はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
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短編・良き兵士

2020年04月29日 10時21分49秒 | 短編・良き兵士
戦争するしか能のない者たちをつねに抱えておくほど、為政者にとって危険なことはない。
理想的な軍備とは、戦いの必要のないときには家に戻り、喜んでそれぞれの職務に励む兵士から成り立った軍備をいう。   
マキアヴェッリ語録「国家編」より


兵士たちの調練が終わると、趙雲は全身の汗を拭きながら、兵舎の一室にある自分の部屋にもどってきた。
ほかの武将たちとちがって、家族を持たぬ身であるから、必要最低限のもの以外はなにもない。
劉備は、荊州を三郡も取って、昔のような居候じゃないのだから、ちゃんと屋敷を構えたらどうだ、と諌めるし、ほかの武将たちは、趙雲が妙に地味にしていやがるから、俺たちが贅沢しにくい、と冗談まじりに言っている(なかには本気で言っている者もいるが、いつものことだ)。
とりあえず、屋敷らしいものを家令の一家付きで頂戴したのだが、兵士の調練を行って、調子のあがらぬ部隊の様子を見てやり、
兵士の個人的な相談にのってやったり、厩の掃除をしたり、
部将たちと食事を一緒にとったりしているあいだに日も暮れて、
そのあとに簡単な事務仕事などをこなしてから、例の男を自室に送り届けていたりすると、
もうあとは疲れて眠るだけなのだ。

そんなふうであるから、めったに屋敷に帰ることもなく、たまに帰ることがあっても、家令一家のところへお邪魔しに行く、というふうである。
近頃はどいつもこいつも余裕が出てきたためか、人の顔をみるたびに『ヨメモラエ』と呪文を唱えるように言ってくる男(姓は張、名は飛)もいるが、本人がまったくその気になれないので、話が盛り上がるはずもない。

「嫁さんがいるといいぞ、うまい食事を作ってもらえるし、戦場で敵に囲まれても、家族のために家にもどるのだ、と思うと力がガーッと沸いてくるもんだ」
「ひとつ聞くが、主公とおまえの嫁、それが両方、同時期に敵に襲われているのを見つけたとする。
おまえはどちらを先に助ける」
張飛はまるで迷わず即答してきた。
「両方同時に決まっているじゃねえか」
「別な場所にいたらどうする」
「片方を助けて、そのあとすっ飛んで行ってもう一方を助ける」
「その順番は、もちろん主公、嫁なのだろう?」
「まあな。ただしその場合、関羽の兄貴に馬を借りてすっ飛んでいくから、まあ間に合うだろうよ。
うん? なんだってそんなことを聞く?」
「…俺はおまえみたいに器用じゃないからな、どちらかを助けるので手一杯になってしまうと思うのだ。
特別な場合でなくとも、仕事を優先してしまうので、家族がいてもかえって悲しい思いをさせてしまうのではないかと思う」
「させないように努力しろよ。努力が足りないよ、おまえは!
じゃあ逆に聞くぞ、仮に嫁さんがいたとして、おまえは仕事を優先させて家に帰らない。嫁さんは拗ねておまえに冷たくなってくる。
おまえはますます家に帰りづらい。そんなとき、嫁さんから子供ができたという嬉しい知らせがやってくる。
おまえはまさに天にも昇る気持ちでその知らせを聞くはずだ。
想像してみろよ、嬉しくなるだろう? やっぱり家に帰ろうと思うようになるはずだぜ。家族っていいぞぉ」
「ちょっと待て。家に帰らないのにどうして嫁に子ができる。
とすれば、それは俺の子ではないぞ」
「え? あれ、そうか? じゃあ、父親はだれだ?」
「おまえじゃないだろうな」
「なにぃ! 侮辱だぞ、子龍! 俺がおまえの嫁に手を出したというのか! ゆるさねぇ、勝負だ!」

と、勝負がはじまり、ちょうど夕食の配膳がはじまっている頃だったので、趙雲は夕食を食べそこねた。
しかし空想の中でも俺の家庭が悲惨なのはなぜなのだ?
厨房へ行ってなんとか食糧を貰ってくると、兵舎の調練場を横切るようにして、
おなじく家なき子がふらふらと用もなさそうに歩いているのが見えた。
「軍師」
と、声をかけると、月光の元、幽鬼のようにそのほの白い姿を浮かび上がらせて、孔明は足を止めた。
「張将軍と喧嘩をしたそうだな。原因はあなたの嫁を、張将軍が寝取ったからだという話だが、いつの間にあなたの周囲に嫁が発生したのだ」
「嫁をキノコが生えたように言うな」
「どこの家の娘だ? それとも寡婦か?」
「どちらだと思う?」
「まったく想像がつかぬ。寡婦かもしれないに酒を一献賭けよう」
「ふむ、では重ねて聞くが、俺が嫁を横にして、子供をあやしている図、というのは想像できるか」
「ぜんぜん。そもそも、女人と浮いた噂のひとつもなくて、真面目を通り越して奇妙、というのが趙子龍であろう」
そういいながら、孔明は趙雲が座っていた階段の途中に、並んで腰をかけた。
趙雲の片手には、厨房の親父が、あまった食材で作ってくれた饅頭がある。
物欲しそうに見ているので、口のつけていない部分を切り取って与えると、孔明は素直にそれを受け取った。

「また食べなかったのか。偉度は何をしている」
「偉度も食べていないよ。まだ仕事を続けると言い張るので、わたしももう切り上げるからと家へ帰したところだ。
しかしあなた方は本当に仲が良いな。空想の嫁のために喧嘩までできるとは」
「真面目を通り越して奇妙といわれたからには、現実として、本気で嫁取りを考えるべきかな、と思うのだが」
それを聞き、孔明は、む、と顔をしかめる。
「まさか、その取り持ちを、私に頼むというのではあるまいな。壊すのは得意だが取り持ちは全然だめだ。よそをあたってくれ」
「それは期待していないから安心しろ。だいたい、おまえが花婿代理として花嫁の家に出迎えに行ったら、花嫁の目線はおまえに行くに決まっている」
「それは女を知らぬ者の発言だな、子龍。
黄家との縁談が持ち上がる前に、別の話があったのだが、向こうに断られたことがある。
理由はなんだと思う? 
『花婿が立派すぎるから、自分がかすんでいたたまれない』というのだ。
これはどう解釈すべきだと思う? 断り上手と見なすべきか、それとも本音勝負の立派な女人と誉めるべきか」

どちらと答えても孔明は怒り出しそうだ。

「世間にはいろいろな人間がいるからな」
「うまく逃げたな。徐庶などは、それを聞いてしばらく笑い転げていたが」
「だがな、張飛にも言ったのだが、俺が家を持ったとして、それでどうなると思う?」
「どうもこうも、目出度いと思うが」
「その先を想像してみてくれ。
いまは荊州を三郡とって、おまえの構想どおり、すべてが順調だ。
しかし、これで戦が終わったわけではない。天下はまだ遠い。
戦場に行くたびに、家族に後ろ髪を引かれるような思いで出陣しなければならないというのは、かえってよくない気がする」
「人にも拠るだろうな。あなたがそう思うのであれば、そうなるのだろうよ。
張将軍は、あなたとは逆で、気合が入るようだが」
張飛は、盛んに子供ができたことを想像しろと言っていたが…
趙雲は、実際に張飛に子が生まれたときの、嬉しそうな顔を思い出し、思わず顔をほころばせた。
「俺は、自分の血が続いていくことに興味がない。
だから子供が生まれたとしても、あまり嬉しいとは思えないような気がする」

と、ここまで言って、さすがにしまった、と思った。
あまりに孝に反する言葉だ。
相手が孔明だと思って、気安くしすぎた。
こんなことは、思っていても、けして口にすべきことではない。

孔明の軽蔑の眼差しを想像し、そおっと横を見ると、孔明はごくごくふつうに饅頭の欠片をむしゃむしゃやっていた。
「べつに子供ためにムリに結婚することはないさ。
乱暴な言い方になるが、すべては縁だ。妻も子も、縁があれば引き寄せられてあなたのところへやってくる。
なければないで、そういう天命なのだ。
らしくもなく、他人の言葉を気にして、悩むこともない」
「そうか?」
そうだ、と孔明は肯いた。
幸せな家庭に恵まれた張飛の言葉と、不幸せな家庭にめぐりあった孔明の言葉の差であろう。
どちらが間違っているということでも、正しいということでもない。

孔明は立ち上がると、服についた埃を軽くはたいて、それからふたたび自室へと戻っていく。
送っていくにしても、孔明の部屋は目と鼻の先のところにあり、大仰に思えたので、見送るだけにしていると、孔明がふと足を止めて、振り返った。
「子龍、わたしが女だったら問題はなかっただろうな」
「………は?」
「あなたはわたしのような人間が相手ならば本音を語れるのだよ。わたしのような性格の女人ならば問題はあるまい」
「ああ、そういうことか。え? いや、おまえのような女は嫌だ」
「安心しろ、そうめったにわたしのような女がいるはずがない。
学問優秀、容姿端麗、家柄もよく、性格は剛直かつ柔軟、つねに前向きで声望をほしいままにする龍とあだ名される女人だ。いるはずがない」
「あたりまえだ。というか、そういう男も俺は知らん」
すると孔明は、怒るどころか、声をたてて明るく笑った。
「ほら、そういうふうに軽口を利ける相手がいるというのはよいものだろう。
あなたはいささか、なんでも真面目に捉えて重く考えすぎる向きがある。
戦場に行くときのことや、孝行のことなんか考えなくていい。
本当にこの女人ならばと思える相手と家を構えればよいさ。
わたしは失敗したからね、失敗しないように助言することだけはできる。
わたしが女に生まれていれば、あなたのところに嫁いだかもしれないが、現実として男だからな。あいにくと」
「現実に感謝だ」
「そう怖い顔をするな。お休み、子龍。いつかよいことがあるよ」
孔明はそういって背を向けると、ひらひらと手を蝶のように動かして、別れの挨拶の代わりにした。
「よいこと、か」

孔明は一度も趙雲を振り返らずにまっすぐ歩いていく。
悄然とした歩き方であるが、実際に隣に並ぶと意外に早足だ。
衣擦れの音が遠ざかり、やがて聞こえなくなると、篝火の間をぬって、背の高い孔明の輪郭ばかりが浮かび上がる。
身に纏った絹の衣裳が炎を照り返してそこだけが目に映える。
そうして孔明はふと立ち止まり、おそらく無意識の癖で、自室やその周辺の暗がりに、だれかいないかをたしかめているのだろう、目を凝らしているのか、しばらくそうしていると、安心したのか、自室の戸口に手を掛けたらしい。
遠くからでも孔明の戸口が開く音がはっきりと聞こえた。
いささか耳に障る音も混じっているのは、建て付けが悪いからだ。修繕をしてやらねばなるまい。
回廊の闇に溶け込んで、それらしい動きのある闇のカタマリとしか見えなくなった孔明が、自室に入ったようだ。
ふたたび戸口の閉まる音。そうして、ながい沈黙の後に、花窓に、紙燭の明かりが灯ったのが映った。
その傍らにある細長い影が、さほど広くない部屋でなにか動いている。
着替えを始めたのかもしれない。窓から遠ざかる。
さらにしばらく待っていると、ふたたび孔明の影が花窓に映り、それから明かりが消えた。

さて、本日の仕事はこれで完了。

趙雲は、立ち上がると伸びをして、過剰な想像力が自分にはないことを天に感謝しながら、兵舎の一角にある自室へと戻っていった。  


おわり

御読了ありがとうございました

(サイト「はさみの世界」 初掲載年月日・2005/03/25)

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