はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

臥龍的陣 夢の章 その2 孔明と諸葛玄

2022年02月17日 12時58分31秒 | 英華伝 臥龍的陣 夢の章


ぱち、ぱち、と碁石が盤上を行き来する音を聞きつつ、少年・諸葛孔明は老爺におしえられた酒店の入り口に立った。
囲碁をしている男たちは熱中していて、孔明の存在に気づいていないようである。
見たところ、孔明の立っている場所から右手にいる男のほうが負けているようだ。
『あそこに打ったら形勢を逆転できるのに。けれど、口を出したら怒られそうだな』
賢明に判断した孔明は、負け始めていて、うなっている男に同情しつつ、酒店に入ろうとした。

店内は薄暗く、入口に立っただけで安い酒と、脂っこそうな料理の匂いがぷんぷんした。
雰囲気は陰気で活気が感じられず、ちょっとのぞいただけでも、どんよりした目つきの男が卓をまえに酒をちびちびやっているのが目に入るほどである。
『ほんとうに叔父上がいるのだろうか。いったいどんな用事でこんなところに入ったのだろう』
柔和な外見とはうらはらに、なかなかに気の強いところのある孔明をして、中に入るのはためらわれた。
店の人間も、孔明が入口に立っていようと、声すらかけてこない。

叔父の諸葛玄が、襄陽に到着するなり、何者かに呼び出されて宿を出ていったのが昼前のことだった。
行き先をだれも知らなかったため、なかなか帰ってこない諸葛玄を心配して、午後になって孔明がひとりで宿を飛び出したのだ。
心配性の大姉の目を盗んで出てきたので、きっと帰ったら大目玉を食うだろう。
それも覚悟のうえで、孔明は酒店の前に立っている。

諸葛玄と豫章をめぐって戦い、勝利した朱皓が、襄陽まで刺客を放っているとは考えづらい。
しかし、万が一ということもある。
『それをいうなら、叔父上の甥のわたしも危ないわけだが』
大丈夫だろうと、孔明は踏んでいる。

朱皓は凡庸な男だった。
そして、残酷な男ではなかった。
豫章から諸葛一族が落ちのびるさい、兵法どおりに逃げ道を用意してくれたし、追っ手もかけてこなかった。
むしろ、そのあとに懸賞金目当てに襲ってきた有象無象のほうが、よほど質が悪かったくらいだ。
おそろしい賞金稼ぎたちから必死で逃げて、諸葛一族は襄陽に落ち延びることができた。
いまはすこし落ち着いて、みなで宿の世話になっている。
二日後には、豫章へ赴任するよう命令をくだした劉表と、諸葛玄は面会をすることになっていた。
孔明もそのときは同伴することになっている。

『ごめんくださいと客のフリをすべきか、それとも素直に人を探しているというべきかな』
孔明が逡巡していると、酒店の二階から、なんと、諸葛玄そのひとが降りてきた。
探すまでもなかった。
ホッとして、孔明は叔父の名を呼ぼうとした。
諸葛玄のほうは、まだ孔明に気づいていないらしい。
それどころか、暗い店内のその闇の澱にそのまま溶け込んでしまうのではというほど暗い表情をして、陽気なかれにしてはめずらしく太いため息を吐いている。

なにかあったのか。
だれとあったのか。

思わず、孔明は諸葛玄に声をかけていた。
「叔父上」
その声に、諸葛玄は針で突かれたように、はっと顔をあげた。
さらには、甥っ子の姿を目の前に見つけて、ますます顔を蒼くしている。
「お迎えに参りました。どなたと一緒だったのですか」
「いや、おまえとは関係ない。おまえは一人でここへ来たのか」
はい、と答えると同時に、二階につながる階段から、だれかがゆっくりと降りてくるのがわかった。
『叔父上と一緒だった方かな。挨拶をしたほうがよいだろうか』
そう思って、階段のほうを見ようとしたが、諸葛玄が立ちはだかった。
どうやら、諸葛玄は自分がだれと会っていたか、それを知られたくないようだ。
「もうここには用はない。宿に帰るぞ」
「でも」
諸葛玄が嫌がっているのはわかったが、孔明の持ち前の好奇心が階段を降りてくる人物に目を向かせた。
格好からして男だ。
手が見える。
日に灼けていて、皺もある。
初老の男。
だが、あいにく顔をよく見ようとする前に、諸葛玄に強く腕をひっぱられて、店の前に連れ出されてしまった。

「叔父上のお知り合いの方でしょう。わたしも挨拶をしたほうがよいのでは」
「よい。それより、早く宿に帰るぞ。みな心配しているだろう。
とくに、おまえが伴も連れずに出歩いているのだから」
「わたしももう、子供ではありませぬし」
「冠礼もおこなった。字も授けた。だが、まだまだ」
諸葛玄の声色が、いつもの明るい調子に戻っている。
孔明は安堵して、足早に酒店から去ろうとする諸葛玄のあとにつづいた。

「明日からは、宿ではなく、わが旧知の家に世話になるぞ」
「そうでしたか。叔父上のご友人のお屋敷は広いのでしょうか」
「そこそこだ。だが、いまの宿よりは広い。
それにしても亮よ、どうしてわたしがあそこにいるとわかったのだ。
わたしは行き先を告げていなかったはずだが」
「襄陽の街の地理は、この二日でだいたい把握いたしました」
「二日でか。襄陽の街は狭くはないぞ」
「整然とした街ですから、かえって覚えやすかったですよ」

こともなげにいう孔明に、諸葛玄は、ほお、と感嘆の声をあげる。
「そこで頭の中で地図を作りました。どこになにがあるか、ほぼわかっております。
もうこの街はわたしの庭のようなもの。
それに、叔父上は背が高いし目立つので、だれかが通りすがりに見ていて覚えているだろうと思いました。
あとはしらみつぶしに、街を観察していそうな人に声をかけていったのです」
「おまえには驚かされる」
諸葛玄はそういって、痛快そうに笑った。
その大きな笑い声に、道行く人がなにごとかと振り向いてくる。
孔明は、この叔父の明るい笑い声が好きだった。


つづく

臥龍的陣 夢の章 その1 孔明少年、襄陽に来る

2022年02月16日 13時26分23秒 | 英華伝 臥龍的陣 夢の章

ほのほのと穏やかな日差しが、襄陽城市の屋根と屋根のあいだをこぼれていた。
秋の、風のない日であったから、午後に家の手伝いから解放された子供たちは、みんなであつまって合戦ごっこをやっている。
子供たちは二手にわかれ、剣や槍の代わりに棒きれを持って、互いの陣地をはげしく奪い合って遊んでいた。

それを見守っているのは軒先の下にちいさな竹でこさえた腰掛け椅子に座っている老爺だ。
日に灼けてしわくちゃで、まるでたくさん日に干した果物のような顔をして、にこにこと孫をふくめた子供たちの遊ぶ姿を見つめている。
丸く曲がった腰のとなりには杖が置かれているが、かつてこの穏やかそうな老爺が、官軍側の兵卒として黄巾党と戦ったことは、ほとんどの商店街の者たちがおぼえていない。
ほんの十余年前の話だというのに。

老爺はそのときに支給された恩給を元手にちいさな商売をはじめ、その後、息子夫婦に跡を継がせた。
その息子夫婦に商才があったので、いまでは襄陽の市のなかでも大きな店を構えられるようになった。
だが、そのあれやこれやは、これから語られる話には関係ないので割愛する。

路地のなかでも、土塀の影になっているところに陣地をかまえた子供たちは、『劉表・張繍軍』、一方、秋の日差しをいっぱいにうけて、猛々しく棒きれを振るっている子供たちは『曹操軍』だ。
老爺のみたところ、曹操軍に扮している子供たちのほうが優勢。
劉表・張繍軍のほうが分が悪い。

それでも、劉表・張繍側は負ける気はないらしく、
「曹賊め、おとなしく許昌へ帰れ!」
などと悪態をついて、曹操軍に扮している子供たちを挑発する。
ときどき、素にかえった子供が、
「おいら、荊州に住んでいるのだから、やっぱり劉表軍がいいなあ」
などとぼやく。
すると、すかさずガキ大将が。
「雰囲気をこわすな、ばか! おれたちは曹操軍でいいんだ」
と頭をぽかりとするのだ。
べそをかき出した子供を、気の優しい子供がなぐさめたり、ガキ大将の手下がからかって、ますますいじめたり。
そこへ、機は熟したとばかり、劣勢だった劉表・張繍軍が一気に攻めてきて、おおさわぎ。
路地は今日もにぎやかである。

老爺は子供たちを黙ってじっと見つめていた。
かれは誰かが怪我でもしないかぎり、口を出さない。
子供たちも心得ていて、どんなに乱暴なことをしていても、けして弱い者いじめをしすぎないでいた。
怪我をしそうな手前で、遊びをやめるのである。
それがわかっているので、老爺もよほどでないかぎりは介入しないのだ。

夏のそれとはちがって、刺すようなきつい日差しとはちがう、眠気を誘うような穏やかな日差しが老爺を照らしている。
子供たちのたてる足音と、ほこりのにおい。
ときどき聞こえる、どこかの番犬の吼え声。
子供たちをよけて通る襄陽の人々の顔もおだやかで、だれも遊ぶ子供たちをうるさいだの、じゃまだのといって叱ったりしない。
いつもと同じおだやかな風景だった。
うす緑色を基調とした衣裳をまとった少年があらわれるまでは。

老爺は子供たちをうまく避けてこちらにまっすぐやってくる少年に気づき、おや、と思った。
詩的に表現することを得意としていない老爺でも、その少年を見て、
「春が向こうから歩いてやってきた」
そんな風に思ったものである。

さわやかな色合いの衣のその少年は、年頃は十七くらいだろうか。
このあたりでは、なかなか見かけない顔である。
仮にかれに一度会っていたなら、老爺はけして忘れなかっただろう。
その少年の、そのあまりの美貌ゆえに。

すらりとした肢体で、颯爽と歩くその少年は、夢中になって遊ぶ子供たちをよけ、老爺の前に立った。
少年が何も言わないうちに、おもわず老爺はたずねていた。
「女の子かい? 男の子かい?」
少年は気を悪くしたふうでもなく、困ったように笑った。
そう問われることに慣れているようである。
色白で、真っ黒で癖のない髪をして、好奇心に満ちた顔。
衣裳の趣味や質を見るまでもなく、いかにも育ちがよさそうで、曲がった老爺の背もいくらか伸びてしまうほどに、凛とした空気をまとっていた。

『愚問だったわい、こりゃ男だ』
老爺はこころのなかで、ちっ、ちっ、と自分に舌打ちをした。
深窓の美少女のように見えた少年だったが、近づいて見上げてみると、のどぼとけの存在はもちろん、その双眸にたくましさと知性の輝きがあるのがはっきりわかったのだ。

「おじいさん、お尋ねしたいことがあるのですが」
風貌から想像させる声より、さらに涼しげでよく通る声で少年は問うてきた。
「ここを深緑色の衣を着た四十くらいの男の人がとおりませんでしたか。
怪我をしているので、片足をすこし引きずっています。
それに、おじいさんくらい日に灼けていて、目じりに笑い皺があるのです」
「ああ、そのひとなら、だいぶ前にここを通っていったな。名前は知らんがね」
「どこへ行きましたか」
「探してどうなさる」
「叔父なのです。そろそろ門限になりますので、迎えにまいりました」
「そうかい、それなら、あの酒店に入っていったよ」
老爺は市場からすこし離れたところにある酒店を少年に教えた。
酒店の前では、あまり身ぎれいではない男たちが、それぞれ囲碁の勝負に熱中していた。

「ありがとうございます、これで叔父と宿に帰れます」
少年は丁寧にお辞儀をして、そのまま去ろうとした。
その背中に、老爺はつい声をかける。
「あんたさんは、徐州から来なさったかね」
少年はきれいに描いたような眉をなぜか悲しそうに曇らせ、答えた。
「ついこのあいだまでいたのは揚州ですが、もとは徐州の出です。どうしてわかったのですか」
「徐州の訛りがあるからね。そうかい、徐州かい、苦労なすったね」

曹操が徐州で大虐殺をおこなったことは、襄陽のひとびとのあいだにも生々しい記憶として残っていた。
曹操側は父親を殺されたその報復だと喧伝していたが、だからといって、罪のない民を理不尽に殺していいという理由にはならない。
殺された民の遺体で、河がせき止められたほどの凄惨な虐殺だったとも聞く。
この目の前の美麗な少年は気の毒に、その悲劇を目の当たりにしたにちがいないのだ。

「襄陽はまだ平和だよ、いつまでここにいるのか知らないが、ゆっくりしておいき」
「ありがとうございます」
少年は微笑むと、今度こそ老爺の前から去った。
ほんのすこしだけ言葉をかわしただけだというのに、少年が去った後は、老爺はなつかしい者が去っていった時のような、ひどく寂しい気持ちになったほどであった。

つづく
(2023/01/29 冒頭部分の原稿を、物語の雰囲気に沿ったものに差し替えました)

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