はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

臥龍的陣 雨の章 その24 仇讐は壺中にあり

2022年06月29日 10時00分56秒 | 英華伝 臥龍的陣 雨の章
そんな劉封《りゅうほう》にとって、劉表にぴったりくっついている蔡瑁《さいぼう》はダニに等しい存在であり、その蔡瑁の親戚である孔明は疑わしい存在らしい。
いまも、劉封は剣呑《けんのん》な目を孔明に向けてくる。

「『壺中』というのがでっち上げではないとなぜ言い切れます。すべて、われらを七年も欺いてきた斐仁《ひじん》のでまかせかもしれない。
斐仁が『狗屠《くと》』で、それが露見しそうになったから、許都から派遣されてきた役人の夏侯蘭《かこうらん》を殺そうとした。
しかし失敗したので、逐電《ちくでん》すべく家族を殺して身軽になったうえで、襄陽城へ向かった。
そう考えることもできるのではありませぬか」

「しかし、それにしては斐仁に知恵が回りすぎるのでは」
関羽のことばに、劉封は馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、顎で孔明のほうを示す。
「そこにいる御仁が知恵をつけたのかもしれませぬ」
「まさか」

劉備は困ったような顔をし、関羽と張飛は顔を見合わせ、ほかの武官、文官ともに、困惑の声をあげた。
「どうしてそう思う。まさか、孔明が徳珪《とくけい》どの(蔡瑁)の義理の甥だから、という理由だけでそんなことを言っているのではないだろうな」
劉備の問いに、劉封は悪びれず肩をすくめた。
「それで十分ではありませぬか」

「乱暴に過ぎるんじゃねえか。だいたい、軍師は徳珪どのの姪っ子とは別れたのだろう」
張飛のことばを孔明は訂正しなかった。
別れたというよりは、逃げられたというほうが正しいのだが、ややこしくなるため、孔明は黙るほかない。
それにしても、劉封がこれほどに自分を疑い、憎んでいたとは。

暗然たる気持ちでいると、劉封は得意そうに笑った。
「問題はかんたんに解決します。この御仁に問いただし、蔡瑁の真意を探るのです。それで、やつの野心を暴き、劉州牧に突きつける。
そうすれば、さすがのお人よしの劉州牧も、蔡瑁を斬る決断をされるでしょう。
蔡瑁という後ろ盾がなくなった次男の劉琮どのは自然と失脚。劉琦どのが後継者に決まります。いや、うまくすれば、義父上《ちちうえ》に出番が回ってくるかも」

「言葉が過ぎるぞっ」
さすがの劉備が声を荒げる。
劉封は黙ったが、しかし笑みはひっこめなかった。

「仮に軍師が蔡瑁とつながっているとして、だ」
関羽のことばに、となりの張飛がおいおい、とたしなめる。
「あくまで仮の話だ。劉封の説明はおかしなところがある。斐仁は襄陽城へ行って、なぜか劉琦どのではなく、劉琦どのの学友であった程子文《ていしぶん》を殺害した。それについてはどう説明する」
「劉公子と程子文をまちがえたのでしょう。ねえ、そうは思いませぬか」

劉封が同意を促したのは、となりにいる麋芳《びほう》であった。
ところが、いつもならガミガミがあがあとやかましいこの男が、今日に限っては静かである。
伊籍と同じくらいに蠟《ろう》のように白い顔をして、ぎゅっと両手の拳を握って、なにかに耐えているような風情だ。

「劉公子と程子文は姿かたちがまったくちがいます。間違えられることはありえない」
伊籍が震える声で発言する。
なぜ声が震えているのか、孔明にはわからなかった。
まさか、孔明が窮地にいるために、義憤にかられているというのではあるまい。
伊籍の目線は、劉封ではなく、なぜかそのとなりの麋芳に注がれていた。
しばらく、伊籍はじっと麋芳のほうをにらみつけていたが、やがて、目線を外し、劉備の前に、身を投げ出すようにして屈《かが》み出た。

「やはり、劉予州には正直に申し上げなければなりますまい」
「なんだい、なにか嘘でもついていたのか」
「いいえ、嘘はついておりませぬ。しかし、みなさまの応援ほしさに、黙っていたことがございます」
「それは?」
「程子文がそもそも殺されたのには理由がございます。けっして、劉公子に間違われたからではありませぬ。
程子文が殺されたのは、劉公子を州牧にするために決起しようとしたからでございます。
そして、そうするよう仕向けたのは、ほかならぬ、麋竺《びじく》どのなのでございます」
「なんだって!」

おどろき、劉備が探るように麋芳のほうを見る。
家臣たちも、いっせいに麋芳に目線をあつめた。
その矢のような視線の勢いに耐えきれなかったのだろう。
麋芳はがくりとうなだれると、絞るように言った。

「申し訳ありませぬ、わが君。兄が家で寝込んでいるというのは、うそです。
いえ、このところ夢見が悪いといって具合が悪かったのはほんとうです。
ですが、兄は十日以上前にとつぜん新野を出て、襄陽城に向かったのです」

「どうして」
「わかりませぬ。ただ」
麋芳はごにょごにょとことばを濁す。
「どうした」
「兄は女と逃げたようなのです。家の恥になると思い、黙らざるをえませんでした。まさか、出奔先でこのような大事をしでかすとは」
「女と逃げた?」
「さいごに兄の姿を見たものがそう申しておりました。そして、兄は軍師あての手紙を残しておりました」
「その手紙はどこへ」
「恐ろしくて、燃やしてしまいました。ですが、内容はおぼえております。そこには、一行だけはっきり書かれておりました」
「なんとあったのだ」

「『忘れるな、仇讐《きゅうしゅう》は壺中にあり』と」

みなの視線が、いっせいに自分に集まったのが、孔明にはわかった。

孔明の脳裏には、旧友の相貌が浮かんでいた。
崔州平《さいしゅうへい》。
かれとおなじ言葉を麋竺もまた残していった。

いったい、その言葉にどんな意味があるのだろう。
孔明は、ぞくっと背筋を這い上るものをおぼえた。

雨の章、おわり

臥龍的陣 花の章につづく

※ あとがき ※

〇 どうやら2010年代にも推敲した気配がある。記録に残っていないため、確実には言えないが…しかし、何度も推敲して、この誤字脱字のクオリティ…どうした、自分。
〇 麋竺の「び」の字を間違えていた様子。麋芳の「び」の字も当然、まちがえていた。大反省!
〇 初稿では「播天隆」だった名を「潘季鵬」に変えた。オリジナルキャラクターの名前をつけるのはむずかしい。いや、それにしても初稿当時の名前はおかしかった。これまた反省している。ただし、名前を変えても役割は変わらず。
〇 今回、「孤月的陣 夢の章」のリライト版を受けて、足したり削ったりした。
〇 「雨の章」に関しては、大筋を変えるところが少なかった。ただし、二つから三つの文章をむりやりくっつけて一つの文章にしたような、おかしな文章が多かったので、改めた。
〇 ラストの孔明と劉備たちの話し合いのシーンを追加した。
〇 趙雲とともに公孫瓚に仕えていた仲間として、初稿時には「朱季南」というオリジナルキャラクターが参加していた。
しかし、今回、夏侯蘭に差し替えた。一番の大きな変更点かもしれない。
夏侯蘭がどういう役割をしていくか、そこにご注目ください。

明日からもどうぞよろしくお願いしまーす!(^^)!

臥龍的陣 雨の章 その23 劉封の進言

2022年06月28日 09時21分26秒 | 英華伝 臥龍的陣 雨の章
「子龍の幼馴染《おさななじみ》の夏侯蘭というやつを斐仁が襲ったのは、なぜなのだ」
「これは推測ですが、『狗屠《くと》』と『壺中』はつながっているのではないでしょうか。子龍と夏侯蘭が、『狗屠』を追うと、同時に『壺中』も危うくなる。わが君のことを『壺中』が探っていたことも露見してしまう。
そこで、斐仁は夏侯蘭を襲った。成功すれば、つぎに子龍を襲うつもりだったのでしょう。
しかし、夏侯蘭を殺せず失敗してしまった。そこで、見せしめのために『壺中』に家族を殺されてしまったのです」

「軍師、なにゆえ『狗屠』は娼妓を殺して回っているのだろう」
うめくように尋ねてくる関羽に、孔明は明快に答えた。
「これも推測ですが、かく乱のためでしょう。許都と新野とでそれぞれ犯行におよんだことがわかっています。曹操のお膝元と、われらの目と鼻の先とで、町を混乱させるためではなかったかと」

答えたものの、孔明は、もうひとつの可能性を口にのぼらせることははばかった。
もうひとつの可能性。
それは、趙雲が娼妓の死体を見て言った『激情が感じられた』という言葉にかかわりがある。

もしかしたら、『狗屠』という殺人鬼は、間諜などではなく、純粋に人を殺してまわるのが好きな狂人ではないのか。
そして、それを一員に加えている『壺中』は、かなり危険な相手ではないのか。
だがそれも、推測のひとつにすぎない。
余計なことばで、みなの不安を煽るのは、この場合、得策ではない。
ただでさえ、斐仁のことがきっかけで、劉表と戦になってしまうかもしれないという局面なのだ。

「だが、わからないことがひとつあるな。なんだって、斐仁は足が悪いフリをしていたのだい。ふつうにしていたほうが、動き回りやすかっただろうに」
張飛がするどいところを突いてくる。
孔明も、そこはわからないところであった。
素直に、わからないと答える。
「どうして斐仁が足が悪いフリをしていたのかはわかりませぬ。襄陽の斐仁に直接問いただせば、なにかわかるかもしれない」

「なるほど、それで急いで襄陽城へ行ったほうがいいということか。しかし軍師。軍師と子龍と伊機伯どのだけで乗り込むので大丈夫なのかい。程子文という男が殺されたことで、劉公子(劉琦)は謀反の疑いがあると父君の劉表どのににらまれているわけだろう。軍師や子龍も巻き添えを食わないだろうか」
「そうかといって、大勢で乗り込んでは、かえって相手を刺激します。わたしと子龍のふたりなら、かえって身軽でよい」

「しかし、いまこうしているあいだにも状況が動いて、劉公子が囚われてしまっているということはないか」
言いつつ、劉備がちらりと、青くなっている伊籍《いせき》のほうを見る。
伊籍は水を向けられたとわかったようで、顔をあげて答えた。
「わたしの仲間たちが残って劉公子をお守りしております。いまのところ早馬も届いておりませぬし、大丈夫でしょう。しかし、なるべく急いで戻らねばなりませぬ」

伊籍はもともと朗《ほが》らかな男なのだが、さすがに主君と定めた劉琦が危ないためか、青ざめて、なぜかきょろきょろと周囲をうかがっている。
ひとりだけ襄陽の人間だから居心地が悪いというだけではあるまい。
孔明は、すこし怯えすぎなのでは、とすら思った。

「待たれよ、これが罠ではないと言い切れないのでは?」
張りのある若者の声に、その場の全員が、はっとして声の主のほうに目を集めた。
憤怒の表情を浮かべた劉封であった。

劉封は、孔明が隆中《りゅうちゅう》から出仕する前に、劉備に見込まれて養子となった人物である。
劉表の一族につながる血筋の若者で、それゆえに、はっきりとは口に出さないが、いずれ劉備が天下に名乗りを上げる日が来た時には、劉表やその息子たちを差し置いて、自分が荊州を守っていくのだという大望《たいもう》を抱いているようであった。


つづく

臥龍的陣 雨の章 その22 謎は深まる

2022年06月26日 12時24分56秒 | 英華伝 臥龍的陣 雨の章


なるべく早く襄陽城へ出立せねばならない。
伊籍《いせき》のはなしでは、斐仁《ひじん》は程子文《ていしぶん》を殺したその直後にとらえられ、いまは牢につながれているという。
だが、その牢でまちがいがあったら、手がかりを持つ斐仁が死んでしまう可能性がある。
『壺中』ということばの意味は、はっきりわかっていないが、なんらかの組織、あるいは集団を指すことばなのだろう。
その集団が、斐仁の命を狙う可能性もある。
だからこそ、急がねばならないのだ。

本来なら、すぐさま馬を飛ばして南へ走りたいところだが、劉備たちにあいさつしなければならないし、伊籍のこともあるし、寝込んでいる趙雲の熱も下がりきっていない。
焦れる気持ちを抑えつつ、孔明は劉備のもとへ向かった。

趙雲から聞いたはなしをひととおり劉備たちにもする。
かれらは一様に、斐仁が言った『壺中』という組織、あるいは集団に心当たりがないと言った。

「斐仁の足が悪くなかったということもおどろきだが、『壺中』というものにもおどろきだ。いったい、どういう集団なのであろうな。その『壺中』とやらが、斐仁をこき使っているわけか」
劉備のことばに、孔明はうなずく。
「おそらくそうだと思われます。斐仁はわが君を見張るために派遣されていた男とみてまちがいないでしょう。その斐仁の家族が殺されたのは、口止めか、見せしめのためにちがいありません」
「見せしめというと、いったい誰に対しての見せしめなのだろう」
首をひねる劉備に、孔明もおなじく首をひねらざるをえなかった。
「わかりませぬ。ただ、想像する以上に、『壺中』という集団は大きい集団なのかもしれませぬ。斐仁のようにしくじると、家族を殺してしまう凶悪な集団でもあるようです。恐怖で支配することで、集団の結束をはかっているのかもしれませぬ」

ううむ、と腕組みして考え込む劉備。
「しかし、わしを見張っていたとなると、『壺中』は曹操の手の者であろうか」
「兄者、わしは『壺中』というもののことは初耳だ」
関羽が口をはさんだ。
曹操のもとにとらえられ、一時期、こころならずも仕えていた関羽は、いまいる劉備の家臣たちのなかでは、ずば抜けて曹操の内情にくわしい。
「では、ほかにだれが?」

劉備のつぶやきに、孔明はひとりの男の顔を思い浮かべていた。
それは、老いた劉表の補佐をしている、蔡瑁《さいぼう》の顔であった。
蔡瑁。
あざなを徳珪といって、野心家で、劉表の寵愛を一身にあつめる後妻の蔡夫人の弟でもある。
孔明の妻の黄月英《こうげつえい》の叔父でもあるが、あまり付き合いがなく、むしろ疎遠といっていいほどの間柄だった。

蔡瑁は、司馬徽《しばき》とその弟子たち…つまりは徐庶と孔明が劉備に接近したことをおもしろくなく思っている。
さらに蔡瑁は、劉備の名望の高さをねたみ、恐れている。
老いた劉表が、後継を長男にするか、次男にするか迷っているなか、劉備がその候補に割り込んでくる可能性があるのではと恐れているのだ。
あからさまに敵意を見せて、襲ってくるような馬鹿な真似はしてこないが、かれが劉備とその家臣たちを煙たがっているのは、荊州では知らない者がいないほどになっていた。

その蔡瑁が『壺中』を組織しているとなると、話の筋が通る。
劉備をおそれる蔡瑁が、『壺中』の一員である斐仁を間諜の代わりにして、劉備を見張らせていた。
斐仁は目立ってはいけなかった。
だが、長年の平和な暮らしの中で気が緩み、斐仁はへまをやる。
娼妓を買い、空いていた屋敷に連れ込んだはよいが、そこで運悪く『狗屠』なる娼妓殺しの下手人に襲われる。
命からがら、斐仁だけは生き残ったが、しかし、趙雲に目撃されてしまった…

つづく

臥龍的陣 雨の章 その21 斐仁を追って

2022年06月24日 13時24分54秒 | 英華伝 臥龍的陣 雨の章


馬を走らせているうちに雨は止み、そして白々と東の空が明るくなってきた。
皮肉なことに、久しぶりの晴天となった。
雲ひとつない青天の下、|田圃《たんぼ》にいっぱいにはった水がきらきらと輝き、遠方では、ゆうべの雨が蒸気となって、山に|霞《かすみ》をかけているのが見える。
もしもこんなときでなければ、詩心のない趙雲でさえ、足を止めてじっくりと光景をたのしみたいと思うほどに、うつくしいながめであった。

日が高くなるにつれ、茂みや木々のあちこちから、蝉の声が聞こえてくる。
愛馬を駆って、趙雲は、ひたすら襄陽へと向かった。
おそらく、斐仁も同じ道を向かっているにちがいない。
馬だとしたら先行しているだろう。
ゆっくりしている暇はなかった。
新野城で問題が起これば、陳到に早馬を寄越すようにと伝えてある。
いつもは昼行灯のように振る舞っているが、ここぞというときにはおどろくほどの胆力を見せる男だ。
うまくやってくれるだろう。

そうして、陽が落ちかけたころ、前方から、馬が駆けてくるのが見えた。
斐仁か。
そう身構えたものの、すぐにそうではないことが知れた。
いや、正しくは斐仁の知らせを持つ、襄陽城からの早馬と、それに同道している|伊籍《いせき》であった。
そこで趙雲は、伊籍から、斐仁が劉琦の腹心を暗殺し、その場で捕らえられた、という話を聞く。




「斐仁が殺めたという男は、|程子文《ていしぶん》といって、劉公子(劉琦)のご学友だった男だ。絵心があるとかで、内気な劉公子とは、格別に仲がよかったのだよ」
言いつつ、孔明は遠くに目をうつす。
そうして、遠くをみやったまま、言った。
「『|壷中《こちゅう》』という言葉、たしかにまちがいないな?」
「ああ。叔至にも聞いてくれ。しかし、どういう意味だ? なんらかの組織の名のようだが」
孔明は、趙雲の問いには直接に答えず、つぶやいた。

「忘れるな、|仇讐《きゅうしゅう》は壷中にあり」

なんだそれは、と問うと、ようやく孔明は、寝台の上にいる趙雲のほうに目を向けた。
硬く冴えた眼差しであった。
「わが友の|崔州平《さいしゅうへい》が、新野を出る前に、わたしにそう言い残したのだ。意味はわからぬが、嫌な予感がしたのでとくに覚えていたのだ」
そう言って、孔明は、借金をかえすために出奔すると語っていた崔州平のことを簡単に語った。
淡々と、わかりやすい口調で話すのであるが、それがむしろ、得体の知れない不気味さをふくらませた。

孔明は、ほつれてきた髪を、うるさそうに跳ね除ける。
しばらくそうやって、ほつれた毛をいじっていたが、やがて手を止めて、深くため息をついた。
「だめだ。考えがまとまらぬ。やはり、襄陽へ行かねばなるまい。襄陽城に捕らえられている斐仁から情報を引き出すのだ。
夏侯蘭のほうは、わが君に相談して、叔至のほかに、捜索の人員を増やす。五石散に耽溺している人間ならば、どこか悪所で匿われている可能性が高いな。われらは、斐仁を追うぞ」
「われらというからには、おれも含まれている、と見てよいのか?」
孔明は、なにを今更、というふうに眉をあげてみせる。
「当然ではないか。あなたはわたしの主騎だろう。麋芳どのや劉封どのらが訴えているように、罪人として引っ立てていくつもりはないぞ。ちなみに野暮を承知で聞くのだが、明日の朝までに熱は下がるか?」
「もちろんだ」
「よろしい。それでは、わが君にご相談してくる。明日は早いぞ。いまから休んでおくがいい」

つづく

臥龍的陣 雨の章 その20 壺中

2022年06月22日 10時11分23秒 | 英華伝 臥龍的陣 雨の章
今まで起こった出来事が、なにひとつうまく繋がらない。
殺された娼妓、
娼妓を殺したという狗屠、
その風狗を追って許都からやってきた夏侯蘭、
夏侯蘭を殺そうとした斐仁、
斐仁の家族は皆殺しにされ、
斐仁はそれが趙雲のせいだと思い込む。

ぎん、と刃と刃が組み合った。
力のぶつかり合いになり、趙雲と斐仁はしばらく真正面からにらみ合う。
「斐仁、聞け。おまえの家族はおれがここに来る前に、もう死んでいた。それに、なぜおれがおまえの家族を殺さねばならぬのだ!」
「知れたことを! こちらも迂闊であった! 劉備のすぐそばに、『壷中』の人間がいるとはな!」
「壷中?」
「いまさら、シラを切る気か!」
斐仁の、その中年太りの兆候さえみせはじめている身体のどこから力が出たのだろうと、不思議に思うくらいに強い力で、趙雲は跳ね飛ばされた。
すぐさま斐仁の刃が、脳天めがけて降ってくる。
これをかわすが、斐仁の攻撃は止まない。
じりじりと、中庭に追いつめられる形で刃を避けていく。

もはや、どんな言葉も、怒りに燃える斐仁の耳には届かない。
何を考えているのかわからないと、仲間内で評されていた男が、はじめてはっきりと表現した感情が、殺気と怒りであった。

ふたたび、刃が繰り出される。
趙雲は中庭に面した廊下の柱に手をかけて、それを支えに、大きく身体を逸らせると、その反動を活かし、欄干に登った。
さらに足をめがけて斬りかかってきた斐仁の刃をかわし、そのまま斐仁に飛び掛る。
地面にもんどりうった斐仁の剣を持つ手首をまず押さえ、つづいて、膝で、両肩を押さえこむ。
それでもなお、斐仁は抵抗をやめなかった。
「聞くぞ。『壷中』とはなんだ?」
「たわけたことを。貴様がそうであろう! ぬかったわ。貴様も、もとは貴門の出。連中同様、下賤の者は、虫けら同様に扱える人間であったな。おれを口止めしただけでは足らず、恐ろしくなっていまさら命を奪おうというのか! 昨夜の刺客は、貴様が放ったものであったのだな!」
「刺客?」

そこへ、表のほうから叫び声が聞こえた。
「子龍どのっ、いずこにおられるか!」
陳到であった。
趙雲は、思わず陳到のいる方向へ顔を向ける。
ほんの一瞬、力が弛んだことを逃さず、斐仁は趙雲を突き飛ばし、その手から逃れた。
「待て!」
「これは何が起こったのですか」
といいながら、入ってきた陳到は、すぐに口をあんぐりと開けて、凍り付く。
カラスのごとくひらりと身を飛び上がらせ、斐仁が屋根に上ったのだ。
「斐仁、おまえ、足は? そして、何事だ、これは!」
「ふん、陳叔至も仲間か。ずいぶん騙されてきたものだ。趙子龍、この仕打ちは決して忘れぬぞ。この復讐はきっとする。おぼえているがいい! 襄陽の仲間に、目に物みせてくれるわ!」 
言い捨てると、斐仁は霧雨の降る夜の闇の向こうへと飛び去っていった。

「いま、奴は、襄陽、と言ったのか?」
「はい、それがしもそう聞きました。子龍どの、これはいったい、何事でございますか? 斐仁に、何事が起こったのです?」
「わからぬ」
さっぱりわからない。
足を悪くした、有能な部将。
そう思っていただけに、今夜の豹変ぶりは趙雲の混乱をさらに深めた。
子沢山で養うのが大変だと、笑いながらこぼしていた男と、さきほどまで、鬼神の形相で刃を交えた男が、同一だとは思えなかった。
「ともかく、ご無事でなによりでございました。お一人であったのは、残念ですが」
そういわれて、ようやく趙雲は、陳到の家に置いてきた夏侯蘭を思い出した。
趙雲の表情で、察したのか、勘の良い陳到は、ぱっと平伏し、問われる前に答えた。
「申し訳ございませぬ。目を離したわずかな隙に」
「逃げたのか」
「五石散の毒にやられていると見くびっておりました。しかしあの症状はほんもの。遠くまで逃げることはできまいと追ってきたのですが」

五石散の中毒は長いとされる。
人間が罹りうる、ほどんどの病の症状が、一気に吹き出たのではないか、というくらいにはげしい苦しみがその特徴だ。
手足のしびれ、頭痛、嘔吐はもちろんのこと、下痢、幻覚、眩暈、高熱と、身体の自由を奪うのに十分な症状がいっせいにあらわれるのだ。
逃れるためには五石散の毒が抜け切るまで歩き回るほかない。
そんな身体で、どこへ行ったのか。

斐仁が言った『刺客』とは、夏侯蘭を指すのか? 
とすると、『壷中』とは、曹操と関わりのある組織なのか。
だとすると、襄陽城がなぜ出てくる。
劉表の居城である襄陽城が…

嫌な予感がした。
それまでにない、不吉で重苦しい予感であった。

「叔至、おまえは夏侯蘭を探してくれぬか。おれは、斐仁を追う。おそらく襄陽へ向かったのだろう」
「御意。お気をつけめされよ、子龍どの。どうも嫌な予感がいたします」
「うむ。万が一にそなえて、おまえも家に護衛をつけておけ。それと、おれが留守のあいだ、軍師の御守りをたのむと関羽につたてくれ」
「それがいちばんの大仕事ですな。関将軍が渋るさまが、いまから目に浮かびます」
すまぬ、と言い捨て、趙雲は、その足で陳到の屋敷につないでいた愛馬を引き出し、襄陽へと向かった。

つづく

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