その昔の京都でのサラリーマン時代、僕は全国各地に出張していた時期がある。会食することもあったが、全体の6割は一人で食事をした。出張先で一人で呑む店を開拓することは楽しかった。当時の経験は、その後の町歩きにも生かされている(逆である方が良かったか?)。どんな土地に行っても、嗅覚で繁華街の在処を見つけることができるようになった。理論と感覚と双方の要素があるが、理論でいえば定石のひとつに「役所あるところに繁華街あり」というものがある。とくに小さな町の場合は的確だ。古今東西、酒の嫌いな役所は存在しない。酒を呑むことで業務が円滑に進み、飲屋さんにお金を落とすことで、地域の経済も回っていたのである。最近はそうとも限らない。不必要な飲み会は減り、特に役所関係は必要以上に清廉潔癖を求められる。業者と一緒に飲み会など考えられない時代になった。結果、町の繁華街は衰退していく。今回はそんな地方の繁華街の写真である。「ソシアルタウン」、夜の町役場の分室でもあったタウンは寂しくなってしまった。
X-PRO3 / XF14mm F2.8R
「役所あるところ飲屋街あり」というタイトル、至言ではないでしょうか。まさにそういう感は昔はありましたね。現在では、接待への批判やコロナ禍でそういう飲屋街や飲食店自体も寂れているように見えます。
田舎にいると、それらに加えて、市町村合併の影響も大きいですね。役場や支所がなくなると、それに連れて、飲食店や雑貨店などが無くなります。人口減少時代なので、難しい面はありますが、あまり大きくなるのもどうかと、最近考えさせられます。
この「ソシアルタウン」が放つ存在感は凄い感じだと思います。地方の街には、こういうような飲食店が色々とテナントで入ったビルは在りますよね。「地方の街」と言っても、例えば札幌のススキノのような場所でも、在るような気がします。夜の営業の前に相当する時間帯に、広角レンズで撮っている感じが凄く艶やかだと思いました。
「地元の役所の近くに飲食店街」というのは、確かにそのとおりですよね。街の規模にもよるのでしょうが、地元の役場が立地する辺りは、大概は「市街の中心的な地区」ということにもなるのかもしれません。
一寸、興味深い雰囲気の画を愉しみました。
こう書くと語弊がありますが、癒着とか談合を恐れるあまり、かえって公共利益が失われている面もあるのかなと思います。
少なくとも地方の繁華街が必要以上に衰退していることは間違いありません。
追伸:ヌマンタさんのスパイスの効いたエッセイ、いつも楽しませて貰っております。
役所の納入業者や取引先も、市全体の枠組みに移行し、古くからの企業商店が締め出されている面もあるかと思います。
まあ確かに自由な競争が阻害されていたかもしれませんが、最終的には大手が利益を得て、小規模零細が締め出される構図のようです。
このソシアルタウンでも一次会から二次会、それも役所の複数部署が同時に行なって、途中から地場企業も参加して、なんて時代もあったのだと思います。
大きい町であれ、小さい町であれ、規模は様々ですが、こういう飲屋テナントがありますよね。
それぞれの店に、それぞれの常連がいると想像するだけで楽しいです。ちなみに河北町は市役所に小さな市民動物園が併設されているような町です。
多くの市民が休日に市役所周りで寛いでいたので驚きました。地方の市役所は休日には無料駐車場にもなりますよね。