〆は・・・ラーメンでぇぇ
これが癖になる旨さなんだよねぇぇ
おっと~カメラが曇った
そして、追加のセットも綺麗に食べつくしぃぃ
富士錦も美味しくペロリでした
〆は・・・ラーメンでぇぇ
これが癖になる旨さなんだよねぇぇ
おっと~カメラが曇った
そして、追加のセットも綺麗に食べつくしぃぃ
富士錦も美味しくペロリでした
私の大好物の・・・豚のホルモン
これがなんとも言えぬのだぁぁ~旨い
なんたって、看板がホルモンって書いてるしぃ~
焼具合も難しいのだ
少しトロミがある感じが好きなんでねぇ~
て・・・次のネタが来ました。
さぁ~ホルモンしっかり食べるぞぉお
スウェーデン王立科学アカデミーは6日、2015年のノーベル物理学賞を、東京大宇宙線研究所の梶田隆章教授(56)とカナダ・クイーンズ大のアート・マクドナルド名誉教授に授与すると発表した。素粒子ニュートリノに質量があることを証明し、素粒子物理学の基本法則を書き換えた業績が評価された。
日本のノーベル賞受賞は5日に医学・生理学賞の受賞が決まった大村智氏に続き計24人。物理学賞は昨年の赤崎勇、天野浩、中村修二の3氏に次いで2年連続の受賞で計11人となった。
いゃあ~蓮ちゃんですねぇ
驚きです
それよりも、産経新聞予想がヒットしてました。
◆物理学(6日)
宇宙か素粒子の分野から選ばれる可能性が高い。太陽系外惑星を発見した欧米人が有力だが、素粒子なら02年受賞の小柴昌俊氏(89)の弟子2人が有望視される。ニュートリノの謎を解明した鈴木厚人(あつと)岩手県立大学長(69)と梶田隆章東京大教授(56)だ。
明日も期待してみましょ☆
ノーベル医学生理学賞に決まり、記者会見場に集まった学生から祝福される大村智・北里大特別栄誉教授=5日夜、東京都港区で |
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スウェーデンのカロリンスカ研究所は五日、二〇一五年のノーベル医学生理学賞を大村智(さとし)・北里大特別栄誉教授(80)ら三氏に贈ると発表した。大村氏の業績は「寄生虫による感染症に対する新たな治療法の発見」。地中の微生物が作り出す化合物「エバーメクチン」を見つけ、アフリカなどで三億人以上の人々を、失明の危険性のある病気から救った。
大村智さんのノーベル医学生理学賞受賞に、静岡県内の関係者からも祝福の声が相次いだ。
大村さんは県立大の本庶佑理事長ら研究者と親交が深く、たびたび同大を訪れている。二〇〇七年五月には薬学部で講演。アフリカの熱帯病オンコセルカ症(河川盲目症)の特効薬となったイベルメクチンの開発など、細菌がつくる物質を探す長年の取り組みや、研究の将来展望を薬学の道に進む学生らに解説した。
大村さんを招いた菅敏幸教授(51)の印象に残るのは、日本の細菌学の父、北里柴三郎(一八五三~一九三一)を熱く語る姿だ。「外国で北里が日本以上に多くの人から敬愛されているのに気付き、尊敬を深めたそうです」。大村さんは思いを胸に、北里が設立した北里研究所で研究を続けた。
北里や野口英世ら、日本の偉大な細菌学者もノーベル賞候補になったが手が届かなかった。菅教授は「この分野でのノーベル賞は日本の悲願。大村先生の受賞は遅すぎるぐらいだが、とてもうれしい」と喜んだ。
一三年に県立大で特別講義をした際には、当時学長だった木苗直秀県教育長とも対談し、伊東市川奈のゴルフ場近くで採取した土壌がイベルメクチン開発につながった話も披露した。木苗教育長は「素晴らしい先生で、学生たちの刺激にもなったと思う。おめでとうございます」と祝福した。
浜松市秋野不矩美術館(天竜区)では二〇一〇年春、大村さんが館長を務める韮崎大村美術館(山梨県韮崎市)の所蔵品を集めた特別展を開いた。
当時の秋野不矩美術館長、今村春幸さん(66)は「おめでとうございますと申し上げたい」。
大村さんが私財を投じ開設し、その後、韮崎市に移管された韮崎大村美術館は女性作家のコレクションで知られ、浜松市天竜区出身の日本画家、秋野不矩さんの作品も複数ある。
今村さんは「化学者でありながら、あれだけのコレクションをされた。美術においても、すごい方だと感じた」と振り返る。
四十一年前に放線菌を見つけて原点の地となった伊東市川奈では驚きの声が上がった。土を採取した近くの川奈ゴルフコースを運営する川奈ホテルには、報道各社からの問い合わせが殺到。担当者は「四十年前のことなので分からない」としながらも「突然のことでびっくりしている」と話した。
新聞予想は・・・こんなでしたが?
しょっぱなから外れました
今年のノーベル賞の発表が5日の医学・生理学賞から始まる。自然科学分野は2008年以降、2年ごとの偶数年に日本人が受賞。今年は「裏年」に当たるが、有力候補者は少なくない。物理学賞でトリプル受賞の快挙となった昨年に続き、師弟や兄弟弟子などの同時受賞に期待がかかる。
◆医学・生理学(5日)
飢餓状態に陥った細胞が自分自身を食べて栄養を得る「オートファジー」という現象を解明した大隅良典東京工業大栄誉教授(70)と、弟子の水島昇東京大教授(49)の受賞が期待されている。
師匠と栄誉を分け合うには、単なる協力ではなく、その研究の実現や発展に欠かせない功績が必要だ。大隅氏が酵母で見いだした現象を、水島氏は哺乳類でも実証し、生物に普遍的な仕組みであることを示した。
◆物理学(6日)
宇宙か素粒子の分野から選ばれる可能性が高い。太陽系外惑星を発見した欧米人が有力だが、素粒子なら02年受賞の小柴昌俊氏(89)の弟子2人が有望視される。ニュートリノの謎を解明した鈴木厚人(あつと)岩手県立大学長(69)と梶田隆章東京大教授(56)だ。
◆化学(7日)
4、5年おきにめぐってくる有機化学の分野から選ばれる公算が大きい。医薬品に広く使われる合成反応を開発した向山光昭(むかいやま・てるあき)東工大名誉教授(88)の受賞が有力視される。有機合成は日本の得意分野で、他に柴崎正勝東京大名誉教授(68)、山本尚(ひさし)中部大教授(72)の名前も挙がっている。
◆文学(8日にも)
有力候補として毎年取り沙汰されるのが、「ノルウェイの森」「1Q84」などで知られる村上春樹氏(66)。主要作品が約50の言語に翻訳され、ノーベル賞に近いといわれるチェコのフランツ・カフカ賞など世界的な文学賞も受けている。日本人で3人目、戦後生まれでは初となる栄誉を待ち望む声は絶えない。
◆経済学(12日)
清滝信宏・米プリンストン大教授(60)の受賞に期待が集まる。マクロ経済学を専門とする清滝氏は、1987年に商品の価格決定にブランド力が影響することを証明する論文を共著で発表。97年には、バブル崩壊後の日本の景気の長期低迷などの原因も解き明かした。
この他、9日には平和賞も発表される。
ノーベル医学生理学賞を受賞した大村智・北里大特別栄誉教授(80)。現役の研究者でありながら、美術愛好家としても知られています。2007年には、故郷である山梨県韮崎市にコレクションを新築の美術館ごと寄付。購入費だけで総額5億円にのぼりますが、故郷への恩返しであり「若い人たちへの投資でもある」と語っています。
【フォトギャラ】ノーベル賞・大村智さんが寄贈した韮崎大村美術館。建設費2億円!
北里研究所名誉理事長でありながら女子美術大理事長も務める大村さんは、絵画や陶器、彫刻など美術品の著名な収集家として知られています。特許料の大半を購入に充てた約3500点にのぼる作品群は「大村コレクション」とも呼ばれています。
薬の開発関連の特許料は北里研究所に入った分だけで250億円。しかし、本人は「食べるだけで十分」と、研究所の経営再建や病院建設にも巨費を投じました。残りを上村松園や三岸節子ら女性画家を中心とした美術品の収集に充ててきました。
そのうち1500以上の作品が2007年、これらを収蔵する新築の美術館ごと、生まれ故郷の山梨県韮崎市に寄贈されました。
美術館は大村さんの生家近くにあり、鉄筋コンクリート造り2階建て。喫茶室も兼ねた部屋を含め、展示室は3室あります。敷地面積は2627平方メートル、延べ床面積は478平方メートル。同じ敷地には日帰り温泉施設もあります。
展示・所蔵品の購入費だけで総額5億円にのぼり、美術館の建設費も2億円以上。大村さんは開館当時、「この美術館は、若い人たちへの投資でもある」「美術品は人類の共有財産。美術品を鑑賞する喜びを皆さんと分かち合いたい」と説明。地元を選んだ理由は、「人として大事なことは恩返しすること」と語っていました。
じっくりと美術鑑賞して・・・2時間ほどが
でぇ~お腹も空いたし、ここのレストランにて食べようと意見が一致しました。
二人で別々の料理を注文しました。
ただ、スープは同じ・・・
ゴボウのスープ゛ですって
ふむぅ~身体には良さそうだけど~好きじゃあないね
プロ野球の巨人は5日、福田聡志投手(32)がプロ野球選手が禁じられている野球賭博行為に関わっていたと発表した。賭博行為は巨人戦でも行われた。巨人は同日、プロ野球を統括する日本野球機構(NPB)へ文書で概要を報告。久保博球団社長が東京都内で記者会見し、「プロ野球を愛する皆様、巨人ファンに深くおわび申し上げます」と謝罪した。
球団によると、福田投手は今夏の全国高校野球選手権大会の複数の試合、その後に9月上旬まであったプロ野球とメジャーリーグの各約10試合で賭けを行った。プロ野球では所属する巨人戦も3~4試合含まれていた。これまでの調査では、勝敗にかかわる「八百長」が行われた形跡は認められていないという。
プロ野球では選手の野球賭博行為を「野球協約」で禁じている。球団は福田投手から事情を聴くなどした結果、NPBの熊崎勝彦コミッショナーに告発することを決め、文書で概要を報告した。刑法の賭博罪に当たる疑いもあり、警察への届け出も検討している。
発表と記者会見によると、福田投手は今年春ごろ、自称税理士法人勤務という男性から、野球の試合で賭けをしないかと誘われた。この男性とは同僚の笠原将生(しょうき)投手(24)を通じて知り合ったという。
福田投手は一度は断ったが、今夏から「軽い気持ちで」賭けを行った。男性からは各試合ごとにハンディをつけたメールが送られてきた。1点1万円で、高校野球が終了した時点で、大きな損をしていたという。
男性からは「プロ野球で取り返せばいい」と持ち掛けられた。精算を求められず「どんどんやって」と勧められた。現金のやりとりは一度もなく、最終的に百数十万円の損となっていた。
9月初旬、福田投手は近く子供が生まれることから、賭けはやめようと思い連絡を絶った。すると取り立てが始まったという。同30日に、男性が神奈川県川崎市のジャイアンツ球場を訪れ、「福田選手の借金の取り立てに来た」と話したことから問題が発覚した。
NPBは5日夕、熊崎コミッショナーらが記者会見。常設の調査委員会(委員長・大鶴基成弁護士)に委嘱したことを明らかにした。熊崎コミッショナーは「迅速に、厳正に手続きをとる」と語った。八百長行為を禁じる177条に該当すれば、永久失格処分となる。
福田投手は東北福祉大から2005年秋のドラフト希望枠で入団した。12年に自己最高の8勝を挙げるなど通算22勝15敗。今季は1軍登板はなかった。球団はこの日、男性と賭けマージャンの仲間という笠原投手とともに謹慎処分とした。
◇
福田聡志投手は大阪府岸和田市出身で、伊都高(和歌山)から東北福祉大に入学。2004年の全日本大学野球選手権の優勝に貢献した。05年秋の大学生・社会人ドラフトの希望枠で巨人に入団。プロ入り後は1年目から1軍で登板、12年に8勝を挙げた。今季は1軍登板はなかった。プロ10年で151試合に登板し、通算成績は22勝15敗。身長180センチ、体重84キロ。
笠原将生投手は08年秋のドラフト5位で福岡工大城東高から巨人に入団。今季は20試合に登板。プロ通算は80試合に登板し、7勝1敗1セーブ。
ノーベル医学・生理学賞に輝いた大村智さん(80)は元高校教師という異色の経歴の持ち主。
高校時代に国体の出場経験を持つスポーツマンで、研究に必要な精神力をスキーや農作業から学んだ。常に周囲に気を配り、社会貢献への労力も惜しまない。
昭和10年、自然豊かな山梨県神山村(現韮崎市)で大きな農家の長男として生まれた。父親は村の有力者。食糧には困らなかったが、家の手伝いは大変だった。「早朝に起こされて野良仕事。中学までに一通りの仕事をできるよう厳しくたたき込まれた」
小学3年のとき終戦を迎える。将来は農家を継ぐと考え「勉強は要らないな」と思っていた。両親も「勉強しなさい」とは言わなかったが、英語の勉強は熱心に勧めた。「後々、非常に必要になったので先見の明には驚いた」と話す。
祖母は「世のため人のために働きなさい」。中学の先生からは「いずれ村長になるのだから、勉強を頑張らないと」と言われた。
サッカーや卓球などスポーツが好きで、高校2年のときからスキーに夢中になり、クロスカントリーの選手として国体に2度出場するほど上達した。
高校3年のとき、父親から「勉強したいなら大学に行ってもよい」と言われ、それならと本格的に勉強を開始。だがスキーはやめず、1日の睡眠時間はたったの3時間。山梨大学芸学部自然科学科に進学した。
大学1年のときスキーの名手で知られた横山隆策氏に入門。過酷なトレーニングに耐え、どんどん腕を上げた。また勉強しなくなったが、人生で重要なことを学んだ。「体力的にも精神的にも厳しい環境に身を置くこと、人まねをしないことの大切さ」だった。
横山氏に師事する生徒はハイレベルで、自分よりずっと年少の子供でも上手い。その環境は負けず嫌いの大村さんを刺激した。やり方をまねているだけでは先生を超えられないことも知った。「違うことをしなければいけない」。このとき培った精神が、研究人生の大きな柱になった。
勉強しなかったわけではない。山梨大には教員の個人指導を受けられる制度があり、物質を分離・精製するクロマトグラフィーの手法を習得した。この技術も後に非常に役に立った。
卒業後は東京都立墨田工業高校の夜間部で教壇に立ち、社会人生活をスタート。自分と大して年齢の変わらない生徒が昼間働き、夜に勉強しに来る。その熱心な姿に心を打たれた。
試験監督で教室を見回っているとき、ある生徒の手が目にとまった。仕事で使った油を手に付けたまま、一生懸命、答案を書いている。わが身を振り返り「自分は大学まで出してもらった。それなのになぜ、あまり勉強しなかったのか」。この経験をきっかけに「もう一度勉強し直して、学問をしよう」と決心した。
東京教育大の研究生を経て35年、東京理科大大学院の修士課程に入学。修了するまで研究生時代の2年間と合わせて計5年もかかった。朝は理科大に行って実験し、夜は高校で教鞭(きょうべん)をとる生活。自宅に戻る暇はほとんどない。
「つらいとは思わなかったけれど、睡眠は足りなかった。それでも充実した生活だった」。東大に合格して上京してきた弟の面倒をみるため、私立大の非常勤講師のアルバイトもした。
「言うだけでなく、実行しなくては駄目」。それが信条だ。大切にしているのは周りへの気配り、思いやりの心だという。その言葉通り、故郷の山梨県で科学スクールを開き、美術館や温泉施設を建てる社会活動にも取り組んできた。
研究や講演をこなす傍ら、本を読んで感銘を受けた言葉を20年近く、日記帳に書きためている。「こういうところにも、新しい発見があるんですよ」