『自分が高齢になるということ』和田秀樹(新講社)より、そのまま引用しました
できないことはボケのせい、自分のせいではない
今の時点で、きちんとみにつけておきたい考え方を一つ、書いておきます。
認知症を恐れる気持ちは「できないこと」が増えてくるという不安から生まれます。プライドの高い人ほど、この不安も大きいのです。
でも、男女を問わず、たとえ認知症になっても物怖じすることなくできることをやり続けたり、できないことは遠慮なく周囲の助けを借りて実行している人がいます。そういう人たちに共通するのは、どんなにできないことや不自由に感じることがあっても、それは自分のせいではないと割り切ってしまうことです。
「わたしがダメになったんじゃない。これはボケのせいで、わたしのせいじゃない」この理屈は正しいのです。
その人が本来備えている能力や技術、できることはすべて、その人の中には変わらずにあります。
認知症がそれを邪魔しているだけで、べつに本人がダメになったわけではありません。つまり状態は状態、「自分は自分」という割り切りさえ持てれば、たとえボケてもいままでと同じように動いたり、やりたいことに挑戦してみることができるはずです。
当然、他人に助けてもらうとか教えてもらうということにも抵抗感などありません。どんどん動いて自分の世界を広げていきます。
そういう人たちに比べたら、ボケてもいないのにプライドにこだわって、他人に教えてもらうのを嫌がる人なんか「小さい、小さい」ですね。本人は誇り高い人間のつもりかもしれませんが、たぶん、元気なボケ老人から笑われてしまうでしょう。