はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

臥龍的陣 夢の章 その7 思いがけない告白

2022年02月22日 14時05分43秒 | 臥龍的陣 夢の章


関羽は目立つ。
城の正門から孔明と関羽が出てくると、町の人々の視線はいっせいに関羽のほうに向いた。
通りで遊んでいた子供たちは、関羽を見ると喜んで奇声をあげて、酒店への道中、ずっとあとからついてきた。
「関将軍、関将軍、どちらへ行かれるのですか」
そんな声をあげながら、きゃっきゃ、きゃっきゃとはしゃんいで、じゃれついてさえくる。
関羽も子供たちになつかれているのがまんざらではないようで、
「遊びに行くのではないのだぞ」
と言いつつも、ひげで囲まれた口元はゆるんでいる。

じつは、新野に来て以来、孔明ははじめて関羽とふたりきりになった。
なにを話してよいのかわからず、じつに気まずい。
自分を認めてくれたようだ、ということはわかっているのだが、それにしても、この武人の鑑のような人物と、どんな話をすればよいのやら。
まったくの二人きりであったなら、孔明も自分の態度を決めかねて、困っていたかもしれない。
だが、関羽のあとから洟をたらして追いかけてくる子供たちのおかげで、場が殺伐としたものになるのは避けられた。
子供たちは、「劉豫洲の義弟の雲長さまだ」「赤兎馬の関将軍」などと片言で叫んだり歓声をあげたりしながら、酒店までついてきてしまった。
関羽はかれらに愛想よく駄賃をあげて、追っ払う。
思いもかけない駄賃を得て、歓声をあげて去っていく子供たちを見る関羽の目は、びっくりするほどやさしかった。




ほとんど会話らしい会話もしないまま、二人は待ち合わせ場所に到着した。
店の主人は、孔明には愛想よく微笑みかけたが、関羽を見ると、
「ひっ」
と短く悲鳴をあげて、カチコチになってしまった。
劉備の義弟・関羽の勇名は下々にまでいきわたっているのである。

関羽は店をぐるりと見まわすと、いちばん店内と、それから外からの客を見張れる席を見つけて、どっかり座り込んだ。
広い店内が、関羽が入ったことで、狭くなったように見えた。
それまでにぎやかにしていた客たちも、おっかなびっくりとした顔で、こちらの様子を探っている。
仮に刺客がこちらを狙っていたとしても、これではおそらく近づくことすらできないだろうなと孔明は感心した。

だが、崔州平も萎縮してしまわないだろうか。
店内を見渡すと、州平は、かれらしくつつましく、店の隅っこに、ちんまりと座っていた。
孔明がやってきたのはすぐに分かったらしく、手をあげて応じる。
「おう、ここだ。久しいな孔明。元気そうでなによりだ」
「君も元気そうだね。奥方や子供たちも元気かい」
「もちろんだ」
短い返事のなかに、友の家族への愛情を読み取る。

崔州平は、世間の評判には恵まれなかったものの、家族には恵まれた。
とくにその妻は聡明で美しく控えめで、冗談をめったに言わない徐庶すら、
「あの人は州平にはもったいない、おれがもらいたかったくらいだ」
と言ったほどだ。
ゆでた卵のようにつるりとした肌の美女と、平凡だがいかにも意志の強そうな夫、という組み合わせはなかなかうまくいっていて、ふたりのあいだには三人の子供がいる。
州平は、妻子を非常に愛していて、そのために、どこにも仕官したがらないのではないかと孔明は想像したことすらあったほどだ。

「それにしても、驚いたな」
州平は関羽を見て、目をまるくしている。
関羽のほうは、じろじろ見られても、まるで気にする様子はなく、腰を低くして酒をすすめている店の主人に丁寧に断りの返事をしていた。
「ものすごい護衛がついているではないか。おまえ、ほんとうに偉くなったのだなあ。さすが臥龍先生、おれも鼻が高いよ」
「偉くなんてなっていないよ。肩書だけがあるだけで、まだまだ、わが君のお力になれていない。今日は、その話をしに来たのだろう」
「うむ」
孔明が水を向けると、なぜだか州平はもごもごと口ごもり、酒をあおる。
「予想がはずれた」
「どういう意味だい」
「いや、じつは、隆中では、おまえが劉備どのの家臣たちとうまくやれていないという話が大きく伝わっていてな。負けん気の強いおまえでも、相当苦労しているだろうと思っていたのだよ。
ところが、まさに百聞は一見に如かずだな。おまえはちゃんと新野でうまくやれているようだ。天下の関将軍を随員にできるほどなのだから」
「うん、最初は苦労したけれど、いまはうまくやれているよ」
「そのようだ。安心した。これで俺も心残りなく去ることができる」
州平のことばに、孔明はハッとした。
「どこかへ行ってしまうのか」
「恥ずかしい話なのだが、事情があって、借金をしてしまってな。なかなか返せないので、借金のカタに労働力を提供することにしたのだよ。屋敷も家財もすべて処分したので、もう荊州に戻ることはなかろう。おまえにはすまないと思っている。せっかく一緒に働かないかと声をかけてくれたのにな」

とつぜんの話に、さすがの孔明は頭が真っ白になった。
大金持ちの崔家の金がなくなるなど、天地がひっくり返ってもないことだと考えていたからである。
「借金って、どういうことだ。君の家が困窮するなんて、ありえないだろう」
「いろいろ事情があるのだ。情けをかけると思って、そこは聞いてくれるな」

投機に失敗したか、女か、賭博か。
州平の四角い顔をまじまじと見る。
嘘をついている顔でもなければ、冗談を言っている顔でもない。
目をそらすことなく、まっすぐ孔明を見つめ返してくる。
その澄み切った、覚悟を決めた目を見て、孔明はあらためてがっかりした。
これは、説得できない。
長い付き合いなので、崔州平が、どれだけ頑固で意思が強いかはよく知っていた。
事情があるというのだから、そうなのだろう。
その「事情」の内容は、さすがの孔明も想像できなかったが。

「わたしが肩代わりできるような金額でもないのだね?」
「そうだ。ほんとうに、すまない、おまえを残して荊州を去るというのは、ほんとうに心残りだ」
徐庶も同じことを言って、曹操のもとへ行ったなと、孔明は寂しく思い出していた。
司馬徽の私塾では、いつも三人で行動していた。
その三人が、ばらばらになってしまう。
時の流れとは言え、残酷なものだと思う。
あれほどともに天下を論じあった仲間が、誰一人として同じ道を歩かない。

「しょげるな、おまえには、もう力強い仲間がいるじゃないか」
「たしかに、力になる仲間たちだが、君はまた別だよ」
「そう言ってくれるのはありがたいな。うれしいよ。次に再会できるのはいつになるか…わからぬが、そのときは、お互い笑顔で会えるようにしよう」
「借金が早く返済できるといいな」
「そうだな、まったくだ」
州平は苦笑し、それから、孔明の卓の上の手をぎゅっと握った。
「死ぬなよ、孔明。かならず生き延びろ」
「もちろんだ。その言葉、君にも返すよ。必ず、また生きて会おう」
州平は、じっと孔明の目を見つめていたが、不意に言った。
「忘れるな、仇讐は壺中にあり」
「なんだって?」
思わず孔明がたずねかえすと、州平は手を握ったまま、言った。
「この言葉を忘れないでいてくれ。頼む」
理由は、と聞き返したが、州平はことばを濁して答えなかった。

つづく

臥龍的陣 夢の章 その6 友からの手紙

2022年02月21日 12時30分51秒 | 臥龍的陣 夢の章


「お手紙が届いております」
補佐の者が書簡の束を持ってきて、孔明の机に置いた。
陳情の手紙が何本か。
手紙の束をたぐっていって、孔明は、はっとして手をとめた。
束に交じって、懐かしい友の筆跡でつづられた手紙が二本あったのだ。
もしかして、と孔明は急いで手紙を読み進めた。

一本目は、親友の馬良からのものであった。
馬良。あざなを季常といって、司馬徽の塾で同窓だった人物だ。
きわめて優秀で、めずらしいことに、眉の毛が白いことから、「白眉」のあだ名で世間から呼ばれていた。
馬家には五人の兄弟がいるが、そのなかでも、世間は「白眉もっともよし」と評している。
人格、風格、才覚、ともに抜きんでている、というわけだ。
孔明は、親友に、ともに劉備のもとで働かないかと呼び掛けていた。
その返事がいまきたのだ。
色よい返事を期待していた。
しかし。

「あまりよい内容ではなかったようだな」
劉備が心配して声をかけてくるほどに、孔明は落胆していた。
手紙の内容は、孔明が新野でうまくやっているか心配しているという内容で、そこまではよかった。
だが、つづく内容がよくない。
馬良曰く。
自分も新野に行って手伝いをしたかったのだが、親族に不幸があったので、服喪しなければならない。
残念だが、しばらく仕官はできそうにない、とのこと。
じつは、馬良を当てにしていた孔明だけに、かれの一族に不幸があったことに関しては、残念としかいいようがなかった。
そのことを劉備たちに説明すると、かれらも、がっかりしてため息をついた。
「まだもう一本あります。こちらはよい手紙かもしれませぬ」
「だれからだい」
「崔州平からです。ご存じですか」
劉備はすぐに思い当たったらしく、両方の眉をあげて、言った。
「おお、おまえと徐庶の親友だという、富豪の子息か。たしか、父君はわしとおなじ琢県の出自であったな」
「そのとおりです」
応じつつも、州平の名を出すと、やはりいまでも、みなは金と結び付けて思い出すのだなと、友の気持ちになって悔しく思った。

崔家は大富豪で、後漢王朝の今上帝の父・霊帝が官位を売りに出したさい、大金をはたいて大臣の位を買った。
崔州平の父は戦乱で命を落としたのだが、そのことも同情されず、世間はかれら一族を「銅臭」がする、といって忌み嫌った。

だが、孔明と徐庶は世間の評判とかかわりなく、崔州平を認め、付き合った。
付き合ってみると、崔州平はふだんはとぼけた顔をして人を茶化すようなことばかり言っているが、実際は真面目で責任感のつよい人物で、おなじく真面目な孔明や徐庶とウマが合った。

孔明は、徐庶が曹操のもとに去ってしまったあと、崔州平に、新野へ来ないかと誘っていたのだ。
その返事が手紙に書かれている。
はやる気持ちを抑えつつ読むと、そこには、短く、
『大事な話があるから、新野の酒店で会おう』
とあった。
落ち合う日付は、ちょうど今日であった。

「関羽を連れて行くといい」
劉備のことばにおどろいて、孔明は言った。
「関将軍がわたしの随行など、もったいない。それに、指定された酒店は、城とは目と鼻の先です。問題なくひとりで行って帰ってこられます」
「しかし、このところ曹操の細作や刺客の動きが活発だからな。おまえもこのあいだ、襲われかけただろう」
「すぐ捕まりましたし、問題はありません」
「それだって、子龍がそばに控えていたからだろうが。ちょっとの油断が隙を招く。悪いことは言わない、関羽を連れていくといい」
しかし、と尚も言いつのろうとする孔明に、いいから、いいから、といなす劉備。
どうやら、孔明が遠慮をしているのだと勘違いしているらしい。
孔明としては、ひさびさに親友に会うのだから、ふたりきりで語り合いたいと思っていたのだが。

「おおい、雲長」
と劉備が声を張り上げると、近くで控えていたらしい関羽がのっそり姿をあらわした。
孔明を軽く超える高身長の武人は、現れただけで周囲を圧倒した。
「お呼びでしょうか、兄者」
劉備は関羽に、かくかくしかじかなので、孔明といっしょに城下の酒店へ行ってきてほしいと説明した。
孔明は、誇り高い関羽が、孔明の主騎のまねごとをするのは嫌だというかなと予想していた。
だが、意外にも関羽は素直に、
「わかり申した」
と応じて、出かける孔明に従って城下へ行くこととなった。

つづく

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臥龍的陣 夢の章 その5 新野での事件

2022年02月20日 14時03分13秒 | 臥龍的陣 夢の章
「ところで、新野のあちこちに出没している『人攫い』はまだ捕まっておらんのか」
書簡のひとつを見て、劉備が眉をひそめた。
「ざんねんながら、まだ捕まっておりませぬ。どうやら、複数で動いているようだということまではわかっているのですが」
孔明が言うと、簡雍が手を動かしながら言った。
「器量のよい子をとくに攫っていると聞いておる。そうなれば、どこぞの妓楼にでも売られたのではと思って探させてみたが、いなくなった子の影も形もなかった。
ひどい話だわい、親の嘆きっぷりを見ていると、こちらまで胸が詰まる」
「新野ではなく、よその町の妓楼にでも売られてしまったかな。そうなると、もうこちらとしても探しようがない。これだけおおっぴらに、われらの目の前で子供が攫われるというのは、気分の良いものではありませぬな」
孫乾のことばを引き継いで、孔明は言った。
「まったくです。人攫いは、徴兵しに来たと親に嘘を言って、子供を連れ出しているとか。これではわが君の評判も貶められてしまう」
「まさか、曹操の謀略ということはなかろうなあ」
簡雍が推測するのはもっとものようであったが、しかし孔明は首を横に振った。
「曹操のやり口にしては、細かすぎますね」
「どちらにしろ、子供を取り返してやらねば。どこでどうしているやら、ひどい目に遭っておらぬとよいのだが」
麋竺に負けず劣らずの人の好さを見せる孫乾がそう嘆くと、場がしんみりとしてきた。

「娼妓殺しのほうも、下手人を捕縛するめどがたっておらぬ。世情が不安定だからということは言い訳にならぬな」
簡雍があらたな話題を持ち出すと、孫乾が、また湿った声をあげた。
「調書によれば、ひどくむごたらしい殺され方をされているようだな。おとといで何人目だったかな」
「三人ですよ。切り裂いたうえに、身に着けていた衣を奪っているようです」
孔明のことばに、孫乾は、自分がそうされたかのようにぶるりと震えた。
「ああ、おそろしい。下手人をなんとしても捕まえんとな」
「屯所の当番は、たしか今月からは趙子龍ではなかったか」
「そうです。そういえば、今朝は姿が見えませんね」

趙雲は孔明の主騎もしているので、麋竺同様、朝になると、かならず孔明のところに顔をだすのが日課になっていた。
ところが、今朝は顔を出していない。
不思議に思っていると、簡雍が、書簡のひとつを取り出して、言った。
「これではないか。昨日、子龍の部下の家族が皆殺しになったという事件が起こったとか」
「ほんとうですか」
またも凄惨な知らせに、孔明が身を乗り出すと、簡雍は書簡を読みつつ、答える。
「うむ、どうやらこちらは下手人がはっきりしているようだ」
「だれです」
「ほかならぬ、その部下がおのれの家族を殺して逃げたのではないかとある。詳しいことは、そいつを捕えて話を聞くとも書いてあるぞ」
「まだ捕まっていないのですか」
「子龍が追いかけているそうだ。だから、今朝は姿が見えないのだな」
なるほど、と孔明は納得した。

それにしても、ひどい事件が立て続けに起こっている。
世情不安のために民心が荒れているのはわかるが、すこし続きすぎている気もした。
しかし、だからといって、最大の敵である曹操の謀略かというと、それも違う気がする。
証左はないが、曹操がこれほど細かい、いやがらせのような謀略を仕掛けてくるとは思い難かった。

ふと気づくと、劉備がこちらを優しい目で見ていた。
成長したわが子を愛でるような目をしている。
はて、いまの殺伐としたやり取りの中に、わが君を喜ばすような要素があったかな、と孔明は首をひねる。

「どうされましたか、わが君」
問うと、劉備は照れ臭そうに笑って、答えた。
「なに、おまえがやっとこの城の者たちに慣れた様子だからな。こっちもうれしくなったのだ」
率直な物言いに、さすがの孔明も、なんといってよいかわからない。
それは簡雍や孫乾も同じようだったようで、照れ臭いような、きまり悪いような、複雑な表情を浮かべていた。
「最初は、おまえとみんながうまくやっていけるか、心配していたが、いや、今日は様子を見に来てよかった。おまえがこれほどみんなと馴染んでいるのがわかったのだからな。みんなも、これからも孔明をよろしく頼むぞ。孔明も、みんなとうまくやっていってくれ」
「仰せのままにいたします」
照れ隠しで無表情のまま頭を下げると、簡雍らも後に続いて、御意、と応じた。

簡雍や孫乾たちは、臥龍という号ばかりが立派で、なんの実績も見当たらない孔明に対し、さいしょは反発していたのだ。
ところが、最近は孔明の実力を認めるようになり、批判的な態度をとることがなくなった。
それを見て、劉備が喜んでいる、というわけである。

孫乾が、奇妙に浮ついた雰囲気になった場をごまかすかのように言った。
「それにしても軍師どのは仕事を覚えるのがお早い。司馬徽先生の塾では、実務も学ばれていたのですか」
「それもありますが、叔父を手伝って、十五のときから働いていたのが、いまになって役に立っているのでしょう」

答えながら、孔明は、少年だったころの自分の夢を思い出していた。
それは、お人よしの叔父を世に出すため、自分が補佐して力いっぱい働くという夢であった。
その夢は、叔父の死によってついえたが、いまは、その代わりに、叔父に似た劉備という主を得て、こうして働いているわけである。
叔父の名も玄で、劉備のあざなも「玄」徳。
もしかしたら、なにかの引き合わせかもしれないな、と孔明は思った。

つづく

臥龍的陣 夢の章 その4 孔明、執務に励む

2022年02月19日 13時23分13秒 | 臥龍的陣 夢の章
執務室に入ったとたん、仰天した。
麋竺の席に、劉備が座っていたからである。
劉備は孔明を見ると、片手に書簡を持ちつつ、もう片手で軽く挨拶してきた。
「おはよう、孔明」
「おはようございます、わが君。いったい、どうなさったのですか」
「どうもこうも、子仲どのの代わりだよ。今日も休みだって聞いたから」
孔明がちらっと孫乾や簡雍のほうを見ると、かれらは会釈しつつ、気まずそうな顔をした。
どうやら、劉備は押しかけで事務仕事に参加しているようであった。
「雑務は、わたくしたちで引き受けますのに」
孔明が言うと、劉備はわらった。
「なあに、気にするな、ちょっとした気分転換でここに座っておるのだ。このところ、おまえを隆中から軍師として招いてからずうっと、事務のほうは任せきりであったからな。どうしているだろうかと思ったのだよ。今日いちにち、いっしょに働こうぜ」

憎めないお方だなあと孔明は感心する。
狭量な者なら、自分を信用していないので、監視に来たのではとうがった見方をするかもしれない。
だが、もしそんなふうに思う者がいたとしても、劉備の楽しそうな顔を見れば、自分もこころが明るくなって、疑った自分を恥じさえするにちがいない。
そも、劉備は孔明が隆中から招聘されるまでは、ほぼひとりで、八面六臂の活躍をしてきていたということは、麋竺から聞いていた。
事務仕事にしても、細かいところまでお手のものなのだ。
お言葉に甘えて、手伝っていただこうかと思い、孔明は自分の席についた。

「子仲どのは、まだお加減が悪いのですか」
「悪いと聞いている。季節外れの感冒かねえ、あのひとは丈夫で朗らかなのが取り柄なのに」
劉備は心配そうにぼやく。
子仲というのは、麋竺のあざなである。
麋竺は妹が劉備の夫人になっているため、新野においても特別な扱いを受けていた。
なにせ、席次はつねに劉備の次。
孔明より上座にすわり、歓待を受けるのが常だった。
商人の出身ながら、人の好さと品の良さが同居する穏やかな性格で、かれを嫌う者を孔明は見たことがない。




しばらく、無言でせっせと手を動かした。
想像したとおり、麋竺が抜けていることで、孔明の担当する事務仕事は、いつもの倍になった。
しかし劉備が思った以上の早さでどんどん仕事を回してくれるため、案件が滞ってイライラするようなことは起こらなかった。
劉備は手際よく右から左へと仕事を流していく。
孔明も、そのほかの事務に携わる者たちも、劉備がいることで程好く緊張し、むしろいつもより仕事がはかどっているほどであった。

しばらくして、劉備が言った。
「ここにいると、調練場の兵たちの掛け声がよく聞こえてくるな」
「調練の仕上がりは上々のようです」
「結構なことだ。以前より、新野は荊州の最前線だから兵を鍛えるのを怠っていなかったが、とくにおまえや徐庶が調練のしかたを効率のよいものに変えてからは、余計に強くなってきたようだ」
「おそれいります」

徐庶と孔明が新野にやってくる前は、調練はやみくもに鍛えることに集中しすぎていた。
休みなく動かされる兵は、たしかに鍛えられているようであったが、しかしあまりに苛烈な訓練が連続して行われていたため、死者が出るようなこともあった。
徐庶がまず、それをやめさせて、兵に休みをとらせるようにした。
徐庶の引継ぎをした孔明は、さらに兵たちの身体を効率的に鍛えられるように調練の順番を精査して変えた。
すると効果はてきめんで、兵たちはどんどん強くなっていった。

「新野の兵がつよくなれば、州都の襄陽にいる劉表どのも喜んでくださるだろうよ。わしほどに役立つ居候は、ほかにいないってな」
自虐ではなく、心からそう思っているようで、劉備の笑顔は屈託がない。
「曹操、なにするものぞ、だ。おまえと、わしの強い強い兵たちがいれば、百人力だ」
劉備の調子の良いことばに、その場にいた者たちが賛同して、そうだ、そうだ、と声をあげる。

だが、慎重な孔明は、それには賛同しなかった。
袁紹の戦いに勝利した曹操は、そのまま突進するように北へ兵を向け、一気に袁家の息子たちを屠った。
後顧の憂いがなくなった曹操は、いま、荊州を狙って侵攻の準備を進めていると聞く。
このところ、仕事の中に、中原からの流民が起こす揉め事が入らなくなったのも、曹操が中原をうまく治めている証拠だ。

かつては、荊州には多くの流民が入り込んでいた。
ほとんどが土地を追われた農民であったが、かれらはまず、荊州の最前線に位置する新野に入ってくる。
もちろん、食い詰めているため、かれらは図らずも荒んでおり、新野の地元の民ともめ事を起こすことが少なくなかった。
ところが、その揉め事が、さいきんはほとんど起こらない。
それというのも、流民が入ってきていないからであり、なぜかといえば、曹操が土地を失った農民に屯田をさせるようになったためだった。
屯田のおかげで、生産力も増え、ひいては兵力の増強にもつながっていると聞く。
曹操は残酷な男ではあるが、兵法家としても政治家としても一流なのである。
それを相手に戦わねばならないときが、刻一刻と近づいてきている。
その緊張が、孔明に軽口を叩かせなかった。

つづく

臥龍的陣 夢の章 その3 孔明、夢から醒める。

2022年02月18日 13時26分27秒 | 臥龍的陣 夢の章
宿に帰ると、案の定、大姉が怒り心頭といったふうで待っていた。
「叔父さま、よくご無事でお戻りくださいました。
けれど亮、おまえはなぜ黙って出て行ったの。
とても心配したのよ、この短慮もの!」
「叱るな、わたしも黙って出て行ったようなものだ。
みな、心配をかけてすまなかったな」
諸葛玄がとりなすと、大姉は顔を怒らせたまま、ため息をついた。
「叔父上は亮に甘い」
「亡き兄上から預かった大事な子だからな。もちろん、おまえたちも大事だぞ」
「とってつけたようなお言葉ですこと」
「むくれるな。ほんとうにおまえたちも大事なのだ。
それより、瑾に手紙は書いたか」
「ええ、明日にでも人に託して、無事に襄陽についたとお知らせするつもりです」

「姉さま、叔父さま、ほっとしたら、おなかが空いたわ。
宿の方の料理の支度が終わったようですし、奥へ行きません?」
小姉のことばに、大姉はまた呆れ、諸葛玄は楽し気に笑った。
「そうだな、待たせてすまなかった。
早く食事をしよう。わたしも腹が減って仕方ない」

すると、奥のほうから孔明の弟である均が、諸葛玄のもとへと駆け寄って来た。
「叔父上、よかった、ご無事だったのですね」
「無事だとも。心配させてすまなかった」
均は諸葛玄に頭を撫でられ、気持ちよさそうにしている。
「もうおひとりで出かけないでください。心配で、心細かったです」
「すまぬ、すまぬ」
「叔父上はわたしたちの大切な叔父上なのですから。ねえ、姉上、兄上」
屈託のない幼い均のことばで、眉を吊り上げていた大姉も力を抜き、声を立てて笑い出した。
「そうね、わたしたちの叔父上ですもの。
ほんとうに、おひとりで出かけるにしても、今度から行き先をちゃんと教えてくださいませ」
「ほんとうにわかった。すまぬ、反省しておる」
「こんどはお供にわたしを連れて行ってください。邪魔は致しませぬ」

均のことばに目を細める諸葛玄は、ともに手をつないで、奥の料理が待っている部屋へと向かっていく。
その広い背中を見て、孔明は、わたしもまた、叔父上がどれだけ大切か、機会があったなら、きちんと伝えようと思った。

だが、その機会はこない。
なぜつぎに機会があるだろうと無邪気に思い込んでいたのか。

諸葛玄は、その二日後に、襄陽城にて横死を遂げることになる…



悲しい夢だった。
叔父の死の前後の記憶を生々しく思い出すことを避けられたのは、救いだ。

孔明はめずらしく寝台でぐずぐずしたあとに、やっと思いきって気合をいれて起き出した。
新野では、雨の日がつづいていたが、さいわいなことに今朝はみごとに晴れていた。
朝から木々に止まっている蝉たちが、いっせいに大合唱をしている。
夢の中では秋だったので、夏のさなかに現在はいるのだ、ということを思い出すのに、すこしかかった。
さわやかな浅黄色の衣に袖を通す前に、手桶で顔を洗う。
係の者に髪を結ってもらってから、鏡でじっとおのれの顔を見る。
もう夢の余波はない。
孔明はより気分を変えるため、軽く両手でおのれの頬を叩き、それから、ふうっと息をついた。
よし、いつもの自分だ。今日も張り切っていこうではないか。

朝餉をすましたあとには麋竺がやってきて、挨拶をしてくれるのが新野に来てからの日課になっていた。
しかしここ十日ほど、麋竺は体を壊したとかで、登城してきていない。
ふだん一緒の人物がいないというのも、寂しいものだと思いつつ、孔明は執務室へと向かう。
昨日までの雨もやみ、空はみごとな青天。
夏の朝らしく、みずみずしい緑の木々と、咲き誇る花々がさらに元気をあたえてくれる。
気持ちの良い朝であった。

麋竺がいないことで、自分のこなさなければならない仕事も増えてくるころだろうと孔明は予想したが、それはさほど苦ではなかった。
むしろ、望むところだといっていい。
孔明は、自分の力がぎりぎりまで試される状況が好きだった。
限界を超えようと努力していると、それまでの自分を脱皮できる境地をあじわえるからである。
そうして成長を積み重ねていって、自分がどこまで行けるのか、想像するだけでわくわくする。

つづく

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