はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

黒鴉の爪痕 その23 春宵の宴

2024年12月12日 10時24分28秒 | 英華伝 序章 黒鴉の爪痕
行神亭《こうじんてい》は、とうぜんのことながら潰れた。
行く先がなくなった趙雲は、いまこうして、孔明と差し向かいになって部屋で飲んでいる。
窓の外にはおぼろ月。
風に乗って、咲き始めた花の香りも漂ってくるような、そんな夜だった。


「蘇果《そか》が怪しいと思ったのはなぜだ?」
孔明がずばり問うと、趙雲は表情を変えずに言ってのける。
「あの女は顔相が悪かった」
「それだけ?」
「目つきもな。わが君や元直どのを見る目つきも鋭すぎた。
隠そうとはしていたらしいが、おれの目はごまかせぬ」
「ふむ、それで誤解されるのもいとわず、かの女を見張っていたわけか。
すぐに捕えてしまえばよかったものを」
「証拠がなかったからな。むやみやたらに城の女を捕えるわけにはいかぬ。
それに、孫直《そんちょく》が『黒鴉』だとは思っていなかった」
「つまり?」
「おれには、あいつらのしっぽは掴みきれなかった。
今回の騒動の功労者は軍師と周慶《しゅうけい》だな。
周慶が動いたので、蘇果も動かざるを得なくなった。
さらに、軍師が真相を推理したことで、牢につないでいた蘇果も、すべて白状したよ。
軍師の言う通りで、まちがいはなかった」
「それが周慶に聞こえたのかな。うれしいことに、無視されなくなったよ。
ほら、今夜はこんなにつまみもたくさん」


孔明は炙った鶏肉をはじめとして、かぶの漬物、貝の干物、甘いものではきんかんの砂糖漬けまで酒のつまみにつけてくれた周慶に感謝した。


「それにしても、あなたには礼を言わねばならぬ。
正直、あなたがいろいろかばってくれなかったなら、この城でうまくやっていく手立てがなかったかもしれない。
感謝している、ありがとう」
素直に頭を下げると、なぜだか趙雲は難しい顔をした。
「あらためて礼を言われることでもない。おれは当然のことをしたまでだ」
「あなたは、最初からわたしを認めてくれていたな、なぜだ?」
「それはもちろん、おまえはわが君が見込んだ軍師だからだ」
「それだけ?」
「それ以外になにが? わが君の人を見る目は確かだぞ。
あの人が良しというのなら、まちがいはない」
「そうか。あなた自身もわたしを気に入ってくれたとかではないのかな」
孔明が言うと、趙雲は呆れたように、
「おまえは本当にわが君並みの人たらしだな」
と言いつつも、答えた。
「まあ、面白そうなやつが来たなと思ったよ」
「そうか、あなたの勘も当たっているよ。わたしは面白いのだ」
「自分で言うか」
「言うとも。あなたも面白い人だがね」
「初めて言われたな」
「さあ、今宵はとことん飲もう、子龍。まだまだ夜明けは遠いのだから」
そういって、酌をする孔明に、趙雲は楽し気に杯を受け取り、機嫌よく、ぐいっとあおる。
「あなたとは、長い付き合いになると思うよ」
そう添えると、趙雲は、
「人たらしめ」
といって、またさらに笑った。



「序章 黒鴉の爪痕」おわり
「臥龍的陣 夢の章」へつづく


※ 最後までお付き合いくださったみなさま、ありがとうございました!
「序章 黒鴉の爪痕」はこれでおしまいです。
このお話が、「臥龍的陣」につづいていきます。

あとでまた近況報告(別記事)で書きますが、明日からは「赤壁に龍は踊る・改」がはじまります。
どうぞこちらもよろしくお願いいたします!

黒鴉の爪痕 その22 爪痕をたどり

2024年12月11日 10時23分30秒 | 英華伝 序章 黒鴉の爪痕
劉備はふたたび、孔明以下、家臣たちを大広間にあつめて、今回の騒動の総括をはじめた。
みなは、けっきょく蘇果《そか》と兄と自称していたその夫が『黒鴉』だったのだろうかと首をひねっている。
それというのも、蘇果とその一味は、さすがに曹操の細作《さいさく》らしく、なかなか騒動の詳細について、口を割ろうとしなかったからだ。
弟の孫直《そんちょく》を殺された孫乾《そんけん》も喪服のまま登城してきていて、
「阿直め、女にうつつを抜かしておるから、死んでしまったのだ、ばかめ」
と涙ぐんでいた。


孔明も、さすがに黙っていられなくなって、口をひらいた。
「蘇果たちが口を割らなくても問題はありませぬ、孔明にはわかっておりますから」
そのことばに、大広間の家臣たちは、唖然として孔明に目線をあつめてきた。
趙雲と陳到《ちんとう》だけが、わかっているようで、うんうん、と頷いている。


しびれを切らした劉備が孔明に尋ねてきた。
「なにがわかったというのだ、孔明。もったいぶらずに教えてくれ」
「徐兄にいやがらせを繰り返したあげくに、かれの存在を曹操に知らせ、新野から立ち去らせた『黒鴉』の正体はわかっております」
「ま、まさかこの場のだれかがそうだ、というのではないだろうな?」
おどろく劉備に、孔明はあざやかに微笑んで見せる。
「いえ」
「いえ?」


「まずは、問題の宴の日のことを思いだしてください。
膳には最初に鶏の照り焼きが盛られていた。
孫直どのは、直前に蘇果がいる厨房に出入りして、つまみ食いをしながら、わたしが鶏の良い部分を食べられるのをうらやましがった。
それを聞いた宋白妙《そうはくみょう》は、かれの歓心を惹きたいがために、わたしの皿と、孫直どのの皿を入れ替えた。
おそらく、蘇果と孫直どのが仲良く話しているのを見て、焦ったというのもあるでしょう。
皿が入れ替わってしまったため、孫直どのは、わたしの代わりに毒を煽り、死ぬ羽目になった」
「そうだ。しかし、いまの話は単に思い出しただけで、肝心の軍師に毒を盛った者の話が出ていないぞ」
「毒を盛ったのは蘇果ですよ。
おそらく、徐兄がここで働いていた時に毒を盛り、なおかつ料理人に罪をかぶせて遺書を用意したのも、蘇果です。
蘇果は自分が字を書けることを隠していた。
なので、子龍どのらが遺書の筆跡を調べても、容疑者として浮かび上がらなかったのです」
「やはり。では、蘇果が『黒鴉』だったのか」
「それはちがいます」
孔明がきっぱり言うと、みながますます煙に巻かれたような顔になった。


「『黒鴉』は、なぜわたしの命を狙ったのでしょうか。
徐元直《じょげんちょく》(徐庶)の場合は、じわじわとかれを追い詰めるように、毒を盛ったり、高所から物を落として衝突させようとしたり、手紙で脅したりした。
なのに、わたしはいきなり殺されるところだった。その差はなんなのか?
もちろん、わたしが徐兄より取るに足らぬ者と見られた可能性もございます。
しかし、そうではなかったとしたら?
御一同、思い出していただきたい。
宴がはじまってほどなく、黄色い犬が迷い込んできましたね。
いまは周慶《しゅうけい》の息子の犬になっている、あの人懐《ひとなつ》っこい犬です。
あの犬は、ある仕掛けのために蘇果によって連れてこられたのですよ」
「仕掛けとは?」
目をぱちくりさせる劉備に向けて、孔明はつづける。
「『黒鴉』は最初から、わたしを脅すつもりだったのです。
おそらく筋書きとしては、宴席のうえでわたしに絡むか、あるいは皿の上に蠅がたからないことを指摘するつもりだったのか、どちらかの手段でもって皿の鶏肉に毒が盛られていることをみなに示し、その絶対的証拠として、犬に鶏肉を食べさせる予定だったのでしょう。
犬は毒によって死に、わたしは『黒鴉』に怯える、というのが、かれの筋書きだったに違いありませぬ」
「つまりおまえを存分に怯えさせて、元直と同じように、わしの元から去らせるためだったのか」
「左様。徐元直の名誉のために申し上げますと、かれは容易に脅しには屈しなかった。
母御を人質に取られたのでなければ、かれはまだここにいたはずです。


さて、皿のことについて思い出してください。
本来は、わたしの皿に毒が入っていなければならなかった。
ところが、孫直の皿に毒が入っていた。白妙が入れ替えたためです。
周慶どのは、白妙が皿を入れ替えたことを知って、注意したけれど、そのあとも白妙は皿をもとには戻さなかった。
どうしても、孫直の心を引き寄せたかったのでしょう。
何も知らない孫直は、毒入りの鶏肉を食べて死んでしまい、それを見た白妙は、気絶して倒れてしまった。
この一連の騒ぎを見て、蘇果は言った。『これからどうしたらよいのでしょう』。
この言葉の意味がおわかりですか?」
「芝居を打つのに失敗したから……」
「そう。しかし、かの女が主導した騒ぎであれば、この言い方はおかしくありませぬか。
蘇果は、このときは芝居ではなく、ほんとうに呆然としたのです。
なぜなら、自分に指示を与えてくれていた『黒鴉』が、目の前で毒によって死んでしまったのですから」
「はい?」


劉備は言葉の意味がつかめなかったらしく、孔明をぽかんとして見つめている。
ちらっと孫乾のほうを見ると、意味が分かったようで、血の気の失せた顔になっていた。
かれはふらふらと孔明の前に出て、言う。
「な、なにを言い出すかと思えば。わが弟が『黒鴉』だというのか。
毒で死んだ憐れな弟が! あれが曹操の手先であるはずがない!」
「弟。果たしてそうでしょうか。聞いたところによると、孫直と公祐《こうゆう》(孫乾)どのは年が離れているうえ、長いこと連絡を取り合っていなかったそうですね。
つい五年ほどまえに、荊州に落ち着いた兄を頼ってやってきたと」
「そ、そうだが」
と、孫乾の顔が、今度は月のように白くなった。
ぐらっと倒れそうになるのを、簡雍《かんよう》たちがけんめいに支える。
「年が離れていて、しかも長いこと連絡を取っていなかった……顔を忘れてもおかしくない弟と、曹操の細作がどこかで入れ替わっていても、おかしくはありませぬ」
「ば、ばかな」
眩暈《めまい》がするのだろう。
孫乾は座り込んでしまった。


「自称・孫直の衣の中に烏の黒い羽根が入っていたのも、当たり前のことだったのです。
なにせ、『黒鴉』本人だったのですからね。
毒きのこをめぐる料理人の死も、まちがいなく、自称・孫直のしわざです。
女の手では、大の男を縊り殺すことはできません。


さて、『黒鴉』の死を前にしても、蘇果は気丈だったというべきか。
白妙が怪しまれて小部屋に連れていかれると、頭痛がするからと言って大広間を出た。
そして、付いてきた見張りを厠に行くからとでも言って一人になり、白妙のあとを追った。
かわいそうな白妙は、劉封どのの手によって逃がされようとしていた。
それを見た蘇果は、白妙をうまく誘い出し、あげくに井戸に突き落として殺してしまったのです。
もちろん、自分が曹操に向けた手紙を白妙の衣に仕込んで。


これだけのことをやってのけたにもかかわらず、やはり怖さがあったのか、蘇果はしばらく|行神亭《こうじんてい》に籠った。
けれど、城では騒動は解決したように思われている。


そこで、ふたたび城にやってきたわけですが、犬を始末しておかなかったのが祟った。
周慶どのの息子が、犬を飼いたいと言っていると知り、そのままにしておけばよかったものを、犬を取り返そうとしたのか、自分が連れてきた犬だと口を滑らせてしまったのでしょう。
それを聞いて、今度は周慶が気づいたのです。
犬が迷い込んできたのではない、連れてこられた犬だとしたら、なんのために使われる犬だったのか、と。
周慶どのは、白妙の無実を信じていた。だからこそ、真相に気づいたのです。
孫直の正体、その孫直と行動をともにしていた蘇果のこと……
だが、蘇果も周慶に気づかれたことを知った。
そこで脅しつけて、行神亭に連れ去った。
母子ともども、口を封じてしまうために」
「そこで、行神亭に行き合わせた子龍が活躍して、周慶たちを救ったというわけか」
劉備のことばに、家臣たちから、おお、と感嘆の声が上がった。


「ご明察だな、軍師! いやあ、さすがに兄者が見込んだだけのことはある」
と、調子よくほめあげてくるのは張飛である。
かれはついこの間まで、むすっとした顔を崩さなかったのも忘れて、いまは満面の笑みだ。
「おれは軍師が謎を解いてくれると信じていたよ」
張飛のことばに、劉備が呆れて、
「ほんとうか、おまえは調子がいいな」
というと、一同は声をたててほがらかに笑い合った。


孔明は、へたり込んでいる孫乾の前に進み出た。
「公祐どの、偽の孫直は初めからあなたをだますつもりで近づいてきたのです。
心優しいあなたをだますことは、詐術に長けた者にはたやすいことだったでしょう。
しかし、それを恥じることはありませぬ。
この孔明とて、ずっと会っていない年下の弟が自分を頼って来たなら、信じて受け入れたかもしれませぬ」
「よしてくれ、慰めはいらぬ」
「いえ、言わせてください。実務に携わってみてわかりました。
この城で仕事がこれほどにやりやすかったのは、それまで城の庶務を仕切っていたあなたのおかげなのだと。
孫直は偽者だったのです、喪に服す理由はなくなりました。
公祐どの、わたしと、わが君のためにも、どうか再び力をお貸しいただけませぬか」
孔明が手を差し伸べると、孫乾は顔を赤くしつつ、
「貴殿も、わが君並みの人たらしだな」
と言って、その手を握り返してきた。
劉備はそれを見て、うれしそうに笑い、家臣たち一同もまた、つられるように微笑みあった。


こうして、『黒鴉』の騒動はひと段落したのであった。


まだつづく……


※ 文章量が多めですが、内容をかんがみ、一気に更新することにしました;
読みづらかったら、おっしゃってくださいねー。
真相編、みなさまの推理は当たりましたでしょうか?
早いうちから「こいつだな」と思われていた方、さすがですv
さて、お話は次回で最終回です。
どうぞおたのしみにー(*^▽^*)

黒鴉の爪痕 その21 行神亭の顛末

2024年12月10日 10時03分27秒 | 英華伝 序章 黒鴉の爪痕
行神亭《こうじんてい》は、新野《しんや》の市場のすぐそばに展開する商店街の一角にあった。
二階建ての建物が連なるなかでも、なかなか立派な構えをしており、看板には、ほかの店よりひときわ大きな文字で『行神亭』と書かれていた。
無関係らしい町人たちが、遠巻きに野次馬になっている。


孔明たちが到着したころには、すでに大立ち回りは始まっていて、入口には壊れた瓶子や皿、椅子に机などが散乱していた。
赤い提灯が連ねられているなかでも、一部が引きちぎられて落ちていて、そのせいで、なかのあかりが地面のうえでちろちろ燃えている。


「派手にやりましたなあ」
と、陳到《ちんとう》が緊張感のない声で言った。
中をもっとよく覗くと、すでに殴り倒された男たちが床にいくつも転がっている。
陳到はそれを見ると、連れてきた兵士たちに命令した。
「おまえたち、ここに倒れている者たちをふん縛って、城の牢に入れてしまえ。
気絶しているからと言って油断するなよ、こいつらは、曹操の手の者だからな」
孔明は思わず陳到の、のっぺりとした顔を見返した。
「そこまでわかっていて、子龍どのは行神亭に通っていたのか?」
「話すと長くなるので省きますが、子龍どのは、直感で、蘇果とその兄を疑っておったのです。
そこで、自分が誤解されるのもいとわず、この行神亭の常連になって、出入りする者たちを見張っていたのですよ」
「さすがだな」
思わず感心していると、上のほうで、どたんばたんと音がする。
何事かとおもって首をあげて、おどろいた。
屋根の上で、趙雲と男が刃を向け合っているのが見えたのだ。
それは野次馬たちにも見えたようで、かれらは無責任に歓声を上げている。


と、視界のすみの暗がりに、孔明は光るものを見た。
「軍師どのっ、あぶない!」
叫びつつ、陳到が孔明と、孔明に突進してきた者のあいだに、恐ろしい速さで滑り込む。
目にも止まらぬ早さで陳到は刀を抜くと、小刀を持つ襲撃者の小手を斬りつける。
ぱっと血の花が咲いた。
相手が怯んだすきを逃さず、陳到はあっという間に相手の間合いに飛び込み、その腕を背中にねじりあげ、武器をとりあげた。


「畜生ッ、放せっ」
悪態をつくのは、蘇果《そか》であった。
結った髪も派手に曲がり、衣ははだけ、形相もまるで夜叉のようになっている。
じたばた暴れる蘇果に、しかし陳到は平然としていた。
腰縄を取り出すと、手際よく、蘇果をぐるぐるに縛り上げてしまう。


「たいしたものだ。さすが、わが君がそなたを武芸に関しては一番だとほめあげるだけある」
孔明が感嘆すると、陳到は照れもせず、
「それがしは武芸しか能がないのですよ」
と、言ってのけた。


一方で、にらみ合う趙雲と男のほうは、しばらく動きがなかった。
そうこうしているあいだに、行神亭に踏み込んだ兵たちが、叫び声をあげる。
「叔至さま、物置に周慶《しゅうけい》さんたちがいましたっ」
「生きておるか!」
「はい、無事です!」
間に合ったなと孔明はホッとしつつ、趙雲の勝負の行方を見守る。


屋根の上という足場の悪さもものともせず、趙雲は全く動じていない。
かれの全身から放たれる殺気に、おそらく行神亭の亭主であろう相手が、気おされているのが、遠目でもわかった。
風がびゅうと吹き、互いの衣の袖をなぶる。


とうとう間に耐え兼ねて、動いたのは亭主のほうだった。
うおお、と奇声をあげて、上段から趙雲の脳天めがけて刀を振り下ろす。
趙雲は振り下ろされた刃をがんっ、と剣で受け止めると、そのまま力いっぱい、男を弾き返した。
亭主が、屋根のうえで均衡を崩す。
その機を逃さず、趙雲は亭主の胴体を|袈裟懸《けさが》けにして切り伏せた。
甲高い悲鳴が上がり、つづいて亭主は屋根から転げ落ちると、悲惨な音をたてて、さらに地面に落ちた。


「あんたっ! あんたあっ!」
それを見て、蘇果が絶叫する。
孔明は思わず、陳到と顔を見合わせた。
どうやら、蘇果と兄、というのはあくまで自称で、二人は夫婦だったようだ。
畜生、畜生ッ、と繰り返す蘇果を横に、孔明は屋根の上の趙雲に手を振った。
趙雲は眼下に友の姿を見て、満足したように微笑んだ。





城に引っ立てられた蘇果とその一味は、すぐさま牢に入れられた。
その途上、劉封《りゅうほう》が飛んできて、
「おまえが『黒鴉』だったのか!」
と蘇果に詰問したが、蘇果のほうは小ばかにしたように唇をゆがめ、
「わかってないね、甘ちゃんの坊ちゃん!」
とせせら笑って、そのまま劉封が何を言っても無視して行ってしまった。


つづく

※ 「黒鴉の爪痕」、おかげさまで、無事に、のこり2回となりました。
次回は謎解き編です。
みなさまの推理は当たっているでしょうか? 
どうぞおたのしみにー(*^▽^*)

黒鴉の爪痕 その20 真実に向けて

2024年12月09日 10時32分07秒 | 英華伝 序章 黒鴉の爪痕
料理女の蘇果《そか》は、しばらく、かの女の兄の経営する行神亭《こうじんてい》に引っ込んでいた。
そのためなのか、周慶《しゅうけい》の必死の努力があったにもかかわらず、厨房の料理は以前ほどに評判をとらなくなってしまっていた。
宿直をする者たちも、
「最近の飯はどうも水加減がよくない」
「はっきり言って、味気ない。塩が足らぬ」
などと愚痴をこぼしている。


それが城下にも聞こえて行ったのか、ほどなく、蘇果が行神亭から戻って来た。
とたん、塩味の絶妙さは戻って来たのだが、やはり、飯の水加減については、以前のようにはならなかった。
誰もが黙っていたが、宋白妙《そうはくみょう》のことを思い出さない者はない様子だ。
白妙に片思いをしていた劉封《りゅうほう》などは、すっかりしょげていて、兵の調練にも力が入らないらしく、劉備を心配させている。


「白妙はおっちょこちょいだったが、真面目にしようと努めてはいた。
劉封の恋が実ったかどうかは怪しいわい」
と、趙雲の部屋の前で語らってから執務に戻ってくれた簡雍《かんよう》が、休憩時間に言った。


簡雍は、孔明とふつうにことばを交わせたことを機に、まるではじめから執務室に通っていたかのような顔をして戻って来たのだ。
麋竺《びじく》はあきれ果てていたが、孔明としてはうれしい。


「なぜ恋が実らないと?」
孔明が問うと、簡雍は肩をすくめつつ、答えた。
「そりゃ軍師、劉封にはれっきとした許嫁《いいなづけ》がいる」
「そうなのですか? つまり、劉封どのは、白妙を側室にしようとしていたと?」
「ま、そういうことになるな。
こう言っちゃなんだが、自分で一寸の土地も支配していないうちから妻の数だけ増やしても仕方ないと、わしは思うのだが、最近の若い者はちがうのかねえ」
「ちがいませぬよ。劉封どのは……そうでしたか」
言い淀みつつ、孔明も呆れる。
だが、白妙が死んだとき、床に身を投げて激しく嘆いていた劉封の姿を思い出すと、気の毒で、簡雍ほどには声高に批判できなかった。





ほどなく、更衣のため席を立っていた麋竺が帰って来た。
なぜだか広い執務室のなかをきょろきょろ見回している。
どうしたのかと尋ねると、おかしな答えが返って来た。
「周慶か、周慶の息子がここに来ておらぬかね」


周慶は白妙のことがあって以来、自分を避けている様子だったから、執務室に一人で来るはずがないと、孔明は思う。
その息子も同様だ。
周慶の息子は今年で七つのやんちゃな男の子で、寡婦《かふ》の周慶とともに城で暮らしているのだが、さいきんは、どこからか迷い込んできた例の黄色い犬を相手に遊んでいることが多い。
周慶とその息子と犬が暮らす場所と、執務室は離れているので、かれらが来ることはないだろう。


麋竺もそれとわかっているだろうに、なぜそんなことを問うのか。
孔明は不思議に思いつつ、
「何かありましたか」
と尋ねる。
すると、麋竺は腕を組みつつ首を傾げた。
「いや、そろそろ晩飯の仕込みをしなければならない頃なのだが、肝心の周慶がどこにもいないのだそうだよ」
周慶は、厨房の料理の、最後の味見をする係も買って出ている。
「息子もいないとなると、さて、何か用事があって城を出たのかな? 
どうやら、蘇果も一緒らしい。城の番兵がそう言っておった」
「蘇果と一緒とは、なぜでしょう」
「わかりませぬなあ」


首をひねる麋竺のもとへ、追いかけるようにして、厨房の料理人のひとりがやってきて、やはり同じように、執務室を覗き込む。
「なぜここに来たのだね」
なるべく詰問調にならないように気を付けつつ孔明がたずねると、料理人は恐縮した様子で答えた。
「周慶さんがいなくなる前に、軍師さまにお伝えしなければならないことがあると言っていたので、こちらかと思ったのですが」
「わたしに? その用件は聞いておるか」
「いえ、あいにくと。わたしも遠目で見ていたのですが、周慶さんは息子さんといっしょに犬の世話をしていました。
なにか息子さんが周慶さんにしゃべって、それから急に周慶さんは立ち上がって、軍師さまのところに行かねばと言いまして」
「周慶には、蘇果も一緒だそうだが」
「蘇果ですか? わたしが見ていたときは、蘇果は側にいなかったような」
「周慶どのと息子さんは、いったい何をしゃべっていたのだろう」
「いえ、わたしも遠くにいたので、はっきりとは。
でもたぶん、犬を飼う、飼わないの話だったのではないでしょうか。
あの黄色い犬は、息子さんにだいぶなついていましたから」
「ふむ?」
「でも周慶さんは、犬が人なれしているので、ほかに飼い主がいるのではと気にしていましたね」


料理人のことばを引き継いで、簡雍がしたり顔で言った。
「周慶は息子を可愛がっておるからな。
息子が自分の犬だと信じていたところへ、元の飼い主があらわれたりしたら、可哀そうだと思ったのだろうよ」
「しかし、その話と、軍師どのとで、どうつながるのだろう」
麋竺のもっともな問いに答えられるものはなく、簡雍もはてな、と思案する。


『犬。黄色い犬か。人なれしている犬……』
孔明は、孫直《そんちょく》が毒で死んだその日に、宴席に入り込んできた犬のことを思い出した。
陳到が、飼い主はいないかと宴席で尋ねても、だれも名乗り出なかった。
迷い犬だとしたら、城下の誰かが飼っていた犬なのか?
『しかし、だからといって、なぜ周慶は犬を見て、わたしに伝えなければならないことを思いついたのだろう』
そして、周慶と子と、蘇果がいっしょだという。
そういえば……と孔明は、簡雍の丸い顔を見て、さらに思いを巡らせる。
『孫直が死んだとき、蘇果は「これからどうしたらよいのでしょう」とつぶやいたと言っていたな』
あれはどういう意味だったのだろう。
亡くした恋人を悼んでのことばと、素直に受け取めてよいのか。


『待てよ?』
迷い込んできた犬と、蘇果のつぶやき、そして死んだ孫直……皿を入れ替えた白妙。
すうっと、脳天から腹の底まで風が突き抜けた気がした。
ある推理が浮かび上がってきたのだ。


するとそこへ、陳到《ちんとう》がばたばたと足音も高く転がり込んできた。
「軍師っ、いましがた、行神亭の子龍どのから連絡が! 
急ぎ兵をあつめ、応援してほしいとの要請です!」
そうか、そうだったのか!
孔明はすぐさま文机を蹴るように立ち上がると、陳到に下知した。
「よし、すぐに手の空いたものを集めて、行神亭へ向かおう、叔至どの、案内してくれ!」
「ええっ、軍師どのも同道されるのですか」
「もちろんだ、これでもちゃんと馬に乗れる。子仲どの、憲和どの、あとを頼みます」
麋竺も簡雍も、孔明に急に後を託されて、目を白黒させている。
孔明はかれらを安心させるように、にっ、と笑って見せると、すぐさま引かれてきた馬に飛び乗り、陳到の案内で城下の行神亭に向かった。


つづく

※ 本日、ちょっと分量が多めでの更新でございます。
すでに「わかったぞ」と思われた方、多いかもしれませんね。
行神亭で何が起こっているのか?
次回をおたのしみにー(*^▽^*)

黒鴉の爪痕 その19 解決したにもかかわらず

2024年12月08日 10時07分53秒 | 英華伝 序章 黒鴉の爪痕
新野城《しんやじょう》は、しばらく陰鬱な空気に包まれた。
明らかになった『黒鴉』の存在、そうであったらしい宋白妙《そうはくみょう》の自害、死んでしまった色男の孫直《そんちょく》と、喪に服している兄の孫乾《そんけん》。
周慶《しゅうけい》らも調子がくるってしまっているらしく、あれほど美味であった新野城の食事も、はっきり不味《まず》くなってきた。
どうやら、飯の焚き加減などは白妙が担っていたらしい。
厨房を仕切る周慶は、がっかりしている城の者たちに、
「白妙の作る料理の水加減は絶妙でしたもの」
と怒りを含めて言った。


周慶は、白妙が曹操宛の密書を持っていてもなお、その潔白を信じているらしく、たまに孔明が姿を見かけて話しかけても、どこかつんけんした態度を見せる。
孔明自身も、徐庶にいやがらせをつづけ、自分を殺そうとした細作《さいさく》がいなくなったわけだから、もっと晴れ晴れとしてもよいはずなのに、どこかスッキリしないものを感じていた。


『徐兄を曹操の元に連れて行った『黒鴉』が、なぜわたしに対しては、すぐに殺そうとしたのだろうか』
その疑問が残っている。
仕事をしていても、気が晴れないので、趙雲のところへ行って、相談に乗ってもらおうかと思った。
そこで、仕事をひと段落させてすぐに趙雲の住まう小部屋に向かったのだが、肝心の趙雲がいない。


「行神亭《こうじんてい》へ行ったらしいぞ」
と、声をかけてきたのは、意外にも簡雍《かんよう》だった。
この丸っこい体形の男は、趙雲の部屋を自分も覗きつつ、やれやれ、というふうに首を横に振った。
「こんな殺風景な部屋に住んどるから、潤いが欲しくなるのだろうが、真面目な奴が女に入れ上げると怖いな。
孫直が死んだから、ここぞとばかりに蘇果《そか》を狙おうとしているのだろう」
むっとして、孔明はすぐ反駁する。
「子龍どのは、そういう男ではないでしょう」
思わずかばうと、簡雍はそれには応じず、ため息をつく。
「蘇果はだいぶ参っているようだぞ。いまは城を下がり、行神亭に籠っていると聞いた」
「そうだとしても、子龍どのには考えがあるはずです」
「どんな?」
どんな、と問われても、さすがの孔明もすぐに答えが出ない。
困っていると、簡雍はそれには頓着しなかったようで、つづけた。
「蘇果と孫直は似合いだったのになあ。
孫直が死んだ直後に、蘇果が言ったことが忘れられん。
『これからどうしたらよいの』と言ったのだよ。
なにかいい交わしていたのだろうに、先に逝かれてしまった。気の毒になあ」
「あの混乱の中でも、よく注意して周りをみておられたのですね」
思わず孔明が褒めると、簡雍は照れて、
「いや、ちょっとしたことが気になるたちでな」
と笑った。
「なんにせよ、『黒鴉』は死んだ。
白妙がそうだったとは意外だったが、本名が『白』妙で、細作としての名が『黒鴉』とは、悪い冗談のようだな」
「まったくです」
相槌を打ちつつ、ほんとうにそうだろうかと、孔明はこころの隅で考えていた。


その翌日になって、司馬徽《しばき》(水鏡先生)の私塾で同窓だった、馬良《ばりょう》、あざなを季常《きじょう》から手紙がやってきた。
馬良は、若いのに珍しく白い眉をした人物で、五人の兄弟がいるのだが、そのなかでももっとも優秀だと世間に名の知れた人物だ。
孔明と馬良とは、それぞれ弟を通じて親戚となっており、頻繁に手紙のやり取りをしている。
今回の手紙は、孔明の身を案じる内容だった。
『黒鴉』のことは、城外には秘密にすることで家臣たちのあいだで約束されていたが、それでも騒ぎの目撃者が多すぎて、外に漏れてしまったようだ。


馬良は才覚がありすぎる者特有の、どこか揶揄《やゆ》するような調子で、
『君が新野城でかなり苦労していることは聞いている。
どうだい、いまからでも隆中に戻ってくるというのは。
とはいえ、そんなことになれば、賭けをしている連中を喜ばすだけだから、よしたほうがいいかもしれないな。
賭けのことは知っているかい。
君が新野城でうまくやれるかどうかで、塾生が賭けをしているそうだよ。
もちろん、ぼくはそれに乗っていないから、安心してくれたまえ。
噂じゃ、ほとんどが『君が新野城から逃げて帰ってくる』に賭けてしまっているようだ。
逆に『うまくやる』に賭けているやつがいるそうだが、もしこのまま君が帰ってこなかったら、そいつが大儲け、ということだな。
その誰かさんのためにも、がんばれよ』
ということが書いてあった。


気楽なものだなと呆れつつ、孔明は、馬良に返事を出した。
『新野城はたいへん居心地がよい。
曹操の細作もいなくなったことだし、どうだい、きみも劉豫洲《りゅうよしゅう》(劉備)に仕えてみるというのは』
と、誘いの文句を連ねて。


返事はいまだに来ていない。


つづく

※ 馬良の返事は、「臥龍的陣 夢の章」で戻ってきますv
ところで、昨日更新した「近況報告2024 12 その1」について、自分が浮かれて絶好調! みたいなこと書いてしまいましたが、新しい「赤壁編」がみなさんに「つまらない」と思われたら、目も当てられないんですよね……
大丈夫かなあ、と思いつつ、今日も「赤壁編」を書くわたくしでありました。
序章は、まだちょっとだけ続きます。
どうぞ最後までお付き合いくださいませね。

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