木・うんちく

木材と人間の関わりを考えて思うままに・・・

37. 戦艦ビクトリー(最下層甲板から考える)

2013-10-12 09:41:24 | ウッドデッキ

非常に薄暗い中の写真ですが、最近のデジタルカメラはフラッシュなしで撮影ができます
(ビクトリー号内部はフラッシュ撮影禁止です)。

これはビクトリーの最下層のデッキになります
(実際は下にあるのはデッキではなく、船底ですので船底倉庫と言うべきかもしれません)。
船が運航している時は海面より下でにあった部分です。

下に見えているのが竜骨。
それに直交して斜めの助材があります。
その助材を梁でつないで、強固な骨組みを作っています。
左に砂利がありますが、これがバラストで、船の安定を助けています。

船の外板はこの助材に打ちつけられているわけですが、
実際の船は三次元に曲がっていますので、
蒸し器の中に木材を入れて木を柔らかくした後、
蒸気を当てながら、木を曲げながら、打ち付けて固定をしていきます。

厚さが100mmもある木材をよく曲げたものだと感心しますが、
当時の造船工廠と言うのは、1700年代当時の考えられるすべての技術を駆使して、
船を作っていたと言うことが実感できます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

36. 戦艦ビクトリー(船尾から考える)

2013-10-09 12:59:17 | ウッドデッキ

戦艦ビクトリーを船尾から見たところです。

少し見にくいですが、舵がついている部分にまっすぐに船尾材がありますが、
このところに使われる材は強度が要求され、オーク(ナラ)の木の一本ものが必要でした。

この入手できた木の大きさで船の大きさが決まると言うぐらい、
当時の造船所は常にこの材料の不足に悩まされてきたそうです。

船がないと戦争に負ける。
船をつくるためには木がいる。
と言うことで、海軍大臣はポケットにどんぐりを入れて、
地方に行く都度、そのどんぐりを植えたと言います。

こうしてみると日本でも天皇陛下自ら植樹される植樹祭が毎年行われているのは分からないことはありません。
いつの時代も木がその国の運命を決めたようです。

ちなみに船尾は豪華な装飾をされた艦長や提督の部屋があり、
トイレは船首の区画にありますので、臭いは船尾側に流れてくることはありません
(風はもっぱら後ろから吹きますので)。

一番上のクォーターデッキは指揮官が船全体を把握して命令を出していたところですが、
ネルソン提督が狙撃された場所は、今回工事中でしたので、
提督が倒れた所に立ってみることはできませんでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

35. 戦艦ビクトリー

2013-10-07 13:20:47 | ウッドデッキ

以前から、ら木材に関係する者として一度は見ておきたいと思っていた戦艦ビクトリーを見に行ってきました。
現存する木造帆船では世界最大ですが(構造が金属で外板が木のものはこれよりも大きいものがあります)、
これを人力だけで製作して、尚且つ人力だけで動かすと言うアナログ世界の究極製造物です。
作られたのは今から250年程前ですが、今でも現役艦としてイギリス海軍に登録されています。

この船があるのはロンドンから電車で2時間弱のポーツマスです。
さすがにこんなところに日本人の観光客は来ませんが(中国人の観光客は来ていました)、
平日だったので観光しているのは、現役をリタイヤされた欧米人と小学生の社会見学です。

英国がナポレオンの侵略戦争に対抗してトラファルガーの戦いで勝利した時にネルソン提督が乗っていた艦です
(マストやヤードは工事中のため取り外していました)。

横にずらっと並んだ窓は大砲を突き出すための窓です。
つまりこの当時の海戦は船を横向きにして撃ち合ったのです。
船が一列に並んで敵の船と撃ち合ったので戦艦(バトルシップ)ではなく、
戦列艦(シップオブザライン)と言うのが正式の名前です。
このような大砲をドッジボールを投げたら届くような距離で撃ち合うのですから、凄い迫力だったとは思います。

なお、戦病死者の多くは大砲での怪我ではなく、大砲の弾が木材に当たって、
その木材の破片が飛び散ったことが原因だったようです。

大きさ形は想像していたとおりですが、唯一思っていたよりもずっと大きかったのが
「いかり」です。
写真の舷側に二つぶらさがっていますが、現在使われているものと比較するととんでもなくでかいことが分かります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする