※
それから、十年ちかくの歳月が流れた。
ここに、二騎の馬が、南へと馬を走らせている。
董休昭と、親友の費文偉であった。
允という名の少年は、成長して休昭という字を与えられ、立派に宮仕えをするようにまでなっていた。
時流も激しくかわり、かつて董和を疎んじた主君は、あたらしくやってきた劉備に追い出され、いまは、劉備が董和の主である。
董和はいま、劉備の片腕である諸葛孔明とともに職務に励んでいる。
身分や禄はそう高くなかったが、孔明と董和はうまく職務をこなしており、ふたりしてともに視察にでかけるほど、気兼ねない間柄になっていた。
近づくにつれ、変わらぬ巴郡のなつかしい風景に、感激屋の休昭は、少しばかり泣きたくなったが、泣いている場合ではないと気を取り直し、先を急いだ。
あわて者の休昭を心配し、一緒についてきた費文偉が言う。
「しかし、かつての任地ということで、幼宰様も気が弛んだのだろうか。ひどい腹痛になるなど、頑丈なあの方らしくもない」
「軍師が、至急に来るようになんて使いを寄越すくらいだもの。父上は、相当に苦しんでらっしゃるのだな。とりあえず、処方箋をもらってきたけれど、あの医者ときたら、巴東に来てくれないかと聞いたら、そんな蛮地には、恐ろしくて行けませぬと言い切った。まったく、ゆるせぬ!」
ぷりぷりと馬上で起こる休昭を、文偉はちらりと見て、からかうように言った。
「おまえ、だんだん幼宰様に口ぶりが似てきたな」
「似るさ。父子だもの」
「こうも見事に似るのも珍しかろう。おや、あの町がそうかな。想像していたより、ずっと立派で大きな町ではないか」
巴の町は、この乱世にあっても、いちども戦禍にまみえることなく、当時のままの姿を保っていた。
塩の売買でうるおっているために、盗賊の襲撃を受けるたこともあったそうだが、そのたびに豪族の私兵と、属国都尉たちが協力してこれを退けたという。
父がいるという陣に向かおうとした休昭であるが、街に入ったとたん、出迎えの人たちにとりかこまれてしまった。
なんとなく見覚えのある、年老いた者たちが、つぎからつぎへと現われて、ああ、あの小さな坊ちゃんが、こんなに立派になりなさった、と挨拶にやってくるのである。
なかには、自分の家で作っている果物や野菜などをくれる者もあり、それを休昭は、いちいち受け取っていたので、自分で持ち運ぶことができず、馬に乗せて運ぶことになったから、よけいに足が遅くなった。
ふと、人ごみのなかに、休昭は、あの巫の姿をみたような気がして、はっとした。
しかし、探そうとして目を向けると、巫の姿は消えていた。
「おい、人気者父子の息子のほう、凱旋行列はそれくらいにしておけ」
皮肉を含めた声に、顔を向ければ、孔明の主簿の偉度であった。
董和や孔明の視察に、一緒についてきたものである。
地味な格好をしながらも、艶やかな面差しをしている偉度は、物陰から、まるで客引きのように、休昭と文偉に、こいこいと手招いている。
「久しぶりだな、偉度」
同年代で、私的にも付き合いがあるので、文偉が気さくに偉度に声をかけると、偉度は、その姿を見て、呆れたようにため息をついた。
「おまえは董家のなんなのだ。なぜに休昭に一緒にくっついてくるのか、さっぱりわからぬ。仕事はどうした、仕事は」
「何を言う。幼宰様は、わたしにとっても父のような方。その父が旅先で遭難されたというのだから、これはお助けせねばなるまい」
「おまえが来たところでなにも変わりはしないさ。それより、真正面から陣に入るな。おまえの到着を、ここいらの人間は、日も明けないうちから、いまかいまかと待ち受けているのだ。真正面から入ったら、まちがえなく捕まって、幼宰様と同じになるぞ」
「父上は、土地の者に、なにかされたのか?」
休昭が尋ねると、偉度は、うんざりというふうに、首を振りつつ、答えた。
「なにかされたというか、大歓迎をされたのさ。ようこそお帰りなさいまし、ご出世でございますね、とかなんとか言われて、次から次へと歓待の嵐。酒はもちろん、山海の珍味だの、自慢の料理だの、自家製の干し物だの、断ったらカドが立つから、ぜーんぶ口にしたら、当然、腹を壊すだろう」
「うわあ、うらやましいな」
と、言ったのは、文偉である。
偉度は、ちらりと冷たい視線を文偉に向けた。
「うらやましいか? うんうん唸りながら、寝台と厠の往復を何日も続けているのだ。それを見て、民が、今度は、それぞれが、薬を持ち寄ってきてお見舞いの行列だ。幼宰様も、また律儀すぎるところを見せて、軍師が止めるのも聞かず、ぜんぶ飲んでしまわれるものだから、さらに症状が悪化だ」
「………だって、勧められたものは、断らないのが礼儀ではないか」
「限度がある! ほら、ここが裏口だ。家の者に、気づかれないようにしろよ」
偉度に案内されて、陣の裏から、そっと父を見舞えば、蒼い顔をして寝込んでいる董和と、傍らの孔明がいた。
孔明は、休昭と文偉の姿を見ると、安堵したように笑った。
「おまえたちが来てくれて助かった。よろしく幼宰様のお力になるように」
「それはもう。軍師、父がご迷惑をおかけいたしました。このとおり、成都の医者より、処方箋も貰ってまいりました」
「ああ、それは、いらぬ」
と、孔明はすげなく言った。
「いらぬと申されましても」
「薬はもう、いやというほど飲んで、飲みすぎなほどだ。まったく、律儀というか、気遣いのしすぎというか」
孔明の言葉に、寝込んでいる董和が、なにやら反駁したようであるが、休昭たちには、はっきりと聞こえない。
しかし、孔明は聞こえたらしく、実に冷たく突き放した。
「なんと言い訳されても、莫迦は莫迦です。言い返したいのであれば、さっさと治されるのがよいでしょう」
軍師が不機嫌だ、と、気まずくする休昭に、孔明は向き直った。
「さて、おまえたちを呼び寄せたわけであるが、民の、幼宰様への見舞いが止まらぬ。落ち着いて休ませてさしあげたいので、おまえたちが代理で相手をするように」
「ハア、つまり我らは、壁として呼び寄せられたわけでございますか」
文偉が言うと、孔明は、当然だろうと言うふうに頷いた。
「そうだ。わたしが応対しても、あんたはだれだ、幼宰様を出せと、民がまったく納得せぬ。休昭ならば、みなも覚えているであろうし、引っ込むであろうよ」
そう言ってから、孔明は、すこし困ったように笑った。
「しかし、おまえの父上は、すごい方だな、休昭。もしわたしが同じく属国都尉としてこの土地に勤めたとしても、これほど慕われる自信はないよ。父上に孝行するのだぞ」
孔明が行ってしまうと、文偉はなにやら、うんうんと一人合点している。
「軍師が不機嫌なのは、幼宰様への対抗意識からだな。さすが幼宰様、軍師に好敵手と見做されるとは」
「張り合われてもなぁ。軍師がご機嫌ななめなので、肝が縮んだよ」
つぶやきつつ、休昭は、孔明は、あの巫にすこし似ているなと思った。
※
さて、孔明の言いつけどおり、父の代わりに見舞いを受け、いろいろ懐かしい話をしながら、休昭は時を過ごした。
見舞い客は、夜になっても減ることはなく、陣は、董和への見舞いの品で、あっというまに一杯になってしまった。
「見舞い成金なんて言葉があるなら、いまの董家はまさにそれだな」
偉度が嫌味にちかい感心の言葉を述べていると、外から、門衛が、こんなものを渡されましたが、と、やってきた。
若い、ちょっとこのあたりでは珍しいほど綺麗な面差しをした白衣の者が、渡してくれと言って、置いて行ったのだという。
休昭が見れば、それは、いつかの日に、牢で巫に渡した、錦の袋である。
亡き母の衣を元に作ったものであるから、この世に二つとあるはずがなかった。
休昭は、身を乗り出して、門衛に尋ねた。
「これを持ってきたものは、どこへ?」
「判りませぬ。名乗らずに行ってしまいました。白衣など、我ら漢族では、葬儀のときくらいしか纏いませんので、巴族の者であろうと思います」
「どんな顔をしていた?」
問われて、門衛は、すこし顔を赤らめて答えた。
「綺麗な顔をしておりました。あの、おかしなことを言うと思われるでしょうが、実は、男か女か判じかねました」
「若かった? 老いていた?」
「若いのは間違いありませぬ」
人ごみの中で、あの巫を見たと思ったのは、やはり間違いではなかった。
巫は、ふたたびこの地に戻ってきていたのか。
まだ若い? やはり山の霊気を浴びている者は、年の取り方も、われらと違うのだろうか。
そんな幻想にとらわれつつ、休昭は、錦の袋を開けてみた。
すると、そこには、好物の黒棗の実と一緒に、書付が入っていた。
そこにはこうあった。
『董幼宰さまが寝込んでしまわれたと聞き、こうして薬を煎じて持ってまいりました。聞けば、勧められるまま、いろんな薬を飲んでしまわれたとか。
ならば、五臓を休ませてから、黒棗をお食べください。これは、特殊な方法で干した棗でございますので、きっと回復の役に立つことでしょう。
われら兄弟が、いまこうして、故郷に戻り、暮らしていくことができるようになったのも、叔父を幼宰さまが逃がしてくださったからでございます。
我らは、ご恩を生涯忘れず、子孫代々に伝えていく所存でございます。
とはいえ、昨今は巫という存在も、なにやらいかがわしい拝み屋などと同列に扱われており、我らのような者と関わりがあると知れば、うるさく言う者もございましょう。
それゆえ、あえて訪問は差し控えさせていただきました。
なつかしい允くんを、ひと目見ることがかなったのも、嬉しい限りでございます。一日も早い平癒を願っております。 安』
おわり
2005年2月に書いたものでした。
御読了ありがとうございました。
それから、十年ちかくの歳月が流れた。
ここに、二騎の馬が、南へと馬を走らせている。
董休昭と、親友の費文偉であった。
允という名の少年は、成長して休昭という字を与えられ、立派に宮仕えをするようにまでなっていた。
時流も激しくかわり、かつて董和を疎んじた主君は、あたらしくやってきた劉備に追い出され、いまは、劉備が董和の主である。
董和はいま、劉備の片腕である諸葛孔明とともに職務に励んでいる。
身分や禄はそう高くなかったが、孔明と董和はうまく職務をこなしており、ふたりしてともに視察にでかけるほど、気兼ねない間柄になっていた。
近づくにつれ、変わらぬ巴郡のなつかしい風景に、感激屋の休昭は、少しばかり泣きたくなったが、泣いている場合ではないと気を取り直し、先を急いだ。
あわて者の休昭を心配し、一緒についてきた費文偉が言う。
「しかし、かつての任地ということで、幼宰様も気が弛んだのだろうか。ひどい腹痛になるなど、頑丈なあの方らしくもない」
「軍師が、至急に来るようになんて使いを寄越すくらいだもの。父上は、相当に苦しんでらっしゃるのだな。とりあえず、処方箋をもらってきたけれど、あの医者ときたら、巴東に来てくれないかと聞いたら、そんな蛮地には、恐ろしくて行けませぬと言い切った。まったく、ゆるせぬ!」
ぷりぷりと馬上で起こる休昭を、文偉はちらりと見て、からかうように言った。
「おまえ、だんだん幼宰様に口ぶりが似てきたな」
「似るさ。父子だもの」
「こうも見事に似るのも珍しかろう。おや、あの町がそうかな。想像していたより、ずっと立派で大きな町ではないか」
巴の町は、この乱世にあっても、いちども戦禍にまみえることなく、当時のままの姿を保っていた。
塩の売買でうるおっているために、盗賊の襲撃を受けるたこともあったそうだが、そのたびに豪族の私兵と、属国都尉たちが協力してこれを退けたという。
父がいるという陣に向かおうとした休昭であるが、街に入ったとたん、出迎えの人たちにとりかこまれてしまった。
なんとなく見覚えのある、年老いた者たちが、つぎからつぎへと現われて、ああ、あの小さな坊ちゃんが、こんなに立派になりなさった、と挨拶にやってくるのである。
なかには、自分の家で作っている果物や野菜などをくれる者もあり、それを休昭は、いちいち受け取っていたので、自分で持ち運ぶことができず、馬に乗せて運ぶことになったから、よけいに足が遅くなった。
ふと、人ごみのなかに、休昭は、あの巫の姿をみたような気がして、はっとした。
しかし、探そうとして目を向けると、巫の姿は消えていた。
「おい、人気者父子の息子のほう、凱旋行列はそれくらいにしておけ」
皮肉を含めた声に、顔を向ければ、孔明の主簿の偉度であった。
董和や孔明の視察に、一緒についてきたものである。
地味な格好をしながらも、艶やかな面差しをしている偉度は、物陰から、まるで客引きのように、休昭と文偉に、こいこいと手招いている。
「久しぶりだな、偉度」
同年代で、私的にも付き合いがあるので、文偉が気さくに偉度に声をかけると、偉度は、その姿を見て、呆れたようにため息をついた。
「おまえは董家のなんなのだ。なぜに休昭に一緒にくっついてくるのか、さっぱりわからぬ。仕事はどうした、仕事は」
「何を言う。幼宰様は、わたしにとっても父のような方。その父が旅先で遭難されたというのだから、これはお助けせねばなるまい」
「おまえが来たところでなにも変わりはしないさ。それより、真正面から陣に入るな。おまえの到着を、ここいらの人間は、日も明けないうちから、いまかいまかと待ち受けているのだ。真正面から入ったら、まちがえなく捕まって、幼宰様と同じになるぞ」
「父上は、土地の者に、なにかされたのか?」
休昭が尋ねると、偉度は、うんざりというふうに、首を振りつつ、答えた。
「なにかされたというか、大歓迎をされたのさ。ようこそお帰りなさいまし、ご出世でございますね、とかなんとか言われて、次から次へと歓待の嵐。酒はもちろん、山海の珍味だの、自慢の料理だの、自家製の干し物だの、断ったらカドが立つから、ぜーんぶ口にしたら、当然、腹を壊すだろう」
「うわあ、うらやましいな」
と、言ったのは、文偉である。
偉度は、ちらりと冷たい視線を文偉に向けた。
「うらやましいか? うんうん唸りながら、寝台と厠の往復を何日も続けているのだ。それを見て、民が、今度は、それぞれが、薬を持ち寄ってきてお見舞いの行列だ。幼宰様も、また律儀すぎるところを見せて、軍師が止めるのも聞かず、ぜんぶ飲んでしまわれるものだから、さらに症状が悪化だ」
「………だって、勧められたものは、断らないのが礼儀ではないか」
「限度がある! ほら、ここが裏口だ。家の者に、気づかれないようにしろよ」
偉度に案内されて、陣の裏から、そっと父を見舞えば、蒼い顔をして寝込んでいる董和と、傍らの孔明がいた。
孔明は、休昭と文偉の姿を見ると、安堵したように笑った。
「おまえたちが来てくれて助かった。よろしく幼宰様のお力になるように」
「それはもう。軍師、父がご迷惑をおかけいたしました。このとおり、成都の医者より、処方箋も貰ってまいりました」
「ああ、それは、いらぬ」
と、孔明はすげなく言った。
「いらぬと申されましても」
「薬はもう、いやというほど飲んで、飲みすぎなほどだ。まったく、律儀というか、気遣いのしすぎというか」
孔明の言葉に、寝込んでいる董和が、なにやら反駁したようであるが、休昭たちには、はっきりと聞こえない。
しかし、孔明は聞こえたらしく、実に冷たく突き放した。
「なんと言い訳されても、莫迦は莫迦です。言い返したいのであれば、さっさと治されるのがよいでしょう」
軍師が不機嫌だ、と、気まずくする休昭に、孔明は向き直った。
「さて、おまえたちを呼び寄せたわけであるが、民の、幼宰様への見舞いが止まらぬ。落ち着いて休ませてさしあげたいので、おまえたちが代理で相手をするように」
「ハア、つまり我らは、壁として呼び寄せられたわけでございますか」
文偉が言うと、孔明は、当然だろうと言うふうに頷いた。
「そうだ。わたしが応対しても、あんたはだれだ、幼宰様を出せと、民がまったく納得せぬ。休昭ならば、みなも覚えているであろうし、引っ込むであろうよ」
そう言ってから、孔明は、すこし困ったように笑った。
「しかし、おまえの父上は、すごい方だな、休昭。もしわたしが同じく属国都尉としてこの土地に勤めたとしても、これほど慕われる自信はないよ。父上に孝行するのだぞ」
孔明が行ってしまうと、文偉はなにやら、うんうんと一人合点している。
「軍師が不機嫌なのは、幼宰様への対抗意識からだな。さすが幼宰様、軍師に好敵手と見做されるとは」
「張り合われてもなぁ。軍師がご機嫌ななめなので、肝が縮んだよ」
つぶやきつつ、休昭は、孔明は、あの巫にすこし似ているなと思った。
※
さて、孔明の言いつけどおり、父の代わりに見舞いを受け、いろいろ懐かしい話をしながら、休昭は時を過ごした。
見舞い客は、夜になっても減ることはなく、陣は、董和への見舞いの品で、あっというまに一杯になってしまった。
「見舞い成金なんて言葉があるなら、いまの董家はまさにそれだな」
偉度が嫌味にちかい感心の言葉を述べていると、外から、門衛が、こんなものを渡されましたが、と、やってきた。
若い、ちょっとこのあたりでは珍しいほど綺麗な面差しをした白衣の者が、渡してくれと言って、置いて行ったのだという。
休昭が見れば、それは、いつかの日に、牢で巫に渡した、錦の袋である。
亡き母の衣を元に作ったものであるから、この世に二つとあるはずがなかった。
休昭は、身を乗り出して、門衛に尋ねた。
「これを持ってきたものは、どこへ?」
「判りませぬ。名乗らずに行ってしまいました。白衣など、我ら漢族では、葬儀のときくらいしか纏いませんので、巴族の者であろうと思います」
「どんな顔をしていた?」
問われて、門衛は、すこし顔を赤らめて答えた。
「綺麗な顔をしておりました。あの、おかしなことを言うと思われるでしょうが、実は、男か女か判じかねました」
「若かった? 老いていた?」
「若いのは間違いありませぬ」
人ごみの中で、あの巫を見たと思ったのは、やはり間違いではなかった。
巫は、ふたたびこの地に戻ってきていたのか。
まだ若い? やはり山の霊気を浴びている者は、年の取り方も、われらと違うのだろうか。
そんな幻想にとらわれつつ、休昭は、錦の袋を開けてみた。
すると、そこには、好物の黒棗の実と一緒に、書付が入っていた。
そこにはこうあった。
『董幼宰さまが寝込んでしまわれたと聞き、こうして薬を煎じて持ってまいりました。聞けば、勧められるまま、いろんな薬を飲んでしまわれたとか。
ならば、五臓を休ませてから、黒棗をお食べください。これは、特殊な方法で干した棗でございますので、きっと回復の役に立つことでしょう。
われら兄弟が、いまこうして、故郷に戻り、暮らしていくことができるようになったのも、叔父を幼宰さまが逃がしてくださったからでございます。
我らは、ご恩を生涯忘れず、子孫代々に伝えていく所存でございます。
とはいえ、昨今は巫という存在も、なにやらいかがわしい拝み屋などと同列に扱われており、我らのような者と関わりがあると知れば、うるさく言う者もございましょう。
それゆえ、あえて訪問は差し控えさせていただきました。
なつかしい允くんを、ひと目見ることがかなったのも、嬉しい限りでございます。一日も早い平癒を願っております。 安』
おわり
2005年2月に書いたものでした。
御読了ありがとうございました。