はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

おばか企画・しんぼくかい。 6

2020年05月08日 10時19分22秒 | おばか企画・しんぼくかい。
しんぼくかい。~帰路~

「やれやれ、疲れたな」
西の空に消え行く茜色の陽光を受けて、ふうっと大きく息を吐く趙雲を、孔明はじいっと見つめていた。
「なんだ」
孔明は、問いには答えず、手を伸ばし…趙雲は武人であるので、体に触れられるまえに、さっと身をかわして、逆に伸びてきた手を捻り上げるのが常であり、おとなしく触れさせるということが、いかに例外であるか、孔明は知らない…そうして、残念そうに顔をしかめた。
「毛なんぞ残っておらぬぞ」
「そのようだな、つまらぬ。本当に見事な毛並みであったのに。どこかにまだ残っていないのか?」
孔明はからかっているのではなく、心底、虎の毛並みが気に入ったのである。すると、趙雲は、襟に手をやって、にやりと不敵に笑った。
「全部脱いで、たしかめさせてやろうか」
「うん」
「…冗談だ」
「判っているよ。あなたの冗談は、下手だから」
「悪かったな。ところでどうする」
「なにが?」
「おまえには、まだ仕事が残っているだろう。主公への報告だ」
ああ、と曖昧に相槌をうって、孔明は、川辺を振り返った。
ちょうど、果敢に水泳に励んでいた馬岱が、漁師の投げた網に引っかかり、じたばたしているところであった。
「親睦会と虎と水泳を、どう繋げるかが問題だな。三題話をまとめるのだ。まともに報告すれば、正気を疑われるであろうし、さて、困ったものだ」
「虎は要らぬだろう。なんと報告するつもりだ。俺が虎になったと?」
「そうだよ。それはそれは見事な虎で、あまりに素晴らしい毛並みに、孔明はうっとりしてしまいました、と、こうだ。主公は話が大きければ大きいほど、喜ばれる」
「人の気も知らないで、呑気なものだな。俺が虎になって、正気を保っているのが精一杯だったというのがわからぬか」
「ほんとうか?」
孔明は驚き、隣の主騎の顔をのぞきこんだ。
「本当だ。虎は人界には住めぬもの。おまえがいくら庭で飼うと言ったところで、やがては山野に追い出されてしまったであろう。でなければ、害獣として退治されていたであろうな」
「退治なんぞさせるものか。庭に子龍。返す返すも惜しかったかもしれぬ。仕事に疲れたときに、庭に立って、子龍と呼ぶと、虎のあなたがやってくるのだよ。虎と共にいれば、刺客も恐れて近づかないであろうし、一石二鳥であったのに」
「俺の名をつけた犬を飼え」
「それも一つの手だな。しかし、虎になっても子龍はまったく動揺していなかったように見えたが」
「常人であれば、すぐに発狂するか、ぶざまに泣き喚いていたであろう。俺が冷静でいられたのは」
「は?」
趙雲は、言葉を続けようとしたようだが、ちらりと、隣の好奇心に目を輝かせる孔明を見て、口を閉ざした。
「やめた。おまえが増長する」
「ほーお? では、言おうとしていた言葉は、まさにわたしが増長してしまうような、嬉しい言葉だったと見てよいのだね。たとえば、『なんとかしてくれると信じていた』とか」
「見当がついているのならば、いちいち口にするな」
「そうかそうか、信じていたか」
孔明は、晴れ晴れとした顔をして、しばらく声を立てて笑っていた。

だいぶ先に行っても、まだ笑っていた。

「笑い茸でも食べたのか」
「嬉しすぎて笑いが止まらなかっただけだ。子龍、わたしの顔を舐めても良いぞ」
「いらぬ」
「まあ、遠慮するな。いまが嫌なら、舐めたくなったら言うがいい」
「一生、言わぬ。まったく、おまえは寝ているときが一番まともだ」
「そうかね。わたしはどうも、あなたのそばだとすぐに眠ってしまう癖がある。そして、いまも眠い」
うん、と怪訝そうな眼差しを向けてくる趙雲に、孔明はにっ、と笑って、両手を差し伸べた。
「もうくたくたで歩けない。足がもつれて、たぶん転ぶ」
「転ぶまで歩け」
「わたしは、疲れきった旅人だよ。さて、こういうときはどうする?」
趙雲は、仕方がない、とぶつぶつ言いながら、それでも孔明を背負った。
「市街の手前までだぞ。さっき、俺の知らぬあいだに、妙なものを食べたとしか思えぬ。なぜ、今日はやたらとひっついてくるのだ」
「さてね。ようやく叔父上のことを忘れられつつあるのかもしれない。いいことだけを思い出せるようになってきたのだ。よいことだと思わぬか」
そうだな、と趙雲は相槌を打つ。
孔明は上背があるわりに軽いのだろう。
もとより、鍛え方がちがうので、まったく息も乱さない。
間近で体温をおぼえつつ、孔明は言った。
「なぜかな、あなたはとても懐かしいのだよ」
「懐かしい?」
「そう。行きに、義兄弟の話はしただろう。わたしがあの話をしたのは、あなたが主騎をやめたあと、繋がりが欲しかったから、そう言ったのではない。少しはあるけれど」
「ほう?」
「あなたが、本当にわたしの兄だったなら良かったのにと思ったからさ。いや、兄というか、父かな? 両方か。ともかく、あなたはわたしの兄で、父で、よき先輩であり、同胞、そしてわたしの主騎だ。これをひと括りで言うのはむずかしい。義兄弟というのも、またちがうものがある。そうだな、ひとが聞けば、正気を疑われるかもしれないが、たぶん、あなたはわたしの生涯の友であり、伴偶なのだ。気味が悪がられるだろうから、誰にも言うことは出来ないけれどね」
「まったくだ」
「気を悪くしたのなら謝る。邪念なぞなにもない。これはいつものわたしの、言えるときに言うという、いつもの癖だ」
「わかっている」
そうして、ふたりは暮れなずむ川沿いの道を、しばらく無言でいた。
そろそろ日も落ちる頃合で、すれ違う者もない。
ふと、趙雲の首のあたりで交差させた手に、温かいものが落ちてきたのをおぼえ、孔明は、さらに力を込めて、腕を巻くと、目を閉じた。
趙雲の声が聞こえる。
「軍師」
「なんだ」
「誰にも言うな」
「わかってる」
そうして孔明は、いま聞いた声も、すこし涙声であったことは、誰にも言わずに、一生の秘密にしようと思った。

こうして、親睦会は終わった。

おわり。

御読了ありがとうございました!

(サイト「はさみの世界」 初掲載年月日・2005/06/07)

おばか企画・しんぼくかい。 5

2020年05月08日 10時18分13秒 | おばか企画・しんぼくかい。
そうして相談をしていると、ほどなく、またまたドロン、と音がして、白煙と共に、馬超が戻ってきた。
今度はさきほどよりも、さらに奇妙な姿である。髪は短髪、襟と感嘆するほどちいさな釦のつらなる衣に、首には奇妙に結ばれた紐があり、その上に濃紺の同じく襟と釦のある上着、上着と同じ色の筒衣を履いて、靴は、何枚もの皮を複雑に合成したことがわかるものである。
「おお、ばちょう、しんでしまうとはなにごとじゃ!」
「うるさい! 今度はなんだあれは! やたらと空気の濁ったぽおとぴあとかいう街に飛ばされたかと思えば、なぜおれが、こんな窮屈な格好で警吏の真似事をせねばならぬ! しかも、なんだって金貸しの家の地下に、あんな広大な迷宮があるのだ! 一般人が地下にあんな施設を作るな! 建築法に抵触するだろう! ん?……しないのか?」
「ほーう、するとおまえは、地下ダンジョンでリセットした口か」
すると、馬超は、壷中仙人から目をそらし、うめくように言う。
「こめいちごの意味が…こめいちごが判らぬ」
「米と苺」
てきとうに答える孔明に、馬超は、がっと顔を上げて、怒鳴るように言う。
「こういう頭を使うことは、あんたのほうが得意だろう! いますぐ行って、事件を解明してくれ!」
「行く必要はない。犯人はヤ○だ」
「適当なことを言うな! あいつはいままで俺のとなりに…」
「なんだ、知らなかったか。そんなの、一般常識だぞ」
なにより情を大切にし、裏切り行為や騙すことには疎い馬超は、孔明のことばに、打ちのめされたようである。
「なんと!」
「来年度の蜀の就職試験にでるぞ。というか、わたしが試験問題を作るので、出す予定だ」
「なんと…おれは中途採用で面接試験だけであったから勉強をしてこなかった。そのツケがこんなところで……で、岱は?」
「こめいちごのあたりで、やっぱり苦しんでいるのじゃないのか?」

すると、まるで呼び合うかのように、どろんと音がして、中から馬岱があらわれた。
「おお岱! 無事であったか!」
馬岱の顔は蒼ざめ、蹲ったまま、動こうとしない。その馬超よりずっと漢族に近い、意外に柔和な風貌をした青年を見て、そうか、こういう顔だったか、と孔明は納得し、虎の趙雲も納得した様子でうー、と唸っている。
「どうした? 怪我でも負ったか?」
真っ青な顔をした馬岱は、全身から搾り出すように、乾いた声をあげる。
「……ミシシッピーは……ムリ!」
「みししっぴ?」(著者注・FC黎明期に販売された「ミシシッピー殺人事件」は、いまもって最高難度をほこる推理ゲームです。ミシシッピー川を走航する豪華客船で起こった殺人事件を追う探偵がプレイヤーキャラとなります。というか、ある部屋に入っただけで、主人公にナイフがゆっくーーーーーーーり飛んできて、コントロール不能のまま、避けることも出来ずに死んだり、船内に理不尽に落とし穴があり、あっさり転落死したりする、プレイヤーを途方に暮れさせることでは、いまでも越える物のない伝説のゲームです)
みししっぴが何か知っているか、と孔明は趙雲に問いかけたが、虎の趙雲の顔には『よのなかひろい』と書いてあった。
「しかし、これで俺たちは試練を越えられなかったことになるのか…! 悲しいぞ、岱!」
「兄者―!」
そうしてふたりはがっしりと抱き合うのであるが、その暑苦しさ、なんとなく、例の三人組を彷彿とさせるものがある。
これはやはり、主公が来るべきだったのだ、と苦く思いつつ、孔明は馬岱に近づく。
公務では顔をあわせたことがあるが、私的には初対面である。
役職で呼ぶべきか(役職も覚えていないほど、馬岱は影が薄かった)、字をこちらから聞きだしてから本題に入ろうか、それとも?
「ええと、平西将軍の従弟どの」
親しみもあるし、礼儀にもかなっている。我ながら、よい選択だな、と孔明が得意がっていると、馬岱は、ぼそりと言った。
「馬岱です。」
「それは知っている」
「オレの字(あざな)がありません!」
「なかったのか!」
それならば、思いだせるはずもない。
しかし、馬岱はすでに三十を越しており、孔明より数年は年上にも見えるのに、いまだに字がない、などと、不遇もいいところである。
すると、馬岱と抱き合っていた馬超は、不機嫌そうに顔をしかめる。
「昔、おまえに俺が字をつけてやっただろう」
「馬岱です。」
「知ってるよ」
「それは字(あざな)じゃなくて、ただのあだ名です!」
「む、だめか? 類似(るいーじ)」
「類似? 字か、それ?」
さすがに孔明が馬岱に同情して尋ねると、馬超は不思議そうに首をひねりながら、言う。
「いまは全然ちがうのであるが、昔はこいつとよく顔が似ていたようで、みなに似ている、似ているといわれたのだ。だから、それをそのまま字にして贈ったのだ。親父殿も、これでよいと仰っていたので、そのままになっていたのだが、軍師将軍も、やはり渾名だと思われるか?」
「……あだ名だよ」
それを傍で聞いていた馬岱が、また顔をそむけたままで、ぼそりと言った。
「馬岱です。」
「もうよい。それより、聞きたいことがあるのだが、どうも話を聞くと、そなたと従兄殿は、べつべつに行動をとらされていたようだが、なにか変わったものを見聞きしなかったであろうか?」
「軍師との話が弾みません!」
「……見なかったのだな、わかった。さて、これからどうするか…」
「ところで、俺たちにばかり働かせて、貴殿らはなにをしていたのだ?」

不機嫌な馬超の問いに、孔明は、ちらりと壷中仙人を見て、それから、趙雲に、なんでもいいから気を逸らせるようにと合図すると、聞こえないように、自分が見聞きしたことを馬超に教えた。
「ふむ…すると、俺たちはアヤカシの胃袋の中、というわけか。ところであの虎、ずいぶん貴殿になついているようであるが、飼っておられるのか」
「ちがう、あれは」
子龍だ、と答えようとする直前、見ると趙雲は、がうがうと、野犬のように壷中仙人を威嚇して、何度も牙を剥いているのであった。
その牙から逃れるように、ひょい、ひょいと身をかわす仙人であるが、とうとうたまりかねたのか、ふたたび叫ぶ。
「ええい、うざったい虎めが、こうしてくれるわ、えい!」
ドロン、と白煙がたち、虎の趙雲の姿が掻き消えた。
仙人は勝ち誇って、哄笑をひびかせる。
「思い知ったか、生意気な虎めが!」
「貴様、今度はなにをした!」
孔明が血相をかえてやってきたのを見て、壷中仙人は、いやらしくも意地の悪い笑みをみせた。
「豆粒ほどの大きさに変えてやったのじゃ! これでもう怖くなんぞないわい!」
見ると、そのとおり、趙雲は親指の先ほどの大きさになって、それでもまだ、がうがうと吼え声を立て続けていた。
「子龍、なんというちっぽけな姿に…しかし、この大きさなら、引越しをせずとも、今の屋敷で飼えるかも! って、冗談だ、冗談! 噛むことないだろう!」
孔明は、両手で豆粒ほどになった趙雲をすくい上げると、仙人に尋ねた。
「貴殿の仙術には感服いたした」
そうであろう、というふうに、仙人は気をよくして胸を張る。
「これほどの術を扱われるのだ。おそらく相当な修行を積んだものと思われるが、いったいどこで修行をされたのです?」
「蜃都じゃ。そなたたち人間は、入ることすら出来ぬ都ぞ」
「たしか、大蛤の吐く息によって現れる、幻の都と聞きましたが、すると、仙人は海の出自か」
「いいや、儂は川辺にて住んでいた。水中にて長く生き、やがて水死した人間の肉を食して、知恵をつけたのが、わが前身よ」
得意げに肩を揺らせて笑う仙人に、孔明はにっこりと、敵国の使者と、ごくごく親しい者にしかみせない、極上のやさしげな笑みを浮かべた。
「人肉を食すとは恐ろしきことよ。なれば、さぞかし世人に恐れられ、ご尊名を轟かせたことでありましょう」
孔明の笑みにさらに気をよくした仙人は、白髯をしごきつつ、得々と語る。
「まったくじゃ。人は弱いものゆえ、わが名を口にすることすら恐れ、儂が姿を現しただけで、神と崇めて生贄を用意したほどじゃ。何せ、儂の口は人なんぞ一飲みであるからな。人は儂を見て、『猪婆龍が出た』と大騒ぎするのじゃ…って、しまったっ!」
「たわけめ、語るに落ちたな。そなたの真の名は『猪婆龍』! さあ、我らを現世に戻すがよいぞ!」
「くそう、儂の『男四人をひっ捕まえてたっぷり太らせておなかいっぱい作戦』が! ええ、いちばんの優男と思って、おまえを侮っておったわ!」
「今度から、現世のことをちゃんと調べてから、人を選ぶとよい。そうすれば、まさかわたしを選ぼうなどとは夢にも思わなかったであろうよ」
「ぬ…食糧に名前なんぞ要らぬと思うて聞いておらなかったな。そなたの名は?」
「諸葛孔明」
すると、仙人は、納得した、というふうに大きく肯いた。
「そうか、おまえがかの赤壁の戦いにおいて、怪しげな術にて風を呼び込み、曹操軍百万(主催者側発表数字)をすべて焼き殺したという、冥土の鬼も裸足で逃げ出す、灼熱地獄の仕掛け人!」
「やかましい! どうしてそこばかりが妙に大きくなって誤って伝わっているのだ! ともかく、さっさとすべてを元に戻せ! さもなくば、この世界も燃やすぞ!」
「バーベキューはいやじゃ! 約束であるから仕方がない! えこえこあざらく! 元に戻れ!」
ぼん、とひときわ大きな白煙があがったかと思うと、孔明と、手のひらの中の趙雲、そうして馬超と馬岱は、真っ白な視界に包まれた。






とぽん、と水音がして、『みんなウッカリ。本物の壷中』は、たちまち波に飲まれ、やがては見えなくなっていった。
「この壷中が一個だけだったとは思えない。もしかしたら、第二、第三の壷中が…」
つぶやく馬超に、孔明と、ちゃんと人間に戻ることのできた趙雲は、
「もういいよ」
と、さすがにうんざりして言った。
「ああ!」
馬超は、不意に目をかっ、と見開いて、悲痛な声をあげる。
「今度はなんだ!」
「しまった、あの壷を曹操の元に送りつけてやれば、復讐を完遂することができたかもしれないのに!」
「あきらめろ、とっくに水底ぞ!」
しかし馬超は大きく頭を振って、水面を睨みつける。
「我が一族の辞書に、あきらめるという言葉はない! 探しにいくぞ、岱! ふぁいとー!」
「いっぱーつ!」
どぶん、どぶん、と二つの大きな水音がして、近くで魚を釣っていた漁師たちが、迷惑そうにこちらを睨みつけてくる。
孔明は彼らに頭を下げると、ざぶざぶと元気に泳ぎだした馬兄弟を背に、傍らの、すっかり呆れている趙雲を促して、もう彼らとは二度と関わり合いになるまいと固く決意しつつ、帰路についたのであった。

そして、いまもって馬岱の字は決まっていない。


なんと! さらにまだつづく……

(サイト「はさみの世界」 初掲載年月日・2005/06/07)

おばか企画・しんぼくかい。 4

2020年05月08日 10時15分46秒 | おばか企画・しんぼくかい。
頬の生暖かい感触に、孔明は心地よい眠りからゆるゆると覚め、それから獣の息遣いを間近に仰天して、目をぱっと開いて、さらになめらかな毛並みの感触に、ああそうだ、虎になった趙雲を撫でているうちに、あんまり気持ちよくて眠ってしまったのだった、ということを思い出した。
趙雲は、孔明を起こすのに、牙でも爪でも傷つけてしまう恐れがあると思ったのか、顔を舐めて孔明を起こしたのであった。
なんだか奇妙な感じだな、と思いつつ、孔明は、『なにをやっとる』といわんばかりの顔をしている虎に向かって言った。
「なにをって? それはいろいろ考えていたのだよ。眠ることは悪くない。頭から雑念が払われて、心の公平さを保つことができるからな。単なる昼寝ではないぞ。そうだとも」
『ほんとうか』というように、虎は尾っぽを、抗議するようにぱたぱたと床に打ち付ける。
「本当だとも。ところで、馬超たちは戻ってきたか」
虎は、まだ、という意味で首を振る。
そうか、と寝起きでいささかぼんやりした頭を働かせつつ、周囲を見回すと、さきほど東屋にあつまっていた美女たちがいない。
どこへ行ったのかと趙雲に尋ねると、どうやら桃の林の向こうに消えたと、首と目で訴えてくる。

仙人が池の鯉に餌をやっている隙を見計らって、連れ立って桃の林を抜けていくと、白い花びらの舞い散る下で、美女たちが輪になって、うずくまり、ひそひそとしているのであった。
趙雲に、袖を歯で噛まれて、隠れるようにと指示をされ、桃の木の影に隠れて様子をうかがっていると、娘たちがこんな会話をしていた。
「せっかく陸に上がってきたというのに、こんな食事しかもらえないなんて、話がちがうわ」
「それに、あの男たちときたら! もうすこし、でっぷりした体型の男でないと、好みじゃないわね」
「そう、男は太っていなくちゃ。みんな筋だけだわ。とくにあの細いのなんて、骨だけよ」
悪かったな、と思いつつ、会話の合間合間に聞こえる、ぽりぽり、かりかりという音は、なんなのであろうと孔明は首をひねる。
「もっとたくさん、食べさせないといけないわね。あの怖い顔は虎になってしまったのだし、邪魔者はないはずよ。みんな、この食事が終わったら、あの男にたくさんのご馳走を食べさせるのよ。たくさん太らせれば、すこしはマシになるでしょう」
なにがマシになるのだろう?
孔明が首をひねりつづけていると、虎になっても実行の人、趙雲は、四肢を踏ん張らせると、美女たちの輪に向かって、がう、と大きな吼え声をあげた。
とたん、仰天した美女たちが飛び上がり、立ち上がってめいめい逃げ出していく。
孔明は美女の一人のあとを追いかけようとしたが、またも趙雲の牙によって袖を引かれて、止められた。
そうして美女たちがいたところを見ると、なんと、哀れなことに、体をばらばらに食い荒らされた若い男の体の一部が、そこに散乱していたのである。
こみあげる吐き気をこらえつつ、美女たちの食べ残しを検分する。
まさかとは思ったが、肉はすでに変色しており、どうやら馬岱ではないようだ。
それだけ確かめると、美女たちが戻ってこないことを確かめて、孔明は虎の趙雲をつき従えて、場を離れた。
「人肉を喰らう、あやかしの巣だ。あなたの勘は当たっていたようだ」
そうだろう、と誇らしげに、趙雲は髯をぴんとたてて、すました顔をする。
「大海には、世界のすべてを人のみできるほどの巨大なアヤカシがいるそうだ。嵐の日にそいつに飲み込まれた漁師がいて、そいつの胃袋は、われわれの世界とそっくりの世界が開けていた、という話を聞いたことがある。おそらく、それと同じものなのであろう。水に住まうアヤカシで、人肉を喰らうものの名が、壷中仙人の真の名にちがいない。あの池のほとりに並べられた者たちも、最初は歓待を受けていたが、ご馳走で食べごろになるまで太らされ、油断した隙を狙われて、しまいには食われてしまったのだ。このままでは、我らも同じ宿命をたどるぞ」





そうして、ふたたび池に戻ってくると、ちょうど、ドロン、と白煙が立ち上り、馬超がふたたび戻ってきたところであった。
さすが錦馬超、試練を乗り越えたのか、と思ったが、その姿を見て、仙人のほうは悲痛な叫びをあげる。
「おお、ばちょう! しんでしまうとはなにごとじゃ!」
「やかましい! なんだ、あれは! あれが試練だと?」
馬超は、孔明が見たことのない奇妙な装束をまとっていた。
赤い貫頭衣の上に、胸の辺りだけを鎧のように守り、肩紐で背中を通って、腰のあたりで筒衣とつながっている紺色の衣をはいている。
大きな雲のようなつま先の丸い靴に、さらに帽子がふんわりと大きなもので、目立つものである。
「なんだ、平西将軍、その愉快な格好は」
孔明が驚いて言うと、馬超は鬼のような形相をして言った。
「それは俺が聞きたいわ! 別世界に飛ばされたかと思ったら、いきなり等身大のキノコが襲ってくるわ、翼の生えた亀だの、炎を吐く大亀やら、土管より生えてくる人食い植物なんぞが大挙して襲ってきたのだぞ。しかも前にしか進めないのだ! さらには恐ろしいことに、俺にも煉瓦を素手で叩き壊す力が備わって、どういう仕組みか煉瓦には、金貨や体が大きくなるキノコが隠されていて、それをあつめてひたすら戦うしかない! しかもやれやれ、やっと終わったかと思えば、なぜだか最後に旗にとびつかねばならぬのだ! で、気づくと薄暗い城のなかで同じように戦わねばならぬうえ、あるときなどは、水中を行きながら魚との闘いだ! しかも大亀にさらわれたという桃姫とかいう女、何度助けても、ちょっと目を離した隙に、また攫われておる! あの城の警備体制はどうなっているのだ! おお、軍師! ちょっと行って、奴らに真の防御というものを教えて遣ってくれ!」
「ヤダ」
「くそう! 俺がキノコや魚や亀になにをした? 食したのがいけない、というのであれば、二度と口にはせぬ! やつらにそう言ってくれ!」
そうして、ひとしきり怒鳴りあげたあと、はっと我に返り、周囲を見回す。
「そうだ、ルイージ! ルイージはどうした!」
「なりきっとるのう…おまえが死んでしまったので、代わりに戦っておるのじゃ」
「すまぬ、ルイージ、いや、岱! 俺が不甲斐ないばっかりに! 俺をまた元に戻してくれ! やり直す!」
「懲りぬ男じゃのう…」
言いつつ、まはりくまはりた、と仙人が呪文を唱えると、馬超の姿は白煙とともに掻き消えた。
「馬岱はなかなか骨のある男のようだな。どうも馬超の印象が強烈すぎて、顔もうろおぼえなのであるが、あなたは覚えているか?」
問いかけた虎の趙雲の顔には、『ちょっとイマイチ』と言うふうに、自信なさそうな表情が浮かんでいる。
「これは内密にしてほしいのだが、わたしは彼の字(あざな)を知らぬ」
虎がうんうん、と肯いたので、孔明は、趙雲も、馬岱の字を知らないことに気づいた。
「さすがに名前をいまさら聞くのもあれだしな。うまく聞き出そうと思う。協力してくれ」
わかった、と虎は肯いた。
「馬岱の字はともかく、仙人の名だな。壷中というのは号であろう。なんとかヤツの名を知る手掛かりがあればよいのだが」

まだまだつづく……

(サイト「はさみの世界」 初掲載年月日・2005/06/07)

おばか企画・しんぼくかい。 3

2020年05月07日 10時00分39秒 | おばか企画・しんぼくかい。


ちらちらと顔に触れるほのかな気配によって、意識の闇から徐々に目が覚めてきた。
いまは夜であったかな、と思いつつ、徐々に明瞭になる自分という形を意識しつつ、そろそろ目を開けようかなとぼんやり思っていると、やわらかな白粉の薫りが近づいてきた。
女が居る?
孔明はそこで目をパッチリ覚まして、起き上がった。
そうして視界いっぱいに飛び込んできたものは、一面いっぱいに桃の花の咲き乱れる、澄んだ池の真ん中にしつらえられた大き目の東屋と、そこに至るまでの橋、東屋に並び、こちらに微笑みかける、文字通り花のように可憐な乙女たちと、その場にまったくそぐわぬきつい顔をした趙雲であった。
孔明の目の前にいた娘は、やわらかな笑みを浮かべたまま、孔明が立ち上がるために手を差し伸べてきた。手入れの行き届いた爪と、傷ひとつない白い指である。
ゆるやかな風に、水に泳ぐ魚のように衣をなびかせて、娘は孔明を東屋へと導くのであった。
澄み切った水のなかには、孔明がはじめて見るような、見事な色合いの魚が、陽光にきらきらと鱗を輝かせて、泳いでいる。
風が吹くたびに、視界いっぱいの満開の桃の花から、ふわふわと白い蝶のように飛んでいく。
緊迫した心がゆるゆるとほどけていくような、美しい世界であった。

しかし、そのなかに、浮き上がる男が一人。

まるでこれから拷問を受けることが確定している囚人が、意地を見せて周囲を威圧しているような顔をして、趙雲は、美女たちの微笑を一顧だにせず、むすっと口を引き結んでいる。
美女たちにぴったり体をくっつけられ、両脇を挟まれるようにしているにも関わらず、すこしも嬉しそうでないのは、相変わらずだな、と思いつつ、ここまで案内してくれた娘に、同じように座るように進められると、はじめて趙雲が口をひらいた。
「そこはだめだ。軍師は俺のそばに」
「夢の中でもお堅いやつだな。すこしは楽しもうではないか」
「そういうおまえこそ、夢の中でも妙に臨機応変だな。楽しむなんぞ、冗談ではない。目が覚めたら、こんなわけのわからぬ世界にいたのだ。気を許すな。ここはおかしい。いままでの類例から察するに、この女たちは全員、刺客かなにかで、この場所も魏か呉の細作が作った村であったりして、お前の命を狙うための、妙に大掛かりな罠であったりするのだ! まちがいない!」
「そうだろうか…」
おや? もしかして、夢ではないのかしらん、と不安と共に思い始めた孔明と、美女たちの差し出す杯を、つめたく断っている趙雲の前に、高らかな哄笑を響かせ、白煙がどろん、と上がった。
そうして、驚いたことには、白煙の中から、目のぎょろりと大きな山羊のような白髯をたくわえた、白い単衣をまとった老人があらわれたのである。
「ようこそ、現世からウッカリここに陥った諸君! 我は壷中仙人。壷中の世界にようこそ!」
「ここが、壷中だと?」
孔明と趙雲の声が、増して尖ったものになったのだが、仙人は気づかずにほがらかに笑う。
「そのとおり! 諸君らは、壷中の入り口たる『みんなウッカリ。本物の壷中』に呼ばれて、ここに陥ったというわけじゃ。まあ、籤にあたるよりもずっと小さな確率に掠ったのじゃ! ここには餓えも身の危険もない。たっぷり楽しんで過ごすが良いぞ」
「もう帰る」
孔明がそういうと、とたん、仙人と美女たちが、ぶうぶうと不平を鳴らした。
「おかしいぞ、おまえたち! この世界のどこに不満が? とくにおまえ!」
と、仙人は、仏頂面どころか、すでに臨戦態勢に入り、愛用の剣を抜きかけている趙雲を指さした。
「女に興味ないのか? 健康な成人男性なら、ちょっとは嬉しいな、と思うはず!」
「たわけが。ここは確かに美しい。しかし、美しくありすぎる。世は常に清濁の混ざり合った状態こそが健常なのだ。どちらかに極端に傾いている世界は異常だ。だから俺は警戒しているのだ」
「さすが子龍。子龍はどこへ行っても子龍だ」
思わず拍手する孔明のとなりで、壷中仙人は不満そうである。
「せっかく歓迎してやっているというのに、その態度は許せぬぞい。そんな物騒なものは、こうしてくれよう、ホイサッサ!」
仙人の掛け声と同時に、ぼん、と白煙がふたたび上がり、趙雲の剣が、一本の百合の花に変わってしまった。
「俺の剣! おのれ、老いぼれ、元に戻せ!」
「ヤダ。それに儂の名は老いぼれではない、壷中仙人じゃ。それに元の世界に帰ることはもう出来ぬぞ。ここにひとたび足を踏みいれたなら、何人たりとも死ぬまでここから出ることはかなわぬのじゃ。ほれ、そこにも、おまえたちの先輩がおるわい」
と、仙人が指差す方角には、池のほとりに、きれいに並べられた白骨死体がずらりと彫像のように飾られていた。
思わず孔明は背筋を寒くする。
「なるほどな、まさに世は常に清濁の混ざり合った状態であることが健常。世界のすべてに意味があるとは思えない。しかし、これはおまえが作り上げたものである以上、おまえの意志があるはずだ」
「ほう、なかなか知恵の働く若造じゃな。だが、そこまでわかったところで、儂が教えると思うか?」
挑戦的な眼差しを向けてくる仙人に、負けず劣らず孔明は目を細め、悠然と笑みを浮かべる。
「言わないだろうな。だが、推測することは可能だ」
と、果てのないように見える青空を見上げる。
雲ひとつない空であるが、そこにあるはずの太陽もないのであった。
「すくなくとも、この世界は、外界の人間が、なんらかの形で必要なのだ。是が非にでもここから出さぬということは、引き入れられた人間にとっては、不利な状況であると判断できる。おまえは、馬超のような単純な男に魔法の土瓶『みんなウットリ。本物の壷中』を売りつけて、罪のない人間を引き入れる手伝いをさせたのだ」
「なんだと、あの単純莫迦の馬超め、こんなペテンに容易くひっかかりおって、ますます許せぬ」
趙雲の唸り声に、壷中仙人は、ぴくりと反応する。
「ふぅむ、壷のあたらしい持ち主は馬超というのか。ところで、そこの細くて口の回るキラキラした顔の方、『みんなウットリ』ではない『みんなウッカリ』じゃ。おそらく馬超とやらが聞き間違えたのであろう。そうか、だから、さきほど落ちてきた男も、馬姓であったか。親類かなにかであったのかな」
「もしかして、それは馬岱のことか?」
仙人は、白髯をしごきつつ、思い返したのか、うんうんと肯きつつ、答える。
「そんな名前じゃったのう。おまえと同じように、ここに来るなり、帰ると言い出してのう、ダメだといくらいっても聞かぬうえに、ひどい駄々をこねるので、別の世界に送り込んで、その試練を果たすことができたなら、ここから出してやろうと約束したのじゃ」
「別の世界? 試練?」
そのとき、頭上より、雷にも似た大音声がひびいてきた。

「おーい」

その声は、まぎれもない。
あまりに響いて割れてしまっているが、馬超のものである。

「おーい、軍師将軍、翊軍将軍、ついでに岱! そろそろ戻って来ーい!」

わんわんと響き、池の魚が驚いて割れるほどの声に、耳を塞ぎ、苛立つ仙人は、舌打ちをして、言った。
「たわけが。この世界から出るには、儂の与えた試練を乗り越えるか、儂の真名を言い当てることが出来ないかぎりは、無理じゃ!」
「なんだと、おまえの真名は、なんだ?」
趙雲は女たちをかき分けて、仙人のところへやってくると、いまにも掴みかからんばかりに襟元を締め上げた。
「答えよ、俺はともかく、軍師だけでも元に戻せ!」
顔が梅の実のように青くなっている仙人は、手足をバタバタとさせながら、叫んだ。
「おのれ、不埒な振る舞い許せぬ! こうしてくれようぞ! てい!」
仙人の掛け声とともに、ぼん、とふたたび白煙が上がったかと思うと、それまで仙人を掴み上げていた趙雲の姿は掻き消え、そのかわり、1頭の立派な虎があらわれた。
「子龍! 子龍が虎に!」
黄と黒の模様のまぶしい毛艶のよい虎は、孔明の言葉に振り向くと、長細い尻尾をゆるゆると動かした。
少しは言葉がわかっているらしい。
虎には似合わぬ穏やかな表情で、とことこと孔明の前に立つと、なんともいえない悲しげな眼差しで孔明を見上げる。
孔明は身を屈ませると、虎になっても立派な容姿を保っている友を安心させるべく、なだめるように首に腕をからませ、頬をつけた。
「必ずわたしが元に戻してやるゆえ、安心するがよい」
頬にあたる毛並みの心地よさが、なんとも悲しい。
仙人は、咽喉もとを抑えつつ、あらわれた大きな虎を見て、なぜか首をかしげている。
「ううむ、犬にしてやろうと思ったのに、虎になってしまったぞい。こいつの本質が、虎に近いということか。まあ、よいわ。これでしばらく大人しくなるであろう」
「ふざけるな、人を獣に変えるなどと、許せぬ! 早々に子龍を元に戻すがよいぞ!」
「生意気を言うと、そなたも獣に変えてしまうぞ」
威嚇してくる仙人であるが、孔明はその邪な目をまっすぐ見据える。
背後では、趙雲が牙を剥いて、いまにも挑みかからんばかりの勢いである。
「やるならやってみるがよい。わたしは世人より龍と渾名された者。龍に変わったら、この世界なんぞ、ぼろぼろに破壊しつくしてやろう」
仙人は、う、と言葉につまり、それから、まだ「おーい、おーい」と呼びかけのつづく頭上を見て、ぱっと手をかざし、叫んだ。
「うるさい、おまえもこっちへこい!」
とたん、ふたたびドロンと白煙が立ち上がり、さきほどまで自邸にいた馬超が、そっくり姿を現した。
馬超は、きょとんとして、周囲を見回している。
「なんだ、ここは? もしや、これが壷中? おお、なんという美しい場所、そして美女!」
仙人は得意そうに孔明と虎の趙雲に言った。
「ほうれ、これが普通の反応じゃ!」
仙人の声に、馬超は、孔明と虎の趙雲のほうをようやく向いた。
「軍師将軍、いくら呼びかけても返事がないので、心配いたしましたぞ。おや? なぜ百合の花をくわえた虎の首にかじりついている? その虎、是非にわが寝室の敷布に頂戴したいところであるが」
とたん、虎の趙雲が、があっ、と大きく口を開けて、馬超を噛む素振りをする。
孔明は虎の頭を撫ぜて宥めてやり、馬超に言った。
「我らのことは、ほうっておいてくれ。それより、馬岱が大変だ」

かくかくしかじか、と孔明は事情を説明し、馬岱が世界から抜け出すための試練を果たすため、別世界に飛ばされたことを話した。
とたん、それまで美女たちの手前、へらへらと愛想を振りまいていた馬超は、本来の戦士としての顔を取り戻した。
「壷中仙人とやら、岱は無事なのであろうな?」
「頑張っているようじゃが、時間の問題であろう」
仙人が、へろんとした顔で平然というと、馬超は怒り心頭、といった面持ちで、子龍がそうしたように、その白い単衣の襟元をつかみあげた。
「馬岱を戻せ! そうして、俺たちも元の世界に戻すがいい!」
「だまれ、あの男は、生きてふたたび現世に戻るため、儂と契約をしたのじゃ! 一度、約束したことを破るわけには行かぬ! もしどうしてもあの男を取り戻したいというのであれば、お前も共に、試練を果たすが良いぞ」
「ようし、ならば、その試練とやらを言え! 拾った指輪を還しにいくとか、王の命令で魔王を退治しに行くとか、八本頭の人食い龍を退治しに行くとか、そういう話か?」
「まあ、そんなもんじゃな。しかも安心するがいい。儂の試練は、たとえその世界で命を落としても、実際には命を落としたことにはならず、こちらの世界でまた復活することができるという『あんしん設計』になっておる。あ、死んだな、と思ったら、魔法の呪文『利世止(りせっと)』と叫ぶのじゃ。心の準備はよいな? さあ、行くがよい! まはりくまはりた!」
仙人の掛け声とともに、またまた白煙があがり、馬超の姿は掻き消えてしまった。
孔明は、床に伸びた形で横たわる虎の趙雲に顔を寄せ、仙人に聞こえないように小声でささやく。
「どうやら、試練とやらは体力勝負のようであるから、私には不得手だ。この世界から抜け出るための、もうひとつの方法、あの仙人の真の名を突きとめることにしようと思う。協力してくれ」
わかった、というふうに、虎はゴロゴロと咽喉を鳴らした。
「もちろん、あなたを元に戻す方法も、必ず見つけ出すよ。もし元に戻れなかったら、わたしの庭で飼ってやる。ああ、今の屋敷では足りぬな。庭の大きな屋敷に越さないと駄目だ」
うー、と虎は抗議の声を上げる。
「わかっている、冗談だ。牙をむくことないだろう。わたしを食べてもあんまり栄養にならぬぞ。そうそう、落ち着け。しかし、よいこともあるな。私は一度、生きた虎というものに触れてみたかったのだよ。毛皮というのは、なにゆえ、こうも手触りがよいのであろう」
そうして子供のように喜んで、虎の毛を撫でさせる孔明であるが、ほかならぬ迷惑そうな虎の顔には『ふざけるな』と書いてあった。


なんと、まだつづく……

(サイト「はさみの世界」 初掲載年月日・2005/06/05)

おばか企画・しんぼくかい。 2

2020年05月07日 09時58分59秒 | おばか企画・しんぼくかい。
※このページは、いつになくキャラの破壊度が進行しており、そりゃあもう大変な騒ぎです。なにがあっても大丈夫、というフタバの物置並に心の強い方に特にオススメするものであります。

馬超の屋敷は意外にも閑静で、清潔、かつ落ち着いた雰囲気に満ちていた。
建物のたたずまいも簡素ながら趣味がよく、植木の配置もわるくない。
孔明と趙雲が来意を伝えると、羌族の者とおぼしき老人は、髯をきれいに剃って、漢風の衣裳をまとっていたが、漢風の儀礼にかなった丁寧な礼をとって、しずしずと奥へと入っていった。
「初めて見たな」
趙雲がぽつりとつぶやくのを、孔明は聞きとがめる。
「羌族を見るのが?」
「そうではない。羌族やほかの遊牧を生活の旨とする民族というのは、長時間、馬にまたがるために、年を経ると不能になる者がいる。そういった者は、馬から降り、宦官として過ごすのだ。いまの老人もそうなのであろう」
「いろいろ勉強をしているのだな」
「成都にはさまざまな民族がいるし、俺のあたらしい部隊も出自がばらばらだ。民族間の仲が悪いこともあるから、最初にいろいろ調べて編成しないと、あとで厄介なことになる。それで俺なりに、見聞を広げているのだ」
「現場の苦労だな。おや、屋敷の主がきたようだ」

ほどなく、背のすらりと高く痩せぎすで、特長的な腰の細さをもつ馬超があらわれた。
その日、馬超はご機嫌で、いつもならば、孔明と趙雲という取り合わせを見ると、警戒して顔を曇らせるのであるが、酒でも入っているのか、満面の笑顔で出迎えてきた。
「軍師将軍、それに翊軍将軍、よくぞ参られた。拙宅へようこそ、なにもないが、歓迎しよう」
客は歓迎する、というのは民族に関係なく、礼儀として共通するところであるが、その日の馬超は本当に機嫌がよい様子である。
馬超は、容姿から鎧から言動から、なにもかもが派手な男であるが、屋敷は対称的に静かで、調度品のなかには、孔明が思わず足を止めたくなるほどのめずらしいものも稀にあり、おおむね、漢族の上流階級の屋敷と、肩を並べることができるほどに趣味がよかった。
馬超という男の本質が、意外に上品な落ち着きをそなえたものということなのではないか。
屋敷に足を入れて、はじめて孔明は馬超に好感を持った。
それまでは、嫌いだったというわけではないが、馬超の言動はとかく派手すぎて、寡黙な趙雲に慣れてしまっている孔明としては、どこか警戒してしまう相手だったのである。
「よきお屋敷であるな」
孔明が誉めると、馬超は嬉しそうに相好をくずして、顔を振り向かせた。
「そうか。貴殿にそう言ってもらえると、俺としても自信が持てるというものだ。この屋敷の調度やしつらえは、すべて従弟の馬岱が選んだものなのだ。あれはなかなか目利きなのでな」
「馬岱どのと、共に住まわれておられるのか」
「百を超える数を有したわが一族も、いまや、俺と従弟だけになってしまった。俺と馬岱は従弟というだけではない。あれが生れ落ちたときから、常に共にいることを運命付けられた、いわば対の者なのだ」
それにしては、馬岱の姿がない。
あいにく入れ違ってしまったのだろうかと孔明が考えていると、やがて客間に通された。
そこには石造りの立派な卓と椅子があり、見事な芙蓉の花の飾られた壷がある。
この屋敷にくる途中、道沿いに芙蓉の花の咲く道があったが、もしかしたら、この屋敷の者が手入れをしたのだろうかと孔明は感心した。
ちらりと隣を見ると、趙雲も、悪くない、というふうに、素直に感心しているようである。
黒を基調にした、派手でも地味でもない、ほどよい加減の衣を着こなした馬超は、孔明と趙雲に席につくように促すのであるが、その段になって、はじめて孔明は、卓の上に、ちいさな、場の雰囲気にまるでそぐわぬ粗末な壷が置いてあるのに気づいた。
そっそっかしい家人のだれかが置き忘れたものなのだろうか。だとしたら、あえて指摘するまでもなかろう。
気づかない振りをするのが礼儀というものだ。
そうして孔明が気を遣って黙っていると、馬超は、二人が席につくなり、卓の上の、ちいさなみすぼらしい壷を手に取り、なにやら大切そうに、まるで赤子を抱くような手つきで、顔をほころばせた。
「軍師は、すぐにこれに気づかれたようであるが、やはり良いものは、ひと目につくらしいな」
「よいもの?」
誤解である。
孔明の目には、馬超の手のなかにあるのは、ただの粗末な壷にしか見えない。
「これは今朝、市場にて俺が見つけたものなのだ。商人曰く、かの光武帝の愛用していた由緒ただしき壷という。この壷にはふしぎな力があり、人を人外の遊里に導いてくれるという」
とくとくと答える馬超を前に、孔明と趙雲は、思わず顔を見合わせた。
「…市場の取締りを強化して、悪徳商人を追い出さねばなるまいな」
「純朴な羌族を騙すとは許しがたいものがある」
二人の会話を聞きとがめた馬超は、太い眉を大きくしかめて声を尖らせる。
「なに? 詐欺ではないぞ。この壷は、本物だ。現に、馬岱はこの中だ!」
と、壷の差し口を、二人に向ける。
「派手な法螺を吹くな。大の男がそんなちいさな壷に入るものか。切り刻んで押し込んだとしても無理だ」
「子龍、そういう血なまぐさい喩えは、止めてくれないか。想像してしまったじゃないか」
「疑い深い漢人め。この『みんなウットリ。本物の壷中』の素晴らしさが、なぜわからぬ」
「こちゅー?」
孔明も趙雲も、その言葉を聞くなり、顔をしかめて、くるりと馬超に背を向けた。
「おい、どこへ行く、無礼者」
「嫌な名を久しぶりに聞いたな。やはり、子龍の予感は当たったというべきか」
「すまぬが、壷中と名のつくものに対しては、よい印象が皆無なのだ。その壷、早々に処分されるがよい。では、また日を改めて参る」
「馬岱がこの中にいるというのに、処分などできぬ。それに、俺をほら吹きと言う、その根性が気に入らぬ。おい、翊軍将軍、軍師将軍!」
するどく名を呼ばれ、ついつい振り向いた孔明と趙雲であるが、その瞬間、ごう、という強風と共に、視界が真っ暗になった。


つづく……

(サイト「はさみの世界」 初掲載年月日・2005/06/05)

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