はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

幻界古城~臥龍と残酷策士の地下迷宮 第一章 その1

2021年07月25日 09時27分47秒 | 幻界古城~臥龍と残酷策士の地下迷宮
第一章



涼しくなったので蚊が減ったことはいいことだが、そのかわり篝火めがけて虫がたくさん飛んでくる。
森の下草からも、りんりんと悲しげな虫の声。
ときどき、フクロウが警戒を促すような声で、ほう、ほう、と鳴くのが気持ち悪い。

白い、うずくまっている象のような岩には、いま、女のほとのようなかたちの入り口が開いていた。
森林の梢から月光がさしこんで、岩にぶつかると、入り口が自然とあらわれていたのである。
歩哨が、だれかがこの場所に入り込んだ形跡があると報告してきていたが、劉備は頓着しなかった。
「だれかキノコ狩りにでも来ていたのだろう」
「昼間は、岩に異変はなかったのだろう」
張飛がたずねると、劉備は、うん、とうなずいた。
「見張りの話じゃ、異変はなかったそうだ。おそらく、この入り口は、選ばれし者にしか開かれないものなのだよ。益徳、とうとうわしは、天から選ばれたのだ」
感慨深げにいう劉備にたいし、張飛は意外に冷静に言った。
「そうかねえ、まだ俺は信用できないよ。ほんとうに、狐狸のたぐいに化かされているのじゃあるまいな」
「疑い深いやつだなあ、おまえは。それじゃあ、おまえも法正たちと一緒に古城に潜ればよかったじゃないか」
「莫迦を言え。天下の勇将がこぞってわけのわからん穴に入って、万が一のことがあったらどうするんだよ。漢中から曹操が攻めてきたら、もう蜀は終わりだ。だから俺は残ることにしたんだ。というか、それを決めたのは兄者だろう」
「そうだった、そうだった、悪かったよ。いまのおまえは、大事な蜀の砦だ」
ふたりの気心の知れたやりとりを、すこし遠くに立って様子を見ている士大夫代表の劉巴が見ている。
かれは、いまのやりとりがツボだったらしく、くっく、と声をたてて笑った。
といっても、劉巴は少なくとも表面だけはいつも笑っているような温和な顔をしている。
中身はとんでもなく腹黒いことは、張飛はよく知っている。
仲良くしようとその家に遊びにいったとき、劉巴は客である張飛をまったく無視し、話しかけすらしなかったのだ。
あとで、劉巴と親しい孔明に間に入ってもらって抗議したが、劉巴は抗議もどこ吹く風。
どころか、
「あんな兵隊あがりにどうして士大夫たるわたしが言葉をかけてやらねばならないかねえ」
と言い放ち、さすがの孔明も絶句していた。
そのあとは、孔明が必死に仲を継いでくれたこともあり、ふつうに挨拶くらいはできるようになったが、張飛にとっては、劉巴は「いやな奴」どころではない。
「大の苦手」になっていた。

「これ、そんな目で子初をにらむな」
と、小声で劉備に注意され、そこではじめて張飛は、立会人となっている劉巴ににらみつけていたことに気づいた。
「ごめんよ、おれの目は正直だからなあ」
「正直すぎるのも問題だ。孔明の苦労を思って、ちょっとは自分を抑えろ」
「わかったよ。それにしても、その孔明は遅いな。支度に手間取っているのかな。法正が古城に入ってから、もうだいぶ経つぞ」

心配になって、張飛は武坦山のふもとをみやった。
劉備の心遣いで、古城の入り口からふもとまでは、定期的に足元を照らすための篝火が焚かれている。
だから、孔明らが暗闇で道に迷うということはないはずだった。

張飛は、劉備のために身を粉にして働く法正が嫌いではなかった。
かなり思い切った残酷さを持ち合わせているが、それが劉備のためになるのなら、乱世なのだし、いいのでは、とすら思っている。
比べてみると、孔明は身なりはともかく政治手法はおとなしく、確実さがないかぎり動かない慎重さがある。
そこがまどろっこしいと思えることすら増えてきた。
とはいえ、新野に食客として暮らしていたころからの仲間である。
応援するならどっちか、と問われれば、張飛は孔明を応援するのだった。

ほどなく、闇の向こうから、毎度おなじみ趙雲と孔明のふたり、それから孔明の主簿の胡偉度が山をのぼってやってきた。
「遅いぞ」
声をかけると、孔明はすでに山登りで息を切らせており、代わりに趙雲が答えた。
「軍師は留守番をするべきではないかと思って、話し合っていたら、遅くなってしまった」
「おいおい、直前になって方針の違いでもめているってわけか。それはまずいぜ。法正のやつ、とっくの昔に古城に入っちまったよ」
それを聞いて、顔色を変えたのは孔明だった。
「して、天下一品の宝は見つかったのですか」
「いいや、まだだ。それにしても、おまえたちだけなのか。武装も軽めだし。大丈夫だろうな」
張飛が心配するのも無理はない。孔明は珍しく筒袖で動きやすい胡服のうえに鎖帷子だったが、盾は持っておらず、兜もかぶっていない。
趙雲と偉度のほうも、戦場に向かうときよりも軽めの武装で、朱塗りの木の楯に鉄の兜に剣、といういで立ちであった。
「孝直どののほうは、重武装だったよ。ま、金があるからね、あの御仁は」
揶揄する声に振り返ると、劉巴が立っていた。
「孝直どのと、文長どの、それから町の荒くれ者を集めた一団と」
「緘口令を敷いていた意味がありませんな」
孔明が不服そうに言うと、劉巴は肩をすくめた。
「かれにも注意したのだが、私兵もごろつきどもも、盾の代わりだからとかなんとか言って、強くわあわあ言い続けるものだから、認めるほかなかったよ。どちらにしろ、もうごろつきどもは、ここにきてしまっているのだしね」
「いやな予感しかしませんが」
「私に言われても困る。最終的には、主公がよしとおっしゃったことだからね。主公、軍師将軍がやっと到着しましたよ」
「おお、孔明、遅かったな。早く孝直につづけ。でないと競争にならん」
孔明を待つ、という選択肢もあったはずだが、劉備はごろつきたちが、早く宝を見せろとうるさかったのと、法正が遅刻してくる者に情けは無用と言い出し、結局、孔明を待たずに作戦が実行されたのだった。
「主公や益徳どのは、中に入られたのですか」
「いいや。中はどんなふうになっているかは、入ってからのお楽しみということで」
劉備はそんな見当はずれのことをいうと、孔明の手をとって、さあ、さあ、と古城の入口へ入るよううながした。
「孝直がいまだに戻ってこないところを見ると、なかはだいぶ広いらしい。どういう古城なのかはわからぬが、孝直のあとにつづくおまえたちにもまだ勝機はあるだろう。天下一品の宝、かならずやとってきてくれ。頼んだぞ、孔明」
念を押された孔明は、白い顔を、かれにしてはめずらしくひきつらせていた。
緊張しているというより、まだ南華老仙の話を疑っているのだろうなと、張飛は見当をつけた。
「いいなあ、おれも一緒にいって、古城とやらがどんなものか、見てきたいところなんだが」
張飛がぼやくと、冷静のカタマリ、趙雲が言った。
「おまえが地上に残らねば、だれが主公をお守りするのだ」
「わかっているよ。城のほうは漢升(黄忠)が守っているから問題ないし、おまえも軍師のお守り、がんばれよ」
「ありがとうよ」
短く言って片手をあげると、趙雲は劉備に向かって拱手し、
「では、行ってまいります」
と告げると、孔明と偉度を促して、古城の入口へと迷うことなく入っていった。
こういうときの、あいつの即断即決ぶりというのは、たしかにすごいな、肝が据わっているな、と張飛は感心する。
「無事に帰ってくるといいねえ」
劉巴は言ったが、これは独り言だろう。

名前もわからぬ謎の古城。
果たして、この中になにが隠されているのか。
空にはただ、地上のすべてを見張る目玉のような、黄金の月が鎮座しているばかり。

つづく

(Ⓒ牧知花 2021/07/25)

幻界古城~臥龍と残酷策士の地下迷宮 序章 その7

2021年07月24日 09時54分19秒 | 幻界古城~臥龍と残酷策士の地下迷宮
法正がごろつきを集めていると聞いて、まさか、敵対する軍師将軍、諸葛孔明に殴り込みでもかけるのかと想像したが、そんな幼稚な手をあの男が使うとは思えないと考え直した。
馬岱からすれば、いま劉備の寵愛をもっともあつめているのは法正だが、劉備の孔明を見る目も、また父が出来のいい子を見るような温かみのあるもの。
それだけいつくしまれている家臣を、あとから家臣になった法正が斬れば、さすがの劉備も黙っておるまい。

『そういえば、二日前の朝議で、劉備は法正と孔明を残して密談をしていたな。それと、ごろつきを集めるのとは、関係しているのであろうか』
馬岱のなかでは、いまだ劉備は主君という感じがしない。
馬岱のなかでは、あるじといえば、馬超なのだ。
自分たちは客将という意識が強い。
時が来れば、いずれ独立できるのではとすら、どこかでまだ思っている。
ただし、馬超が元気になった場合だが。

「法孝直がごろつきを集めているのは、バントウスイのあるコジョウへ行くためですよ」

娘と馬岱のあいだに割って入る声がした。
バントウスイ。
コジョウ。
聞きなれないことばに、馬岱は混乱し、顔を上げた。
小柄な、自分と同じく、よく日焼けした肌の青年が瓶子と杯をもって、いつのまにか背後に立っていた。
土塀に溶け込んでしまいそうな、地味な土色の衣をまとった、青年である。
目が合う。
馬岱は、その青年の落ち着いた瞳の表情におどろいた。
穏やかに微笑むその青年は、娘に席を代わるように手ぶりで示した。
娘はさして嫌がるふうでもなく、あっさりと席を立った。そして、蝶のように、また別の男を探して行ってしまう。

「お邪魔でしたか」
涼やかな声をしている。いきなりあらわれて、隣に座られたのだから、馬岱としても馴れ馴れしいと思っていいはずだったが、青年にはなぜか、こころを許したくなる不思議な魅力があった。
「もともと一人で飲んでいたのだ」
『二十歳を過ぎたばかりといったふうだな、つまり、一回り下、というところ』
馬岱は自然に青年の杯にみずから酌をしていた。
青年は過度にかしこまるでもなく、自然と杯を受けて飲む。
こいつ、かしずかれることに慣れておるな、と馬岱は推量した。
「きれいな耳飾りをされておいでだ」
と、青年は唄うようにいった。
揶揄するつもりはないらしい。
馬岱は、少年時代から身に着けている瑠璃色の石のはまった耳飾りに、つられるように手を伸ばしていた。
「これか。昔から身に着けているものだ。気になるか」
「いいえ、きれいなものだなと思っただけです。ところで、蜀の酒はうまいですね。司馬相如の酒場もこのあたりだったそうですよ。はやったんでしょうねえ」
「あいにくと、その、司馬なんたらを知らぬ」
「おや、そうでしたか。漢の詩人ですよ。武帝にかわいがられた男で」
「ふうん。そいつの話はいいとして、さきほど貴殿が言っていた、バントウスイだの、コジョウだのは、いったいなんのことだ」
「率直なお方だ。よろしい、わたしも率直にお答えしましょう。いま、成都には地下古城があらわれているのです。その古城の地下には、蟠桃水といって、いかなる病人のやまいも癒す、霊験あらたかな水が流れているのですよ」
「まさか」
「お疑いですか。まあ、それは仕方ありませんよね、荒唐無稽な話ですから。しかし、蜀郡太守の法孝直みずからごろつきを集めているのは、どう思われます」
「む。なにか出入りでもあるというだけではないのか」
「成都の治安は、いまは守られています。いかに強い権力を持つ法孝直とて、諸葛孔明という抑えがある以上、以前のような好き勝手はできません」
「では」
「古城がほんとうにあるのですよ。法孝直と、孔明は、今夜、その古城に潜るのです。法孝直のほうは、人を集めて急増の軍に仕立てて、数で押して古城を攻略しようとしているようですがね、ふふ、どうなるかな」
と、青年は人が悪いところを見せて、笑った。
「古城、古城というが、いったいそれは、どこにあるのだ」
「満月の日にのみあらわれる幻の地下迷宮です。そこには、さきほども申し上げた通り、蟠桃水が流れているほか、得れば天下を取れる天下一品の宝も眠っているとか」
「そんなまさか」
「そのまさか、ですよ。蜀の劉備は、天から、この大地を統一することを許されたも同然だと、おお喜びしているとか。まだお疑いですか、証拠に、ここに古城からくんだ蟠桃水があります。飲んでみますか」

青年は、竹筒を取り出すと、空になっていた馬岱の杯に水を注いだ。
おどろいたことに、その水はうっすらと赤く、嗅ぐとふわりと桃の香りがただよってきた。
「一口でも、だいぶ利きますよ」
青年は言う。
馬岱はもともと慎重な男だ。
しかし酒の勢いもあって、ついつい乗せられるまま、その水を口に運んでしまった。
しかし、とたん、おどろいた。
からだの底から、ぐっと力が押し上がってくるような感覚がしたのである。
間欠泉が大地から噴き出てくるのと同様に、元気がどんどん湧いてくる。
と同時に、馬超のことをくよくよ悩んで塞いでいた気持ちも、いっぺんに吹き飛び、軽くなってしまった。
背中に積んでいた荷物から解放された気分である。
もちろん、変わったのは気分だけで、現実はなにも変化がないのだが。

「これはすごいな。何という薬だ」
「ですから、蟠桃水です。蟠桃とは西王母が丹精込めて育てている、不老不死の力を授かることのできる桃のこと。その桃の木のふもとにある川の水が、この蟠桃水なのです」
「待て、古城とは、要するに古代の遺跡のことであろう。その遺跡のなかに、蟠桃が生えているというのか」
「実を言うと、わたしも見たことがありませんので、まちがいないものだとは申し上げられません。ですが、蟠桃水が本物ですよ。わたしは、劉備たちが古城に入るまえに、ひそかに古城に入って、蟠桃水の泉から、水を汲んできたのです。あなたも飲んでわかったでしょう。蟠桃水の効能は本物だ。とすると、ほんとうに蟠桃も古城に生えているのでしょうね」
呆れた話だ。
満月の夜にあらわれる幻の古城。
その古城の中に、不老不死の力を授ける蟠桃が生えている。
唖然とする馬岱に、青年は言った。
「まだ信用していただけませんか」
「いや、信じたいのはやまやまなのだが、まだピンと来ぬ。その蟠桃があれば、わが従兄の気鬱の病も治るかもしれぬからな」
「治りますよ、保証いたします」
「ほんとうか」
「はい。そこで相談なのですが、わたしとともに、古城へ行ってみませんか」
「いつ。いまからか」
「ええ。といっても、今日は古城の周辺に劉備の軍がいて、入り口を見張っているため、中にはいることは難しいでしょう。しかし、ほんとうに古城の入り口が開いているかどうか、あなたにお見せすることはできる。わたしのはなしを信じてくださったなら、次の満月の夜にいっしょに古城へ潜りましょう」
そう言って、青年は立ち上がる。
話がとんとんと進んでしまい、馬岱としては気持ちがまだ追いつかない。
あわてて、青年の手を取って、押しとどめる。
「貴殿の名を聞いておらぬ。いや、その前にわしが名乗ろう。わしは」
「存じ上げております。馬孟起さまの従弟の馬岱さま」
知っていて近づいてきたのか、といやな気分になりかけたが、青年はそれをやわらげるように破顔した。
「わたしの名は李星。世間では李大人などと呼ばれておりますが、若輩の身でこそばゆいので、ただ李星とお呼びください」

李星は、ここはわたしが持ちますから、といって、酒店の清算をすますと、馬岱をともなって、武坦山へとまっすぐ歩きだした。
馬岱は李星の横を歩きながら、果たして気分が高揚しているのは、蟠桃水とやらの効用か、あるいは馬超を助けてくれるかもしれない蟠桃のある古城へいくこと自体に興奮を感じているのか、どっちだろうとぼんやりかんがえた。
「しかし、李星よ、貴殿はなにゆえ、古城の存在を知ったのだ」
「南華老仙の夢のお告げがありましたので」
「ほう。南華老仙とはすごいな」
感心しつつも、やはり、大丈夫かな、という気持ちがつよい。
とはいえ、蟠桃水の効き目は抜群なことは、いま気分が高揚している自分で立証済み。
『蟠桃そのものを手に入れられなくとも、蟠桃水だけでも手に入れられたら』
馬岱はかんがえながら、李大人と呼ばれる青年のあとをついていった。
満月が、とくべつに大きく空からせり出しているように感じられる夜だった。


つづく

(Ⓒ牧知花 2021/07/24)

幻界古城~臥龍と残酷策士の地下迷宮 序章 その6

2021年07月21日 14時32分35秒 | 幻界古城~臥龍と残酷策士の地下迷宮


満月が煌々と空高く上ったその日。
涼州の勇将であった馬岱はひとり、まんまると太った月を肴に繁華街である長星橋にて飲んでいた。
繁華街は、劉備軍と劉璋軍が激突していたさなかはひっそりとしていたそうだが、いまは逆で、おおくの男女でにぎわっている。
じっと息を詰めて我慢していたのが、爆発した雰囲気だ。
赤々と輝く提灯があたりに飾られ、橋や川面をきらきらと照らしている。
酔客たちは、だれも空にある大きな月を見上げることはない。
地上にある落ちた星ともいうべき女たちを追い回すのに忙しいからだ。
浮かれ女たちは男たちをなびかせようとあの手この手で誘惑し、男たちは男たちで、いかにうまく駆け引きを楽しむかを仲間内で競っている。

その騒がしさ、やかましさ。
酒がまわって興奮している若者、ろれつが回らなくなっている者、やたらとはしゃいでいる者、肩を組んで、故郷の歌を唄う者、それにあわせた調子っぱずれな楽器の音色。
それらのわめく言葉と音楽が混然となって、馬岱の耳に洪水のように押し寄せてくる。
蜀のなまりは、最初は聞きなれないので苦労したが、このところやっと慣れてきた。
といっても、劉備が統括する城内においては、蜀のなまりで話す人間は少数派で、圧倒的に荊州の人間が幅を利かせている。
劉璋から劉備の家臣に鞍替えした劉巴にしても、もとは荊州の人間だし、諸葛孔明ら左将軍府の面々もほとんど荊州。
対する蜀の人士の代表みたいな顔を威張っている法正でさえ、蜀の人間ではなく扶風の人間である。
そのため、馬岱は荊州の人間のなまりのほか、各地から寄せ集まった家臣たちのなまりも聞き分けなければいけない。
その苦労を毎日しているから、ときどき、涼州のことばを話す人間が恋しくなる。
しかし、どれだけ周りを見回しても、部下のほかは、涼州の人間はいないのだ。自分が異邦の地に流れ着いたのだとしみじみ思わされる瞬間である。

従兄の馬超が、このところ口数が少なくなったのは、自分と同じく、聞きなれないことばたちに囲まれて、疎外感を抱いているからではないかと馬岱は推理していた。
今日だって、ほんとうは従兄といっしょに繁華街に繰り出す予定だった。
ところが、馬超は、行かないという。
以前は、元気があり余って弾けそうな勢いであったのに、蜀に入ってからの馬超は、しおれた芙蓉の花のようだ。覇気が全く感じられない。
目はどんよりとして表情がないし、動作も緩慢で、歩き方も足を引きずるような歩き方。
しかも、蜀に入ってからあたらしく迎えた妻女によれば、馬超は夜中にひとりで泣いていることすらあるそうな。
夜に泣くなんて、夜泣きする赤ん坊ではあるまいし。

馬超のことを思うと、自然と馬岱の表情は暗くなり、ため息も漏れる。
涼州にいたころの馬超は、けしてこんなふうではなかった。
だが、曹操に負けてから、だんだん様子がおかしくなった。
陽の気のかたまりだったような明るかった馬超。
飛将呂布を思わせる勇者であった馬超。
それが、いまでは、濁った沼のような目をして、毎日泣き暮らしている。
かれを決定的におかしくしたのは、妾を敵に奪われたことでも、愛児を殺されたことでもない。
龐徳が去ったことだ。
股肱の家臣だと信じてきた男が、蜀に入る土壇場で、馬超を裏切って、よりによって曹操に降った。
このことは大きかった。
馬超は自分の自信を失ってしまったのだ。
気張ってなんとかおのれを支えていた。
その支えの一つであった龐徳そのひとに裏切られ、こころがぽっきり折れてしまったのだ。

龐徳が、どうして馬超のもとを去っていったか、その本当のところは本人に聞かないとわからないが、おそらく、馬超のツキのなさに、龐徳自身、うんざりしてしまったのではないか。
命さえあれば、ツキなどまためぐってこように。

才気煥発だった馬超が、いまは呼び掛けても、一拍たってから、のろのろと、しかも見当ちがいのことを答えてくるのを見るのはつらかった。
龐徳のことは、おたがい触れてはいけない話題になっているため、互いに黙っているが、それでも馬超はおりにつけ、
「おまえは俺のそばにいてくれよ、馬岱。おまえだけが頼りなのだ」
と震える声で言うのだ。
まるで、親に捨てられることを恐れている子供のように。
いなくなるものか、と馬岱はいつも答えるのだが、馬超はにごった目のまま、じっと、すがるように馬岱を見る。
疑い、焦り、恐怖、そういった苦い感情がごちゃまぜになった表情で。
以前の快活な兄者に戻ってほしいと思う。
「あれでは、病人ではないかっ」
思わず独り言をこぼすと、まわりにいた酔客が、ちらっと何事か、というふうに目線を寄こしてきた。
だが、馬岱はかまわず飲み続ける。
長江につづく川に面した露店で、ほかにも大勢の客があつまって騒いでいた。
川面に移った黄金色の月がゆらゆら形を崩して揺れている。

涼州の夜空も美しかった。
月の明かりをたよりに城を抜け出し、満天の星々をながめて、草原で寝そべって、天下を語った。
あのころは楽しかった。
この場所は明るい。
だが、明るすぎて星が見えない。
いかん、泣きたくなってきた。
目頭を押さえた馬岱に対し、なにを思ったのか、露店の酒場娘が寄ってきて、言った。
「どうなすったの、なにか悲しいことでもあったのかしら」
馬岱も、わざわざ成都でいちばんにぎやかな繁華街にやってくるだけあって、呑むのも遊ぶのも好きである。
だが、いまは放っておいてほしかった。
「目にゴミが入っただけだ」
「あらそう、ゴミならとってあげましょうか。ほら、杯も空いておりましてよ。もう一献どうぞ」
慣れた手つきで酌をするその娘の白い手をぼんやりながめる。
馬岱とて、妻子を激戦の中で失っている。
はたから見れば悲しい身の上だ。
だが、龐徳の裏切りにはげしい怒りを燃やすことができた。
思うに、馬超は、怒りを発しようにも、もう燃やすものが残されていなかったのかもしれない。
『兄者、かわいそうに』
面と向かってはとてもではないが言えない。
だからこそ、悲しい。つらい。
馬超はこのまま、こころを塞いだまま、衰弱してしまうのではないか。

「あらあら、泣きそう。ほんとうに、どうなすったの、おかわいそうに」
娘は言って、馬岱に心配そうに肩を寄せてくる。
馬岱は黙って、娘のついでくれた酒を一気に飲んだ。
「そうそう、呑んでしまうのがいちばんよ。そして忘れてしまうの。一晩寝れば、また元気になれるわ」
たしかにそうだ。こうして自分もめそめそしていても仕方ない。
なにか、馬超のこころを明るくする話題でも持って帰ろう。
そう決めた馬岱は、となりにいる厚化粧の娘にたずねた。
「なにか変わったことはないか」
「あるわ」
娘は即答した。馬岱が怪訝そうな顔をすると、なぜかくすぐったそうに笑った。
「今日はね、あたし、とっても機嫌がいいの。日ごろからしつこくしてきた、いやな奴が今日はいないんですもの」
「それが変わったことか」
「いやね、ちがうわ。法孝直さまが、町中のごろつきを集めていることはごぞんじ」
「ごろつきを。はて、なぜであろう」
「知らないわ。でも、おかげで、今日の長星橋は平和よ。そのごろつきのひとりが、あたしの取り巻きのひとりだったのよ。大儲けできそうなうまい話があるから、といって出かけて行ったけれど、どうでしょうねえ」
「ふむ」

つづく

(Ⓒ牧知花 2021/07/21)

幻界古城~臥龍と残酷策士の地下迷宮 序章 その5

2021年07月18日 09時56分55秒 | 幻界古城~臥龍と残酷策士の地下迷宮


孔明の屋敷は城から二里ほど離れた、閑静な場所にあった。
松柏の立ちそびえる道を抜けて馬車が停車すると、主簿の胡済が待ち受けていた。
胡済はあざなを偉度といって、義陽の出身の青年で、ことし22歳。華やかな美貌の持ち主で、だれもが、なるほど、これが諸葛亮の主簿かと納得するような目端の利く青年である。
ただし、本人は美女と見まごう自分の容姿をきらっていて、どうしてもっと男らしい風貌に生まれつかなかったのかと嘆いている。
そのためなのか、いつも海の貝のような地味な色合いの流行とも程遠い衣ばかりを身にまとっていて、美しいものはそれなりにすべしという信条を持っている孔明をがっかりさせていた。
今日もそうで、偉度は黒い縁取りに鼠色の衣をまとっていた。似合わなくもないが、年より老けて見える。

「おかえりなさいませ」
偉度は礼をとって言うと、ほかの者に聞こえないように、小さく言った。
「話はうかがいました。中で趙将軍もお待ちです」
「左様か」
偉度はなんでも話が早い。しかも、どこで仕入れてくるのだろうと思うほどに、ありとあらゆることについて、情報通であった。
古城についてのこともそうで、すでに趙雲から聞いているようだった。

『子龍は偉度を連れていくつもりなのかな』
孔明は奥の部屋で待っているだろう趙雲のところへ向かいながら考える。
趙雲が待っていること自体には、おどろきはなかった。
おそらく待っていてくれているだろうという確信があったためである。
荊州にいたころは、主騎としてそばにいてくれた男なので、気心はすっかり知れているのだ。

はたして、趙雲はすでに部屋に通されて、もてなされていた。
かれの専用となっている椀で、茶を苦そうにすすっている。
茶の生産地である雲南のすぐそばである益州に入ってから、茶を飲むことが増えた。
嗜好品としてというより、体に良い薬として飲んでいることのほうが多い。
召使の誰かが、趙雲のからだを慮って出したのだろう。
「うまいが、苦いな」
言いつつ、趙雲は孔明のほうに向きなおった。
「主公からすでに聞いているかと思うが」
「ああ、聞いた。ところで子龍、われらの夢のなかに出てきた、古城の入り口らしい岩があったのは、ほんとうなのか。あなたも主公とともに、武坦山に登ったのだろう」
「ああ、おれにはなにがなんだか分からなかったが、主公がどうしても確かめたいというので、月明かりを頼りに山に登ってみた。そしたら、主公が言うとおりの奇妙に白い、でかい岩があったよ。象という生き物を見たことがあるが、大きさはそれに近いのではないか」
「へえ、そんなに大きいのか。入口の岩があったということは、やはり夢はほんとうなのかな」
「おかしな話です。夢がほんとうだとしても、どうして危険かもしれない古城とやらへ、蜀を代表する軍師たるお二人がみずから入らねばならないのでしょうか」
孔明と一緒に部屋に入ってきた偉度が、孔明の上着の着替えを手伝いながら口をとがらせた。
偉度のいうとおりで、たしかにおかしい。
だが、一方で、古城の地下に天下一品の宝があるという信憑性が高まった以上、劉備のいうとおり、軍師ふたりが競争して取りに行くのが筋のようにも感じられた。

正直にそう偉度と趙雲に言うと、案の定、ふたりは顔をゆがめた。
「やはりおかしな話ですよ。古城、古城とおっしゃるが、だいたい、どの王朝の古城なのでしょうか。伝説の蜀王杜宇の古城とかいうのではないでしょうね」
「だとしたら、面白いな。ほとんど何もわかっていない王のことが、なにかわかるかもしれぬ」
「わかったとして、それはいまの天下の趨勢にかかわりがあるだろうか」
と、趙雲が正論を述べた。
「あなたはいつも冷静だな。どうやら、わたしが古城へ行くことに反対のようだが」
「あたりまえだ、主公のお考えは、今回については間違っていると思う。夢の話が本当だというのなら、天下一品の宝は、ただふつうに安置してあるとは思えない。それこそ史記にある始皇帝の墓のような危険な仕掛けがしてあるのではないか」
「水銀の川が流れ、自動的にうごく弓矢が盗掘者を狙っている、というやつか。たしかに、それくらいの仕掛けはあるかもしれない。だったら、盾で防ぎながら先に進めばいいのではないか」
「なんだか気楽に構えているようにみえるが」
「じっさい、気楽だよ。どうせといっては何だが、おそらく危険といってもその程度で、あとは毒蜘蛛だとか、ムカデとかゲジゲジに注意していればよいのではないか。ああ、あと蝙蝠か」
「蝙蝠の糞まみれになって宝を得る。なかなか見ものですね」
皮肉屋の偉度のことばに、孔明は手を伸ばして、軽くその頭をこづいた。
「そんなこと言って、おまえはそのときになったら、いちばん蝙蝠に悪態をついていそうだな」
「軍師、おれと偉度をつれていけ」
趙雲のことばに、孔明も間髪入れずに頷いていた。
「そうしてくれるか、助かる。ほかの将と組むことは考えられない」
「法孝直どのは、町のごろつきをひそかに集めているようですよ。この三人だけでは、あちらに対抗できないのではありませぬか」
心配する偉度に、孔明は屈託なく笑って見せた。
「孝直どのは心配性のようだな。だいたい、有象無象を集めて急ごしらえの軍をつくったところで、すぐにはまとまるまい。それに、そんな連中が古城に入ったら、場を荒らすだけ荒らして、南華老仙の御不興を買うだけであろう」
「南華老仙というのは、どんな風貌をしていたのです」

興味津々、といふうにたずねる偉度に、孔明は夢のままを語って見せた。
たしかに、風格のある神秘的な老人であったと。
偉度はそれを聞いて、素直なところをみせて、へえ、と感心して相槌を打っていたが、趙雲のほうは顔を曇らせていた。
「どうした」
「うむ。おまえや主公を疑うわけではないが、その老人、ほんとうに南華老仙だったのだろうか。それこそ狐狸の類に化かされていないか、心配だ」
「わたしも最初はそこを疑ったが、いまは腹をくくったよ。化かされているなら、それはそれで、どこまでが真実か見極めたほうが良いのではないか。古城の入り口の白い岩は存在したわけだし。それより気になるのは、秘密だというのにごろつきを集めている法孝直の側に、だれがつくかだな」
「それなら、だいたい想像がつきますよ。欲の皮のつっぱった人が同郷にいますから、その人でしょう」
「偉度はきついな。それは魏延のことか」
「魏将軍が法正どのの屋敷に入っていったのを見た者がおります」
「なるほど。では、あちらは魏延やごろつきと組むのだな。素晴らしい面子だ」
「感心している場合ではありませぬ。やはりわれらも、人を集めましょうか」
「いや、それは必要なかろう。古城とやらがどれだけの広さかは知らぬが、大人数でいったところで渋滞するだけさ。かえって、三人だけのほうが、身動きがとりやすいだろう」
「軍師のいうとおりだな。偉度よ、久々に剣をふるうことになるやもしれぬ。腕は鈍っておらぬか」
趙雲が水を向けると、偉度は不敵に笑って見せた。
「誰に言っているのやら。わたしは鍛錬を欠かしたことはありませぬ。なにせ、隙だらけの軍師の主簿と主騎を兼ねている立場ですからね」

たしかに、偉度は天に二物どころか三物以上をあたえられている青年である。
かれの剣の冴えは間違いのないところで、孔明もこれまで、どれほど助けられてきたか知らない。
しかも年齢を重ねるごとに、腕前はどんどん上がっていた。
そこを買われて、最近では趙雲のかわりに、偉度が孔明の主騎も兼ねている。
左将軍府事としても働いている孔明には主簿として従い、外においては、主騎として従う。
まさに偉度は孔明にぴったりくっついている状態だ。

「では、話はまとまったな。この三人で行こう。あと二日あるから、それぞれ思いつく装備を準備しておいてくれ」
「そういうあなたがいちばん心配ですよ。その大きな袖の邪魔になる漢服で古城へ潜ったりしないでくださいよ。古城へ行くときは胡服で。それはお忘れなきように。あと万が一にそなえて、兜も用意してください。あと、水筒と兵糧も念のため」
「おまえは本当に有能な主簿だよ」
孔明がぼやくと、かたわらにいた趙雲は、ちがいない、と笑った。


つづく

(Ⓒ牧知花 2021/07/18)

幻界古城~臥龍と残酷策士の地下迷宮 序章 その4

2021年07月17日 09時33分05秒 | 幻界古城~臥龍と残酷策士の地下迷宮


法正は屋敷にもどると、忠実な家令に命じて、成都中の荒くれものを集めるようにいった。
家令は、とつぜんのことに、ほんのすこしだけ驚いた顔をしたが、それも一瞬のこと。
この短気な主人に、「なぜ」と問うのは命取りだと知っているので、かしこまりました、とだけ言って、すぐさま命令を実行にうつした。

法正は、部屋着に着替えて、奥の書斎で、大好きな香を炉でくゆらせながら、落ち着いてかんがえる。
『古城だと』
考えれば考えるほど、おかしな話である。
なんでいまさら、南華老仙が劉備、法正、孔明のもとにそれぞれあらわれて、天下一品の宝のありかを教えてくれたのか。
南華老仙が、曹操、孫権、劉備と、ついでに公孫氏あたりをくらべて、劉備がいちばん天下を取るにふさわしいと認めてくれたのか。
それならば素直にうれしいというべきだが、法正は不満である。
仮に南華老仙が民草の苦しみを見かねているというのなら、ふつうに天下一品の宝とやらを劉備か自分に手渡ししてくれればよいではないか。
夢の中の法正は、南華老仙が目のまえに現れたというだけで泡を食ってしまい、そのあたりをつっこむことができなかった。
いま、劉備に『古城へ潜って宝を取ってこい』といわれると、夢でもっとしっかりつっこめばよかったと、悔やまれてならない。
『南華老仙はケチだな』
そう思うしかない。
いや、えらい仙人だから、簡単に手に取れる宝は粗末に扱うに違いない、だからもったいぶったほうがいいと考えたのだろうか。
どちらにしろ、手間なのは困る。
古城とやらが、どれほどのものなのかは知らないが、どうせサソリや蝙蝠やゲジゲジのいるようなじめじめした場所だろう。
最初にそこに手をつっこむのは嫌だから、念のために人を集めておいたほうがいい。
そして、軍師将軍と争いになったなら、競争にかこつけて荒くれものに襲わせて、ついでにやつの命も奪ってしまえ。
蜀に二人の策士はいらない。わたしひとりで十分だ。
仮にやつをどさくさに紛れて消せなかったとしても、宝を得てしまえばこっちのもの。
主公は完全にわが味方になるであろう。
そうすれば、やつを蜀から追っ払って、荊州にでも行かせればいい。
そうだ、それがいいかんがえだ。益州と荊州からそれぞれ中原を目指して軍をすすめ、都を奪ったあと、呉を平らげる。
そして、適当な罪をでっちあげて、やつを亡きものにすれば、完璧だ。

そこまで夢想して、法正は、ニヤリ、と笑った。
本人としては、満面の笑みを浮かべたつもりなのだが、どうしても、悪い笑い方になってしまう。
母親に、気味が悪いからよせと何度も叱られた笑い方だ。
母親は、死の床でも、法正の行く末を気にして、笑い方には注意しろと遺言して、逝った。
直す努力はしたのかというと、これまた、まったくしていない。
笑い方がなんだという。
世に笑わない絶世の美女がいたのだから、笑うのが下手な天才策士がいてもおかしくなかろう。
そう思っている。

「ご主人さま、お客さまでございます」
「だれじゃ」
「魏文長さまがお見えです」
法正は、おもわず、ふん、と鼻を鳴らしていた。
『嗅覚の鋭い男だの。もう、うまい話をかぎつけたか』
魏延は入蜀のさい、何度か作戦行動を共にした男である。
寒門の出身だが勇猛果敢で知恵もそこそこ回るので便利だ。
しかも、孔明に対し悪感情を持っているという共通点がある。
しかし、野心がつよく、それを隠さない点がいささか気になる。

通せ、と命じると、ほどなく、魏延がのしのしと書斎に入ってきた。
七尺五寸ほどの立派な体躯をした男で、非常に男臭い面構えをしている。
孔明に反骨と呼ばれたが、反骨とは頭骨がやや後ろに飛び出しているように見える相で、なるほど、気にしているらしく、髪を結わずに下ろして、それを目立たなく見えるよう工夫していた。

「水臭いですぞ」
と、あらかた挨拶が終わったあと、魏延は率直に言ってきた。
「なんのことかな」
法正がとぼけると、魏延はぐっと上半身を乗り出してきた。
「南華老仙の古城のはなしです。古城の地下に、天下一品の宝が眠っている、その宝は天下を取れる宝。そして、それを取ってきた者こそが、主公の第一の軍師として選ばれると」
「よく知っておるのう。どこで聞いたのだ」
嫌味ではなく感心していうと、魏延はくくっ、と人の悪そうな笑い方をした。
わたしの笑い方もたいがいだが、こいつも一緒だな、と呆れる。
「密談のさい、そとに控えていた宦官のひとりに聞いたのです」
「その者の名は」
「それを教えたなら、孝直どのは処罰されるでしょう」
「当然じゃ」
「ならば、教えられませぬ。わが貴重な情報源ですからな」
「ふん、はしっこいやつよ。で、古城の宝の分け前をもらいに来たというわけか」
「ひどいおっしゃりようだ。しかし、ありていに言えばそうですな」
「古城といっても、どうせ、蝙蝠の巣窟のような暗い洞穴であろうよ。そこに宝があるかどうかもわからぬ。それでもわたしに同道したいと申すか」
「もちろん。それこそ、虎穴に入らずんば虎子を得ず。行動を起こさねば、なにを得ることも敵いませぬ」
「正規の兵は動かせぬぞ」
「それも承知。魏に漢中という喉元を抑えられている以上、正規の兵を本当かどうかわからぬ宝のために動かすことはできますまい」
「そこまでわかっているのなら、よし、同道をゆるす。主公にもその旨、通しておこう」
「ありがとうございます。して、ほかに人を集めますか」
「すでにわたしが手配済みだ」
「さすが太守。手回しがよい。それでは、人集めはお任せいたします。では、それがしも古城へ潜る準備に入りましょう」
「そうしてくれ。あと、集めた兵の指揮は、貴殿にあたってもらうことになるぞ。それでもよいな」
「大勢がからむとなると、分け前が減りませぬか」
「なにも出ない可能性もあるのだ。その心配は、宝を見てからせよ」
「そうですな、いささか先走りすぎました」
そう言って、魏延はひとりで大笑いしたあと、帰っていった。

残った法正は、仲間が増えたというのに、もやもやした気持ちを抱えていた。
魏延という男については、あらかた理解しているつもりなのだが、どうも寝首をかかれそうな気がして仕方ないのだ。
『ほかに信頼できる将がいればよいのに』
だれかいないかと、頭に思い浮かべようとするが、だれも浮かばない。
法正は、自分が人を信用していないので、人から自分が信用されているかもしれない、ということはまったく想像できなくなっていた。
『もし宝を見つけたとして、魏延が手柄も宝も寄こせといわれたら』
そこまで考えて、法正は軽く首を振った。
『それこそ、ないかもしれない宝のために、ばかばかしい想像だな』
家人に用意してもらった茶を一服飲んでから、法正は静かに、劉備に魏延のことを話す算段を頭の中で組み立てはじめた。

つづく


(Ⓒ牧知花 2021/07/17)

新ブログ村


にほんブログ村