を届けました。利用者が8人くらいいて梅やんも楽しそうに言葉の勉強をしていました。
デイサービス
明後日は梅やんの長男シゲの法事、25回忌が藍住町で行われます。梅やんもいきます。
兄弟、昭和42年8月、剣山登山
私が中学3年のときに兄弟で剣山に登りました。岩倉集落から剣山頂上まで16キロもあるのです。往復32キロ歩いていきました。
シゲと父リキさん
昭和42年11月、シゲが城東高校定時制4年のとき、就職が大阪の山善に決まり、その話を父にしているところです。当時、リキさんはシキブ谷の山で伐採仕事をしていました。父はナタをといでいます。撮影は私です。
あさってはそのシゲの25回忌です。シゲ44歳で没。

みなみの梅やん介護日誌 10年で徐々に悪化する

2019-04-25 22:02:16 | 日記
昨日の新聞には認知症の摂食嚥下(えんげ)障害の記事がありました。記事にあるように、認知症は数年から十年くらいの経過で徐々に悪化し、最終的に肺炎や臓器不全などで死亡します。梅やんの場合も、初期にかかった木沢診療所の医師からそのように「10年くらいかけて悪化します」と言われています。梅やんはそれから丸8年になります。それにしてはあまり症状が進んでいないのです。治療効果ありということでしょうか。
武内有城医師の健康豆知識より
今朝、梅やんは元気よく一月ぶりに池田のデイサービスの送迎の車に乗り込みました。夕方、私がヤクルトとミカンを差し入れに寄ると元気にしていました。今夜から3日間、お泊まりデイサービスにお世話になります。
みかん
池田のスーパーで買い求めおやつとして差し入れました。
池田の町の量販店
それでは今日はこれで。

みなみの梅やん介護日誌 夜霧よ今夜も有り難う!

2019-04-24 23:13:39 | 日記
今朝の徳島新聞には認知症の連載記事がありました。永田久美子さんによると、不安に苦しむ症状の多くは本人を追い詰めたり、きづつけたりして起きているそうです。徘徊や暴言と言った症状の多くは、実は作られた障害なのだそうです。実家療法は出来るだけそうした症状を発生しないようにしたものです。


木沢デイサービス終了後、夕食を食べ腹ごしらえしてから三好市井川町の自宅へ向かいました。午後6時発。
霧の中の黒沢実家
ニワトリの餌は多めにやりました。
ドス峠越え、標高1050m
夜霧の中へ
途中神山でトイレ休憩して、また坂道を登ります。
もう一つ峠越え
クララ峠標高770mのようです。


夜霧の吉野川市へ
美郷のホタル館でトイレ休憩しました。
山川の国道交差点へ出ました。夜景がいいですね。
吉野川市山川町
紙オムツを買う
東みよし町のレデイの店でトイレ休憩しました。ついでに紙オムツと缶ビールを買いました。
三好市井川町の自宅に着いたら午後9時でした。お茶を飲んですぐにねました。
お疲れ様の梅やん
それでは今日はこの辺で。