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気ままに生活してるシニアの残日録

渡辺京二「逝きし世の面影」を読む

2023年04月25日 | 読書

前から読みたいと思っていた「逝(ゆ)きし世の面影」をKindleで読んだ、初版は1998年(昭和63年)、なぜ今まで手が出なかったのか、それは本の文字が小さくて読みづらいからだ。ところが調べてみるとKindle版が出ているではないか、Kindleは文字の大きさを調整できるのだ。早速注文して読んでみた。

著者はこの本をはじめ多くの著述を残して昨年12月25日に92才でなくなった。この著者が本の冒頭、述べているのは

  • 近代日本は明治以降、古い日本の文明を滅ばした上に構築されている、この古き文明とは江戸文明とか徳川文明とか俗称されているもの、18世紀初頭に確立し、19世紀を通じて存続した、文明とは歴史的個性としての生活総体のありようであり、文化とか民族の特性ではない、それらは今でも変容して存続している
  • 超高層のビルの屋上に稲荷が祀られている、羽根つきや凧は今でも正月になれば見られる、茶の湯や生け花の家元は今でも存在している、これらの文化は生き残るが古きよき文明は消滅した
  • 民族の特性とは、例えば、国家と君主に対する忠誠心、知的訓練を従順に受け入れる習性、付和雷同を主とする集団行動癖、外国を模範として真似するという国民性の根深い傾向など、これらはは少しも変化していない

著者は文明を、人々の陽気さ、簡素とゆたかさ、親和と礼節、雑多と充溢、労働と身体、自由と身分、裸体と性、女性の位相、子供の楽園、風景、生類、信仰と祭、心と垣根、など面から外国人が見て感じた所見を整理して紹介した

この本を読んで著者の特に強調していると思われる点

  • 近代社会を切り開いた日本において、場末から明治にかけて日本を訪問して滞在した諸外国の人から見た我が国の素晴らしい文明の数々の例を紹介すると、日本の知識人は拒絶反応を示し、そのような日本賛美を蔑み、見下す傾向があるが、このような姿勢は如何なものか、どの民族にも素晴らしい点とダークサイドがあるが、ことさら後者を強調し古き良き日本文明を批判しないではいられない知識人の心理がどこから生ずるのかが日本知識人論の一つのテーマである
  • 著者の意図するのは古きよき日本の愛惜でもなければ、それへの追慕でもない、意図はただ一つの滅んだ文明の諸相を追体験することだ

この本で書かれている外国人による日本文明への賞賛の数々を読んでいると、なんだかほっこりした気持ちになる、人は皆、自国のことを褒められ賞賛されればうれしくなり、誇りに思えるようになるものだ。これはちっとも悪いことではなく、むしろ、子供の教育、ひいては国民に必要なものだろう。

自国の文明や歴史を常に批判的にしか言えない人たちは、それが自分たちの存在意義、良心的態度だと思っているのだろうが、それは自分たちは先祖より優秀であるとの思い上がりであり、自分たちと異なる意見の人たちを見下す傲慢さの現れでもある。自分たちが常に注意を促さないと政治家や国民は思い上がり間違いを犯す、と考えているのかもしれないが、その批判の基準自体が主観的で恣意的なものである。

文明、文化や歴史を語るときに素晴らしい点に言及しないのはバランスを欠いており、偏狭な態度である、逆もしかり。文明や歴史に限らず、政治などもいろんな角度から見て検討、評価すべきである。物事には常にいろんな見方、考え方がある。そのような意味で、この本はもっと読まれるべきであろう。



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