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レンズ越しに見えるもの または 見えざるもの

モノクローム山形周遊(終)~殿方の殿堂としての天童温泉

2021-11-20 | 街:山形










僕は温泉大好き人間である。東北の有名どころの温泉には結構な確率で行っている。その僕が天童温泉には泊まったことがない。イメージとして天童温泉は、お湯自体を楽しむ温泉というよりも、団体行楽客が羽目を外しに行くお色気温泉という感じがある。もちろん、今はそういう時代ではない。将棋ブームにより家族連れや個人客も安心して訪れる温泉街にはなっている(天童は将棋の駒の生産量日本一)。そっちの方向にシフトしようとしていることは痛いほど分かる。それでも町を歩けば、お色気温泉の顔が覗くのも否定できない事実である。スナックの一部(あくまで一部ですよ)は、アンダーグラウンドの領域にある。昔風にいえば「連れ出し宿」、正確な定義でいえば客とホステスが何故か一瞬にして恋愛関係に陥り、店を出て男女の関係を結ぶことになる(らしい)。僕は温泉にはそういうものを求めない。というか、温泉に入浴し食事をすれば早々に寝てしまう。仮に独りで天童温泉に行くとする。僕が泊まるのは質素な宿になるだろう。早々に食事を済ませて寝ようとする僕を、宿の人は訝し気に見るかもしれない。それどころか、お勧めのスナックとお作法などをレクチャーし、紹介してくれるかもしれない。多分そんなことはないだろうけど、そんな妄想が僕から天童温泉を遠ざけている。

そんな話はもう過去のことで、今では極極一部で細々と行われているだけなのかもしれない。だってコロナ禍が落ち着いたとはいえ、団体旅行で天童に来て、ホステスと自由恋愛を求めて夜の温泉街を彷徨するツワモノ。そんな人が何人もいるとは思えない。いまは将棋ファンの一家とか、藤井君ファンの将棋女子がメインの客なのかもしれない。だとしたら、ナースの店とかに行く客はいるのだろうか。こうして無数の「かもしれない」の疑問と葛藤を抱えて、僕は昼間の天童温泉を歩くのである。終わり。



LEICA M10 MONOCHROME / APO-LANTHAR 35mm F2 VM 

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