これは、なんの陰謀だ?
孔明は、素早く頭を働かせた。
とうぜん、身に覚えはない。
それに趙雲の性格上、ほかのだれの策であれ、陰謀の片棒を担ぐことはできまい。
脅迫されて已む無く、という可能性もない。
趙雲が、どんな嘘をついたとしても、それを見破れる自信が、孔明にはあった。
となると、これは、罠だ。
狙いは誰だ?
子龍か?
わが君か?
わたしか?
「おまえたち、何を言っているのだ。子龍を差し出すなど、そのような真似を出来るわけなかろうが!」
劉備が、趙雲を引き渡せと迫るふたりを、鋭く一喝した。
「甘いことを! 子龍は、我ら全員を苦境に陥れたのでございますぞ!」
「まだ、はっきりそうと決まったわけではないっ。いいや、わしは、そんなことは絶対にありえないと思っているのだ。おまえら二人とも、下がれ!」
「いいえ、下がりませぬ!」
麋芳は、不遜にも、劉備が抱えるようにしている趙雲を、引き離し、連行しようと足を向けてきた。
孔明は、そのあいだに素早く割り込むと、おどろき、身を止めた麋芳と劉封の両者を、敢然とねめつけた。
「問おう。貴殿らは、いかなる権限を用いて、子龍を襄陽城へ連れて行こうというのか」
「軍師、邪魔はやめていただきましょう。貴殿の本心、お隠しになられても、すぐにあきらかになりますぞ。見苦しい真似はおやめなされ」
「黙れ、無礼者めがっ」
孔明の一喝が、夜闇に響いた。普段はもの静かな孔明だけに、その落差が、いっそうの迫力を醸し出す。
「わたしがなにを隠しているというのだ。じつに聞き捨てならぬことを口にする。貴殿らは、わたしが子龍に命令し、劉公子の腹心を斬らせたと、そう言いたいのであろう。そこまで言うのであれば、わたしが陰謀を画策したという証拠を見せよ!」
「そのような悠長なことをしていられるか! いまは、新野城、ひいてはわが君の危機なのだぞ!」
麋芳は、赤い顔をさらに赤くして叫ぶ。
この男とて、それなりに、劉備の心配をしているのである。
だが、趙雲への、もともとの悪い感情もあいまって、余計に感情的になっているのだ。
「わが君に危機をもたらしているのは、ほかならぬ、貴殿らではないか! いまここで闇雲に騒ぎ、子龍を襄陽城に渡せば、そのまま我らに陰謀の意志があったと認めることにもなるのだぞ!
もしも、劉表どのが、われらを信じずに、害意ありと見て戦を仕掛けてくるならば、われらは潔白を示すためにも、これを迎え撃つまでのこと。
いまは仲間割れをしている場合ではない。貴殿らのわが君は、劉表ではなく、劉予州ではないのか。もし貴殿らが、どうしても子龍を連れて行くというのであれば、わたしは貴殿らを捕縛させる」
「なんだと!」
「新野城の全権を預かっているのは、このわたしだ! 貴殿らではない!」
麋芳らは、痛いところをつかれて、うろたえた。
視線を泳がせ、劉備や関羽たちを見るが、だれも助け舟は出さない。
隙を逃さず、孔明はたたみ掛ける。
「追って沙汰をする。貴殿らは、下がられよ」
しかし、麋芳も劉封も、そのままでは収まらないらしく、まだ反論をしようと口を開こうとする。
ふたりが言葉を口にする前に、孔明は、吼えるように一喝した。
「下がれ!」
空気をも震わせる、まさに龍の咆哮であった。
麋芳と劉封は、声に追われるようにして、あわてて引き返していった。
これでよし。
しばらく時間を稼げるだろう。
「おい、子龍、どうした」
劉備の声に振り返ると、趙雲が、うずくまったまま、動かないでいるのが見えた。
孔明は、劉備に抱えられるようにして、意識を失っている趙雲に駆け寄った。
触れると、肌が熱い。
熱があるのだ。
「寝台に運びましょう。それから、薬師を」
側仕えの者を呼ぼうとする孔明に、関羽が寄ってきて、言った。
「貴殿は、子龍に付いておられよ。諸将をまとめるのは、わしと兄者でやる」
「かたじけない。ですが、将軍、よろしいのですか」
孔明の問いに、関羽は重々しく、うむ、と答えた。
いかなるときでも山のように堂々として、動じない。
それが関羽だ。
「兄者のため、ひいては新野城の民のためだ。貴殿は子龍から、なにがあったのか、事情をくわしく聞いてくれ。襄陽城への対処もちがってくるからな」
孔明は関羽の言葉に肯いた。
そうして、腕の中で意識をうしなっている趙雲を見下ろした。
信じられない。なんという弱弱しい姿か。
弱い部分なぞ、どこにもない男だとばかり思っていた。
守らねばならぬ。
胸のなかにあるのは、また親しい者を奪われるのではないかという恐怖と、奪おうとしている何者かへの、烈しい怒りであった。
夢の章 おわり
雨の章へつづく
(2003 初稿)
(2021/12/13 リライト1)
(2021/12/29 推敲1)
(2022/01/23 推敲2)
(2022/01/25 推敲3)
※ あとがき ※
〇 初稿をほぼリライトした。
〇 初稿では分かりづらかった孔明の家族のことが、すこしわかりやすくなったかと思う。
〇 初稿とは、崔州平の行動がちがっていることにご注目。
〇 今回、いろいろ書いていくなかで、関羽のキャラクターが把握できつつあることが収穫だと、個人的には思っている。
〇 初稿のほうが良かった、というご意見もあるかもしれない。リライト版「臥龍的陣」は、初稿版で、あまりに複雑に組みすぎたプロットをほぐし、わかりやすくしている。つづく作品への伏線もたっぷり含めて書いていく予定なので、これはこれで、楽しんでいただければうれしいです。
夢の章、ご読了ありがとうございました(^^♪
孔明は、素早く頭を働かせた。
とうぜん、身に覚えはない。
それに趙雲の性格上、ほかのだれの策であれ、陰謀の片棒を担ぐことはできまい。
脅迫されて已む無く、という可能性もない。
趙雲が、どんな嘘をついたとしても、それを見破れる自信が、孔明にはあった。
となると、これは、罠だ。
狙いは誰だ?
子龍か?
わが君か?
わたしか?
「おまえたち、何を言っているのだ。子龍を差し出すなど、そのような真似を出来るわけなかろうが!」
劉備が、趙雲を引き渡せと迫るふたりを、鋭く一喝した。
「甘いことを! 子龍は、我ら全員を苦境に陥れたのでございますぞ!」
「まだ、はっきりそうと決まったわけではないっ。いいや、わしは、そんなことは絶対にありえないと思っているのだ。おまえら二人とも、下がれ!」
「いいえ、下がりませぬ!」
麋芳は、不遜にも、劉備が抱えるようにしている趙雲を、引き離し、連行しようと足を向けてきた。
孔明は、そのあいだに素早く割り込むと、おどろき、身を止めた麋芳と劉封の両者を、敢然とねめつけた。
「問おう。貴殿らは、いかなる権限を用いて、子龍を襄陽城へ連れて行こうというのか」
「軍師、邪魔はやめていただきましょう。貴殿の本心、お隠しになられても、すぐにあきらかになりますぞ。見苦しい真似はおやめなされ」
「黙れ、無礼者めがっ」
孔明の一喝が、夜闇に響いた。普段はもの静かな孔明だけに、その落差が、いっそうの迫力を醸し出す。
「わたしがなにを隠しているというのだ。じつに聞き捨てならぬことを口にする。貴殿らは、わたしが子龍に命令し、劉公子の腹心を斬らせたと、そう言いたいのであろう。そこまで言うのであれば、わたしが陰謀を画策したという証拠を見せよ!」
「そのような悠長なことをしていられるか! いまは、新野城、ひいてはわが君の危機なのだぞ!」
麋芳は、赤い顔をさらに赤くして叫ぶ。
この男とて、それなりに、劉備の心配をしているのである。
だが、趙雲への、もともとの悪い感情もあいまって、余計に感情的になっているのだ。
「わが君に危機をもたらしているのは、ほかならぬ、貴殿らではないか! いまここで闇雲に騒ぎ、子龍を襄陽城に渡せば、そのまま我らに陰謀の意志があったと認めることにもなるのだぞ!
もしも、劉表どのが、われらを信じずに、害意ありと見て戦を仕掛けてくるならば、われらは潔白を示すためにも、これを迎え撃つまでのこと。
いまは仲間割れをしている場合ではない。貴殿らのわが君は、劉表ではなく、劉予州ではないのか。もし貴殿らが、どうしても子龍を連れて行くというのであれば、わたしは貴殿らを捕縛させる」
「なんだと!」
「新野城の全権を預かっているのは、このわたしだ! 貴殿らではない!」
麋芳らは、痛いところをつかれて、うろたえた。
視線を泳がせ、劉備や関羽たちを見るが、だれも助け舟は出さない。
隙を逃さず、孔明はたたみ掛ける。
「追って沙汰をする。貴殿らは、下がられよ」
しかし、麋芳も劉封も、そのままでは収まらないらしく、まだ反論をしようと口を開こうとする。
ふたりが言葉を口にする前に、孔明は、吼えるように一喝した。
「下がれ!」
空気をも震わせる、まさに龍の咆哮であった。
麋芳と劉封は、声に追われるようにして、あわてて引き返していった。
これでよし。
しばらく時間を稼げるだろう。
「おい、子龍、どうした」
劉備の声に振り返ると、趙雲が、うずくまったまま、動かないでいるのが見えた。
孔明は、劉備に抱えられるようにして、意識を失っている趙雲に駆け寄った。
触れると、肌が熱い。
熱があるのだ。
「寝台に運びましょう。それから、薬師を」
側仕えの者を呼ぼうとする孔明に、関羽が寄ってきて、言った。
「貴殿は、子龍に付いておられよ。諸将をまとめるのは、わしと兄者でやる」
「かたじけない。ですが、将軍、よろしいのですか」
孔明の問いに、関羽は重々しく、うむ、と答えた。
いかなるときでも山のように堂々として、動じない。
それが関羽だ。
「兄者のため、ひいては新野城の民のためだ。貴殿は子龍から、なにがあったのか、事情をくわしく聞いてくれ。襄陽城への対処もちがってくるからな」
孔明は関羽の言葉に肯いた。
そうして、腕の中で意識をうしなっている趙雲を見下ろした。
信じられない。なんという弱弱しい姿か。
弱い部分なぞ、どこにもない男だとばかり思っていた。
守らねばならぬ。
胸のなかにあるのは、また親しい者を奪われるのではないかという恐怖と、奪おうとしている何者かへの、烈しい怒りであった。
夢の章 おわり
雨の章へつづく
(2003 初稿)
(2021/12/13 リライト1)
(2021/12/29 推敲1)
(2022/01/23 推敲2)
(2022/01/25 推敲3)
※ あとがき ※
〇 初稿をほぼリライトした。
〇 初稿では分かりづらかった孔明の家族のことが、すこしわかりやすくなったかと思う。
〇 初稿とは、崔州平の行動がちがっていることにご注目。
〇 今回、いろいろ書いていくなかで、関羽のキャラクターが把握できつつあることが収穫だと、個人的には思っている。
〇 初稿のほうが良かった、というご意見もあるかもしれない。リライト版「臥龍的陣」は、初稿版で、あまりに複雑に組みすぎたプロットをほぐし、わかりやすくしている。つづく作品への伏線もたっぷり含めて書いていく予定なので、これはこれで、楽しんでいただければうれしいです。
夢の章、ご読了ありがとうございました(^^♪