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レンズ越しに見えるもの または 見えざるもの

下田幻影①〜肥大化したイメージ

2024-09-30 | 街:静岡











止むに止まれぬ用事があり伊豆まで行ってきた。今年2回目の「大人の休日倶楽部パス」を使い、二泊する小旅行となった。伊豆での用件についてはブログでは触れず、完全スルーする。いきなり要件を済ませた後の写真からスタートする。簡単にいえば、伊豆半島南端から東側への短い旅をした。東伊豆三都物語とばかり、3つの街の写真を掲載する予定である。まず最初は下田市である。下田の写真は何回かに分けて掲載する。

下田は言わずと知れた、黒船が来航した街である。子どもの頃は、伊豆の南端にある下田に何故外国からの船が来るのか疑問に思ったものだ。どうぜなら横浜辺りにすれば良いのにと・・・。それでも伊豆の片田舎が開国の地だったことには感銘を受けたのも事実である。こんな田舎でも世界に通じている。少し離れた西伊豆の海で、太平洋の先にあるハワイ(実際は御前崎)を遠くに感じながら、いつか世界に飛び立とうと思った少年時代。わざわざ外国語大学にも行ったのに、今は秋田県に住む。外国どころか、伊豆でさえ遠い場所になった。人生とは不思議なものだ。愚痴は辞めて先に進もう。下田は西伊豆で育った僕にとって、とても分かり易い町だった。つまり僕が生まれ育った町が何かの加減で大きな町に発展したとしよう。何をどう考えても横浜のようになることはありえず、静岡市とか沼津市のような街になることさえもなかっただろう。でも色々と状況が変われば、下田のような街に発展する可能性はあったかもしれない。つまり自分の町の最大発展型が下田だと思っていた。よく僕は下田市の高校に進学した自分を想像して、その場合はどんな生活になるのだろうかと夢膨らませたものだ。一方で下田は「とても遠い場所」でもあった。伊豆半島の東側からでも、中央を通っても、西周りでも、どこからでも車で60km以上はあり、中には悪路も含まれた。海は外に向かって開いているのに、何となく陸の孤島のようなイメージがある下田。子どもの頃は、亡き父が期間限定で下田で働いた(ホテル業だったので派遣された)ことがあり、その関係で何度も遊びに行った。社会人になってからも何回となく訪れている。実は昨年も、伊豆に残る母親への親孝行で、下田の温泉旅館に泊まりにも行った。それなのに、下田は分からない街のままであり、もやもやを抱えたまま現在に至っている。少し前に下田の町をGoogleマップで見たところ、そこがとてつもなく大きな街に見えた。町並みは途切れずに何処までも続いているように思えた。そんな筈はないことは頭では分かっている。でもどこかでそれを信じたい想いもある。これまでの下田行きでは港とか海とか温泉旅館とか、行く場所は限られていた。今回の旅は完全に一人である。下田に立ち寄り、観光地だけでなく、生活する場としての町を歩こう。そして実際の街のスケール感を確認しよう。どこまでも長い東北生活の中で、街のスケール感という物差しがバグっている(必ずしも悪い意味とは限らないが)。それをリセットする良い機会になるだろう。趣旨はそういうことだ。

初回は午後の到着時、そして一度ホテルにチェックインした後、夕方に差し掛かった町に歩いていくところである。 子どもの頃からの妄想、離れて久しい忘却、それらが入り混じって構成された下田の幻影の中に入って行こう。

(下田幻影シリーズ)

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