※
董氏の帯を渡された馬超は、しばし言葉も表情も失くして、押し黙っていた。
馬岱は、その場で蹴り倒されようと、殴り倒されようと、構わぬつもりで、じっと亀のように身体を曲げて、その前に蹲っていた。
だが、罵声の言葉も、もはや慟哭もなく、張魯の追っ手を切り伏せた返り血を浴びた、壮絶な姿をした馬超は、ただひとこと、うつろな表情で、こう言った。
「おまえが帰ってきて、うれしい」
馬岱は、その場にて、男泣きに泣いた。
講談で聞いた、劉備の配下の趙子龍という男は、ちゃんと嫡子を守って生きて帰ってきたという。
それなのに、自分は、二人とも救えず、一人でおめおめと戻ってきた。
だれより守らねばならぬ、従わねばならぬと、必死になってついてきたこのひとを、ほかならぬこの自分が、孤独の最奥へと、このひとを突き落としてしまったのだ。
そう言って、胸を叩いて泣いた。
この日より、馬超の顔から、明るい笑みが一切消えた。
そのかわりあらわれるものといえば、ひたすら容赦のない運命のつぶてに、自嘲するような、皮肉めいた、見る者を落ち着かなくさせる、乾いた笑みであった。
馬超は、馬岱が落ち込んでいるのを、幼い頃から共に育った者として、すぐに気づいたから、以前にも増して、この従弟になにかと声をかけ、ありとあらゆることを相談し、どんな些細なことでも打ち明けるようになった。
馬岱も、逆にこの敬愛する従兄の思いに気づいていたから、心では慟哭しながらも、まるで一切を忘れたかのように、あえておどけて振る舞った。
沈みこんでいる暇はなかった。
もはや馬超の『家族』は、涼州兵だけであった。
かれらを、いかに高く劉備に売るか、である。
そも、劉備という男が、噂や講談のように、共に志を同じくできる人間であるのか、それがわからない。
実際に手紙のやり取りをしたのは、龐統相手、あるいは孔明相手であった。
成都を包囲した劉備のまえにあらわれた馬超は、最高の礼をもって、大仰にかんじられるほどに、熱烈に迎えられた。
まずは軍師たる諸葛孔明があらわれ、ここまでやってきたことを労って、まるで家臣がするかのような丁寧な礼をしてきた。
孔明がそうしたのを見て、周囲の将兵、あるいは文官たちも、とまどいながら、馬超を皇帝のようにして迎えた。
馬超は、というと、それを戸惑いもせず、喜びもせず、乾いた心でながめていた。
なぜ、かれらがここまで歓迎するのかは、わかっていた。
いや、歓迎されてしかるべきではないか。自分は、ここに来るために、最愛のものを、ふたつも手放したのだから。
孔明というのは、涼州あたりには、なかなかいそうにない、雪のように白い肌をもつ、男とも女とも知れぬ雰囲気をもった、優美で典雅な男であった。
とはいえ脆さや弱さはそこになく、不気味なほど澄明で、力強い双眸が印象的な青年であった。
噂には聞いていたが、まだずいぶんと若い。
馬岱は、というと、さきほどから子龍、子龍と孔明に呼ばれている、ひどく男ぶりの良い武将を見て、ああ、これが、かの趙子龍か、と思い、複雑な思いにとらわれていた。
趙子龍は、想像とちがって、ずいぶん怜悧で、近づきがたく見えた。
もっと子供に好かれそうな、おだやかで、さわやかな笑みの似合う男を想像していたのだが。
そうして、馬超は孔明の案内によって、ついに劉備と対面する。
その胸にまず去来したのは、希望でも失望でも、戸惑いでもどちらでもなく、董氏が最後に言った、
ひとつの宿りには留まることはできない
という言葉であった。
その後、噂では、秋も董氏も、すぐさま馬超への報復として殺されて、見せしめの如く遺体はしばらく晒されていたそうである。
だが、不憫に思っただれかが、夜陰に乗じて、遺体を持ち去り、葬ってくれたとか。
それを聞いて、世の中というのは、最悪のところで、なぜかいつも、か細い糸のように、光を照らすな、と馬超は思った。
おまえは、こんな目に遭ったことはあるか。
馬超は、燦々と明るい太陽のような笑みを浮かべる劉備に、例の乾いた笑みで答えつつ、胸でそっと問いかけた。
そうして、自分を歓迎してくれることへの謝辞を述べ、今後の軍兵の動かし方や、いかに成都を攻撃するかの話を、孔明も交えてするのであるが、そのあいだも、投げやり、というのではないが、まるで魂だけが、別なところから自分を眺めているような感覚が抜けることはなかった。
馬超は、劉備には、失望はしなかったけれども、これもまた、ひとつの宿りなのだ、と思い、忠誠心というのは湧かなかった。
もとより、馬超という男は、翼の生えた駿馬なのである。いかなる英雄をも、その背に乗せることはない、気高い天馬なのだ。
おまえは、俺に自由をくれたのか、それとも、劉備という、あたらしい枷を与えてくれたのか。
董氏のことを思いながら、馬超は故郷とまったくちがった、険阻な山々のつらなる光景を前に問いかけてみるが、答が浮かぶことはなかった。
馬超はその後、客将でありつづけた。
劉備のもとに馬超があらわれるや、成都はわずか十日で降伏した。それほどに、『馬超がやってきた』ことは大きかったのである。
それからのちの馬超は、位こそ高位を得たものの、大きな功労を挙げることなく、四十七のときに病を得て死んだ、とされる。
それからも馬超の一族が厚遇されつづけたのは、ほかならぬ、この成都を包囲した際に、馬超の名の轟きによって、まるで魔法のようにその堅固な守りが消え、劉備が一国を得ることができたからである。
そのときの記憶が人々の中にあまりに鮮烈に残ったがために、馬一族で、蜀の位が下がることはなかった。
もちろん、人と並び立つことを嫌う馬超を、馬岱がさまざまに必死で支えたために、蜀に入ってからの馬超の日々が、穏やかなものであったのは、忘れてはならない。
とはいえ、あの馬超が、たった四十七歳の若さで、平凡きわまりなく人生を閉じた、という事実を信じかね、久しく、羌族のあいだには、馬超は生きているのではなかろうかという噂が、たびたび流れたそうではあるが。
※
風と空の下でなら、書物の内容が頭に入るかな、とおもった理であるが、かえって風にゆれるさわさわとした音に気をとられ、何も手がつかなかった。
わたしは武の才能もなければ、文の才能もないし、容姿もいまひとつぱっとしない。
そもそも、自分が生まれたいきさつからして、なんともはやで、父が、湯殿番の女に、ちょっとした出来心で手をつけて生まれたのが、そうだという。
ひとりだけ身分低い女を母に持つ彼は、あまたいる兄弟たちから列の離れたところにいる…と自分では思っていた。
すこしでも、兄の役に立とうと、勉強をはじめたが、かの魏の名軍師であったという郭嘉と同じ字、奉孝をもつというのに、自分で認めるほど、理の頭脳はうまく働かない。
だいたい、暗記が苦手であるし、大勢のまえで、人の耳目をあつめるような気の利いたことを言うこともできない。
家人らは、若さま、若さま、といって遇してくれるが、十七の理にとって、これでよいのかという、己への問いかけは、日々膨らむばかりであった。
生真面目で、思いつめやすい性格をしている理であったから、これでは駄目だと自分でつぶやきつつ、手にしていた書物を、ぽんと草原に投げて、ごろんと横になってみる。
珍しく、厚い雲の間に間に、青空が見えていた。
風がざわざわと、草原を流れていく。目を閉じていると、まるで水底に沈んでいるかのような錯覚さえ覚えるではないか。
「危ない!」
甲高い声がして、理は仰天して目をぱっと開き、起き上がろうとしたが、思わず身を凍らせた。
開いた目の前に、大きな馬の黒い腹があった。
凍りついたまま横になっていると、どん、と馬が地面に降り立った音が聞こえ、それから、馬の背にいた人間が、あわてて降りてくるのがわかった。
「なぜこのようなところにいるの?」
と、乗り手は言ったが、その声が、少女のものであることに、理は気がついて、おや、と顔をあげた。
顔をあげた途端、黒さの劣る髪を、馬の尻尾のように頭頂部で一つに結って、そのまま垂らしている、簡素な男物の衣裳に、女物の帯、という出で立ちの少女が、目の前にあった。
高い鼻梁と大きな瞳をもつ、どこか西方の異民族を思わせる風貌をした、うつくしい少女であった。
「怪我をしたの? だったら、乗せていってあげるわ。成都までだけれど」
と、少女は理に心配そうに尋ねる。物腰と、大人しく尻尾を振って、乗り手を待っている黒馬の馬具から見て、良家の子女というのはすぐにわかった。
「怪我をして、倒れていたのではないよ。ちょっと疲れたから、横になっていたのだ」
理は、傍らに投げ捨てるようにしていた書をちらりと見る。少女も、それで納得したらしく、草の上にあったそれを拾って、小さく笑みをこぼした。
「そうなの? わたしも学問はきらい。叔父上は、学問は女人にも必要だから、読み書きだけではなく、読めるところまででよいから、四書五経は目を通しておきなさいとおっしゃるけれど、そんな気になれないの。叔父上は、わたしが父に似た、といって嘆かれるわ。父上も、学問に暗かったから、生きている間に、いろいろと苦労なさったのですって」
「奇遇だね、うちの父も、若い頃は無茶ばかりして、私塾に通ってはいたけれど、ろくに勉強しなかったので、あとでずいぶんツケを払うことになったとおっしゃっていたよ。四十過ぎて、長兄がお生まれになったあたりから勉強をしなおしたが、若い頃とちがって、頭がうまく働かないので、大変だったということだ」
「学問なんて、学問が好きな人がやれば言いと思うわ。わたしは、こうして馬に乗っているほうが好き。叔父上は、駄目だ、駄目だとおっしゃるけれど、本当は、わたしがいちばん父上に似ているから、嬉しいのよ。その証拠に、あの馬だって、下さったの。父上の馬よ。老馬だけど、よく言うことをきく、よい子なの」
と、少女は得意そうに言う。
すると黒馬は、少女の誉め言葉に答えるようにぶるる、と鼻を鳴らした。
「利巧だね。貴女の言葉がわかっているようじゃないか。うらやましいな。父は一人っ子であったし、義兄弟もみな死んでしまわれた。父親代わりになってくださった方も、たまに手紙を下さる程度であるから、わたしには、そんな贈り物をくれる人がいない」
すると少女は、そうなの? と同情するように、悲しそうな顔をみせた。
「でも、気落ちすることないわ。わたしだって、兄弟はいるけれど、みんな母さまがちがうから、仲が良かったり、悪かったりよ。叔父上は、馬超の名を決して穢す真似はするなと口を酸っぱくしておっしゃるけれど、わたし、父上は、きらい」
「きみの父君は、馬超…威侯なのか?」
そこで理は、ようやく少女の名前を聞いていなかったし、自分も名乗っていなかったことに気づいた。少女も同じであったらしく、あっ、となって、あわてて答える。
「ごめんなさい、名乗っていなかった。わたしは」
と、名乗ろうとする少女を、理は留めた。
「待って、こうしないか。わたしたちは、互いに名乗らないでおこう。だって、だれもいない郊外で、こうして二人で会っているなんて誤解されたら、面倒じゃないか。互いに、知らないまま、仲良く別れるほうが、気持ちがいい」
「そうね、名前は相手を縛るものね。でもすこしずるい気もするわ。あなたは、わたしの父を知っているけれど、わたしは知らないのですもの」
「父の名は言えないのだよ、すまないが。でも、わたしも君と一緒で、父上が好きではない。わたしの姓だけ言おうか。劉だよ」
「劉? どこの劉? まさか主公の劉氏? でも主公に似ていないから、ちがうわね」
理は、馬超の娘が、好きに判断してくれたのでほっとした。
「そうだ、わたしも、わたしの父が好きではないよ。これでおあいこだろう? わたしは、父が母をあまり好きじゃなかったから、母の変わりに父を嫌っているのだ」
少女は、理のことばにおどろいたようだ。父を嫌うなどという言葉が、当時、徹底的に染み付いていた孝の観点からすれば、決して口にしてはならぬ類のことがらであった。もちろん、少女の先ほどの告白も、おなじくらいに重いものであるが。
「おどろいた」
と少女は率直にいい、しまったかな、と思っている理の横に並ぶように座って、言った。
「わたしもなの。父上は、母上を好かれていなかった。なのに、妾にして、わたしを産ませたの。ほかの兄弟たちの母上にも、みんなそう。母上は、父上に、『だれでもよい』と言われたのですって。
冷たくされたことはなかったけれど、酷い御方だと、死ぬまでその言葉を気にしておられたわ。父上も、何を考えてそうおっしゃったのかしら。こんな屈辱的な言葉を、女人に向けるものではなくってよ。そう思わない?
叔父上に聞いてみたのだけれど、難しいお顔をなさって、答えて下さらなかったわ。ただ、父上は、おまえにこの帯を与えたことだけは、感謝しなければいけないよとおっしゃるの」
「帯?」
そうして、少女の腰にある、こまかい刺繍の施された、どこか古びた帯に目を転じる。
「高価なものではないけれど、合わせやすいので、よく締めるものなの。女物よね。きっと父上は、この帯の最初の主が、とても好きだったのだわ。父上は、わたしにこの帯をくださったときに、『あれの代わりに、平凡でもよい、幸福な人生を歩め』とおっしゃったわ。きっと、曹操に殺されたという一族のだれかの物だったのではないかしら」
「それじゃあ、父君は、きっと君のことが好きだったのだね」
「でも、だめよ。母上に、あんな酷いことをおっしゃって。だから、わたしは母上の代わりに、父上を嫌ってさしあげるの。あなたと一緒よ」
一緒、と言われて、理は、なぜだかくすぐったいような気持ちになった。
「では、あまりここにいると、本当に噂になったらいけないわ。わたしはもう行くわね。さようなら、劉さん」
と、少女は立ち上がると、ぱたぱたと膝や腰をはたいて、黒馬のところへ戻っていく。
「あ」
と、理は、思いもかけず声をたてて、少女を呼び止めていた。
馬の轡に手をかけていた少女は、馬の尾っぽよりなお長く美しい髪を揺らして、振り返った。
「どうなさったの?」
「わたしは、たぶんまた、たまにここに勉強に来ると思う。もし見かけたら、声をかけてくれないか。もし見かけたら、でよいから」
すると少女は、にっこりと笑って、答えた。
「ええ、いいわ。わたし、殿方で、叔父上以外に、こんなに喋りやすい方ってはじめて。貴方も、わたしを見たら、声をかけてね」
そうして少女は去っていったが、理は、その颯爽としたうしろ姿が、草原の彼方に消えてもなお、少女の姿を追いかけていた。
その後、少女と理をめぐる話はさまざまにあるのだが、そのことを史書は伝えず、ただ結果のみを伝える。
すなわち、馬超の娘は、安平王劉理の妻になった、と。
正史三国志『馬超伝』において、陳寿もそこで、馬超の伝をしめくくっている。
おしまい
御読了ありがとうございました!
董氏の帯を渡された馬超は、しばし言葉も表情も失くして、押し黙っていた。
馬岱は、その場で蹴り倒されようと、殴り倒されようと、構わぬつもりで、じっと亀のように身体を曲げて、その前に蹲っていた。
だが、罵声の言葉も、もはや慟哭もなく、張魯の追っ手を切り伏せた返り血を浴びた、壮絶な姿をした馬超は、ただひとこと、うつろな表情で、こう言った。
「おまえが帰ってきて、うれしい」
馬岱は、その場にて、男泣きに泣いた。
講談で聞いた、劉備の配下の趙子龍という男は、ちゃんと嫡子を守って生きて帰ってきたという。
それなのに、自分は、二人とも救えず、一人でおめおめと戻ってきた。
だれより守らねばならぬ、従わねばならぬと、必死になってついてきたこのひとを、ほかならぬこの自分が、孤独の最奥へと、このひとを突き落としてしまったのだ。
そう言って、胸を叩いて泣いた。
この日より、馬超の顔から、明るい笑みが一切消えた。
そのかわりあらわれるものといえば、ひたすら容赦のない運命のつぶてに、自嘲するような、皮肉めいた、見る者を落ち着かなくさせる、乾いた笑みであった。
馬超は、馬岱が落ち込んでいるのを、幼い頃から共に育った者として、すぐに気づいたから、以前にも増して、この従弟になにかと声をかけ、ありとあらゆることを相談し、どんな些細なことでも打ち明けるようになった。
馬岱も、逆にこの敬愛する従兄の思いに気づいていたから、心では慟哭しながらも、まるで一切を忘れたかのように、あえておどけて振る舞った。
沈みこんでいる暇はなかった。
もはや馬超の『家族』は、涼州兵だけであった。
かれらを、いかに高く劉備に売るか、である。
そも、劉備という男が、噂や講談のように、共に志を同じくできる人間であるのか、それがわからない。
実際に手紙のやり取りをしたのは、龐統相手、あるいは孔明相手であった。
成都を包囲した劉備のまえにあらわれた馬超は、最高の礼をもって、大仰にかんじられるほどに、熱烈に迎えられた。
まずは軍師たる諸葛孔明があらわれ、ここまでやってきたことを労って、まるで家臣がするかのような丁寧な礼をしてきた。
孔明がそうしたのを見て、周囲の将兵、あるいは文官たちも、とまどいながら、馬超を皇帝のようにして迎えた。
馬超は、というと、それを戸惑いもせず、喜びもせず、乾いた心でながめていた。
なぜ、かれらがここまで歓迎するのかは、わかっていた。
いや、歓迎されてしかるべきではないか。自分は、ここに来るために、最愛のものを、ふたつも手放したのだから。
孔明というのは、涼州あたりには、なかなかいそうにない、雪のように白い肌をもつ、男とも女とも知れぬ雰囲気をもった、優美で典雅な男であった。
とはいえ脆さや弱さはそこになく、不気味なほど澄明で、力強い双眸が印象的な青年であった。
噂には聞いていたが、まだずいぶんと若い。
馬岱は、というと、さきほどから子龍、子龍と孔明に呼ばれている、ひどく男ぶりの良い武将を見て、ああ、これが、かの趙子龍か、と思い、複雑な思いにとらわれていた。
趙子龍は、想像とちがって、ずいぶん怜悧で、近づきがたく見えた。
もっと子供に好かれそうな、おだやかで、さわやかな笑みの似合う男を想像していたのだが。
そうして、馬超は孔明の案内によって、ついに劉備と対面する。
その胸にまず去来したのは、希望でも失望でも、戸惑いでもどちらでもなく、董氏が最後に言った、
ひとつの宿りには留まることはできない
という言葉であった。
その後、噂では、秋も董氏も、すぐさま馬超への報復として殺されて、見せしめの如く遺体はしばらく晒されていたそうである。
だが、不憫に思っただれかが、夜陰に乗じて、遺体を持ち去り、葬ってくれたとか。
それを聞いて、世の中というのは、最悪のところで、なぜかいつも、か細い糸のように、光を照らすな、と馬超は思った。
おまえは、こんな目に遭ったことはあるか。
馬超は、燦々と明るい太陽のような笑みを浮かべる劉備に、例の乾いた笑みで答えつつ、胸でそっと問いかけた。
そうして、自分を歓迎してくれることへの謝辞を述べ、今後の軍兵の動かし方や、いかに成都を攻撃するかの話を、孔明も交えてするのであるが、そのあいだも、投げやり、というのではないが、まるで魂だけが、別なところから自分を眺めているような感覚が抜けることはなかった。
馬超は、劉備には、失望はしなかったけれども、これもまた、ひとつの宿りなのだ、と思い、忠誠心というのは湧かなかった。
もとより、馬超という男は、翼の生えた駿馬なのである。いかなる英雄をも、その背に乗せることはない、気高い天馬なのだ。
おまえは、俺に自由をくれたのか、それとも、劉備という、あたらしい枷を与えてくれたのか。
董氏のことを思いながら、馬超は故郷とまったくちがった、険阻な山々のつらなる光景を前に問いかけてみるが、答が浮かぶことはなかった。
馬超はその後、客将でありつづけた。
劉備のもとに馬超があらわれるや、成都はわずか十日で降伏した。それほどに、『馬超がやってきた』ことは大きかったのである。
それからのちの馬超は、位こそ高位を得たものの、大きな功労を挙げることなく、四十七のときに病を得て死んだ、とされる。
それからも馬超の一族が厚遇されつづけたのは、ほかならぬ、この成都を包囲した際に、馬超の名の轟きによって、まるで魔法のようにその堅固な守りが消え、劉備が一国を得ることができたからである。
そのときの記憶が人々の中にあまりに鮮烈に残ったがために、馬一族で、蜀の位が下がることはなかった。
もちろん、人と並び立つことを嫌う馬超を、馬岱がさまざまに必死で支えたために、蜀に入ってからの馬超の日々が、穏やかなものであったのは、忘れてはならない。
とはいえ、あの馬超が、たった四十七歳の若さで、平凡きわまりなく人生を閉じた、という事実を信じかね、久しく、羌族のあいだには、馬超は生きているのではなかろうかという噂が、たびたび流れたそうではあるが。
※
風と空の下でなら、書物の内容が頭に入るかな、とおもった理であるが、かえって風にゆれるさわさわとした音に気をとられ、何も手がつかなかった。
わたしは武の才能もなければ、文の才能もないし、容姿もいまひとつぱっとしない。
そもそも、自分が生まれたいきさつからして、なんともはやで、父が、湯殿番の女に、ちょっとした出来心で手をつけて生まれたのが、そうだという。
ひとりだけ身分低い女を母に持つ彼は、あまたいる兄弟たちから列の離れたところにいる…と自分では思っていた。
すこしでも、兄の役に立とうと、勉強をはじめたが、かの魏の名軍師であったという郭嘉と同じ字、奉孝をもつというのに、自分で認めるほど、理の頭脳はうまく働かない。
だいたい、暗記が苦手であるし、大勢のまえで、人の耳目をあつめるような気の利いたことを言うこともできない。
家人らは、若さま、若さま、といって遇してくれるが、十七の理にとって、これでよいのかという、己への問いかけは、日々膨らむばかりであった。
生真面目で、思いつめやすい性格をしている理であったから、これでは駄目だと自分でつぶやきつつ、手にしていた書物を、ぽんと草原に投げて、ごろんと横になってみる。
珍しく、厚い雲の間に間に、青空が見えていた。
風がざわざわと、草原を流れていく。目を閉じていると、まるで水底に沈んでいるかのような錯覚さえ覚えるではないか。
「危ない!」
甲高い声がして、理は仰天して目をぱっと開き、起き上がろうとしたが、思わず身を凍らせた。
開いた目の前に、大きな馬の黒い腹があった。
凍りついたまま横になっていると、どん、と馬が地面に降り立った音が聞こえ、それから、馬の背にいた人間が、あわてて降りてくるのがわかった。
「なぜこのようなところにいるの?」
と、乗り手は言ったが、その声が、少女のものであることに、理は気がついて、おや、と顔をあげた。
顔をあげた途端、黒さの劣る髪を、馬の尻尾のように頭頂部で一つに結って、そのまま垂らしている、簡素な男物の衣裳に、女物の帯、という出で立ちの少女が、目の前にあった。
高い鼻梁と大きな瞳をもつ、どこか西方の異民族を思わせる風貌をした、うつくしい少女であった。
「怪我をしたの? だったら、乗せていってあげるわ。成都までだけれど」
と、少女は理に心配そうに尋ねる。物腰と、大人しく尻尾を振って、乗り手を待っている黒馬の馬具から見て、良家の子女というのはすぐにわかった。
「怪我をして、倒れていたのではないよ。ちょっと疲れたから、横になっていたのだ」
理は、傍らに投げ捨てるようにしていた書をちらりと見る。少女も、それで納得したらしく、草の上にあったそれを拾って、小さく笑みをこぼした。
「そうなの? わたしも学問はきらい。叔父上は、学問は女人にも必要だから、読み書きだけではなく、読めるところまででよいから、四書五経は目を通しておきなさいとおっしゃるけれど、そんな気になれないの。叔父上は、わたしが父に似た、といって嘆かれるわ。父上も、学問に暗かったから、生きている間に、いろいろと苦労なさったのですって」
「奇遇だね、うちの父も、若い頃は無茶ばかりして、私塾に通ってはいたけれど、ろくに勉強しなかったので、あとでずいぶんツケを払うことになったとおっしゃっていたよ。四十過ぎて、長兄がお生まれになったあたりから勉強をしなおしたが、若い頃とちがって、頭がうまく働かないので、大変だったということだ」
「学問なんて、学問が好きな人がやれば言いと思うわ。わたしは、こうして馬に乗っているほうが好き。叔父上は、駄目だ、駄目だとおっしゃるけれど、本当は、わたしがいちばん父上に似ているから、嬉しいのよ。その証拠に、あの馬だって、下さったの。父上の馬よ。老馬だけど、よく言うことをきく、よい子なの」
と、少女は得意そうに言う。
すると黒馬は、少女の誉め言葉に答えるようにぶるる、と鼻を鳴らした。
「利巧だね。貴女の言葉がわかっているようじゃないか。うらやましいな。父は一人っ子であったし、義兄弟もみな死んでしまわれた。父親代わりになってくださった方も、たまに手紙を下さる程度であるから、わたしには、そんな贈り物をくれる人がいない」
すると少女は、そうなの? と同情するように、悲しそうな顔をみせた。
「でも、気落ちすることないわ。わたしだって、兄弟はいるけれど、みんな母さまがちがうから、仲が良かったり、悪かったりよ。叔父上は、馬超の名を決して穢す真似はするなと口を酸っぱくしておっしゃるけれど、わたし、父上は、きらい」
「きみの父君は、馬超…威侯なのか?」
そこで理は、ようやく少女の名前を聞いていなかったし、自分も名乗っていなかったことに気づいた。少女も同じであったらしく、あっ、となって、あわてて答える。
「ごめんなさい、名乗っていなかった。わたしは」
と、名乗ろうとする少女を、理は留めた。
「待って、こうしないか。わたしたちは、互いに名乗らないでおこう。だって、だれもいない郊外で、こうして二人で会っているなんて誤解されたら、面倒じゃないか。互いに、知らないまま、仲良く別れるほうが、気持ちがいい」
「そうね、名前は相手を縛るものね。でもすこしずるい気もするわ。あなたは、わたしの父を知っているけれど、わたしは知らないのですもの」
「父の名は言えないのだよ、すまないが。でも、わたしも君と一緒で、父上が好きではない。わたしの姓だけ言おうか。劉だよ」
「劉? どこの劉? まさか主公の劉氏? でも主公に似ていないから、ちがうわね」
理は、馬超の娘が、好きに判断してくれたのでほっとした。
「そうだ、わたしも、わたしの父が好きではないよ。これでおあいこだろう? わたしは、父が母をあまり好きじゃなかったから、母の変わりに父を嫌っているのだ」
少女は、理のことばにおどろいたようだ。父を嫌うなどという言葉が、当時、徹底的に染み付いていた孝の観点からすれば、決して口にしてはならぬ類のことがらであった。もちろん、少女の先ほどの告白も、おなじくらいに重いものであるが。
「おどろいた」
と少女は率直にいい、しまったかな、と思っている理の横に並ぶように座って、言った。
「わたしもなの。父上は、母上を好かれていなかった。なのに、妾にして、わたしを産ませたの。ほかの兄弟たちの母上にも、みんなそう。母上は、父上に、『だれでもよい』と言われたのですって。
冷たくされたことはなかったけれど、酷い御方だと、死ぬまでその言葉を気にしておられたわ。父上も、何を考えてそうおっしゃったのかしら。こんな屈辱的な言葉を、女人に向けるものではなくってよ。そう思わない?
叔父上に聞いてみたのだけれど、難しいお顔をなさって、答えて下さらなかったわ。ただ、父上は、おまえにこの帯を与えたことだけは、感謝しなければいけないよとおっしゃるの」
「帯?」
そうして、少女の腰にある、こまかい刺繍の施された、どこか古びた帯に目を転じる。
「高価なものではないけれど、合わせやすいので、よく締めるものなの。女物よね。きっと父上は、この帯の最初の主が、とても好きだったのだわ。父上は、わたしにこの帯をくださったときに、『あれの代わりに、平凡でもよい、幸福な人生を歩め』とおっしゃったわ。きっと、曹操に殺されたという一族のだれかの物だったのではないかしら」
「それじゃあ、父君は、きっと君のことが好きだったのだね」
「でも、だめよ。母上に、あんな酷いことをおっしゃって。だから、わたしは母上の代わりに、父上を嫌ってさしあげるの。あなたと一緒よ」
一緒、と言われて、理は、なぜだかくすぐったいような気持ちになった。
「では、あまりここにいると、本当に噂になったらいけないわ。わたしはもう行くわね。さようなら、劉さん」
と、少女は立ち上がると、ぱたぱたと膝や腰をはたいて、黒馬のところへ戻っていく。
「あ」
と、理は、思いもかけず声をたてて、少女を呼び止めていた。
馬の轡に手をかけていた少女は、馬の尾っぽよりなお長く美しい髪を揺らして、振り返った。
「どうなさったの?」
「わたしは、たぶんまた、たまにここに勉強に来ると思う。もし見かけたら、声をかけてくれないか。もし見かけたら、でよいから」
すると少女は、にっこりと笑って、答えた。
「ええ、いいわ。わたし、殿方で、叔父上以外に、こんなに喋りやすい方ってはじめて。貴方も、わたしを見たら、声をかけてね」
そうして少女は去っていったが、理は、その颯爽としたうしろ姿が、草原の彼方に消えてもなお、少女の姿を追いかけていた。
その後、少女と理をめぐる話はさまざまにあるのだが、そのことを史書は伝えず、ただ結果のみを伝える。
すなわち、馬超の娘は、安平王劉理の妻になった、と。
正史三国志『馬超伝』において、陳寿もそこで、馬超の伝をしめくくっている。
おしまい
御読了ありがとうございました!