秋田県の旧・鳥海町(由利本荘市)である。雪は少ない。例年であれば長靴を履かなければ歩けないくらいに雪が積もっている。今年の少雪を象徴する光景である。旧・鳥海町は名古屋市と概ね同程じ面積を持つ町だった。名古屋市の人口が約233万人であるのに対し、旧・鳥海町は約6000人だった。人口密度は名古屋の約400分の1となる。鳥海山の麓に位置し、山間部まで広く集落が点在している。今回の写真は旧・鳥海町の一番賑やかな場所であり、東京でいえば銀座と新宿を足して2で割ったような地区である。都市部と地方部の相互理解が進まないのも無理はないと思う。
さて、鳥海町は三船敏郎ゆかりの地でもある。鳥海町には三船敏郎の本家(父方の実家=三船家)がある。茅葺の立派な家屋であり、今でも残っている。三船敏郎(以下「三船」)の父がそこで生まれ育った。三船の父はその後満州に渡っている。だから三船は満州生まれの満州育ちである。三船は兵役を経て、第二次世界大戦終戦に伴い日本に帰国することになる。父母は既には亡くなり、満州の家は爆撃で焼失、兄妹とも音信不通だったという。着の身着のままで帰国した三船は鳥海町の本家を訪ねた。しばし滞在の後、本家の方も余裕がなかったからか、三船自身の意思かは不明だが、米と毛布を持たせて貰い旅立ったという。それは世界の三船へと変貌していく旅となった。少しでも状況が異なれば、三船はこの町で農夫として一生を終えたかもしれない。感慨深い。
ちなみに秋田県の一部地域では三船敏郎みたいに彫りの深い、まるでハーフのような男性を見かけることがある。映画俳優でも違和感のないイケオジが、汚れた作業着姿で歩いていて困惑することがある。作業着が汚くてもそれはどうでも良いが、明らかに一般人と異なる顔立ちに困惑するのである。もしかしたら、それは旅立たなかった三船敏郎なのかもしれないと想像するのである。
X-T5 / XF23mm F2R WR