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今晩は😅

2020-03-01 00:59:00 | 主夫の日々

先ほど家内を手助けし 今は軽いいびきを感じながら 私の自由時間です 録画の洋画を見て 眠気が失せたから 書いています

 

寝たきりになれば 私だけでは太刀打ち出来ません 亡き母の時がそうでしたが 単独では寝込んでしまいます、、

自力で動ける間の介助は ある意味 易しい部分がありますし 本人とも意識交流ができるから 私は言います 夫婦の最後の幸せな時間だよ、、、と

 

受ける側の家内には 複雑な気持ちのある事も理解しますが、私が自分で得心すれば良いと感じます 亡くなってから ああしとけば良かった 必ず悔恨の情は感じるでしょうが、 今 出来る小さな事の積み重ねが 自分で得心がゆくものと思います

 

亡き母は 3年近く 食欲不振が続きました 片や義理の母は意識がある前日迄は 流動食ながら自力で食してました

 

食欲の差は 同じ施設に入所しながら 初期は週2回で半年余 義理の母は60数回 迎えに行き 昼食提供して施設へ送りました

我が母は 悔しいけれど 鬱症状が出て 帰宅も喜ばない様子 食事も喉を通りにくく スプンで少しずつ口へ運び 口になくなったかと思うと 頬の方へ寄せていて 素人が 誤嚥になってはいけないと 実の母ながら数回しか我が家に迎えられませんでした  行きがかり上、我が母は私が送迎して病院へ受診していたので 行き帰りとかに自宅へ寄ることはしました

 

大正生まれの母は 時代背景から 勿体無いが口癖でした

私なんかは お釜を洗う時に 数粒のお米 ご飯も一緒に洗いますが、母は流しに米の一粒も残さなかった記憶です  時代背景と 母の両親の後ろ姿を見て育ったからでしよう

 

話が迷走してるようで、、、

人間、食べられる状況は 幸せな時と

感じます 食べられ無くなれば 幸せの 一つの定義から外れる状態とも感じたりします

 

二人の母親を見送った私は 家内の自力歩行の間は 本心 夫婦の最後の幸せな時間だとしか感じられません 立つ時も 一目で状態が分かるから 直ぐに手助けが出来ます 

それと

一応は反対をせず 家内の言い分を聞くようにします

すぐ 手が離せない時もありますが 返事だけ明るくしておく 注文の言葉の復唱も 聞こえてる気持ちが働き 患者の心を乱す事も防げる気がします

 

母の時は 肉親の甘えからか 呼ばれても  今00をしているから ちょっと待ってやねぇ  忙しく動いている時なら 語気を荒げたこともありました、、、

そんな体験から 家内には優しくしてやれてると 自己満足🍴🈵😆

亡き母には 済まなかったと言う 自虐の念も含みながら 主夫の道を進んでいます 今後 介助に携わる方の 少しでも参考になるトコがあれば幸いです

この記事は 一週間程度で 非公開にする予定です

 

餃子と 梅酒

 

 

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