この日は用事を済ませてから下田に来て、市内の温泉ホテルに宿泊した(朝食のみ付いたプラン)。普通の町でビジネスホテルに泊まるよりも格安だった。下田に着いた時点では青空が残っていたが、歩いてホテルに向かい、チェックインしてから温泉に浸かり、街に出る頃になると日が暮れ始めていた。それが前回の記事で、その続きとなる。
商店街を抜けて辿り着いたのは市中観光の目玉である「ペリーロード」だ。最後に来たのは小学校の時だと思う。平日の夕方なので、もう観光客は殆どいない。日が暮れるのと比例して、町は静かになっていく。明るいうちは大きく見えた町が、段々と狭く小さくなっていく。これは当たり前のことなのだ。下田市は人口でいえば約2万人の町だ。観光客が沢山来るし、港町の賑わいがあるにしても、そんなに大きな町である筈はない。考え方によれば、人口の割に町の規模は大きいとも言える。その大きく見える面を注視するか、人口なりの町並みを注視するかによって、町の見え方は相当に異なる。日が暮れると共に、下田の肥大化したイメージは収束され、海沿いの小さな町の姿が浮き上がって見えてきた。気持ちとシンクロするのである。嗚呼、これが下田だよな、伊豆出身の男は安心するのであった。
X-PRO3
(下田幻影シリーズ)
②下田幻影②〜日暮れとシンクロ
そのさいはバナナジュース推しのナントカ商店(読めません)に入ってみたいです🍌
ドライブでも 添乗員では数多く訪れた街です
水仙まつりから 河津桜 河津 石廊崎 下田 そして西伊豆へ キャンプにも連れて行った子浦 懐かしい想い出が一気に蘇りました
こうして 6さんの旅や写真が 忘れかけていた地や心のアルバムを開き 感謝です
新潟市も昭和39年まで西堀、東堀、一番堀など小舟も通う運河があったそうです
もちろん川の左右は柳並木で、柳都新潟の所以ですね
そんな景色を見たかったです、私が住んだのは44年ですからちょっと残念。
私の町にも昭和40年頃まで、駅前はこんな景色でした
懐かしい・・・
ペリーロードは想像以上に小ぢんまりとして、それ故良いかもしれません。
特定の時期以外は人が多くて、ワチャワチャすることもないと思います。次の写真には黒船用の砲台も写っております。
しかも!今回の写真にはありませんが、下田は「金目鯛の水揚げ日本一」の港でもあります。魚も美味しいですよ。
大人になってからも何度も行ってはいるのですが、ペリーロードとか下田の商店街とかは行っていません。
懐かしさが蘇り何よりです。
これって、京都とか、江戸とか、そういう先端の要素を、地方にも持ち込んだ結果なんでしょうか。
下田の中心地は、再開発なんてどこ吹く風で、僕が子どもの頃と殆ど変わらない町並みでした。
タイムスリップしたみたいでした。