鉛温泉に宿を取った場合、その前後に行くことのできる場所は限られる。この場合の「行く」は写真を撮ることを意味する。その気になれば、遠野とか一関の旧町部に行くこともできる。でもその移動距離は相当長くなってしまう。必然的に、花巻及び奥州市周辺ばかりに行くことになる。どこも良い町だけど、流石にしょっちゅう行けば飽きも出る。昨年お亡くなりになった上原稔師匠は、「紫波町(日詰)と石鳥谷に行けば良いですよ。行って下さい」と、しきりに仰っていた。実際に何回か行った。紫波町は写真の撮り甲斐のある町で、その後も定期的に訪れる。問題は「石鳥谷」である。2〜3回行ってみたものの、どうも町の魅力がよく分からない。そんな筈はない、何かがある筈だ。師匠は僕に何処を撮れと言っていたのだろうか。
コロナ禍の日々の中で考え、「石鳥谷にも裏通り、旧市街的なものがある筈だ。そこを探して歩いてみよう」と決めた。Googleマップのストリートビューで隈なく探せば、その場所は見つかるだろう。多分それでは意味を成さない。大体の目星だけは付けて、石鳥谷の駅前から町歩きをスタートした。すると・・・。呆気なく裏通りを見つけた。整備された今の商店街とは異なる、昔の町並みだ。通りを一本ずらすだけの話だった。こればかりは回答を聞いてから歩くものではない。自分で歩いて見つけることに意味があるのだ。師匠、見つけましたよ。もう少し歩いてみます(続く)。
X-PRO3 / XF18mm F2R
>自分で歩いて見つけることに意味がある
うわ~ よか言葉ね~
大変やけど 出会った時のぴか~んと光る画像
写真家6さん いつも思うんだけど文章 惹きつけます
アリガトウ 応援のお婆です」
自分のその時の感情によっても感じ方は違うし、何回か訪れて“良さ”が分かる時もありますし、1回で何とも馴染めない雰囲気がある時もありますよね
でもお師匠の伝言がおわかりになったようで、良かったですね
ちなみに音楽でも同じことが言えますよね、若い頃は理解不能だった楽曲が急に身に染みるようにわかったり、あるいは逆になったり...
ブログはある程度、まとめて書くので、誤字脱字や文章間違いが多くて、我ながら嫌になります。
でも迸り出る鮮度の良い言葉を、そのまま書こうと思います。
追伸:そちらはまだかもしれませんが、めっきり寒くなりました。猫の毛も秋バージョンに生え変わったようです。季節の変わり目、体調などにお互い気をつけましょう。
音楽では、そういう経験がよくあります。
また聴かずして勝手にイメージを作り、排除していることもあります。
写真の対象も、音楽も、それ自体は基本的に変わっていませんよね。
受容れる自分のステータスが変わって、違った風に見えてくるのかもしれません。
勉強になりました。