淀川長治な喬
「おい、変な髯の店員。ひとつ相談なのであるが」
と、新作コーナーでしばらく逡巡していた馬超が、変装をつづける孔明に言った。
「人生を学ぶためのDVDというものを捜しているのだが、これ、というものはないか? できればフクザツではないものがよいのだが」
なにを言い出すのだ、こいつは、と呆れつつ、孔明は答える。
「『ベイブ』などは如何でしょう。挑戦する勇気を学べます」
「ブタか…ほかには?」
どうも『ベイブ』の評価は不当に低い気がする。
「人生を学ぶとひと言でおっしゃいますが、いろいろと種類がございましょう。なにを主として学ぼうとされているのです?」
「ずばり人生だ! ふむ、貴様に話してわかるだろうか。俺には馬岱という従弟がいるのだが、あいつが俺に、若はなにもわかっていない、と急に怒りだしたのだ。なにをわかっていないのかと尋ねたところ、すべてだ、とこうだ。
ふむ、たしかに俺はあいつを空気のように、そこにいて当たりまえの存在と見なしていたが、あいつはあいつで不満だったのかもしれないな。
まあ、どこかの誰かが言っていたが、映画は人生を教えてくれる、という。そこでやってきたのだが、返答や如何に」
「はあ」
おそらく馬岱の言いたかったのは、『思いやり』に関する諸事項であったのだろう。
西涼の馬一族の家庭事情がどうなっているのか、孔明はいささか恐ろしかったので突っ込んでみる気にはならなかった。
「あいにくと、わたしもよく知りませんので」
「なんだと、役立たずだな」
人生において、役立たずといわれたのは初めてだ。
かなり腹が立ったものの、ぐっとこらえて、あいかわらず商品の掃除をしている喬を呼ぶ。
「こちらのお客さんが、人生を学べる映画を捜しているそうだよ。おまえ、お奨めはあるかね」
喬は、誰に似たのか、なにをするにもノンビリだ。
しばらく生真面目に首をひねっている。
対する西涼の若大将は短気なので、聞きかじった知識で持って、あれは、これはといい始めた。
「人生哲学をあらわすとなると、やはり史劇かな。『シンドラーのリスト』なんかどうだ」
すると、喬は、ぱっと目を開いて馬超に向き直った。
「『シンドラーのリスト』はたしかによくできた映画ではありますが、あれはホロコーストという。あまりに人類の歴史に重く存在する事実が前提にあるからこそ生きる映画であり、あの映画のラスト近く、シンドラーがユダヤ人たちに詫びを入れるシーン、そして挿入される上着のボタンをはめる女性のシーンなどは、いささかあざとさがあります。
それに、あれはシンドラーという男の一生を描いた作品ではありませんので、そのあたり、将軍の意向と合致しないのではないでしょうか。
人生を描ききった作品ならば、『市民ケーン』のほうがよろしいでしょう。貧しい家から養子に出され、長じて新聞王となった男の『薔薇のつぼみ』という言葉の重さが明らかになるラストは、母性への回帰を示しているものでもあります。
もっと分かりやすいもの、とのご要望であれば、チャップリンの作品群がよろしいのではないでしょうか。
テーマはそれぞれございますが、人生の悲哀を風刺にこめたものの中では、いまだにチャップリンを越えるものはないかと思われます。
日本映画ならば黒澤明の『生きる』をお奨めします。胃がんになった男の晩年を描いた作品になりますが、人生の終わりに、打ち上げ花火のような生命力のきらめきを見せ、突如として平凡な公務員という枠からはみ出て、みんなのための公園をつくろうとする姿には、さまざまな思いをよみがえらせてくれるのではないでしょうか」
「……そ、そうなのか? では、『市民ケーン』と『生きる』を借りるか」
馬超が去ったあと、孔明はおそるおそる養子に声をかける。
「喬、いま、別のだれかが降りてきたみたいだったぞ」
ところが、喬は顔をきょとんとさせて、なにをそんなに驚いているのだろう、というふうに首をかしげてみせた。
孔明は、はじめてこの甥が、かなり奥の深い性質を持っていることを知ったのであった。
なかま
さて、そろそろ終業時間である。
付け髭もすっかり馴染んで、なにやら外すのが惜しいくらいになってきた。
有線を切って『蛍の光』を流すと、にぎやかな家族連れが、二階の洋画コーナーから、一階にあるカウンターへと降りてきた。
その姿を見て、孔明は驚いた。
法正である。
法正が、家族を連れてレンタルショップにやってきたのであった。
勝手な印象として、この男も仕事人間にちがいない、と決め付けていた孔明は、法正の意外な家庭人ぶりに、いささかたじろいだ。
法正は息子と娘たちを連れているのだが、どうも子供たちは不満があるらしくぶうぶう言っている。
「もー、そんなの観たくない! 父上、どうしていっつも同じものばっかり借りるの?」
すると、日ごろの老獪な狐っぷりはどこへやら、子供たちの抗弁に、法正は口をとがらせる。
「おまえたちだって、ガンダムばっかり見ているじゃないか。たまの休みなのだから、父に好きな映画を見せてくれてもよかろう!」
「だったら、もっと別なのを借りられたらよいのに」
「うるさい、だまれ。父が稼いだ金で借りるものなのだぞ。お前たち、不満があるなら、バイトでもして、自分で稼いで借りればよかろう。この映画はな、可能性に果敢に挑戦する生き物すべてに送られた賛歌なのだぞ!」
父上は横暴だ、と子供たちがぶうぶう言うのを尻目に、法正はカウンターにDVDを置いた。
その作品は…
『ベイブ』
「…………」
顧客履歴を観ると、法正は孔明を上回る頻度で『ベイブ』をレンタルしていることが判明した。
『負けている…! いや、負けていてもよいのだ。これだけ借りるのであれば、買えばよいのだ』
同じことを子供たちも思っているらしく、大切に『ベイブ』を抱える父親に、変わらず不平をぶつけている。
「ヘンなの、借りるんじゃなくって、買えばいいのに!」
「だまれ。買うのではなく、借りる、という行為に意味がある。SFXが増えた昨今、ベイブで見られるような技術は当たりまえのものになってしまった。
最近の若い者は、『ベイブ』をただの子供向けのブタの映画、と捕らえる傾向にある。これは憂慮すべき事態だ。
レンタルショップの仕組みを知っているかね。毎日のように新作がリリースされる中、利用履歴の少ない作品は、どんどん店頭より淘汰されていく。
わたしは『ベイブ』に勇気を貰った一人として、『ベイブ』が店頭から消えてしまわないよう、レンタルを続けているのだ。わかったか!」
子供たちは、まだぶうぶう言いながらも、『ブルームーン』を口ずさみつつ店から出て行く父親に従って行った。
孔明はというと、なんともいえない敗北感を味わいつつ、店じまいをはじめたのであった。
エンドマーク、その後。
店の最後の掃除を終えた孔明は、喬とともに裏口より店を出た。
すると喬が手を伸ばしてきて、付けっぱなしになっていた髯をつん、と引っ張った。
「ああ、そうだ。外さなくてはな。それにしても疲れることだ。休昭の風邪が早くよくなるとよいが」
孔明は嘆息しつつ、夜空にかがやく一番星を見上げた。
「付け髭ひとつつけただけで、馬超に役立たず呼ばわりされるわ、『ベイブ』の利用履歴で法尚書令に負けるわ、貴重な体験をしたな」
ふと、家路に向かう方角を見ると、毎度おなじみの影を闇にぼんやり浮かばせている男がいる。
予定がないのは、どうやら自分だけではなかったらしい。
「子龍、どこかへ行った帰りか?」
べつに、と答えつつ、趙雲は孔明のほうを見た。
長星橋は歓楽街であるから、飲み屋も多い。
そこの帰り、というわけでもなさそうだ。
酒の匂いがまったくしない。
その着物の裾をつかみ、風になぶられて冷えているのを確かめて、孔明は、なんとも奇妙な安堵感に包まれていた。
「ずっと待っていてくれたのか」
「なんとなく、このあたりをうろうろしてみたかっただけだ」
「そうか。暇そうだから、これからどこかへ付き合ってやってもよいぞ」
「暇ではないが、是非にというのならば仕方がない」
「そう、仕方がないのだよ。なにせあなたには、わたしに付け髭なんぞを付けさせた責任があるのだからな。
その顛末をじっくり聞かせてやろう。さて、どこがよいだろう。このあたりなら、幼宰どのの行きつけの店があったはずだが」
そういいながら、三つの影は、闇にゆっくり消えていった。
おわり
御読了ありがとうございました!
(サイト「はさみの世界」 初掲載年月日・2005/05/03)
「おい、変な髯の店員。ひとつ相談なのであるが」
と、新作コーナーでしばらく逡巡していた馬超が、変装をつづける孔明に言った。
「人生を学ぶためのDVDというものを捜しているのだが、これ、というものはないか? できればフクザツではないものがよいのだが」
なにを言い出すのだ、こいつは、と呆れつつ、孔明は答える。
「『ベイブ』などは如何でしょう。挑戦する勇気を学べます」
「ブタか…ほかには?」
どうも『ベイブ』の評価は不当に低い気がする。
「人生を学ぶとひと言でおっしゃいますが、いろいろと種類がございましょう。なにを主として学ぼうとされているのです?」
「ずばり人生だ! ふむ、貴様に話してわかるだろうか。俺には馬岱という従弟がいるのだが、あいつが俺に、若はなにもわかっていない、と急に怒りだしたのだ。なにをわかっていないのかと尋ねたところ、すべてだ、とこうだ。
ふむ、たしかに俺はあいつを空気のように、そこにいて当たりまえの存在と見なしていたが、あいつはあいつで不満だったのかもしれないな。
まあ、どこかの誰かが言っていたが、映画は人生を教えてくれる、という。そこでやってきたのだが、返答や如何に」
「はあ」
おそらく馬岱の言いたかったのは、『思いやり』に関する諸事項であったのだろう。
西涼の馬一族の家庭事情がどうなっているのか、孔明はいささか恐ろしかったので突っ込んでみる気にはならなかった。
「あいにくと、わたしもよく知りませんので」
「なんだと、役立たずだな」
人生において、役立たずといわれたのは初めてだ。
かなり腹が立ったものの、ぐっとこらえて、あいかわらず商品の掃除をしている喬を呼ぶ。
「こちらのお客さんが、人生を学べる映画を捜しているそうだよ。おまえ、お奨めはあるかね」
喬は、誰に似たのか、なにをするにもノンビリだ。
しばらく生真面目に首をひねっている。
対する西涼の若大将は短気なので、聞きかじった知識で持って、あれは、これはといい始めた。
「人生哲学をあらわすとなると、やはり史劇かな。『シンドラーのリスト』なんかどうだ」
すると、喬は、ぱっと目を開いて馬超に向き直った。
「『シンドラーのリスト』はたしかによくできた映画ではありますが、あれはホロコーストという。あまりに人類の歴史に重く存在する事実が前提にあるからこそ生きる映画であり、あの映画のラスト近く、シンドラーがユダヤ人たちに詫びを入れるシーン、そして挿入される上着のボタンをはめる女性のシーンなどは、いささかあざとさがあります。
それに、あれはシンドラーという男の一生を描いた作品ではありませんので、そのあたり、将軍の意向と合致しないのではないでしょうか。
人生を描ききった作品ならば、『市民ケーン』のほうがよろしいでしょう。貧しい家から養子に出され、長じて新聞王となった男の『薔薇のつぼみ』という言葉の重さが明らかになるラストは、母性への回帰を示しているものでもあります。
もっと分かりやすいもの、とのご要望であれば、チャップリンの作品群がよろしいのではないでしょうか。
テーマはそれぞれございますが、人生の悲哀を風刺にこめたものの中では、いまだにチャップリンを越えるものはないかと思われます。
日本映画ならば黒澤明の『生きる』をお奨めします。胃がんになった男の晩年を描いた作品になりますが、人生の終わりに、打ち上げ花火のような生命力のきらめきを見せ、突如として平凡な公務員という枠からはみ出て、みんなのための公園をつくろうとする姿には、さまざまな思いをよみがえらせてくれるのではないでしょうか」
「……そ、そうなのか? では、『市民ケーン』と『生きる』を借りるか」
馬超が去ったあと、孔明はおそるおそる養子に声をかける。
「喬、いま、別のだれかが降りてきたみたいだったぞ」
ところが、喬は顔をきょとんとさせて、なにをそんなに驚いているのだろう、というふうに首をかしげてみせた。
孔明は、はじめてこの甥が、かなり奥の深い性質を持っていることを知ったのであった。
なかま
さて、そろそろ終業時間である。
付け髭もすっかり馴染んで、なにやら外すのが惜しいくらいになってきた。
有線を切って『蛍の光』を流すと、にぎやかな家族連れが、二階の洋画コーナーから、一階にあるカウンターへと降りてきた。
その姿を見て、孔明は驚いた。
法正である。
法正が、家族を連れてレンタルショップにやってきたのであった。
勝手な印象として、この男も仕事人間にちがいない、と決め付けていた孔明は、法正の意外な家庭人ぶりに、いささかたじろいだ。
法正は息子と娘たちを連れているのだが、どうも子供たちは不満があるらしくぶうぶう言っている。
「もー、そんなの観たくない! 父上、どうしていっつも同じものばっかり借りるの?」
すると、日ごろの老獪な狐っぷりはどこへやら、子供たちの抗弁に、法正は口をとがらせる。
「おまえたちだって、ガンダムばっかり見ているじゃないか。たまの休みなのだから、父に好きな映画を見せてくれてもよかろう!」
「だったら、もっと別なのを借りられたらよいのに」
「うるさい、だまれ。父が稼いだ金で借りるものなのだぞ。お前たち、不満があるなら、バイトでもして、自分で稼いで借りればよかろう。この映画はな、可能性に果敢に挑戦する生き物すべてに送られた賛歌なのだぞ!」
父上は横暴だ、と子供たちがぶうぶう言うのを尻目に、法正はカウンターにDVDを置いた。
その作品は…
『ベイブ』
「…………」
顧客履歴を観ると、法正は孔明を上回る頻度で『ベイブ』をレンタルしていることが判明した。
『負けている…! いや、負けていてもよいのだ。これだけ借りるのであれば、買えばよいのだ』
同じことを子供たちも思っているらしく、大切に『ベイブ』を抱える父親に、変わらず不平をぶつけている。
「ヘンなの、借りるんじゃなくって、買えばいいのに!」
「だまれ。買うのではなく、借りる、という行為に意味がある。SFXが増えた昨今、ベイブで見られるような技術は当たりまえのものになってしまった。
最近の若い者は、『ベイブ』をただの子供向けのブタの映画、と捕らえる傾向にある。これは憂慮すべき事態だ。
レンタルショップの仕組みを知っているかね。毎日のように新作がリリースされる中、利用履歴の少ない作品は、どんどん店頭より淘汰されていく。
わたしは『ベイブ』に勇気を貰った一人として、『ベイブ』が店頭から消えてしまわないよう、レンタルを続けているのだ。わかったか!」
子供たちは、まだぶうぶう言いながらも、『ブルームーン』を口ずさみつつ店から出て行く父親に従って行った。
孔明はというと、なんともいえない敗北感を味わいつつ、店じまいをはじめたのであった。
エンドマーク、その後。
店の最後の掃除を終えた孔明は、喬とともに裏口より店を出た。
すると喬が手を伸ばしてきて、付けっぱなしになっていた髯をつん、と引っ張った。
「ああ、そうだ。外さなくてはな。それにしても疲れることだ。休昭の風邪が早くよくなるとよいが」
孔明は嘆息しつつ、夜空にかがやく一番星を見上げた。
「付け髭ひとつつけただけで、馬超に役立たず呼ばわりされるわ、『ベイブ』の利用履歴で法尚書令に負けるわ、貴重な体験をしたな」
ふと、家路に向かう方角を見ると、毎度おなじみの影を闇にぼんやり浮かばせている男がいる。
予定がないのは、どうやら自分だけではなかったらしい。
「子龍、どこかへ行った帰りか?」
べつに、と答えつつ、趙雲は孔明のほうを見た。
長星橋は歓楽街であるから、飲み屋も多い。
そこの帰り、というわけでもなさそうだ。
酒の匂いがまったくしない。
その着物の裾をつかみ、風になぶられて冷えているのを確かめて、孔明は、なんとも奇妙な安堵感に包まれていた。
「ずっと待っていてくれたのか」
「なんとなく、このあたりをうろうろしてみたかっただけだ」
「そうか。暇そうだから、これからどこかへ付き合ってやってもよいぞ」
「暇ではないが、是非にというのならば仕方がない」
「そう、仕方がないのだよ。なにせあなたには、わたしに付け髭なんぞを付けさせた責任があるのだからな。
その顛末をじっくり聞かせてやろう。さて、どこがよいだろう。このあたりなら、幼宰どのの行きつけの店があったはずだが」
そういいながら、三つの影は、闇にゆっくり消えていった。
おわり
御読了ありがとうございました!
(サイト「はさみの世界」 初掲載年月日・2005/05/03)