はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

臥龍的陣 番外編 しゃれこうべの辻 その14

2023年04月29日 10時04分17秒 | 臥龍的陣番外編 しゃれこうべの辻



梅がほころぶ美しい道を、しずしずと、雲を載せた車は移動する。
やわらかい風に、芽吹いたばかりの木々が揺れている。
耕されたばかりの畑からは、土の香りが立ちのぼっていた。
あらたな道へ入っていくというのに、心はすこしもときめかず、未来への夢も希望も、なにも思い浮かぶことはなかった。
行く手に待ち受けるものの、だいたいの予想がついているからであろう。


車が進み、袁家がそろそろ見えてくるというとき、遠くから、おおい、おおいと、声をかけてくるものがある。
車から身を乗り出して見ると、奇妙にちぐはぐな武具を身にまとった、幼馴染たちだった。
先頭には、一番の仲良しである夏侯蘭がいる。
彼らは駆けてくると、ゆっくりと進む車に近づいて、乗り込んでいる雲に顔を見せた。
「よかった、追いついた。おまえに」
夏侯蘭が言うと、別の車に乗っていた長兄が、すかさず、ぎろりと睨んだので、夏侯蘭は恐縮して、言い直した。
「若旦那にはいろいろお世話になったので、最後にちゃんとお別れをせねばと、みなで相談してやってきたのだ。
俺たちは、義勇軍に参加する」


雲はおどろいた。
かれらこそ、自分以上に、この土地に縛られている人間だろうと思っていたのである。
ところが、かれらは顔をきらきらと輝かせ、言うのだ。
「義勇軍で武功をたてれば、報酬は思いのままという。
せっかく男子に生まれてきたのだ。
この腕ひとつで、天下に名乗りを上げてみたい。
若旦那に稽古をつけてもらったおかげで、十分に自信がある。
常山真定に帰ってくるときは、将軍様にだってなっているかもしれぬ、なあ、そうだろう、みんな」
そういって、幼なじみたちは顔をあわせて笑った。
「いま、屯所で義勇兵の受付をしているのだ。
俺たちはこれから受付に行ってくる。道はちがってしまうが、達者でな、若旦那。
たまに俺たちのことを思い出したら、無事を祈ってくれよ」


じゃあな、といって明るく手を振るかれらのひとりに、雲は目を奪われた。
その腰に、粗末な身なりに似合わぬ帯飾りがついている。
波飛沫に跳ねる、向き合う二対の魚の意匠の帯飾りだ。
雲はおもわず呼び止めて、その帯飾りはどうしたのかと問うた。
「ああ、これか? うちの親父が、このあいだ辻に埋めたやつの持っていたものをひろったのさ。
死人の持ち物だが、戦場で困ったときに、役立つかもしれぬと、親父がくれたのだ」
そう言って、いいだろう、でもやらぬぞ、などと言って、仲間は歯を見せて、無邪気に笑う。


お前がどちらかを選べば、選ばれなかったほうとは、訣別することになるだろう。
長兄のこと、母のこと、これから妻になるはずだった袁家の娘のこと。
それぞれが、めまぐるしい速さで頭をよぎった。
だが、それも一瞬。


訣別することになってしまっても、かまわぬ、泣き言は言わぬ。


雲は車から飛び降りると、村の屯所へ目指して駆け出した。
長兄の、
「待てっ、どこへ行くつもりだ!」
という声が聞こえたが、もう振り返るつもりはなかった。
高価な重ね着を途中の地べたに投げ捨てて、雲はひたすら屯所を目指した。


村の屯所につくと、大勢の男たちがあつまっていた。
それをかき分けるようにして、息を切らせてやってきた、場違いなほどに身なりのよい少年に、役人だけではなく、その場に集まった村の男たちも、目を白黒させている。


視線を一身にあつめながらも、気にする素振りも見せず、雲は役人に、義勇軍に参加したいと告げた。
その迫力に気圧されたのか、世慣れたふうの、あごひげの立派な役人は言った。
「よい心がけだが、しかし、たしか、おまえさんは趙家の末子だろう。
袁家の婿になる身じゃなかったかね?」
その話は蹴る、と答える代わりに、雲は首を振った。
あの道は選ばない。


役人は、おのれの黒いあごひげを撫ぜつつ、もう片方の手で、器用に筆をうごかしながら、雲にたずねた。
「なにもここに名を載せたところで、かならず参加せねばならぬ、というものでもなし。
おまえさん、たしかこんど、袁家の旦那からあざなをもらうはずだと聞いていたが、もう貰ったか?」
それは、正式に婚姻する直前に、その場でもらうはずのあざなであった。
だが、婚姻を蹴って屯所に来てしまったので、当然、あざなはない。


だが。


「子龍だ。俺の名は趙子龍」
「趙、子龍か。ほう、字面もいいし、響きもわるくない。よいあざなをもらったな」
「兄にもらったのだ」
役人は、関心なさそうに、そうか、とだけ言った。







そののち、趙雲は戦場へおもむき、先に義勇軍に参加したはずの次兄の姿を捜しつづけた。
だが、見つけることはおろか、噂を聞くこともできなかった。
あのしゃれこうべの主が次兄だったのか、それとも、しゃれこうべの主が、次兄とおなじ帯飾りを持っていたのか、もはや確かめようがない。


わかっていることは、趙敬という人物が存在したということ。
その人物にあざなをもらったこと。
そして未来に、希望を与えてもらったことだけである。


もし次兄がどこかで生きているならば、自分があざなを授けた末弟の活躍を聞いて、きっと満足しているにちがいない。
次兄の言った、まばゆい光をめざし、趙雲は歩きつづける。



※ あとがき ※

このお話は、個人サイトを運営時に、リクエストとしてお題をいただいた「趙雲の少年時代」のお話です。
趙雲は没年はわかっても生年がわからない人物なのですが、柴錬三国志での美少年ぶりがとても気に入っているので、年齢をあわせてみました。
ただし、あちらがさわやかな美少年だったのに対し、こちらはしゃれこうべが友だちという不思議少年。
闇の中から明かりのついた屋内を俯瞰する、というシーンを最初に思いついたのですが、お兄さんの正体にナゾをつけるつもりはありませんでした。
趙雲が、ラストにならないと喋らないのも、物語全体に静かな印象を与えたかったからです。うまく表現できたかは…どうでしょうね。
趙雲はわりと書きやすいので、とても楽しめて書くことができました。当時リクエストしてくださった方、どうもありがとうございました!(^^ゞ
そして長いお話を読んでくださったみなさま、どうもありがとうございました(*^▽^*)


臥龍的陣 番外編 しゃれこうべの辻 その13

2023年04月28日 10時02分36秒 | 臥龍的陣番外編 しゃれこうべの辻



翌朝には、もう屋敷に次兄の姿はなかった。
湿っぽいのを嫌って出て行ったのだと誰かが言ったが、それに反論を加える者はいなかった。
おそらく、そのとおりなのだろう。


それから日数が経ち。
袁家の婿取りの話しは、やはり雲に白羽の矢が立った。
長兄の後押しもあり、話は戸惑うくらいに、とんとん拍子に進んだ。
一度もまともに言葉を交わしたことのない花嫁のための贈り物がそろえられ、袁家からは、身を飾る、腕輪や指輪、婚約を祝う衣などが送られた。


長兄以外の兄弟たちは、雲の幸運をねたんで、あれこれと嫌がらせをしてきた。
だが、縁談がどんどん具体的になるにつれ、未来の袁家の若旦那を怒らせたらまずいとわかってきたようだ。
次第にみな、大人しくなっていった。
力を得るということの意味を、雲は、このことによりあらためて実感した。


次兄のことで心を痛めたためか、第一夫人は寝込むことが多くなり、それからすっかり毒気が抜けたようになった。
惚けたようになってしまった夫人のよき話し相手になったのが、雲の母であった。
義理堅く、情に厚い母は、第一夫人に、生涯、友として、妹として、連れそうつもりなのだ。
息子の縁談も決まったから、あとは自分の思うようにささやかに生きようと決めたのだろう。


雪が融けて、春をむかえようとしつつあるなかで、屋敷にはりつめていた空気はだいぶ和らぎ、家族のなかに諍いが減った。
雲は、あいかわらず、日々を鍛錬と修練で過ごした。
それを見守るのは、拾ってきたしゃれこうべだけ。
次兄のことは、だれも、なにも口にしなくなった。
まるで最初から、存在しなかったかのように。







春になり、祝言の正式な日取りが決まった。
雲の将来は決まったも同然である。
次兄の占いがほんとうならば、ささやかな幸福に支えられる日々が、待っているのだ。
袁家の娘とは、あいかわらず顔をあわせることがなかったが、細やかな心遣いのみえる手紙のやりとりはしていた。
不器量だ、という噂は聞いたが、手紙の内容から察するに、人柄の良い娘らしい。
妻にするには好ましい、慎ましい性質の娘であった。


「さあ、その気味の悪いものを置いていけ」
人夫たちが掘った穴を指して、長兄が言った。
だが、雲は意固地に、その命令を聞かなかった。
雲と一緒にいつも外気にさらされて、すっかり茶色に変色しているしゃれこうべは、ぽっかり開いた眼窩を周囲に向け、沈黙をつづけている。


「いいかげんにせよ、阿雲。みながおまえを待っているのだぞ。おまえはまだ、おのれの立場を自覚できていないようだな。
おまえはこの常山真定を代表する名家に婿として入るのだ。
いつまでも子供のように、そんなもので遊んでいてはならぬ」
長兄がせかすのもそのはず、雲も兄も、従者たちも礼装を身にまとい、豪奢な車に乗って、袁家に向かう途中なのだ。
長兄は、雲がいつまでもしゃれこうべを手放さないのに業を煮やし、人夫たちに、穴を掘らせて、そのなかにしゃれこうべを葬らせようとしている。


行き倒れの者の遺体を辻に葬るのは、古来からの風習である。
葬られた者は、集落を外界から守る霊になる、と信じられてきた。


聞けば、雲がひろってきた、この行き倒れのしゃれこうべの主は、この辻に埋められたらしいという。
しゃれこうべの主が何者だったのかは、いまもってわかっていない。
帯飾りが立派だったので、ただの旅人ではなかっただろう、と集落の者たちは言っていた。
とはいえ、遺体についていた帯飾りも、だれかが取ってしまったらしく、いつのまにかなくなっていたそうだ。


その気の毒な旅人の頭部こそ、もともとの主にかえしてやるのが妥当だろうというのが、長兄の言い分である。
がみがみと急かす長兄の言葉を、右から左にやりすごし、雲は、ここ半年、片時もそばから離さなかったしゃれこうべを見つめた。
しゃれこうべも自分を見ているような気がした。
そうして、もう別れのときが来たのだと、逆に雲を説得しているように思えた。
想像したその声は、不思議と次兄の敬の声になった。


雲はしゃれこうべを手放すと、掘られた穴に置いた。
そうして、すかさず人夫たちが土をかけていくのを、その頭骨がすっかり見えなくなるまで、だまって見つめていた。

つづく

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さて、そろそろこの番外編「しゃれこうべの辻」も終わろうとしています。
つづきの話は、同じく番外編「空が高すぎる」です。
が、ちょっとGW中は、更新ができないかもしれないです。
明後日からお休みになるかもしれませんが、ご了承くださいませー。
そんなわけで(?)、今日もみなさま良い一日をお過ごしください('ω')ノ

臥龍的陣 番外編 しゃれこうべの辻 その12

2023年04月27日 09時58分49秒 | 臥龍的陣番外編 しゃれこうべの辻
「末っ子、もうひとつ、言っておかねばならぬことがある」
雲が怪訝そうな顔をすると、敬は親しげに、雲の頭を軽く叩いた。
「おまえだけには話しておこう。
じつは、わたしは今日、戻ってきたのではないのだ。
もっと以前に常山真定に戻ってきていたのだよ。
決まりがわるくて姿を出せなくてね。
でも姿を見せることができて、すっきりした。
顔を出そうと思ったのは、おまえが昔の自分に見えて仕方がなかったからさ。
ついでに、おもしろいことをしてやろう。
わたしは洛陽で、すこしばかり占術をかじってきたのだ。おまえの未来を占ってやろう」


占いなんて、ぞっとしない。
断ろうと思ったが、敬は雲の意思をまったく無視して、その顎をぐい、と掴むと、じっくりと、その顔をながめはじめた。
雲は思った。
自分が次兄に、未来のおのれの風貌を見ているように、次兄も自分に、かつての自分の姿を重ねているのだろうか。
だとしたら、いまの次兄の目に映る自分は、どんなふうなのだろう。


「おまえはいま、岐路に立っている。
一歩、どちらかに進んでしまえば、二度と戻ることはできないから、よく聞け。
おまえの目の前には、いま二つの道がある。
片方の行き先は、あそこだ」
敬は、土塁の前にひろがる、常山真定の街を指した。
「袁家の婿となって、幸福で平坦な道を行くこと。
この道を進めば、おまえはこの土地から離れることなく、一生を家族に囲まれて、退屈だが穏やかに過ごすことができる。
なに、不安がることはない。おまえが兄上のようになるとはかぎらぬ。
これはこれで、よい運勢だ」


雲はがっかりした。
やはり、一生ここなのか。


「まあ、待て。結論を出すのは早い。
道は二つあるのだと言っただろう。
ただ、もう一方は、恐怖と、危険に満ちた道だ。
報われることも少なく、涙を噛み殺して、前に進むような苦難の連続となるだろう。
冒険と戦いの毎日だ。わくわくするであろうが、死と直面する毎日でもある。
だが、この道の行く手は、まばゆい光に包まれている。
おまえのすべての労苦は、この光によって救われるだろう」


光、などと言われても、ぴんとこない。
なにを意味するものなのだろうか。


「どちらへ向かおうとも、寿命は同じ。
ただ、到達する幸福の種類がちがう。
日々のささやかな生活に幸福を見出すか、光によってもたらされる、魂の充足を願うか、どちらを選ぶかだ。
まあ、熟慮するのだな」


似たような面差しをしている人間から、ふたつの運命があると占われるのも奇妙だと、雲は思った。
とはいえ、敬がからかっている、というふうでもない。
どちらも寿命が同じというのならば、ささやかな幸福に支えられる道と、冒険と戦いの果てに、光が待つ道では、辛い思いをしなくてすむぶん、前者のほうがいいに決まっている。
だが…


「雲よ、おまえの出した答えを、わたしは聞かないでおく。
だが、これだけは覚えておくがいい。
お前がどちらかを選べば、選ばれなかったほうとは、決別することになるだろう。
そういう宿命なのだ。
おまえの持てる勇気、すべてを使って選べ。
そして、選ばれなかった者、捨てられた者の怨嗟に耳を傾けてはならぬ。
おまえの選んだ道の途中に、わたしがいるかどうかはわからぬから、二度と会えないかもしれないな」


それはさびしいな、と雲は思った。
はじめて、なんでも相談できそうな大人に出会えたのに、それが兄だというのに、もう別れの時がきたというのか。
敬は急に手を伸ばし、包み込むように、雲をぎゅっと抱きしめた。
旅慣れた兄の体からは、大地の土煙と、陽射しの匂いがした。


立ち去りぎわ、敬は言った。
「お前がもし、苦難の道を進む決心をしたのならば、僭越ではあるが、わたしがおまえにあざなを授けよう。
戦場に出たならば、『子龍』と名乗るといい。
なぜか、だと? 格好いいではないか。
わたしの字は叔斉などというつまらない字だが、『子龍』はよい。
雲と龍とでうまく意味もつながるし、おまえが鳥よりも高く飛ぶことのできる龍となって、はやく光にたどり着けるように、という願いもこめてある。
これはいま、思いついたのだが」
そう言って、敬は、わたしは、こじつけの天才なのだ、と声をたてて笑った。


自分によく似た面差しに浮かぶ笑みはひどく温かく、そしてどこか懐かしさを思わせるものであった。
「わたしの贈り物は、以上だ。さらばだ、末っ子、達者でな」
そう言って、次兄は来たときと同じように、飄々と去っていった。


雲は動くことができず、しばらく、闇に溶けていく、敬のうしろ姿を見送っていた。
おそらく、これが、次兄の姿を見ることができる、最後の機会だろう、という予感がした。


ふと、頬に冷たいものが触れて、見あげると、黒い雲のうねる空から、ちらほらと雪が舞い降りてきた。
本格的な冬がやってきたのだ。


つづく


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今日も今日とてGWの我が家的一大イベントの準備に大忙しです;
GWが終わったら、すこしは落ち着くかなあ…
そんなわけで、今日も一日張り切ってまいります。
みなさまも、よい一日をお過ごしくださいませ('ω')ノ

臥龍的陣 番外編 しゃれこうべの辻 その11

2023年04月26日 10時03分55秒 | 臥龍的陣番外編 しゃれこうべの辻
母はここで、一生を過ごす覚悟を決めているのだなと、その姿を見て、雲は思った。
母の幸福がなんなのか、それはよくわからない。
ただ、母の幸福に、あまり自分が関わっていないだろうことはわかった。


母の視野のほとんどを第一夫人が占めいている。
夫人もまた、雲の母を頼りにしているようだ。
その手を取って、しきりに切々と何かを訴えており、雲の母は我慢強く、それを聞いている。
ほかの夫人たちを向こうにまわし、母は母なりに、第一夫人と、奇妙な友情を育んでいるのだ。


「そのとなり」
言われるまま、雲が視線を移すと、そこでは義姉が、自分の姪にあたる赤子を、やさしくあやしている姿があった。
昼間は姑にいびられている兄嫁だが、夜は、こうして娘たちと、おだやかな時間をすごすことができる。
灯火のもと、ささやかな幸福をこころから味わっているようだ。
やはり兄嫁もまた、自分の幸福を娘たちのなかに見つけているのだろう。


「さらにもっと奥。いちばん奥の部屋だ、ほら」
父のいる母屋のすぐ隣の棟である。
ひときわ明かりを抑えた部屋に、だれかがいる。
雲は、もっとよく見ようと、引き込まれるようにして、その部屋に目を凝らした。
部屋にいるのは、長兄であった。
長兄がだれかと話をしている。
声までは聞こえないが、その醸し出す穏やかな雰囲気は、雲が長兄から、いままでに感じたことのない種類のものであった。


すると、窓に滑り込むようにして、女の背中があらわれた。
雲がおどろいたことには、その女は一糸もまとっていなかった。
美しくもなまめかしい体の線を、薄明かりににじませて、長兄に正面を向いている。
すべてを晒しているのだ。


父の妾だ。
裸女の正体がわかったとき、頭をいきなりぶん殴られたような錯覚をおぼえた。
妾は、帳の向こうに待つ長兄に、しなだれかかるようにする。
こちら側に背を向けているために、その表情はわからないが、二人がたがいに、心待ちにしていた逢瀬を楽しんでいることは、遠目からもあきらかであった。


不意に、目の前が真っ暗闇になった。
「はい、ここまでだ。十五歳未満は見てはならぬ。
つづきは、自分が女を相手にするときの、お楽しみにしておけ」
敬が雲の目に、手のひらで目隠しをしたのだ。
その腕を振りほどいて、ふたたび窓に目を遣ったときには、もう部屋の明かりは消え、二人の姿は夢幻のように闇に溶けていた。


雲は立ち上がった。
許せなかった。
勘気をこうむるのが嫌だと、おのれの妻を母親からのいびりからかばうこともなく、自分は、あろうことか父親の妾と通じているのだ。


「こらこら、待て。あの二人の関係を知ったのは、おそらくここでは、おまえがいちばん最後だ。
いま踏み込むと、えらいことになっているぞ」
みんなが知っている、という事実にも、雲は衝撃をおぼえた。
知っていながら、なぜ糾弾しないのか。
長兄の情事は、雲の道徳観から真っ向に反するものであったし、なにより兄嫁が気の毒だ、と思った。


「兄上を軽蔑するか?」
敬の問いに、雲は、大きくうなずいた。
当然ではないか。
敬はそれを見ると、嘆かわしい、というふうに首を振った。
「世間的な道徳に照らし合わせれば、兄上は、父の妾をぬすみ、情を通わせている。
これほど不忠はない。
だが、長兄の人生は、未来のおまえの姿かもしれぬぞ。
この息苦しい家で、まるでちくちくと、針で突き刺されつづけているかのような毎日を送らねばならぬ身の上を想像してみろ。
長兄は、わたしのように、逃げ出すこともできぬのだ。
それでもおまえは、兄上を糾弾するのか」


未来の自分の姿。


そういわれて、雲は、明かりの消えた、長兄のいた部屋を振り返った。
長兄と妾の関係が、たんなる遊戯なのか、それとも本気なのか、それはわからない。
ただ、敬が言ったとおりだと、どこかで納得してしまったようで、いつのまにか、激しい怒りが収まっている自分に気づいてしまった。


「どんな立派な一族にも、ひとつやふたつは、秘密がある。
それでも不思議と家というものは続いていくのさ。さまざまな秘密をかかえたまま、な。
家長になるということは、家という荷車の車輪になる、ということだ。
車輪が腐れば車は回らなくなる。突っ走ったら、荷が崩れ落ちてしまう。
みなと共に、地道にゆっくりと歩をすすめていかねばならない。
これはこれで大変な作業だ。兄上を尊敬するよ」


次兄は、長兄をゆるしているのだ。
そう思うと、雲のなかにまだあった、嘔吐感にも似た長兄への軽蔑の念も鎮まった。
たしかに、長兄の背負うものは大きい。
その大きさに耐えかねて、不義に走らざるを得なくなっているのかもしれない。
妾にしても、自分を愛していない老人の世話を見続けなければいけない立場だ。
どちらもひどく重苦しい日々を過ごしている。
そう思えば、ふたりは悲しい。
不義はゆるされぬ罪だが、糾弾するのは、末弟の自分ではなく、ほかの人間がすればいいではないか。


つづく

※ いつも当ブログに遊びに来てくださっているみなさま、ありがとうございます(^^♪
今日は急用でいますぐ出かけなくてはならず、これにて失礼いたしまーす。
ではでは、よい一日をお過ごしくださいねー('ω')ノ

臥龍的陣 番外編 しゃれこうべの辻 その10

2023年04月25日 09時58分07秒 | 臥龍的陣番外編 しゃれこうべの辻
「さて、ついでに、なぜ夜中に呼び出したかを教えてやろうか。
もちろん、おまえの縁談に関しての祝辞を述べるためさ。
おまえが祝言を挙げるころ、わたしは戦場にいるだろうからな。
おめでとう、末っ子。おまえの未来は約束されたようなものだ。
大手を振って、幸運に向かって歩いていくことができる。
わたしのように、遊学を理由に、この家から逃げなくて済むのだ」


逃げる、の言葉に雲はどきりとした。
この次兄は侮れない。


「わたしは逃げたのさ。父上がああなる以前から、この家は埃っぽい、退屈な家だった」
突然に話が切り替わり、雲は兄のほうを見ると、さきほどまでの笑みは消え、まじめな顔をしていた。
そうして、体をかかえるような姿勢で、雲と、しゃれこうべのとなりにならび、闇のなかの故郷を、何物も見逃すまいといったふうに見つめていた。
「とはいえ、母上が許さなかったので、わたしは常山真定からでたことがなかった。
でようと考えもしなかった。
だが、あるとき、旅の一座が、ここをおとずれたことがあってな。
いまのおまえと同じ、十四だった。
ほんの数日だったが、常山真定しか知らなかったわたしには、かれらが、とても力のある、まぶしい光のような存在に見えたのだ。


かれらが常山真定を出て行く日、わたしはかれらを見送って、集落のはずれの辻まで行った。
おまえも知っているだろう、あの辻は、集落と外界を隔てる、ちょうど境界線になっている。
それまでなんとも思わないできたのに、そこに立ったとたん、自分の可能性というものに気がついた。
わたしだって、やろうと思えば、かれらのように、この二本の足で、どこまでも行くことができるのだ。
地の果て、海の彼方にだっていける。


常山真定に留まっていなければならない理由はなんだ? 
祖霊を祀るためか? 父のため? 母のため? 
答えはでなかった。
ただ、外へ出ようと思ったのだ。
そうして洛陽まで行ったのだよ」


真剣に聞いていた雲であるが、最後のことばでガッカリきた。
常山真定から洛陽まで、あっさりいけるような距離ではない。
からかわれたのだ。


「おや、むくれるところではないのだがな。だが、気持ちはわかる。
たしかに洛陽などと聞いても、いまのおまえには千里の彼方に思えるだろうな。
だが、行こうと思って、行けない土地はないぞ。
おまえは幼かったから知らないだろうが、わたしがいなくなったときは、大騒ぎになったそうだよ。
父は、若い者を雇って、わたしを捜させて、ようやく洛陽で見つけた。
だが、わたしは常山真定に帰るつもりがなかったので、そのまま洛陽にとどまり、父はわたしに金を送ってよこすことにして、世間的には遊学、という体裁をととのえたのだ。
兄上がいたから、次男坊は生きているだけでいい、醜聞さえおこさねばよい、と思ったのだろう」


昔話を敬は笑いながら語るのであるが、その笑いには、どこか虚しさも含まれていた。
「だが、奇妙なもので、年を経るごとに、この家から逃げたのだという負い目は、どんどん大きくなっていった。
離れた瞬間は、翼でも生えたような心地がして、二度と戻りたくない、とさえ思った故郷なのに、それでも、一日たりとも忘れることができなかったのだよ。
だから、最期にどうしても戻ってきたかったのさ。だが、もう十分だ」


敬はそう言って、目を伏せる。
表面に仮面のようについていた笑顔が消えると、憂愁をおびたその表情は、気味が悪くなるくらいに、自分の未来の姿のように見えた。


「さて、わたしの話を辛抱強く聞いたおまえに、褒美として、おもしろいものを見せてやろう。
静かにしているのだぞ。ごらん!」


敬が指さす先には、趙家のそれぞれの夫人の住まう家屋が並んでいる。
冬枯れした木々のあいだに見える土壁の建物は、どれも、どこかうら寂しい。
それぞれの棟には、おおきな窓があり、明かりがともると、中の様子が、手に取るように見えた。
覗き見をしているのだ、という背徳感がうすいのは、浮かび上がる光景から、遠いところにいるために、音声がいっさいないからだろうか。


土塁から、おのれの屋敷までの距離がかなりあるのに、窓の向こうの光景が、こうもはっきり見えることを不思議に思わなかった。
そのときの雲には、見えるのが当然なのだと、そういう気がしていた。


最初に、闇にぽっかりと浮かび上がる光景には、息子の義勇軍参加を嘆く、老いた第一夫人の姿があった。
それを侍女と、取り巻きの夫人たちが、けんめいになだめている。
なかには、雲の母親の姿もあった。
競り合うようにして、第一夫人の寵をあらそう。
母の戦場がそこに展開していた。


つづく


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そして、ブログ村およびブログランキングに投票してくださっているみなさまも、感謝です!
ここ数日、けっこう気温差があるうえ、日中は寒く、しかも風が強い仙台…
GWは天気がいいという予報ですので、未来に期待しているところです。
とはいえ、GWは我が家でもいろいろ予定がありますので、待ち遠しいような、緊張するような。
ブログ運営等も、お休みするか否か、まだ決めかねています。
決まったらまた連絡させていただきます。
ではでは、今日もよい一日をお過ごしください('ω')ノ

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