秋田県の旧・大森町(横手市)にて。山間の小さな集落。その入り口に道祖神人形が鎮座している。特別な用事がなければ一生行くことのない集落である。そしてその集落に行く用事がある人など殆どいないと思う。僕はGoogle Mapで他のことを調べている時に、偶然この同祖神人形を見つけた。最近は道祖新人形がGoogle Mapにプロットされるようになった。見つけてしまえば、見に行きたくなるのは道理だ。あっという間に、滅多にない用事が出来たわけだ。
「村のはずれに佇む貴方 いつも私を守ってくれた
移ろう時に流され続け、大事なものを失った
やっと見つけた言葉は、もう届かない
Too Late for love さよならさえ言えずに
Too Late for love どこまで流されたの
もう届かない 恋の道祖神」
2〜3分で作った「恋の道祖神人形」という歌(歌詞)です(笑)。残念ながら僕には曲を作る能力はない。今週末も天候不順で遠出がままならなかった。道祖神人形の近くの川は流れが強く、下手すると道祖神人形だって流されてしまうかも。そう思ったら意味不明な歌詞を作っていた。こういうものを載せるとまたご批判のメッセージが届くかもしれない。これは批判されて当然の歌詞なので、そのときは受け入れよう、いずれにしても気分転換が必要かもしれない。
X-PRO3 / XF23mm F2R WR
特段に用事らしい用事が思い当たらないような場所に「在る!」と気付いたモノを眺めに出掛けるというようなことは、なかなかに興味深いと思いました。
凄く「存在感」を放つ<道祖神>ですね。辺りに住んでいる人々や行き交う旅人の安寧を祈るということでしょうか。古い、神主か何かの装束を想起させるような着衣が在るというのも面白いと思いました。
「移ろう時に流され続け、大事なものを失った」という詞、続く「やっと見つけた言葉は、もう届かない」が凄く好い感じです。大事な何かを見失ったか、気付かずに通り過ぎ、そのことに気付いた時に発しようとする言葉は、誰かに届くのでもないということなのでしょう。
面白い写真、素敵な記事に感謝。
住民らしき方が途中で集落へ入っていきましたが、道祖神には目もくれませんでした(毎日のことですから)。
もし道祖上が大雨で流されたら、それを恋しく思う人がいるだろうか。そんな駄洒落の歌の件は、恥ずかしい限りです。