SANYOこと、三洋電機は長らく親しまれた電気メーカーだった。元々、松下電器産業(現・パナソニック)の松下幸之助さんの身内が創業した会社で、最終的にはパナソニックの完全子会社になった。かつてはどの家にも三洋(SANYO)の製品があった。僕もラジカセを持っていた。何となく二番煎じというか、一流メーカー同等品を少し安く買えるイメージのブランドでもあった。それでも洗濯機など特定の分野ではトップクラスだったし、太陽光発電の黎明期には最高クラスの発電効率を誇るなど、ユニークな技術を持つメーカーだった。現在、国内にはSANYOというブランドは存在しない。中国メーカーがライセンス契約(恐らく)を持ち、三洋(SANYO)の名で今でもテレビなどを発売している。サンスイとか、ヤシカなどと同様、出涸らしのようにブランドを中国に利用されている。哀しい話だ。
その三洋は他の家電メーカーと同様に、かつて国内に三洋ショップというチェーン網を持っていた。とうに営業を終了しているが、そのショップが山形県鶴岡市に残っている。もう十年近くウォッチしている物件だ。昔から「A」の文字が斜めにぶら下がり、落ちそうで落ちない状態が続いていた。今回見に行けば、とうとう「A」は落ち、「SANYO」から「S N 0」にロゴが変わってしまっていた。アントニオ猪木氏の訃報を聞いて、何故だか急にこの電気店を見たくなった。どっこい昭和は残っていた。ところで、これカラーではどんな感じか気になりませんか?
LEICA M10 MONOCHROME / TT artisan 28mm F5.6
でもオーディオ製品で「私のはSANYOです」とクラスで言うのは、少し恥ずかしかった記憶があります。当時はやはりSONYがNo1でしたから~
一歩踏み込んだ方は、それこそSANSUIとかでしたが、SONYが買えない人達はSANYOやAIWAのレベルでした
洗濯機が庶民に拡がる頃 家にもありました多分 最初の白黒テレビも そんな気がします 一流より少し安い
昭和の残像のような この電器店
やはり 白黒のイメージのままが胸に刺さります
サンヨーは堂々好きでした、はずかしい?そうでしたかー。 今でもエネループを一部使っています、家電といっしょに充電池はとてもお世話になり、
松下のパナソニックにロゴが替わったときは悲しかったです。
威張らない可愛いサンヨーが遠いカイロの空港の壁で、一番大きな広告を張っていたのを見上げ、誇らしい気になったものです。
何故、飛行機や机まで食う粗い後発の外国に、優れた技術を渡したのか今でも悔しい。
SONYは無理、でもAIWAにはしたくない(笑)。
当時のオーディオは結構高かったように思います。でも選択肢が豊富でしたよね。
今は寂しい限りです。
ちなみに割と最近まで洗濯機と炊飯器がSANYOでした。意外とSANYO派だったのかもしれません。
そしてむしろ多機能でした。しかも世界的にトップクラスの製品でした。
当時は家電は国内メーカーだけから選択し、しかも選ぶメーカーが沢山あり、MADE IN JAPANで間違いなかったです。
この電気屋さんの近所では、SANYO製品が溢れていたかもしれませんね。
昭和はロマン溢れる時代でした。
SANYOは白物家電は大手と遜色なく、オーディオとか一部の分野では、「プアマンズ・ソニー」みたいな位置付けではありました。
でもそこに親しみやすさがあったようにも思います。僕は赤いラジカセを使っていました。ソニーが欲しかったけど、妙に安心して使えもしました。
カイロの空港でSANYOの広告を見たのは凄いエピソードですね。今も東南アジアで広告はあるようですが、それは中国の製品なんですよね。複雑です、
毎年近隣の市町村から何人も就職していました。
今も、(名前を変えていますが)三洋ショップの店舗のまま電気店が残っています。
群馬では、車はスバル、電気製品は三洋が強かったです。
かなり馴染みが深いです。
僕のところは何故か家電は日立も多いです。
何故だろう。
地元の若者の受け入れ先でもあったのですね。ひとつのブランドがなくなることは、消費者だけでなく、多くのステークホルダーに影響があることを改めて思いました。
スバルとサンヨー、もう群馬県に住みたいレベルですね〜。