みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみ梅やん介護日誌 母性の喪失

2020-05-06 05:05:00 | 日記
昨日の朝、6時前に梅やんは台所に立ってコメを探す物音をさせておりました。私が起きて行くと、「お客さんが来とろう。朝飯が無い。飯を炊く人がおらん」と説明してくれました。私は、飯は有るから心配するなと再度寝させます。

昨日、セツ姉たちは午前11時に徳島市へ帰って行きました。ただ見送りに出るだけの梅やんです。

車をバックさせて県道まで上がり、そのまま見えなくなりました。かつて若かりし頃の母親は、子ども4人のそれぞれの家族の車を県道にまで出て手を振って別れたものでした。





午後から梅やんは庭の草を引いておりました。私はユズ木15本の剪定後の枯れ木の焼却に午後6時までかかりました。夕方、サイダーを飲みながらの休憩中に、セツ姉に御礼の電話をしなさいと私が言うと、「あの女は誰ぞ?一晩泊まらせてあげたのに礼も言わん。飯も食べていんだのに。子どもも連れてきとっただろう。あの女はモリの何ぞ?」と梅やんは真顔で言いました。
認知症になる前の梅やんは私に「先では沖洲のセツコに見てもらうことになろう。やはり女の子じゃから、色々と気を使ってくれるから有難いわ、女の子は」と言っていました。私はその頃、月に1度か2月に1度、単身で母親の様子を見に帰るだけでした。口うるさい母親と男の子の私とは2日目には喧嘩になりましたが。
夜、9時を過ぎて梅やんに沖洲へ電話を掛けさせました。今朝はもうニワトリが鳴いております。梅やんはまだ寝て居ります。母性が母親としての優しさだとするならば、梅やんの認知症は母性の喪失とでもいう以外に当てはまる言葉がありません。
今日はこの辺で。





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