はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
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赤壁に龍は踊る 三章 その17 脱出と再会

2024年06月21日 09時50分42秒 | 赤壁に龍は踊る 三章
「大丈夫か、あいつら」
思わず言うと、梁朋《りょうほう》が答えた。
「あの方は、壺中《こちゅう》のなかでも一、二を争う使い手です、大丈夫ですよ!」
「なんだって? 壺、中……?」
なんだそれは、と聞き返そうとしたところで、梁朋の脚が止まった。
行く手の木陰で、じっとこちらをうかがっている人物がいるのだ。
笠をかぶった背の高い男だった。
その男の衣は、昨日見た、梁朋と会話をしていた男と同じだ。


敵か、味方か?
戸惑う徐庶に対し、梁朋は表情を明るくした。
その者は、笠を軽くあげて、梁朋に叫ぶ。
「梁朋、逃げるぞ、こちらへ!」
その声を聞いて、徐庶はぎょっとしたが、考えている暇もなく、梁朋は徐庶を連れて、その笠の者のほうへ向かう。
笠の者は、梁朋に優しい口調で言った。
「よくやったな、逃げ道は作った。急ぐぞ」
「ありがとうございます! さあ、元直さま、おれが負《お》ぶります! 逃げましょう!」
どこへ、と聞くより早く、梁朋は徐庶に背中を見せる。
笠の者も、
「お早く!」
と急かすので、徐庶は梁朋の背中に身を預けた。


とたん、非力かと思っていた梁朋は、思わぬ胆力と脚力を見せて、その場から走り出した。
おどろいたことに、梁朋に並走して、笠の者も付いてくる。
背後では、呼子《よびこ》の甲高い音が聞こえた。
おそらく衛兵が劣勢をくつがえすべく、仲間を呼ぼうとしているのだろう。
だが、それはすぐに途切れてしまった。
黒装束の一団が、呼子を吹いた者を始末してしまったのか……


梁朋の背中で、がくがくと徐庶は揺れた。
揺れながら、ものすさまじい勢いで風景が流れていくのを見る。
梁朋と笠の者は、走りに走って、やがて要塞の果てまでやって来た。
背丈以上もある高い塀が、縦にも横にもそびえている。


行き止まりじゃないかと徐庶が思っていると、笠の者が素早く要塞の塀の一部を叩いた。
すると、外から合言葉を求める声が聞こえてくる。
笠の者がそれに応じると、おどろいたことに、塀の一部が動き、取り払われた。
ひゅっ、と外からの風が入り込む。
同時に、外にいた者が、小さな顔をのぞかせた。
「みなさま、よくご無事で!」
「うむ、船は用意してあるか? 隠れ家に急ぐぞ」
はい、と返事をしたちいさな声は、少女のもののように聞こえた。


笠の男の主導で、外に出た徐庶たちは、外で待機していた少女と合流した。
松明を持っていたその少女は、ほっかむりをして髪を隠し、男装をしている。
「船はこちらです、お早く!」
少女は松明《たいまつ》を持って、笠の者と梁朋、そして徐庶を気にしながら、烏林の葦の原を慣れた風に抜けていく。
それに合わせて、徐庶を負ぶった梁朋と、あれほど長距離を全速力で駆けたのに、ほとんど息を乱していない笠の者とで、岸辺に向かう。


岸辺に小舟が浮かんでいるのが、松明のあかりで見えた。
迷いのない動作で、少女と笠の者が乗り込み、さらに梁朋が慎重に徐庶を船に下ろす。
四人がしっかり船に乗り込むと、梁朋は自ら櫂をとって、船をこぎ出した。


「あんたらの仲間は大丈夫なのか」
黒装束の者たちはどうなるだろう。
徐庶がたずねると、梁朋が振り向きかけた。
だが、それより先に、笠の者が、笠を脱ぎつつ、答えた。
「おそらく問題はないでしょう。あの程度の敵に始末される子たちではありませんから」


やはり。
だが、なぜ?


徐庶は、笠を脱いだ人物の顔をおどろきをもって、唖然として見つめた。
ゆらゆらと揺れる船の先を照らす松明のあかりに浮かぶその顔は、まぎれもなく、孔明の妻である黄月英《こうげつえい》のものだった。
おどろきのあまり、立ち上がってしまいそうになったが、なんとかこらえて、おのれを保つために、ぐっと船べりを手でつかむ。
それから、あらためて、月英を見つめた。


孔明の妻女で、まちがいないか?
いや、まちがいはない。
何度も顔を合わせたことのある、孔明の妻女、月英。
襄陽《じょうよう》にまだ孔明がいたときなどは、街の酒店で飲み明かして徹夜をしたあと孔明を送っていくと、きまってこの女人が待っていた。
そして、どうしようもない人たちね、などと笑って出迎えてくれたものだ。
変わり者の孔明に似合いの、変わり者の妻と世間では言われていたが、二人の相性はぴったりだった。
さまざまな学問を習熟している賢明な妻女ということで、孔明はいつもいい妻をもらったと自慢をしていたほどだ。


その月英が、いま、申し訳なさそうな顔をして、こちらを見ている。
この、戦場の最前線から逃げんとしている船の中で。


「驚かせてしまいましたわね、申し訳ございませぬ」
こころからすまなさそうに言われて、徐庶は気勢をそがれた。
何と答えていいのかわからない。
黙っていると、男装の月英は、さらに言った。
「詳しい話は、隠れ家についてからいたしましょう。それより、怪我の程度は?」
「あ、ああ、大丈夫だ、ちょっと蹴られたくらいだし、きっと痣になってるくらいだろう」
「ひどい目に遭いましたね。あなたを拷問にまでかけようとするとは、徳珪《とくけい》(蔡瑁)どのも、いよいよ畜生以下の人間に成り果てたようす。
まったく、見下げはてたやつらです」


その蔡瑁は、この妻女の親戚だったはず?
それにしては、口調に、ありあまるほどの憎しみが感じられた。


「元直さま、もうすこし我慢しておくれね。じきに隠れ家だよ」
梁朋の声に振り向くと、前方の葦の原にぽつんとある、年季の入った小屋が見えてきた。
近在の村の漁師が使っているものだろうか。
やがて、小屋のそばにあるはしけに船は接岸した。


「まずはご安心ください、元直どの。いまは、曹操も徳珪どのたちも、周瑜の軍と戦うのに手いっぱいで、われらを追うことまで手が回らないでしょう」
月英に言われて、徐庶は、蔡瑁と張允の会話を思い出していた。
曹操が、江東の軍の力を測るために出撃するとか、なんとか。
いま、このときに、戦が起ころうとしているのだ。
小屋の入口から、長江の東を見やるが、そこには月の光に照らされている水面と、さわさわと揺れる葦の原があるだけである。
「目立つといけません、早くお入りになってください」
月英にうながされ、徐庶は小屋に入った。


つづく

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