可能性に住んでいる

2017-04-03 14:09:23 | 
昨日の競馬に限らず、これまでの人生も外しっぱなしのような気もするが絶えずこれだけは忘れないでいる。「わたしは可能性に住んでいる」前に書いたこともある「答えはひとつではない」と同列にある言葉です。
詩人エミリー・ディキンスンを知ったのは学生時代、講義を受けた岩田典子氏からだ。先生はディキンスンの研究者であった。英語の授業にディキンスンの詩を用いた。まったく知らない詩人であったが、詩の強烈な個性にびっくりした。ディキンスンの詩は詩人の死後注目を浴びた。ほとんどを自分の部屋で過ごしていたというディキンスンの詩の比喩はぼくに美しい世界をもたらした。言語の違いを通り越して犯し難い自分の世界というものを感じさせてくれた。
次の詩も見事な比喩です。岩田先生の訳です。


        わたしは可能性に住んでいる
                       エミリ・ディキンスン

    わたしは可能性に住んでいる
    散文よりも美しい家
    窓もずっと多く
    扉も はるかに素晴らしい

    どの部屋も 誰の目も寄せつけない
    ヒマラヤ杉の木立
    果てしなく続く屋根は
    駒形切妻の空

    訪れるのは 最も美しいひとたち
    仕事は これ
    小さな両手を大きく広げ
    楽園を抱きしめること
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朗読して味わってみたい詩・「だるまさん千字文」

2017-03-26 22:19:29 | 
二日前に白隠さんのことを書きながら思い出していました。或る朗読会で<だるまさんがころんだ>と始まるこの詩をぼくは選び、その後も何回か朗読しました。
「だるまさん千字文」は矢川澄子さんの詩です。
子供の頃鬼ごっこで使った<だるまさんがころんだ>という戯れ歌から、矢川さんが「だるまさん」の一生をひらがな1000文字で綴った(10文字×100行)詩です。
だるまさんがたっちして、ころんで、わらって、おおきくなって、なやんで、けっこんして・・・死を迎える。これは人の一生の在り方そのものです。矢川さんは1000文字のなかに、いたわり、厳しさ、悲しみ、優しさ、同情、励ましなど、ぼくたちの日常の感情をそのまま、ひらがなことばで綴ってだるまさんに送っています。ぼくはこの詩は人に譬えた比喩ではないと思います。あくまで矢川さんが「だるまさん」に送った言葉だと思います。ぼくはそういう気持ちで朗読しますが、矢川さんのことばのリズムとか柔らかさ、包容力、それらが自然にぼくに送られているように感じてしまうのです。矢川さんの「だるまさん」に対する思いやりにジーンときてしまうのです。読めば読むほど「だるまさん」がぼくの中に入ってきます。
曲が付いていますが、ぼくはその人なりのリズムと感情で繰り返し読むこともお勧めします。
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詩・週末の選択

2017-03-16 10:05:44 | 
       週末の選択

  
  海底の藻にからまったまま
  磯に打ち上げられた魚よ
  
  千畳敷に叩きつけられた波は
  怒号となって飛散している
  聞く耳を持たぬ おまえ
  断崖でハマギクはふるえている
  花は瞬間 おまえを見たであろうか
  
  まだ半年も経っていない  
  畳を入れ替えたばかりの部屋を出て
  二度目の選択で
  ついに死を完結した おまえ
  おまえは ツチノコじゃなかったのかい

  何もないことのほうがしあわせ
  そっちばかり向いていたあんたには
  どんな言葉も無力だった

  光がつくった闇
  闇から闇へ 
  つんのめっていった孤独は
  深海のオブジェに跳んだ

  みたび戻ってくることはなった
  そのまま藻にくるまれて
  海底のツチノコでよかった
  
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詩・包帯

2017-03-15 21:10:01 | 
    包帯              

恥ずかしい と言ったのか
かすかに聞き取れた言葉を解こうとして
おれは明るい窓際に寄った
あんたは天井を見ている
そこに阿騎野の空が映っているか

同じ空の下にいるのに
あんただけが
いつも窮屈そうにしている

おれたちは普通に生活をして
スーパーマーケットで
野菜の鮮度の悪さに納得しあい

それから小さな旅行にも出た
古めかしい路地ではしゃいで
美味しい店を見つけ
おれたちは昔は何であったのか
おれは魚と言い
あんたは
ツチノコと言って笑いころげた
誰にも見られたことがないからと

あんたの好きなロックコンサートに行った帰り
人ごみの中で血の気の引いていったあんた

ちょっと目を離したすきに
あんたは何処まで行きかけたのか

おれは窓のブラインドを下ろし
布団の中に隠している
あんたの手首の包帯に触れた
目を合わそうとしない 
恥ずかしいと言った小さな拒絶

包帯が 
墨染の空に向って
するするするするとほどけていく

目を離したすきに
さよならあ 
と 手をふるように

  
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万葉趣遊・詩 丑三つの踊り

2017-03-15 11:04:50 | 
          丑三つの踊り
  
  土蔵のおでん屋で二人とも酔った
  アーケードの光の川をゆらゆらゆれながら
  三条通りに出ると
  「あれ なんやろ?」と あんたは夜空を指差した
  「塔だ」
  「黒光りしてる どっしりしてるなあ」と言ったあんたは
  もうろうと 池のほとりで へたりこんでしまった

  おれにはもうわかっていた
  こういうタイミングでいつも
  あんたはふっと気配を消すのだ
  おれは闇の中へ視線をそらした 
  五重塔のひとつの扉から 
  耳慣れない琵琶の音色が洩れている

  突然ふらふらと立ち上がったあんたは
  「十二神蒋さんら 今頃踊ってはるえ こんなして」と
  片肘を曲げ 片腕を上げて きゅっと腰をひねる
  「毘羯羅(びから)か招杜羅(しょうとら)のポーズだなあ じゃぁこれは」
  と言って おれは目をむいて胸を反らせた
  「誰やった それ? こんなんもあったなあ AKB48や」
  とあんたは 右手を腰に 斜めに上げた左手をぐるぐる回す
  神々を「AKB48」にしてしまって
  猿沢の池のほとりで 丑三つ
  伐折羅(ばさら)のように
  あんたが見得を切った
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