はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

赤壁に龍は踊る・改 三章 その12 龐統と鶉火

2025年01月25日 10時11分21秒 | 赤壁に龍は踊る・改 三章
周瑜は、しばらく龐統がもうそこにいないかのように、物思いにふけっていたが、やがて顔を上げた。
「士元、あらめて確認したいのだが」
「なんなりと」
「孔明が何をするにせよ、わたしのやることは変わらぬな?」
「そうですとも、曹操を討つ。それだけです」
龐統が力を籠めると、そうだな、と周瑜はうなずいた。
「どうもわたしは孔明に気を取られすぎているな。
わたしの第一の敵は曹操だ。それを誤ってはならぬ」
周瑜は、自分に言い聞かせるようにして言った。


ときどき周瑜は、龐統を壁のように使って、おのれの考えをたしかめようとするときがある。
いまがまさにそれだった。
壁にされても、龐統はいやな気はしない。
なんだかんだと、周瑜が自分を信頼しているということが、わかっているからである。
ただ、本音を言えば、信頼しているなら、もっと引き上げてほしいとは思っているのだが。


龐統と話をしたことで、周瑜も落ち着いたのか、愁眉《しゅうび》をひらいた。
「おかげで気が晴れた、礼を言う」
「なんの、わたしは何もしておりませぬ」
「いや、貴殿がいるおかげで、わたしも頭がまとまる。助かるぞ」
そのあとは、曹操軍の今後の出方や、曹操が負けた場合の戦後処理について、逆に、曹操が荊州から出て行かなかった場合の戦略など、さまざまに語り合った。
周瑜は、龐統のことばに、じっくりと耳を傾けてくれる。
こういう、ふところの深いところが、周瑜の魅力であり、龐統の好きなところであった。





周瑜のもとを辞去すると、少年兵の鶉火《じゅんか》が、待ってましたとばかりに駆け寄って来た。
どうやら、龐統が執務室から出てくるのをずっと待っていたらしい。
走るたびに、その頭頂で一本に結んだ黒髪が揺れる。


仔馬のような鶉火の姿を見るたび、わしが早くに結婚していたら、これくらいの子がいたかな、と龐統は思う。
鶉火自身は、冷静沈着な従者たらんとつとめていが、じつのところまだまだ子供で、感情が表情にでるのをうまく調整できないでいる。
このときもそうで、これから自分が語る言葉を龐統はどう受け止めてくれるかという期待でいっぱいの、笑みがこぼれだしそうな顔をしていた。
なにか良い知らせがあるのだろう。


陸口城内《りくこうじょうない》はいつでも人の動きが激しい。
少年兵の鶉火と、ずんぐりむっくりの中年男の龐統の組み合わせを不思議に思って振り返る者はいない。
鶉火は、いったんかしこまると、誰にも聞こえぬよう、素早く報告してきた。
「都督の命令で、波止場に蒙衝《もうしょう》が何艘も用意されているそうです」
「うむ、都督から、用意しているとは聞いている。ほかには?」
「一部隊が借り出されて、藁《わら》でなにやら作っているようです」
「ふむ、なんであろう」
「孔明のことですから、筵《むしろ》かなにかではないでしょうか」


孔明が仕える劉備が若いころ、筵を織って生計を立てていたというのは有名な話である。
それを連想して、鶉火はそんなことを言ったのだろう。
龐統は思わず笑った。


「筵をどうするというのだ。まさか、そこに降伏と書いて、曹操の元へ飛び込むつもりなのか」
それを聞いて、鶉火は真剣な顔をしてたずねてくる。
「ありうるでしょうか」
「さて……孔明は徐州でかなり悲惨なものを見聞きしてきたと言っていたな。
その孔明が、当の虐殺者である曹操に降るとは思えぬが」


周瑜もまた、孔明が徐州の出身だから曹操へ降ったりはしなかろうと、否定していたが。
『だが、万が一ということは、あるのではないか?』
そのとき、龐統の脳裏には、荊州の田舎で曹操を避けている妻や、かわいい弟たちの顔が浮かんでいた。
さぞかし不便な暮らしをしているだろう。
かれらを早く揚州に呼び寄せられるように、一日も早く、ここでしっかりとした地位を固めておきたい。
『矢が用意できない孔明が、曹操に降らんとするその直前に、都督のため、捕えることが出来たら』
周瑜はおおいに喜ぶだろう。
いままで、荊州の情報を教えることくらいでしか役に立てていない。
逃亡しようとする孔明を捕えられたら、周瑜はますます自分を重宝するようになるはずだ。


ちらっと、となりにいる鶉火を見る。
鶉火は、龐統の顔つきを見て、なにか命令があるのだとわかったのだろう、さらに目を輝かせた。
「士元さま、なんなりとお申し付けください。きっとお役に立って見せます」
ほんとうに、この子には隠し事はできぬな、と思いつつ、龐統は言った。
「今宵、陸口を出航する船に、おまえも乗り込め。
もし孔明が曹操のもとへ降るようなら、子敬(魯粛)どのを人質に取らんとするであろう。
おまえはそれを阻止するのだ」
「それだけでよろしいのですか?」


言外に、斬らなくてよいのか、と尋ねてくる。
そのとき、龐統は鶉火の中にある孔明への過剰な攻撃性に気づいた。
気づいたものの、ほかに的確に命令を聞いてくれる者がいないので、鶉火に託すことにした。


「それだけでよい。くれぐれも無理はするなよ」
とだけ言い添えた。
それをどう受け止めたか、鶉火は、元気に、はい、と応じて、龐統の前から去っていく。


その小さな背中を見送る龐統の目には、鶉火の姿より、妻や、幼い子どもたち、そして自分を頼ってくれている兄弟や一族のことばかりが映っていた。
そのため、鶉火が思いがけない行動をとるということを、龐統は想像もしなかった。


三章終わり
四章につづく


赤壁に龍は踊る・改 三章 その11 周瑜のいらだち

2025年01月24日 10時11分00秒 | 赤壁に龍は踊る・改 三章



翌日、周瑜はめずらしく苛立ちを隠さない様子で、|陸口城《りくこうじょう》のおのれの執務室にいた。
呼び出された龐統は直感で、これは孔明がらみだなと気づく。
このところ、周瑜を苛立たせるものは、曹操ではなく孔明である。
それが良いのか悪いのか、といえば、悪いといえるだろう。
緒戦に勝ちすぎたせいで、周瑜は曹操よりも目先の孔明が気になってしまっているのだ。
『気持ちはわかるが』
孔明(はなはだ明るい)とはよく言ったもので、孔明はなにかと目立つのだ。
誰に対しても圧倒的な存在感を見せる周瑜からしても、孔明は目障りなのだろう。
あるいは、なにか第六感のようなもので、将来的に孔明が邪魔になるかもしれないと考えているのか。
『それはわしの考えすぎかな』
とはいえ、仮に周瑜率いる水軍がほぼ単独で曹操に勝った場合、荊州をめぐる戦いが劉備軍とのあいだに起こるのは目に見えている。
孔明の手腕は、孫権との同盟を勝ち得たことや、荊州人士のこころをいち早く掴んでいることなどから、すでに明らか。
孔明を放置しておいて、自分に得はないと思っているのかもしれない。
それが証拠に、周瑜の手前にある文机のうえには、孔明の手紙が乗っている。
龐統もよく見覚えのある、孔明の柔和な風貌に似合わぬ、勇壮な、跳ねる龍のような文字だ。


「孔明どのが、十日どころか、三日で矢を用意すると言ってきた」
と、周瑜は言う。
周瑜はおのれの感情を隠そうとしているが、みごとに失敗して、眉間にしわが寄っていた。
龐統もまた、孔明の大胆さにおどろいていた。
「十日を三日に短縮するとは、命知らずですな」
龐統が感想をそのまま述べると、周瑜は龐統が孔明であるかのように、とげのある目線を寄越してくる。
「もし三日以内に矢を用意できなかったら、命を取られても文句はないとまで言ってきている」


ああ、それが苛立ちのタネか、と龐統は合点した。
孔明は周瑜の思惑を正確につかんでいる。
そのうえで、あえて余裕をみせて、周瑜をからかいさえしているのだ。
仮に孔明が三万本の矢を用意できなくても、周瑜は孔明を殺したりはしなかったろうと、龐統は推理している。
孔明は劉備の大事な軍師なのだ。
劉備を怒らせ、下手に刺激すれば、曹操どころか、劉備すら陸口を襲ってきかねない。
そんな失策をする周瑜ではないが、しかし、人質にするために孔明らを捕えるくらいはしたはずだ。
そして、そんな周瑜の心の内を、孔明は知っているのか、知らないのか……


「士元、貴殿は孔明の親戚だろう。なにゆえ孔明が三日で矢を用意できると言い出したか、予想がつくか?」
「逃げようとしているのでは?」
「劉備の元へか」
「いえ、曹操のもとへ」
「それはなかろう、かれは徐州の人間だぞ」
「徐州の人間でも、窮鳥《きゅうちょう》のたとえではありませぬが、追い詰められれば、猟師の胸に飛び込むでしょう」
周瑜は、龐統のことばを吟味して、それから首を振った。
「あり得ぬとは思うが、しかし、注意したほうがよかろうな」
推論を否定されてしまった。
周瑜は独り言をつぶやくように、つづける。
「孔明を子敬(魯粛)に見張らせるか……かれが逆に人質にされぬよう、兵士もつけたほうがいいだろうな」


それを聞いて、龐統はだんだん不安になって来た。
周瑜が、孔明を呼び捨てにしはじめたのもそうだし、孔明の存在に捕らわれ過ぎつつあるのも、気にかかった。
『孔明はたしかに目立つやつだし、いまのところ上手く立ち回ってはいるが、けっきょく敗軍の家来にすぎぬ。
ともかく対岸の大敵を気にしていればよいものを、都督は、なにゆえこうも孔明を気にしておられるのだろうか』
孔明が気に入らないという感情自体は、龐統にも理解できる。
だが、過度に気にする理由が、いまひとつわからない。


つづく


赤壁に龍は踊る・改 三章 その10 毬栗

2025年01月23日 10時10分33秒 | 赤壁に龍は踊る・改 三章
あたりはすっかり日が落ちて、韓福《かんぷく》とおかみさんがつけてくれた蝋燭《ろうそく》だけが頼りだ。
そのせいか、趙雲は落ちていた毬栗《いがぐり》を思い切り踏んづけた。
「痛いっ! まだこんなものが落ちていたのかっ」
悪態をついて、趙雲が毬栗を蹴飛ばす。
だが、毬栗は意地悪なことに、趙雲の草履《ぞうり》に深く刺さり、なかなか飛ばなかった。


普段ではめったに見られない、滑稽な趙雲の様子に、孔明は声を立てて笑う。
「笑っていないで、この毬栗をとる手伝いをしてくれ」
趙雲が軽く睨んできたので、孔明は部屋から出て、草履についた毬栗を抜いてやった。
「あなたがこんなに遅くに帰ってくるとわかっていたら、毬栗は片づけておいたのだけれどねえ」
そう言いつつ、笑いながら、毬栗を手に取る。


その刺々《とげとげ》しい毬栗を韓福にたのんで、捨ててもらおうとしたとき、おかみさんがやってきて、ちょうど晩御飯の支度ができましたとやってきた。
「いいところに帰っていらっしゃいましたね。今晩は魚を煮ましたよ」
「魚か。それはありがたい。軍師、おれは長江の魚を食べるのは初めてだ」
「いままで肉がほとんどだったからね。美味しい肉だったけれど」
孔明が応じると、おかみさんが申し訳なさそうに言った。
「このところ、市場でも魚があまり出ないんですよ。
日中は戦がありますでしょう? 代わりに夜に出かけるにしても、川霧が出ますから危ないそうですし」
「ああ、この季節は、川の霧がすごいからね。
わたしも叔父上と夜釣りに出かけようとして、家来から止められたことがあるよ」
そう答えつつ、孔明はなつかしい叔父の諸葛玄との思い出を晩御飯のときに趙雲に教えようと考えた。


『川霧か』
長江に立ち込める川霧。
そのとき、孔明の脳裏に、まだ見ぬ対岸の烏林《うりん》の要塞が浮かんだ。
急ごしらえで作っているというその要塞の姿が、霧の向こうで呼びかけているような感覚がある。
こっちへ来てみろ、覚悟をみせてみろ、と。


『矢が用意できないくらいで、曹操ではなく周都督の手にかかるのか?』


あらためて、冗談ではないと思った。
この危機をなんとかしのぐ手立てを……そう思った時、手にした毬栗のとげが、孔明の手のひらの皮膚をいじめる。
これは確かに、刺さったら痛いな、と思った時である。


霧の向こうの曹操の巨大な要塞。
手にしている毬栗。
それらを見て、突如として電光のようにひらめいたことがあった。
『そうか……!』
「どうした?」
目を見開いたまま、動かなくなった孔明を心配した趙雲がうながしてくるが、孔明は動かず、空を見つめる。
誰にも見えないところで、凄まじい早さで新たな作戦が組みあがりつつあった。
『出来るか? いや、仮に出来る可能性が低くても、やらねばならない。
どちらにしろ、なにもしなければ死ぬのを待つだけになるのだ』


孔明は、はっ、と息を吐くと、心配そうに自分の反応をじっと待っている趙雲と、おかみさんに微笑みかけた。
「すまない、大丈夫だ」
「ほんとうか?」
「ほんとうだとも。さて、晩御飯だな。せっかくの煮魚が冷めないうちにいただこう。
それとおかみさん、申し訳ないのですが、だれかに使いを頼めませぬか。
朝一番に、周都督のところへ行ってほしいのです」
「わかりましたわ。言伝《ことづて》をすればよろしいのですか?」
「いや、あとで手紙を書くから、それを渡してほしいのです」
おかみさんは、なにかしら、という浮かない顔をしつつも、分かりましたと答えた。


「軍師、手紙の内容はなんだ? まさか、矢は調達できませんと泣きつくのでは?」
趙雲の問いに、孔明はからから笑って、それから答えた。
「そう気弱になるものじゃない、わたしは天才軍師なのだ。こんな苦境、軽々と超えて見せる」
「さっきとだいぶ違うが」
「意地悪を言うな。あなたの喉に、魚の骨がひっかかっては気の毒だから、後で教えてあげるよ」
「それこそ、いま聞かないと、食事が喉に通らん」
「では言うが、都督には、三日で矢を用意すると伝えるのだ」
趙雲は、これでもか、というくらいに目をまん丸にした。
「何を言い出した? 正気か?」
「すこぶる正気だ」
「わざわざ期限を短くする意味は?」
「まだ秘密だ。明日の夜までに都督に頼んで、ありったけの船を用意してもらおう。
そうさな、なるべく船室がしっかり作ってある、蒙衝《もうしょう》がいいだろう」
「船をどうする? 逃げるのか?」
「逃げるものか。まあ、すべてはあとで教えてあげるよ。それまで楽しみにしていてくれ。
ほら、そんな顔をするものじゃない、煮魚をいただきに行こうよ」
ほがらかに言う孔明に、趙雲はキツネにつままれたような顔をして首をひねっていた。


つづく


赤壁に龍は踊る・改 三章 その9 しょげる趙雲

2025年01月22日 10時15分04秒 | 赤壁に龍は踊る・改 三章



夕暮れになって、ひときわ寒い風が部屋に入り込んでくるようになった。
火鉢を用意しますと韓福《かんぷく》が言ってきたのと同時に、趙雲が外から戻って来た。
険しい表情をして、うつむき加減である。
そこからして、何も言われなくても、答えはわかった。
やはり、鍛冶屋という鍛冶屋から、三万本の矢の鏃《やじり》を作ることは不可能だと断られたのだろう。


趙雲は、孔明を見るなり、庭にぺたりと座ると、土下座でもしかねない調子で、
「すまぬ、だめであった」
と、言った。
その声が、いつもの張りのある声ではなく、かすれている。
「子龍、もしかして、鍛冶屋とやり合ったのか」
孔明の指摘に、趙雲は気まずそうにして、うなずいた。
「あいつら、三万本の矢の分の鏃なんぞ、十日で用意できるものではないし、だいたい金はあるのかと言ってきてな。
あとで払うと説明しても耳を貸さぬ。
そのうえ、だんだんこちらの足元を見て、十日で出来もせぬのに法外な料金を払えと言ってきたから、こちらもつい熱くなって」
「まさか」
「いや、手は出しておらん。怒鳴り合いになっただけだ」
「そうか……主騎があなたでよかったな。これが益徳(張飛)どのだったら、陸口《りくこう》じゅうの鍛冶屋は殺されてる」
孔明は冗談を言ってみたが、趙雲は上の空で、そうかもな、とつぶやくだけだった。
かなり落ち込んでいるらしい。


「あなたが責任を感じることはない。周都督と約束をしてしまったのは、わたしのほうなのだ」
「しかし、あの場で周都督の部下に言いくるめられて、程都督のところへ行っていなければ、また展開はちがっていたかもしれぬ」
「いいや、あなたがついてくれていても、あの物々しい状況では、何も変わらなかっただろうよ。
もしあそこで、十日では無理だと断っていたなら、われらは捕えられていたかもしれぬ」
「何の罪も犯していないのにか」
「われらが荊州人士と手紙のやり取りをしていることを、都督は気づいたのかもしれないな。
いや、気づいていなかったとしても、都督にとって、われらがこの世に存在すること自体が、もう罪なのかもしれない。
都督も、孫家の天下統一のため、どうしても荊州が欲しいのだろう」
「孫家に、天下を取る大義名分はないぞ」
「なくてもさ。曹操のように、帝を傀儡にして天下に号令をかけるという手もあるわけだし。
あるいは、ほかになにか妙案でもあるのだろう。
さあ、そんな地べたに座り込んでいないで、早く部屋に入るといい。風も冷たくなってきたよ」
孔明が誘うと、趙雲は、まだ申し訳なさそうにしていたが、立ち上がった。


つづく


赤壁に龍は踊る・改 三章 その8 逡巡

2025年01月21日 10時10分30秒 | 赤壁に龍は踊る・改 三章



孔明は、とぼとぼと仮家に戻って来た。
だが、趙雲のほうは張り切っていて、
「おまえはここにいろ。おれは陸口《りくこう》じゅうの鍛冶屋を回ってみる」
と言い出す。
まちがいなく、鍛冶屋にも周瑜の手が回っているだろうと孔明は思ったし、聡い趙雲がそれに気づかぬはずがない。
しかし、趙雲は青い顔をしたままの孔明を励ますように、
「ダメでもともとだ。なにか突破口が開けるかもしれぬ。
おまえはここにいて、何か良い手がないか、考えていてくれ」
と力強く言って、そのまま仮家を飛び出していった。


趙雲としても、自分が目を離したすきに孔明が罠にかけられたことについて、責任を感じているのかもしれない。
そう思うと、孔明としても申し訳なく思う。
つくづく、もうすこし上手く立ち回れなかっただろうかと思うのだ。
『あれほどの数の武将を前に、怖じたか、亮よ?』
自分に尋ねてみるが、むなしくなってきたので、すぐにやめた。
ともかく、十日のあいだに、何か良い手を見つけなければならない。
そうでなければ、首と胴が泣き別れだ。
孔明は自然と首筋をさすっていた。
死ぬかもしれないということを、いままで考えたことがなかった。
曹操が来襲してきたあとも、力強い仲間たちがいっしょだったから、絶対に何とかなると思っていたからだ。
だが、いまはちがう。
『子龍だけでも陸口から脱出させよう。子敬(魯粛)どのがうまく手配してくれぬだろうか』
仮家の、あてがわれた部屋のなかで、ひとり壁に背をあずけて庭を見やる。
厨房のほうから、韓福とおかみさんの会話が聞こえてきた。
「なんだ、今日の魚はあまり活きがよくないな」
「仕方ありませんよ、河のほとりには兵隊さんがうろうろしているので、みんな怖がって漁をしたがらないのですもの。
夜明け前に出かけようとしても、霧が多くて、危ないのですって。
これでも、まだいいほうの魚をもらって来たのよ」
「困ったものだ、早く戦が終わらないかな」
「まだ始まったばかりじゃないの」
「そうだったなあ、今日は勝ったと聞いたが、うちの客人の顔色は冴えないのはなぜなんだろう……」
心配をかけてしまっているようだ。


孔明は苦笑し、またなんとかしなければと、頭を働かせようとするが、うまくいかない。
ぼんやりと見える先には、立派な松の木と、黄土色に変色している栗の木がある。
その下を、スズメたちが可愛らしく集まって、地面を突いている。
虫を食べているのだろう。
そこへ、熟れた毬栗《いがぐり》が、ぼとんとスズメたちのところへ落ちてくる。
だが、スズメたちはそれを器用に避けて虫を取っていた。
スズメでさえ危険を避けるのに、自分ときたら!
栗のおこわを食べて喜んでいた、あの夜に戻りたいとすら思う。
胡済《こさい》といっしょに、陸口を離れるべきだったか?
『いや、それではやはり同盟が破綻する。けっきょく、この道しかなかった』
さらに思うのは、周瑜が今日の戦で負けるか、五分の勝負で引き揚げていたら、やはり強気に出てこられなかっただろう、ということだ。
周瑜としても、同盟者である劉備軍を無視できなくなったはずで、孔明に対し、無茶な要求もしてこなかっただろう。
『周都督は、自分たちだけで勝てると確信している。
戦後のことまで見込んで、厄介ごとをひとつでも減らしたい思いなのだろう』


スズメがぱっと飛び立っていった。
何処へ向かって行くのやら、自分たちにも翼が生えないかしらん、と愚にも付かない想像をはたらかせ、途中でやめる。
想像に逃げているわけにはいかない。
『なんとかしなければ』
孔明は深く思考に入る。
劉備に助けを求める、周瑜をうまくだます、孫権を動かす……どれも『十日』という期限を守れない。
どうしたらいいのか。


つづく


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