羽州街道とは、現在の福島県から宮城、山形、秋田を経て青森県に至る街道のことである。江戸期の五大街道である奥州街道から福島県で分岐し、奥羽山脈の西側から列島を北上していく。その距離は実に約500kmに及ぶ長い街道である。現在の国道13号線や7号線の原型でもある。秋田県湯沢市の県道277号線の一部区間は、その羽州街道の道筋と町並みを色濃く残している。真っ直ぐに伸びる道路を歩くと、同じ道を江戸期の旅人も歩いたんだなと実感され、胸が熱くなる。最後の一枚は目印となる一里塚である。旅人は一里塚に植えられた目印の樹を見て、勇気づけられたのだろう。根っこに寄りかかり、汗を拭って休憩したのかもしれない。そこに辿り着くまでに、生き死に関わる危機を何回かは切り抜けているのかもしれない。現代の旅人はカメラを片手にふらふらと歩いても、何の不安もない。隔世の感はあるが、人の好奇心は変わらぬものだとも思う。
X-PRO3 / XF23mm F2R WR
それと8枚目のご神木のように真剣に神様を崇めて、労も喜びとしての奉仕、お祀りする純真な人たちです
各地に豪商や豪農の館と呼ばれるような建造物が残っていますが、それを建てた人の大きさと心意気に圧倒されます
いつも同じ人間に生まれて、こうもスケールが違うのかと打ちのめされています。
なぜか現代の豪邸を見ても、それは感じません。
江戸期の寒村地域でどうすれば、こんな立派な建物が残せたのか感嘆します。
現代のIT富豪と異なり、超高級車やブランド品や豪遊で散財するのではなく、普段は質素に暮らし、財をなす。しかも家屋は会社店舗と従業員寮と接待旅館を兼ねているわけですから。単に贅沢したいわけではないのですよね。
追伸:一里塚の大木は感動しました。古の旅人がここで休んだと思うと・・・。
一里塚の大木のかげに「山賊」とかがかくれていないことを江戸時代の旅人のために祈ります・・🐻さんきん交代におけるドラマもいろいろとあったでしょうね!
青空の下とかであれば、また雰囲気も違うと思いますが、実際のところ年の半分は曇り空や寒い日だと思います。
当時の人は一体どうだったのか。「あ、都会の金持ちが来た。追い剥ぎすっぺ」とか。途中で手持ち資金がなくなり、この地に住むことになった人の子孫もいるかも。
とか思うと画像も余計暗めに撮ってしまいました。