※
花火が始まると、とたんに河原中から喝采が上がった。そして、人々が見上げるなか、どん、と花火が打ち上がる。
花火が上がるごとに、その提供者の名前がアナウンスされる。
たいがいが、成都でも有名な大店が提供者となっている。
ほかは、ここぞとばかりに豪族の名も挙がり、それぞれの財力を誇る競争の場ともなっていた。
銀輪は偉度のとなりに座って、無邪気に花火が上がるごとに歓声をあげている。
そして、花火も中盤に差し掛かってきたのだが…
『提供は法揚武将軍さま』
どーん
『次も提供は法揚武将軍さま』
ばーん
『またまた提供は法揚武将軍さま』
どどーん
『また今度も提供は法揚武将軍さま』
どばーん
だんだんウグイス嬢が面倒くさくなってきたのが、声の調子でわかる。
しまいには、彼女はこういった。
『あとの五発も提供は法揚武将軍さま。面倒なのでアナウンスは省きます』
いい根性しているな、と感心する偉度であったが、ふと、河原でぶうぶうと抗議の声をあげている男がいる。
やかましいな、と思ってみれば、それは、ほかならぬ、法正その人であった。
「きちんとアナウンスせい! わたしが提供したのだ! ちゃんとわたしの名を言え!」
いきりたつ法正を、暗闇のなか、共にやってきた家族が、懸命に押し留めている。
短冊に書かれた願い事といい、孔明に、花火を見ろ、としつこく勧めたことといい、なにやら悲しくなってきた。
ここにも孤独な男がひとり。
「きれいだねぇ」
と、法正の雄叫びをよそに、銀輪は黒目に花火を映して、うれしそうに呟いた。
「また来年も一緒に来ようよ。あー、でも、偉度っちに恋人や奥さんが出来たらだめだけど」
「そりゃないな。逆におまえに恋人なり、許婚者ができたらダメだな」
「そんなの、まだないよ。ていうか、もしいたとしても、関係ないよ。偉度っちは銀の友達なんだから、恋人が出来たから、友達は二の次なんて、銀はそういうことしないよ。だから、やっぱり、また一緒に来ようよ。短冊にもねぇ、ちゃんとそうやって書いたんだよ?」
まあな、と偉度は曖昧に答えたが、銀輪はそれで満足したようだ。
来年がもしあったとしたら、難関は、あの親父さんだろうな、と偉度は、夜空に咲く大輪の花を見て思った。
※
左将軍府に、ほとんど人が残っていなかったのは幸いだった。
もしいたら、何事かと集ってきて、かかなくていい恥をかいただろうから。
残っているのも、暑さに負けてうとうとしていたり、もはややる気もなく、仲間と話し込んでいたりする者たちばかりである。
嫌な予感は的中し、趙雲は屋根に梯子をかけると、制止する間もなく登って行き、孔明にも登ってくるように催促する。
だれだ、こんなに飲ませたヤツは、と胸のうちで悪態をつきつつ、屋根に上った趙雲が、無理に孔明に手を差し伸べてくるので、転がり落ちてくる前に、結局屋根にあがらねばならないハメになった。
屋根にあがれば、東の空に打ち上げられている花火が、真正面に見えた。
趙雲は、なにが得意なのか、珍しく、声をたてて笑っている。
この男、暗闇でよく見えないが、ほんとうは趙雲の格好をした、別の誰かではあるまいな、とさえ孔明は疑った。
が、やはり趙雲なのである。
「子龍、なにかあったのか」
「なにもない。理由がなくてはならぬか」
「そうだな。いつもならばなんとも思わぬが、今宵は理由を聞きたい。役割が逆だろう。わたしが花火を見ようと言うのであればわかるが、あなたがそう言い出すとは思わなかった」
「いや、ほんとうに理由はなにもないのだ。ただ、だれの誘いも断って、顔を見せないやつが一人いるので、どうしているのかと思ってきたら、仕事をしているではないか。だからだ」
「やはり変だな。めずらしく口が軽すぎる。罰杯といったな。なんの罰だ」
「さあ、わからぬ。花火が打ち上がる前から、どいつもこいつも出来上がっていたからな、俺なぞ、まだましなほうだぞ。いまごろまともに花火を見ている人間は、宮城にはおるまい」
行かなくてよかった、と思いつつ、孔明は趙雲の顔を覗きこむようにして、さらに尋ねる。
「罰って?」
「俺の顔ばかり見てなにが楽しい。花火を見ろ」
「はいはい、ああ、綺麗だ、感動した。で?」
孔明が引き下がらないと察したのか、趙雲は、軽くため息をつき、それから答えた。
「子を為していない親不孝を罰するのだと」
「ああ…やはり行かなくて正解だったな。それにしても趣味の悪い。だれが止める者はなかったのか?」
「俺が宮城に行ったときには、もうみな出来上がっていたのだ。まったく、暇な連中だよ。人の粗をさがして飲ませて楽しんでいるのだから、まあ、罪がないといえば罪が無いか」
「無理強いしているのだから、十分に罪だ。で、頃合をみて、ここへ?」
「うむ、主公は帰って良いとおっしゃったのだが、張飛や馬超らがしつこくてな、あまりにしつこいので、殴ってきた。いまごろ廊下で倒れている」
「……殺してないだろうな」
「たぶん大丈夫だ」
「たぶん? 朝が来るのが恐ろしいな」
「軍師」
「なんだ」
「眠い」
だったら、降りて家に帰れ、と言おうとする前に、肩にのしかかる力がある。
まさか、と思いきや、そのまさかで、趙雲は、孔明にもたれるようにして、眠りはじめている。
「起きろ、酔っ払い。こんなところで人を枕代わりにして寝るな!」
「眠いのは仕方なかろう」
「場所を選べ。ここがどこだと…子龍?」
もう返事はなく、酔っ払いはすっかり眠りの世界に入ってしまったようだ。
やれやれ、何を考えているのやら、と呆れつつ、孔明はしばらく、花火を眺めながら、趙雲の枕代わりをつとめていた。
いつも一緒にいるし、こちらは左将軍府を中心に動いているのでわからなかったが、やはり趙雲は、妻もいなければ妾もない、実力はあるのに位も財産も求めない、そのくせ、意見だけは、はっきりという、というので、武将たちから浮いた存在に見られているのだろう。
爪弾きにされるほどではないけれど、宴席などの賑やかな場に置いては、趙雲は腹を割って話しにくい相手になってしまっているのだ。
なにせ立場がよくわからない。
位は低いが、孔明に最も近いために、軍内での権限は妙にある。
というより、頼られているからこそであるが、趙雲より身分の高い将軍たちが、趙雲が目下なのか、それとも別の何かなのか、判じかねているのだ。
だからといって、子を為さない親不孝、などと見当違いの当てこすりで、揶揄する、というのはいただけないな、と孔明は思った。
ちょっとした措置を為すことも考えたが、しかし、当の本人が、主犯格を殴り倒してきたということだし、七夕の宴のことだと流すべきなのだろうが…
孔明は夜空を見上げた。
せっかくの晴天も、花火の光と煙によってかき消され、見えないでいるのが皮肉なものである。
趙雲は一言も言わなかったが、やはり辛いにはちがいない。
ほかの武人たちにくらべ、左将軍府事たる孔明に近すぎるのが原因なのだ。
わたしの所為かな、と思えば、孔明も趙雲のいうとおり、おとなしくここで付き合うしかない。
思わぬ花火見物となったが……
「待てよ?」
孔明は、ふと我に返る。
この酔っ払い、いつになったら目を覚ますのだろう。
もし、朝まで目を覚まさなかったら、わたしはどうなる。
いま、すこしでも乱暴に動けば、前後不覚となっているこの主騎は、ごろごろと屋根を転がり落ち、下手をすれば骨折。
となれば、ずっとここで我慢しているしかない、でもって、寝てしまったら、自分も転げ落ちる不安があるので、眠ることすら出来ない、ということではないか?
「子龍、起きよ、子龍!」
しかし、花火の光に一瞬だけ映えたその寝顔は、深い安らかな眠りに入ったことを示しており、孔明が頬を叩こうが、抓ろうが、まったく効果はなかった。
だれか助けを呼ぼう。
そして孔明は、だれかあれ、と声を上げるのだが、これまた花火の音にかき消されて声が届かない。
どころか、下では、どやどやと、人が帰っていく気配がある。
宿直の衛兵が気づかないだろうか。
そうだ、不審な梯子で気づくはずだ………と、信じたい。
孔明は身体を強ばらせつつ、助けが来るのをひたすら待った。
※
花火大会も、最後の大ナイアガラで幕を閉じ、集った人々は、拍手喝さいでこれを讃え、笑顔のうちに帰路についた。
偉度も、銀輪を連れて帰宅しようとしたそのとき、ウグイス嬢のアナウンスがふたたび入った。
『迷子のおしらせをいたします。迷子のおしらせをいたします。陳銀輪さん、お父様が迷子です。至急、総合案内所までいらしてください。くりかえします…』
「パパの馬鹿!」
「何をやっているのだ、あの人は…」
アナウンスを聞いた人々は、だせー、親父が迷子だってよー、と笑っている。
その失笑のなか、隠れるようにして、偉度と銀輪は、総合案内所へ陳到を迎えに行くはめになった。
その後、一ヶ月ほど、陳到は銀輪に口を利いてもらえなかったそうである。
※
一方、おなじく一ヶ月ほど、やたら刺々しい孔明と、ひたすら低姿勢の趙雲の姿が見られたが、これは原因がわからないため、人々は、すわ、政変か、と構えたほどであったという。
こうして七夕は終わった。
おわり
※どうやって孔明は屋根の上から助けだされたのか?
説1・養父の帰らないのを心配した喬が、董和と一緒に左将軍府に来て発見した。
説2・売れ残りの牛串を差し入れにやってきた文偉と休昭に発見された。
説3・趙雲に泣きつきにやってきた陳到によって発見された。
説4・朝までそのままだった。
説5・そのほか
お好きなものをお採りいただければと思います。
御読了ありがとうございました!
(サイト「はさみの世界」 初掲載年月日・2005/08)