とはいえ、人間の感情には波があるわけで、文偉が、一時、覚悟を決めて、あえて策謀を張り巡らせたことがあったのかもしれない。
私利私欲のためではなく、だれかのために、あえて策謀を使ったとしたら?
そうなると、また視点がちがってきます。
楊儀と魏延、どちらかが生きていると、困ってしまう人物はだれか?
やはり蒋琬か。
盟友である蒋琬を守るために、文偉はあえて前線で動いたのか?
とはいえ、魏延や楊儀にまったく味方がいなかった、というわけではないでしょうし、文偉、共犯として姜維、この二人が動いたとして、ほかの、馬岱や王平といった人たちが、黙っていたでしょうか?
魏延は優秀な男で、馬鹿ではなかったから、自分の力を強めるために、賛同者を増やしていたはずです。
魏延の動きを制し、孤立させることが可能な人物、そして、ほかの家臣たちをも黙らせることが出来、魏延や楊儀の死が、みなから必然として迎えられる状況を作れるのは?
ただ一人。孔明です。
つまり、深読みしてぐるぐる考えていたら、あら不思議、結局、元に戻ってきていたのでした。
細かく説明すると、以下の通り。
孔明は、自分の後継としては、楊儀も魏延もふさわしくなく、自分がいたからこそ、ふたりは活用できたと思っていた。文官の楊儀より、魏延のほうが、孔明には危険な存在に映った。
とはいえ、楊儀も危ういことにはちがいない。
そこで、孔明は、楊儀には内緒で、文偉に、二人を消すようにと別の指示を出していたのではないか?
蜀の実権は孔明が握っており、その力は絶大なものだった。
そのため、孔明の死後しばらくは、力がまだ諸将に及んでおり、孔明の遺言どおりに動く文偉に、異議を挟むものもなく、策は成り、二人は死ぬこととなった…
政権交代のために家門が凋落し、貧乏のきわみにいた文偉を引き上げたのは、孔明です。とてもとても恩を感じていたにちがいない。
孔明の死には本当に動揺したことでしょう。
そして、孔明の遺言を忠実に実行した。
そこに気づいたとき、ブラック・ヒイ説は、はさみのの中で破棄されました。
魏略の記載がなかなか邪魔者で、ほかにも、もっと暗い可能性を探すことはできます。
しかし、文偉の性格、魏延や楊儀の性格と、馬謖でさえ斬るのにためらわなかった孔明の厳しさをあわせて、わたしなりに考え、こうじゃなかったのかしらん、と結論しました。
今回、このお話を書くにあたり、文偉を主役に据えたのは、きっかけが『ブラック・ヒイ説』であったからです。
はさみのは認識不足でよく知らないのですが、五丈原というと、だいたい孔明や姜維、仲達に目線を集めたものが多く、文偉や楊儀たちに焦点を当てたものは、少ないのではないでしょうか。
書きながら気づいたこともずいぶんありました。
同国人の、魏延への同情の声が、これほどないのは、帰国するために必要な橋を焼き落とし、敵地に多くの仲間を孤立させる状態を、一時的にでも作ったことが原因だったのでは、とか、ともかく、ネタがつぎつぎ浮かんできて、重い内容ではありますが、とても楽しく書くことができました。
文偉の目線で見た五丈原なので、通常だと山場になりそうな、魏延の最期も、説明だけで終わらせております。
魏延の死は必然だったのか?
その問いに、いまのところ出しうる力ぜんぶを使って書いたつもりです。
もちろん、舌足らずな部分があるかと思いますが、そこはご容赦を。
本当にかわいそうなのは楊儀でして、ずいぶん歪んだ人になってしまいました。
ただ、心の病になっていたのは間違いなさそうでしたので、そのあたり、今後、知識を得るか、あるいは実体験(いやだなー)で楊儀の気持ちはちがうだろう、と思うときがきましたら、また書き換える予定です。
さて、このお話の続編を書く予定は、いまのところありません。
ありませんので、どういう流れを想定して書いたかをすこしだけ。
劉禅の静かなる暴走は、だんだんひどくなっていき、かれは、自分の意のままになりそうな、家臣の子弟(孔明の子など)を寵愛し、かれらを側近として重用するようになります。
この動きを止めるため、文偉は休昭と相談し、自分の子らを後宮に入れることで、その発言力を高めようとします。
しかし、懸命の努力も、蒋琬と休昭が、相次いではやり病で死ぬことによって、崩れていきます。
文偉は、二人を失ったことで、対外政策を一部切り捨てることにして、国内の引締めに専念せざるを得なくなり、それが、逆に劉禅や宦官たちの力を強めてしまうのです。
そして決定打となるのが、文偉が魏の降将に暗殺されてしまったこと。
強力な味方を失った姜維は、孤立を深めていき、最後は、劉禅から見捨てられ、死に至ることになってしまうのでした。
あらすじ書いただけで、しょんぼりしてきます。
劉禅については、また別の見方をすることもできます。
かねてより、魏延と楊儀の確執を快く思っていなかった劉禅が、『孔明の遺志を守るために』蒋琬の出兵をゆるしたのかもしれません。
最初にこの物語をつくった当初は、孔明の霊廟を建て渋ったというエピソードに引っかかりをおぼえたので、こういう造形にいたしました。
この霊廟に関しても、すっかり怠惰な生活に慣れていた劉禅が、孔明の祭祀を公的に許すことで、姜維を始めとするタカ派が勢いづくのを恐れたというだけのことかもしれない。
まだ調べきっていないのですが、姜維と共に死んだ人たちに、文偉の娘婿(皇太子)や蒋琬の子などが含まれているのですが、それは、姜維と、文偉や蒋琬たちとの関係の強さの証明にならないかしらん、とも思います。
さてはて、今回のお話ですが、タイトルをつけるのに、とても迷いました。
仮タイトルの『最初で最後の策謀』は、文偉の動きから名づけたものです。が、政治家として、これが最後の策謀というのはありえない、ということに気づき、変更することにしました。
つづいてつけたタイトルは『龍の葬列』。
あ、孔明の葬式か、とイメージしやすいかしらん、と思ったのですが(楊儀の死のしめくくりの一文は、ここから取っています)、なんだかありきたり。
ほかにも、『介士、愁眠にあり』『虚妄の儀礼』『斗の虚礼』など考えたのですが、どうもぴったりこない。
で、『虚舟の埋葬』に決定。
すぐに五丈原とわからないところがミソ(と、いうか、わかりにくいだろう…)
虚舟とは、からの舟、あるいは虚心のたとえの意味。
からの舟、というのが孔明の棺のことなのか、それとも虚心のことで、むなしい心、つまりは文偉や姜維の心のことか、孔明の絶望を指すのか、あるいは『虚心坦懐』のほうの虚心、公平無私な心、つまり孔明そのものを指すのか、文偉の中にあった、わだかまりのない心が失われたことを示すのか、そこは読んでくださった方にご想像をお任せします。
そして、文偉が最後に許されないと覚悟した『罪』がなんであるかも。
さて、最後に、今回のお話を楽しんでくださったみなさまに、あらためて感謝でございます。
これからも、このお話を超えるものを書けたらいいなと思っています。
おわり。
私利私欲のためではなく、だれかのために、あえて策謀を使ったとしたら?
そうなると、また視点がちがってきます。
楊儀と魏延、どちらかが生きていると、困ってしまう人物はだれか?
やはり蒋琬か。
盟友である蒋琬を守るために、文偉はあえて前線で動いたのか?
とはいえ、魏延や楊儀にまったく味方がいなかった、というわけではないでしょうし、文偉、共犯として姜維、この二人が動いたとして、ほかの、馬岱や王平といった人たちが、黙っていたでしょうか?
魏延は優秀な男で、馬鹿ではなかったから、自分の力を強めるために、賛同者を増やしていたはずです。
魏延の動きを制し、孤立させることが可能な人物、そして、ほかの家臣たちをも黙らせることが出来、魏延や楊儀の死が、みなから必然として迎えられる状況を作れるのは?
ただ一人。孔明です。
つまり、深読みしてぐるぐる考えていたら、あら不思議、結局、元に戻ってきていたのでした。
細かく説明すると、以下の通り。
孔明は、自分の後継としては、楊儀も魏延もふさわしくなく、自分がいたからこそ、ふたりは活用できたと思っていた。文官の楊儀より、魏延のほうが、孔明には危険な存在に映った。
とはいえ、楊儀も危ういことにはちがいない。
そこで、孔明は、楊儀には内緒で、文偉に、二人を消すようにと別の指示を出していたのではないか?
蜀の実権は孔明が握っており、その力は絶大なものだった。
そのため、孔明の死後しばらくは、力がまだ諸将に及んでおり、孔明の遺言どおりに動く文偉に、異議を挟むものもなく、策は成り、二人は死ぬこととなった…
政権交代のために家門が凋落し、貧乏のきわみにいた文偉を引き上げたのは、孔明です。とてもとても恩を感じていたにちがいない。
孔明の死には本当に動揺したことでしょう。
そして、孔明の遺言を忠実に実行した。
そこに気づいたとき、ブラック・ヒイ説は、はさみのの中で破棄されました。
魏略の記載がなかなか邪魔者で、ほかにも、もっと暗い可能性を探すことはできます。
しかし、文偉の性格、魏延や楊儀の性格と、馬謖でさえ斬るのにためらわなかった孔明の厳しさをあわせて、わたしなりに考え、こうじゃなかったのかしらん、と結論しました。
今回、このお話を書くにあたり、文偉を主役に据えたのは、きっかけが『ブラック・ヒイ説』であったからです。
はさみのは認識不足でよく知らないのですが、五丈原というと、だいたい孔明や姜維、仲達に目線を集めたものが多く、文偉や楊儀たちに焦点を当てたものは、少ないのではないでしょうか。
書きながら気づいたこともずいぶんありました。
同国人の、魏延への同情の声が、これほどないのは、帰国するために必要な橋を焼き落とし、敵地に多くの仲間を孤立させる状態を、一時的にでも作ったことが原因だったのでは、とか、ともかく、ネタがつぎつぎ浮かんできて、重い内容ではありますが、とても楽しく書くことができました。
文偉の目線で見た五丈原なので、通常だと山場になりそうな、魏延の最期も、説明だけで終わらせております。
魏延の死は必然だったのか?
その問いに、いまのところ出しうる力ぜんぶを使って書いたつもりです。
もちろん、舌足らずな部分があるかと思いますが、そこはご容赦を。
本当にかわいそうなのは楊儀でして、ずいぶん歪んだ人になってしまいました。
ただ、心の病になっていたのは間違いなさそうでしたので、そのあたり、今後、知識を得るか、あるいは実体験(いやだなー)で楊儀の気持ちはちがうだろう、と思うときがきましたら、また書き換える予定です。
さて、このお話の続編を書く予定は、いまのところありません。
ありませんので、どういう流れを想定して書いたかをすこしだけ。
劉禅の静かなる暴走は、だんだんひどくなっていき、かれは、自分の意のままになりそうな、家臣の子弟(孔明の子など)を寵愛し、かれらを側近として重用するようになります。
この動きを止めるため、文偉は休昭と相談し、自分の子らを後宮に入れることで、その発言力を高めようとします。
しかし、懸命の努力も、蒋琬と休昭が、相次いではやり病で死ぬことによって、崩れていきます。
文偉は、二人を失ったことで、対外政策を一部切り捨てることにして、国内の引締めに専念せざるを得なくなり、それが、逆に劉禅や宦官たちの力を強めてしまうのです。
そして決定打となるのが、文偉が魏の降将に暗殺されてしまったこと。
強力な味方を失った姜維は、孤立を深めていき、最後は、劉禅から見捨てられ、死に至ることになってしまうのでした。
あらすじ書いただけで、しょんぼりしてきます。
劉禅については、また別の見方をすることもできます。
かねてより、魏延と楊儀の確執を快く思っていなかった劉禅が、『孔明の遺志を守るために』蒋琬の出兵をゆるしたのかもしれません。
最初にこの物語をつくった当初は、孔明の霊廟を建て渋ったというエピソードに引っかかりをおぼえたので、こういう造形にいたしました。
この霊廟に関しても、すっかり怠惰な生活に慣れていた劉禅が、孔明の祭祀を公的に許すことで、姜維を始めとするタカ派が勢いづくのを恐れたというだけのことかもしれない。
まだ調べきっていないのですが、姜維と共に死んだ人たちに、文偉の娘婿(皇太子)や蒋琬の子などが含まれているのですが、それは、姜維と、文偉や蒋琬たちとの関係の強さの証明にならないかしらん、とも思います。
さてはて、今回のお話ですが、タイトルをつけるのに、とても迷いました。
仮タイトルの『最初で最後の策謀』は、文偉の動きから名づけたものです。が、政治家として、これが最後の策謀というのはありえない、ということに気づき、変更することにしました。
つづいてつけたタイトルは『龍の葬列』。
あ、孔明の葬式か、とイメージしやすいかしらん、と思ったのですが(楊儀の死のしめくくりの一文は、ここから取っています)、なんだかありきたり。
ほかにも、『介士、愁眠にあり』『虚妄の儀礼』『斗の虚礼』など考えたのですが、どうもぴったりこない。
で、『虚舟の埋葬』に決定。
すぐに五丈原とわからないところがミソ(と、いうか、わかりにくいだろう…)
虚舟とは、からの舟、あるいは虚心のたとえの意味。
からの舟、というのが孔明の棺のことなのか、それとも虚心のことで、むなしい心、つまりは文偉や姜維の心のことか、孔明の絶望を指すのか、あるいは『虚心坦懐』のほうの虚心、公平無私な心、つまり孔明そのものを指すのか、文偉の中にあった、わだかまりのない心が失われたことを示すのか、そこは読んでくださった方にご想像をお任せします。
そして、文偉が最後に許されないと覚悟した『罪』がなんであるかも。
さて、最後に、今回のお話を楽しんでくださったみなさまに、あらためて感謝でございます。
これからも、このお話を超えるものを書けたらいいなと思っています。
おわり。